第9章 時渡り(7)


 帷面は土着の地域信仰だった。戦いの神として特別な扱いを受ける遥か前から、その土地の生活に根付いた信仰として、長くひそやかに親しまれていた。


 広く知られるようになったのは、室町時代中期に起こった、応仁の大乱からだ。


 まず、都の権力者たちに目を付けられたのが、帷面の持つ特殊性だ。風変わりなものを崇め、ユニークな祀り方をし、そしてまた門外不出の秘事も多い。


 しかしこれは、帷面権現が意図したものではない。むしろ都の者たちが勝手に、「極めて特異だ」とレッテル貼りをしたからに他ならない。


 人間の体が同じである以上、どの地域であっても信仰の基本は同じだ。どこに住んでいようとも、人間は寿命がくれば亡くなる。そして残った者は、亡くなった者を悲しみ、葬り、そして、自分が続かないようにと願う。


 その、死を恐れるところから、信仰というものは始まることになる。


 だからどの地域であっても、基本は一緒だ。しかし長い年月のうちに、細かな部分で地域性が出てくることになる。


 都に近い、地理的にも地形的にも開けた場所であれば、好まざるとも周囲の影響を受けることになる。交流が避けられないからだ。その交わりによって、周囲の一般性を取り入れ、自身の非合理性を削り、特異性が徐々に消されていって、均一になってしまう。


 しかし峻嶮な地域のそれは他との交流もままならず、知らず知らず独自の信仰スタイルが残ることになる。離島に生き物の固有種が多いのと同じことだ。


 岩山に囲まれ、雪で閉ざされる期間の長い帷面の地では、その地域の条件に見合った信仰スタイルが作りあげられた。食料事情に乏しく、害獣も多く、統治機構、たとえば鎌倉幕府や室町幕府などの社会的な補償も保護も期待できない。生き抜くためには、死なないためには、おとなしくしているわけにはいかなかった。外部の者、他の生き物、自然環境など、とにかく戦わなければならなかった。


 この時代は単なる鳥であっても害獣だった。それも作物荒らしなどというおとなしいものではない。大型のものであれば、鋭いくちばしで人をも襲う殺人鬼だった。


 それくらい、厳しい環境だった。帷面のさまざまな術は、死を乗り越えるために開発され、発展させたものだった。生活に根付いた、必要不可欠なものだった。


 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る