第9章 時渡り(8)


 応仁の乱で広く知られるようになった帷面権現は、その後、名だたる戦国武将に信仰されるようになる。


 ただこれは、純粋な信仰とは違うものだ。武将たちの帷面の捉え方としては、ひとつの武術といったところだったはずだ。帷面が本来持つ、山岳信仰といった側面はどうでもよかったに違いない。


 帷面が彼ら武将に、どれほどの術を提供したのかは分からない。しかし武将たちに超常的な逸話が残っていることがないことを見ると、術の恩恵を受けた者は皆無だったと言っていいだろう。


 帷面としても、特定の武将に肩入れすることは危険だと見たのかもしれない。肩入れした武将が没落すれば、帷面にも危険が及ぶからだ。結果として帷面が潜む甲信越から北陸にかけての土地で、天下人にまで上りつめた武将はいなかったのだから、帷面が特定の者の庇護にならなかったのは正解だった。帷面と似た集団である「忍び」は、その雇い主の栄枯盛衰によって自分たちの立場も大きく変えている。負け組に付けば、解散にまで追い込まれる。実際、後北条や武田に付いた忍びは没落している。


 礼韻は、帷面を信頼していた。願坐韻という、実例があるからだ。


 彼ら帷面は、願坐韻の高い実力を見抜き、術を披露した。その術で得たものを、願坐韻は最大限使い、しっかりと帷面にお返しした。帷面と願坐韻は、願坐韻が老衰で天寿を全うするまで、今の言葉で言う、ウィンウィンの関係を続けたのだった。


 礼韻はひたすら歩いた。自分もまた帷面の術の恩恵を受け、この後の人生でそれを活かし、そして帷面にお返ししていく。そう筋書きを立てていた。


 1時間ほど歩いたところで、煙がいくぶん薄くなってきた。間もなく、関ヶ原の地に出るのか。礼韻の鼓動が、自然に早まった。

 

 

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