第8章 帷面権現(6)

 3日ほど、なんということのない時間がすぎた。


 まるで、夏休みに親の田舎ですごしているようなものだった。蝉の合唱に、緑に包まれた山々。周囲の人々はにこやかで、適度な世話を焼いてくる。


 しかし礼韻は気を張り続けた。願坐韻が、たんなる休息など与えるはずがない。もしかしたら、誰かが監視をしているのではないだろうか。そして少しでも凡庸な面を見つければ、適性がないと判断して、帷面は内部へ取り込むことを拒否するのではないだろうか。


 もちろん、これは礼韻の勝手な憶測だ。しかし気をつけるに越したことはない。なんでもなければ、それはそれでいい。


 それにしても、ありきたりな日常すぎた。これまで願坐韻のスパルタによって頭の中を四六時中高速回転させられていた礼韻にとっては、こののんびりした時間は休息にはならず、むしろ苦痛だった。


 3日目の昼、願坐韻から渡された手紙を開けた。出発直前に願坐韻から、3日ごとに開けろと封筒の束を受け取っていたのだ。まず、その1通目を開ける日にちだった。


「書が、文字がなくて苦痛を感じていればいいが」


 便せんに、これだけが書かれていた。簡素でそっけない内容だが、しかし正に的を射る一言で、礼韻は畳の上でひとり笑った。


 あれほどまでに文字を追わされ、詰め込まれた。ときおり、死んでしまうのではと思うほどの、願坐韻の膨大な要求だった。寝る時間などほとんど取れず、まるで機械のように頭の中に知識を詰め込んでいた。その反動で、現在、頭が手持ち無沙汰だった。腹がすくかのように、頭が知識を欲しがっていた。そして文字に飢えていた。しかしなにも与えられない。一種、禁断症状のような状態だった。


 願坐韻は、礼韻がこうなることを望んでいた。知識を吸収することが通常の状態で、なにもしないことは異常ないっとき。そんな体になることを望んでいたのだ。礼韻は願坐韻の願いどおりに、体を改造されてしまった。


 しかし礼韻もまた、そうなることを望んでいた。もちろんそのように作り上げられる過程で、つらさは尋常ではなかった。もう無理だ。投げ出して眠ってしまいたい。そう思ってしまうことも一度や二度ではなかった。だがその都度、弱気を振り払ってきた。浴室に駆け込み、頭から水を浴びた。これまで礼韻の経験がなかった、愚直に突っ走る、ということを願坐韻の要望で体現したのだ。


 そしてようやく、頭が動いていることが通常という状態になった。常に文字を渇望し、休息が休息でなくなった。礼韻は、常人からまた一歩離れたことに、安堵した。


 人の才能は、しごかれたあとに見える。しごいてしごきぬいたあと、疲弊するか、身になるかだ。前者は、もう体が受け付けずに拒否するだろう。それでも無理やりに続ければ、体が壊れるだろう。後者は、常態化され、さらにレベルアップを図ろうとするだろう。礼韻は後者だったことで、心の底から安心したのだ。


 礼韻は何もないガランとした部屋で、時間を持て余していた。仕方がないので、願坐韻の言葉を写し取ったノートを読み返した。


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