第9章 時渡り(10)
――― もの思いになんか耽っていたら、きっとおじいちゃん、怒るだろうな。
礼韻は闇の中、ひとり苦笑した。
おそらく、意味のないことだと憤慨したに違いない。生ある限り、いついかなる時も貴重な時間なのだ。過去なんかを懐かしがってどうする。そんなひまがあったら、もっと少しでも先に繋がることに頭を使うのだ。
願坐韻ならそう言うに違いない。礼韻は拈華微笑など使わなくても、願坐韻の思考は手に取るように分かったのだ。
たしかにそのとおりだよ、おじいちゃん。礼韻は思う。これから、正に人生の大一番と言っていい時間を迎えるのだ。ぼんやり考えごとなどしている場合ではなかった。
礼韻は、涼香と優丸とで取り決めた、関ヶ原に着いてからの行動を再確認することにした。確認は何度しようとも、マイナスになることはない。
まず場所は、松尾山の南側の、山とも言えない小高い丘だ。そこを陣取る。まだ暗いうちに、3人の見張りを眠らせて衣装をはぎ取り、土嚢を掘る。そうやって松尾山を常時見える状態をセッティングする。
そのための7つ道具は、すでに背負うディバッグに入っている。穴を掘るためのスコップは当初鉄製のものを用意してあったが、できるだけ音がしないようにと、強化プラスチックのものを帷面が足した。たしかにそのとおりだと、礼韻も納得して受け取った。プラスチック製であれば、足したとしてもたいした重量にならない。
睡眠薬も帷面が足した。帷面特性のものの方が、即効性があるという。ただ難点は、日持ちがしないということだった。しかしこれは、過去の世界の滞在時間が24時間なので、さほど問題にはならない難点だった。嵩が増さないので、礼韻はありがたく受け取った。
気配を感じ、礼韻が歩く速度を落とした。
構えながら進むと、しばらくして、人が立っていた。
礼韻は足を止めた。その者が行く手をふさぐように立っていたからだ。黒い衣に覆われ、目の部分だけが細く露出している。とても、すんなり横を通り過ぎていけるような雰囲気ではなかった。
「礼韻か」
礼韻の頭の中に、拈華微笑の声が響いた。それは願坐韻そっくりの音程、間、抑揚だった。
「おじいちゃん!」
礼韻も声に出さず返した。
「礼韻、よく聞くのだ」
願坐韻は、もうこの世にいないはずだった。しかし時が渡れるのなら、死んだ者が現れたとしてもおかしくはない。
「はい」
黒衣の者に向き合いながら、礼韻は小さく頷いた。前に立つ者は、ほんとうに願坐韻その人なのだろうか。
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