交流

センランもメンバーに加えたボクら四人は、ともに【滄奥市そうおうし】の物見遊山へとしゃれこんだ。


 この町は『試験』の前日にも見て回った。しかしなにぶん広いため、まだまだ立ち寄っていない店や施設も多かった。


 なので、ボクらはまだ行っていない場所を中心に回ることにした。


 まだ立ち寄っていない服屋で着せ替え人形よろしく試着を楽しんだり、路上で披露される弦楽器の演奏や大道芸を見たり、いろんな事をした。


 特にボクらが足を運んだジャンルは軽食屋だ。値段的にリーズナブルなものが多いからだ。油条ヨウティアオ粽子ゾンズ豆腐脳ドウフナオといった軽食を次々と買い、お腹に収めていった。


 そんなに食べて太らないかって? 心配ご無用。ボクらは武法士。日々の修行がそのままカロリー消費になるのである。


 センランはというと、ボクら以上に観光を楽しんでいた。さまざまなものを珍しがったり、新鮮そうな目を向けたりしていた。まさしく天真爛漫な子供のようだった。

 ボクの家もそれなりに恵まれた家庭である。しかしセンランは、ボクにとって当たり前のものさえも珍品扱いしていた。そのたびに彼女は「自分には縁がない」みたいなことを口にしていた。

 きっと、ボク以上の箱入り娘なのだろう。


 センランが特に楽しんでいたのは書店での立ち読みだった。

 なんでも、彼女はかなりの読書家らしい。

 立ち読みのジャンルは武法関係の資料のみならず、過去に【煌国こうこく】と隣国との間で行われたいくさの記録や、有名な大衆小説など、多岐にわたった。


 店員さんは終始苦い顔をしてこちらを見ていた。ボクはその視線に少し胃を痛めながらも、内心で謝りつつセンランを放置した。

 書籍は一昔前まで高級品扱いされていたが、印刷技術が進歩したことによって、今日こんにちでは一般民衆にも手が届きやすい価格となっている。かといって安い買い物というわけでもないので、財布の中身はむやみに放出できないのである。

 ボクも武法関係の書籍で興味深いものを一冊見つけたが、今回は家にしばらく戻れないので、予算の都合上泣く泣く諦めた。またの機会に買うとしよう。


 そんな感じで、ボクらの観光午前中の部は、あっという間に終了した。


 正午となった。太陽は空の真ん中に差し掛かり、垂直からボクらを見下ろしている。


 最初はこの時間帯に一度休んでお昼ご飯にしようと思っていたが、途中でいくつも軽食を食べたので、ボクら四人ともお腹は空いていなかった。


 それに、ボクらは全員普通の人よりずっと体力があるので、まだ疲れてはいなかった。なので観光を続行することにした。


 それが決まった時、センランが真っ先に行きたい場所を指定した。


 ボクらは現在、彼女が決めたその場所――武器屋に来ていた。


「おおお……!」


 センランは外でさんさんと輝いている太陽にも負けないほど瞳を輝かせ、店内を見渡していた。 


 かく言うボクも、


「おおお……!」


 ――全く同様のリアクションをしていました。これぞ類友ってやつだよね。


 店の中には、所狭しと様々な武器が並んでいた。壁際には箒立てのような入れ物があり、その中に剣や槍などがいくつも立てられている。中央辺りに並んだ陳列棚には、手裏剣などの小型武器が並んでいた。


 無骨な鋼鉄の刃が樹海のようにひしめくソコは、まさしく武法マニアのボクらにとってのエルドラドであった。


 ボクは普通の武器屋に来てもテンションが上がるが、今回ではまさにアゲアゲだった。

 なぜかというと、珍しい武器がいっぱいあったからだ。

 それもそのはず。以前にも話したかもしれないが、ここが『商業区』の路地裏にある、変わった武器ばかりが売っている武器屋だからである。


 ボクはそわそわと興奮を訴える手足を抑えながら、センランに告げた。


「……センラン。ボクは右側を物色するから、君は左側をお願いするよ。何か面白いものがあったら報告し合おうじゃないか」


「心得たっ!」


 ボクらは解き放たれた獣のように店内へ飛び出した。


 壁際に置いてある武器の数々を血眼で探る。あまり見ないような珍しい武器が多い。しかし、多過ぎてどれから目をつければいいのか分からない。これぞ嬉しい悲鳴というやつだ。

