第9章 時渡り(3)
願坐韻という希代の天才学者は、間もなく生を閉じるというこのいっとき、初めて、一般人の気持ちというものを味わった。
気力が薄れ、考えるのが面倒になったのだ。
それまでの人生、願坐韻の頭は動き続けだった。絶えず考え、頭の働きが止まらなかった。しかしこの、死が迫る瞬間、ついに人並みに頭脳の動きが落ちたのだ。
――― そうか、かったるいとは、面倒くさいとは、こういうことだったのか。たしかに、もう考える気が起こらない。どうでもいいという気持ちだ。
天才の持つ粘着性も執拗さも、すでに失われていた。礼韻が数日前にぼんやりと思ったように、今、生命が一個の物質に変わろうとしていた。
簡単に言えば、願坐韻は最後の最後に、ようやく老いたのだ。自身の体が持つ機能が最も活発に動く時期より、劣ったのだ。
そして本人がそれを認識した。それが老いるということだった。
「理」が常に先行する考えで生きてきた願坐韻が、この末期に感情そのものの言葉を浮かべた。
――― とても悲しいものだな。
こうやって衰えを認識し、打ちのめされて死んでいくのか。願坐韻は心から悲しいと思った。
願坐韻は戦国武将たちを、研究対象としてではなく、ここで初めて、同じ人間として見た。そしてうらやましいと思った。彼らの多くは、老いを感じず、もっと極端に言えば、死ぬということを意識しないで死んでいく。
戦国時代に武将と成り上がった者たちは総じて自信家だ。どんなに死の蔓延する戦場に出向いても、自分がやられるなどとは思っていない。彼らは槍が刺さり、鉄砲に撃たれ、血が流れ出て絶命するまで、死に気が付かない。
切腹する者もまた、老いの認識とは無縁だ。彼らは敵対者に、あるいは自分以外のすべての者に対し、憎しみを抱いて死んでいく。老いでやるせなく死んでいくのと、憎しみで燃えるように死んでいくのと、果たして人間としてどちらが幸せだろう。
今の願坐韻にとっては、たとえ天下を取った武将であっても、秀吉、家康は不幸に思えた。彼らは寝床で老いて死んだからだ。いやだ、死にたくない、老いたくないとどれだけ念じたことだろう。逆に天下を取ったからこそ、無念も増したに違いない。
かすかに、礼韻の声が頭に流れた。
「礼韻? 礼韻なのか?」
願坐韻は薄れそうな意識の中、ゆっくり、ゆっくりと、念じ返す。すでに念じることすら、つらくなっている。
「はい、おじいさま。礼韻です」
「でも、どうして?」
「帷面の術です」
帷面が超せるのは時だけではない。空間であっても可能だった。礼韻は術者に抱きつき、瞬時に願坐韻の臥せるバスまで来たのだ。
「そうか」
その願坐韻の一言は微弱で、その後、礼韻が呼び掛けても返答がなくなった。
礼韻はおじいさま、おじいさまと何度も呼んだ。しかしそのうち、呼び掛けるべき「場所」がなくなった。願坐韻という、ひとつの意識がなくなったからだ。拈華微笑の術は物には効かないのだ。
帷面の術者は礼韻の気が落ち着くまで数分待った。そして礼韻に呼び掛け、密着させ、迅速に小屋へと戻っていった。
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