 

 ちなみに、こういう武器屋に防具は一つも売っていない。武法士をメイン顧客として考えている店だからだ。

 武法士には肉体を金属のように硬くする【硬気功こうきこう】が存在するので、防具はむしろ重くて邪魔なだけになってしまう。


 センランは立て掛けてあった一本の刀を手に取ると、スランッ、と刀身を鞘から抜いてこちらへ見せてきた。


「み、見ろシンスイ! 苗刀びょうとうだぞ! こんなものまで売っているとは!」


「うそ!? まじで!?」 


 彼女の手には、細長い片刃の両手剣が握られていた。

 全長約150厘米りんまいほどで、全体的にやや反りを持っている。そのフォルムは、日本刀の一種である「太刀」に酷似していた。


 これは苗刀という刀だ。武法で使う刀や剣は片手持ちのものがほとんどだが、これは数少ない両手持ちの刀である。


 使用する主な流派は【通背蛇勢把つうはいじゃせいは】。ダイナミックでしなやかな動きから、強力な【勁擊けいげき】を繰り出す武法だ。


 だが、苗刀を使う流派はあまり無い。その分ニーズが少ないため、置いてある店も少ないのだ。


「うおっ!? セ、センラン! これ見てこれっ!」


 ボクは興奮した声を上げて、立て掛けられていたソレを手に取った。


 それは一本の矛。しかしその先端に取り付けられた刃は、まるで地を這う蛇を模したような波形をしていた。


「それは蛇矛だぼうじゃないか! 斬られたら止血が困難になるというあの!」


 センランの的確な説明に、ボクは満足げに頷いた。

 そう。この矛で斬りつけると、波状の刃の盛り上がった部分がノコギリのように肌の中に分け入るため、傷口が深くなり、止血や縫合がしにくくなるのだ。


「あと、これ! 腰帯剣ようたいけんまである!」


 次にボクが取り出したのは、柄に納まった両刃の細剣だった。しかし刀身とそれを包む鞘は非常に薄っぺらく、そしてふにゃふにゃと柔らかかった。

 これは腰帯剣という、その名の通り腰帯ベルトと剣を融合させた武器である。極薄でふにゃふにゃに作られた剣を、ベルト型の鞘に納めて持ち歩ける。

 普通の剣と違ってかさばらず、持ち運びに優れており、旅の武法士には人気の品なのだそう。


 それからも面白い武器や珍しい武器を探し当てては、それを互いに報告し合って楽しんだ。


 買えないけど、ウィンドウショッピングをしているような感じで、大変面白い時間だった。店の人には申し訳ないが。


 はしゃぎ回るボクら二人を、ライライたちは離れた所から生暖かい目で見ていた。まるで手のかかる子供を遠くから見守っているような表情である。


「いやぁ、予選大会の有無を抜きにしても、この町に来れて良かった! 外の世界でなければこんな面白いものは見れないからな! 実に嬉しい!」


 本当に嬉しそうな笑顔で言うセンラン。その顔はとても輝いて見えた。


 ――しかし、彼女の発言の中に、少し気になる単語があった。


「……外の世界?」


 まるで今まで、どこかに閉じ込められていたかのような口ぶり。


 ボクのそのつぶやきを耳にした途端、センランの表情が喜びから狼狽に変わった。


「……い、いや! 別に深い意味は無いのだ! うん、全然無い! だから気にしないでくれ!」


 まるで言い訳するかのごとくまくし立ててくる。


 ――もしかして、凄く厳しい家柄だったりするのかな。そのせいで、普段は行動範囲を制限されたりしているのかも。


 もしそうだとしたら、その境遇に置かれる気持ちは分からなくもなかった。

 父様も、勉強そっちのけで武法にかまけているボクに難色を示していた。今回の【黄龍賽こうりゅうさい】に出なければならなくなったのは、その問題が大きくなってしまったせいだ。

 そのように、家の都合で行動や人生を拘束、制限される人の気持ちを、ボクは知っている。


 それを思った時、ある思いが生まれた。


 センランとの時間をもっと楽しみたいという思いだ。


 お互い面倒な立場かもしれない。自由が利きにくい立場かもしれない。

 それでも、今この時は違うのだ。

 ならば、その許された時間では、自分に素直になって行動しよう。

 そう――体が不自由のまま一生を終えたボクが、今こうして新たな人生を楽しんでいるように。


 ボクはセンランの元へ歩み寄り、手を差し出した。


「今更だけど――今日は、めいっぱい楽しもうね」


 笑顔で差し伸べられたボクの手に、センランは少し戸惑いながらも、


「……ああ。改めてよろしく頼む」


 やがてそう笑みを返しつつ、掴み返したのだった。


 ――ボクとセンランの心は、今この瞬間確かに通じ合っていたのだと信じたい。










 楽しいことも、続けるうちにマンネリ化してくるものだ。今のボクらにとっては『商業区』巡りがソレであった。


 ということで、ボクらは『商業区』を抜けて【武館区ぶかんく】へと足を踏み入れた。


 理由は簡単。ここにどんな武法が伝わっているかを見物するためである。武器屋でいろんな武器を見ていたら、ボクもセンランもなんだか無性に武法がやりたくなってしまったのだ。


 【武館区】には、武法士同士の交流の場が最低一つは存在するものである。

 その町の【武館区】を根城にしている武法士たちは、そこで武林ぶりん――武法の世界のこと――に伝わる噂や話題などを話したり、技術交流を兼ねた試合を行ったりしている。


 ボクらはそういった場所を探しているのだ。

 武法士が集まるということは、たくさんの流派が一箇所に集まるということでもある。ボクとセンランはそれを見てみたいのだ。


 しかし、この【武館区】に入ってから五分とかからないうちに、あることに気がついた。


 大通りを歩くボクらに向けて、周囲の視線があからさまに向いていたのだ。


 ある者はおののくような表情、ある者は険しい表情、またある者は好奇の表情。彼らはさまざまなリアクションを交えてボクらを遠巻きから見ていた。


 隣を歩くミーフォンは、ボクにだけ聞こえる声量でささやく。


「お姉様、なんか周りの連中がジロジロ見てきてるんですけど。なんなんでしょうかね?」


「あー、それは多分、ボクらが予選大会の参加選手だからだと思うよ」


 そう。だからこんなに目立っているのだ。ボクも【武館区】に入ってからようやくその事を自覚したのだが。

 思えば『商業区』にいた時も、なんだか周囲からの視線を集めていたような気がする。

 おまけにミーフォンを除く三人は二回戦進出者。余計に注目を呼びやすいはず。


 でも、だからどうということでもない。名を上げるために勝負を申し込んで来る者がいるかもしれないが、そうすればここにある武法が見られるため、かえって渡りに船だ。


 ボクらは大通りを歩き続ける。


 『商業区』に比べて人通りはだいぶ少なく、騒々しさも無い。

 【武館区】にいるのはほとんど武法士。そして武法士の人口は一般人に比べてはるかに少ない。

 武法は習得が難しい。学習者の大半が途中で落伍者になってしまうのである。


 だが、しばらく歩いているうちに、がやがやと喧騒のようなものが聞こえてきた。


 ボクはそれを聞いてピンときた。それは多くの人の声が重なり合ったものだ。つまり、近くに人の集まりがあるということ。


 そのガヤは右側から聞こえてくる。ボクらは今歩いていた大通りから右の道へ入る。


 その道の伸びた先には、広場のような所が見える。音源は間違いなくそこだった。


 武館を五、六件ほど通りすぎ、その場所へたどり着く。


 そこは一言で言い表すなら、さびれた公園。時間の経過で黒ずんだ石畳が一面に敷かれており、それらの中には欠けたり砕けてたりしているものが多い。伸びている木にも、どこか年月の経過を表す哀愁がただよって見えた。


 しかし、景観はさびれていても、そこには多くの人がいた。みんな談笑していたり、技を軽くかけ合ったりしている。武法士だと一目で分かった。


 おそらくこのボロボロの石畳は、度重なる【震脚しんきゃく】でこうなったのだろう。


 やがて、彼らの中の一人がボクらの存在に気がつく。


「お、おい! みんな! 見ろ!」


 途端、その彼はこちらを指差し、まるで熊でも見つけたように大騒ぎした。


 それにつられて、全員が同じ方向を向く。そして、顔を驚愕でいっぱいにした。


「うそだろ? あいつらって……」「ああ、間違いない」「予選大会の出場選手だ」「しかも、一人を除いて全員が二回戦進出組ときたもんだ」「マジかよ」「昨日試合見てたけど、みんなめちゃくちゃ強かったぜ」「俺見てなかったから詳しくは知らねーけど、弟弟子が言うには李星穂リー・シンスイとかいう女が一番ヤバイらしいぜ」「そいつの【勁擊】、【硬気功】が効かねぇらしいぞ」「嘘だろ!?」「それヤバくね?」「あの四人の中にいる?」「三つ編みの女だ。眼鏡かけてない方の」「へぇー、あんな小さい子が」「うわ……めっちゃ可愛い。惚れたかも」「俺はあの一番背の高い女がいいな。大人の女って感じで好みだ。何より乳がデカいし」「俺はあの一番小さい娘推しだな。あの猫みたいな目で冷たく見下ろされながら蹴られたい」「……なんかいつの間にか下世話な話にシフトしてない? もっと武法の話しようよ」


 案の定、ざわめき始めた。


 ボクは思わず気後れする。彼らの反応が思った以上に過剰だったからだ。


 これだけ注目を浴びると、どういう風に振る舞えばいいのか分からなくなる。大会での試合はただ戦えばいいだけなので平気だが。


 どうしたもんかと反応に困っていた時、後ろから声がかかった。


「――あれ? アンタこんな所で何やってんだよ?」


 聞いた記憶のあるその声に、ボクは思わず振り返る。


 ボクらの真後ろには、薄い褐色肌の少女が立っていた。側頭部にぶら下がったサイドテールが、尻尾のようにゆるく揺れている。


 思わぬ人物の登場に、ボクはびっくりせずにはいられなかった。


「シャンシーじゃないか。君こそどうしてここに?」


 その女の子は見間違いようもなく、『試験』の時に戦った孫珊喜スン・シャンシーだった。


 シャンシーは何言ってんだとばかりに目を細め、


「アホ。ここはアタシらの武館がある場所だぞ。いてもおかしくねーだろ」


「あ、そっか」


 なら、ここにいて当たり前だよね。


「あら。あなたたちっていつからそんなに親しくなったのかしら」


 ふと、ライライが意外そうに訊いてくる。


「『試験』の最中に色々あったんだよ、ボクたち」


「ふーん。そうなのね」


「お、デカパイ女、お前も一緒だったのか。相変わらず乳でけーな。動く時邪魔になんねーのそれ?」


 ライライは恥ずかしそうに胸元を隠し、上ずった声で、


「ほ、放っておいてよっ。それに私には宮莱莱ゴン・ライライって名前があるんだから、そんな変な呼び方しないで」


「知ってるよ、大会で名前見たし。ちょっとからかっただけだ。悪かったね。――それよか話を戻すぜ。【武館区ここ】になんか用か? 観光ってわけじゃねーだろ? ここには褒められる見世物なんざなんもねーしよ」


「そのまさか、だよ」


 ボクの遠回しな返し方に、シャンシーは目を丸くする。


 しかし、すぐに何か察したような笑みを浮かべて、


「あぁ、なるほどな。おおかた、武法士どもと軽い手合わせでもしたり、ここにどんな武法が伝わってんのか調べたりしてみようってハラか。オタクだねぇ、アンタも」


「正解かな。まあボクだけじゃなくて、この娘の判断でもあるんだけどね」


 そう言って、ボクはセンランを目で示す。


「私は羅森嵐ルオ・センラン。明日始まる二回戦にて、シンスイと戦う予定の者だ。よろしく頼む」


 センランは一歩前へ出て、凛々しい声と挙動で自己紹介をした。その様子がなんだか妙に様になっていて、少しびっくりした。


 シャンシーは少し面食らったような顔をしつつも、紹介を返した。


「アタシは孫珊喜スン・シャンシーってんだ。つーか…………李星穂リー・シンスイよぉ」


 突然話を振られたボクは「うん?」と首をかしげる。


 シャンシーはボクの傍に近寄り、耳打ちしてきた。


「いいのか? こいつ、次の対戦相手なんだろ? 一緒にいて手の内がバレちまわねーの?」


「いいんだよ。センランもボクと同じくらい武法大好きっ子なんだ。それで意気投合しちゃってさ」 


「……ま、アンタがそれで良いならいいけど」


 そう頷くと、シャンシーは気を取り直したように腰に手を当て、


「んで、誰かと手合わせがしてーんだっけ? そんじゃ僭越ながら、アタシが最初の相手になってやんよ。羅森嵐ルオ・センランとやら」


「本当か!? よし、では早速!」


「おうよ。包むのは右拳でいいんだよな?」


 センランは「うむ」と気合いたっぷりに首を縦に振る。


 シャンシーが言っていたのは【抱拳礼ほうけんれい】のことだ。右拳を左手で包むやり方なら「殺気は持たず、穏便な試合運びをしましょう」という意思表示となる。技術交流的な試合では必ずこのやり方を用いるのだ。


「おい九十八式! でしゃばってんじゃねぇ!」「引っ込め!」「お前の出る幕はねぇ!」「すっこんでろ!」「九十八式の分際で!」


 唐突に、他の武法士たちが一斉にブーイングを始めた。


「るっせーな雑魚ども!! こちとらもう先約取ってんだ!! やりてーならアタシの後にしな!! それができねーなら師父パパん所に帰れ!!」


 しかし、シャンシーは火を吐くように一喝し、黙らせた。


 そして、ボクの方へ向き直った。


「……ま、相変わらずここじゃこんな扱いなのさ、アタシら九十八式は」


「そっか……」


 自嘲気味に言うシャンシーに対し、ボクはそう同意するしかなかった。


 さっきの非難の嵐は、疑うべくもなく【九十八式連環把きゅうじゅうはちしきれんかんは】の悪評が原因だ。

 ボクがシャンシーを倒したことで、その汚名を払拭する機会が一つ失われてしまった。それを考えると、多少の罪悪感が生まれてくる。

 しかし、ボクは彼女の優れた腕前を知っている。汚名なんて忘れてしまいそうになるほどの腕前を。


 だからこそ、言った。それが励ましになるかどうかは分からないけど、言いたかった。


「大丈夫だよ。言ったでしょ? 君の凄さはボクが保証するって。みんなに認められなくても、ボクだけは君の味方だから」


 ね? とウインク混じりに微笑むボク。


 シャンシーは虚をつかれたように目を丸くし、そして瞬時に頬を真っ赤に染めた。


「……ふ、ふーん、あっそ。別に頼んでないけどね」


 尻尾のようなサイドテールを指でくるくる弄りながら、そう言い捨てた。口調こそぶっきらぼうだが、その仕草から照れ隠しであることが容易にうかがえる。


「あ、あとさ李星穂(リー・シンスイ)、言い忘れてたけどさ、えっと…………一回戦突破おめでと。見てたよ、アンタの試合。最前列の席奪ってさ。その、これからも応援してるから……頑張ってよ」


「そっか。ありがとね、シャンシー」


「……うん」


 うつむき気味に頷くシャンシー。


 強気で乱暴ないつもの彼女と違い、その態度と声はなんだかしおらしかった。


 なんだろう。普段とのギャップのせいか、妙に可愛く映るんだけど。


 だがその時、ミーフォンがボクらの間に割って入った。


「ちょっとあんた、なんか必要以上にお姉様に馴れ馴れしくないかしら? 何いきなり女の顔見せてんのよ」


 そう不満げに言う彼女の顔は、焼けたおもちのようなふくれっ面だった。


 焼けたおもちという例えの通り、まあ……ヤキモチ焼いてるんだろうなぁ。ボクがシャンシーとばっかり話してたからかな? それとも、他に理由があるのかな?


 シャンシーはさっきまでのしおらしさをガラリと変え、いつもの好戦的な態度になってミーフォンに睨みをきかせた。


「ああん? なんだお前、一回戦で李星穂リー・シンスイにワンパン負けした奴じゃねーか」


「嫌な覚え方すんじゃないわよ! あたしには紅蜜楓ホン・ミーフォンって名前があんのよ!」


「うっせーなぁ。つーか、馴れ馴れしいのはお前も同じだろ。試合中は「三分で倒す」なんて大言壮語ぬかしてやがったくせに、今じゃ腹見せてなかよしこよしってか? 猫みてーな目のわりにやってんことは犬同然かよ」


「……は? 何あんた? ケンカ売ってんの? いいわよ言い値で買ってやるわよ。礼儀知らずの山出しに人生教えてあげるわ」


「上等だメス犬! とっとと左拳包めコラ!!」


「望むところよ!!」


 ヒートアップした二人は、互いに自分の左拳を右手で包もうとする。ちょっと何してんのこの二人!?


 ボクは慌てて止めに入った。


「こらこら! 二人ともやめなさい! シャンシーはセンランと試合するんでしょ!? ミーフォンも威嚇しないの!」


「……ちっ。わぁったよ」


「……はい、お姉様」


 シャンシーは投げやりに、ミーフォンはシュンとした態度で引き下がった。


 出会って早々流血武闘を始めようとするなんて。この二人、ちょっと相性が良くないかもしれない。


 そこへ、センランが少し遠慮がちな口調で口をはさんできた。


「その……早く始めたいのだが」


「あ、悪ぃな。んじゃ、中央に来てくれ」


 センランはシャンシーに誘導される形で、この広場の中央辺りに来る。


 彼女たち二人の周囲に、ドーナツ状の人だかりが出来上がる。その中にはボクらも入っていた。


「――【九十八式連環把】孫珊喜スン・シャンシー


「――【心意盤陽把しんいばんようは羅森嵐ルオ・センラン


 互いに名乗り、右拳を左手で包み込む【抱拳礼】をしながら一礼。


 ふと、シャンシーがセンランの顔を見て言った。


「……お前は、しかめっ面をしねーんだな」


「何がだ?」


「アタシの流派、聞いただろ」


「【九十八式連環把】を取り巻く悪評のことか? そんなものを気にするなどつまらぬことだ。何であれ等しく武法。ゆえに私は敬意を払おう」


「……なるほどな。李星穂リー・シンスイと仲良くなれるわけだ。それじゃ、始めようか」


 少し嬉しげに微笑んでから、表情を引き締め、臨戦態勢をとるシャンシー。


 合わせてセンランも構えた。


 体の中心線を隠すようにして両手を構えたまま、互いに近づく。


 両者の前の手同士が触れそうになった瞬間、ピタリと静止。


 かと思いきや、そのままお互いゆっくりと反時計回りに歩を進め始めた。まるでダンスのペアが手を繋ぎ合い、そこを中心にしてぐるぐる踊り回るように。


 両者の動きは、小川のように緩やかだった。しかし同時に、今にも何かが起こりそうなピリピリした雰囲気が感じられる。


 弾けるのも時間の問題だ。


 やがて――弾けた。


 シャンシーの左正拳が閃く。

 やってきたソレを、センランは右手甲で外側へ弾く。

 しかしその時すでに、シャンシーのもう片方の拳が腹部へ真っ直ぐ肉薄していた。

 が、一撃目を弾いたばかりの右腕の肘をストンと真下へ落とすことで、迫る拳を打ち落として直撃をまぬがれる。


 そして、センランは下ろした右腕を――今度は真上に伸ばした。


 アッパーカットの要領で顎に迫る拳を、センランは最初に弾かれた左手でなんとか受け止める。


 難を逃れたと思った瞬間、突然シャンシーの腹部がズドンッ、と爆ぜた。


「――っ!?」


 目元と唇をきつく引き締めながら、シャンシーは数歩たたらを踏む。


 それがセンランの繰り出した左掌底によるものであると気づくまで、少し時間がかかった。


 ――速い。


 センランが受け止められた右拳を引っ込め、それと交換する形で左掌を突き出し、それが相手に直撃した。 

 そこまでは分かる。 

 だが――その過程がほとんど見えなかった。あまりにも速いのだ。


 シャンシーも同感だったようで、少しやせ我慢の混じった笑みを浮かべながらこう訊いた。


「やるじゃん、お前…………べらぼうに速かったぞ、さっきの掌底。全然見えなかった」


「まあ、当たりは全然浅かったがね」


 センランは謙遜した様子だが、さっきの攻撃速度は明らかに非凡なものだった。


 おそらく、あの打撃は『陰陽の転換』を応用したものだろう。

 この理論は足運びだけでなく、手法にも利用が可能だ。

 相手と接触した手を『陽』、そうでない方の手を『陰』として考え、それらを転換させたのだ。

 そしてこの場合、彼女のずば抜けた転換速度をそのまま使えるのである。


 ――やっぱり、強い。


 こんな相手と明日戦うのだと思うと、ボクは緊張を禁じ得なかった。


 二人は再度接近。そして、手脚を交え合う。


 何手も攻防を繰り返す。


 命のかかっていない、安全な攻防。


 しかしそれでも白熱し、周囲の視線は二人に釘付けとなった。


 ――そして、その渦中にいるセンランの顔は、凄く満ち足りているように見えた。











「かーーっ! 生き返んなーーっ!!」


 鎖骨の辺りまで湯船に浸かったシャンシーは、そんな年頃の女の子らしからぬ極楽そうな叫びを上げた。


 全身を肩まで湯の中に沈めているボクは、そんな彼女から目をそらしながら、


「……シャンシー、なんかおっさんくさいよ」


「あー? いいじゃねーか。温泉入りに来る機会なんざあんまりねーんだよ。あー極楽極楽。これで酒でもありゃ完璧なんだけどな」


「あなた一五歳でしょう? お酒飲むにはまだ早いわよ」 


 胸元まで湯に入ったライライがそうたしなめてくる。シャンシーは「わかってるよ。冗談だっての」とつまらなそうに返す。


「…………………………」


 ミーフォンはというと、口元まで湯の中に埋没させながら、ものすごい眼差しでボクの体を凝視していた。ちなみにお風呂であるため、シニヨンカバーは外している。

 彼女の目は血の涙が出そうなほど血走っていて、荒い鼻息がお湯の表面に大きな波紋を作っていた。……怖い。


 ――ボクらは現在、『商業区』にある温泉宿に来ていた。


 あの後、二人の試合は、センランがシャンシーを組み伏せて拳を寸止めさせたことでカタがついた。


 負けたシャンシーは多少悔しがりはしたものの、最後には清々しい笑みを浮かべながらセンランの握手に応じた。


 その後もボクたち――主にボクとセンラン――は、広場にいた何人かと試合を行った。


 ちなみに、結果は全勝だった。しかしその試合は、あくまでここの【武館区】に伝わる武法を拝見し、技術的交流を重ねるのが主な目的である。勝ち負けなど気にせず、思う存分試合に打ち込んだ。


 そして、そんな楽しい時間はあっという間に過ぎ、気がつくと空は夕方になり始めていた。


 ボクらは【武館区】を出た後、度重なる試合による疲れを癒し、汗を流すべく、この温泉宿にやってきた。


 ここは宿泊だけでなく、温泉のみを楽しむこともできる。ボクらは後者を選んだ。


 ……そう。温泉に入るまではよかったのだ。むしろ、そこは大歓迎だ。


 ただ、一つ問題があった。


 それは――


 現在、ボクらは女湯の露天風呂に浸かっていた。


 その湯船の隅っこで、ボクを除く女の子四人が固まっている。ボクはそんな彼女らを避けるように距離を置いていた。


「シンスイ? 何をそんなに離れている? もっとこっちに来たらどうだ?」


 センランがそう言って手招きしてくる。その髪は側頭部辺りで大きなお団子状にまとめられていて、額を出すスタイルをお風呂でも貫き通している。ちなみに眼鏡も着用中だ。そんなに目が悪いのだろうか。


 彼女はこう言っている。が、しかし、言うとおりにすることはできない。


 三つ子の魂百までとよく言うだろう。どれだけの美少女に生まれ変わったとしても、前世で培った男としての人格は、まだまだ本質として色濃く残っているのだ。


 早い話、自分以外の女の裸体を直視できないのである。


 「もう自分は女なんだ! だから女の子の裸見ようがおっぱい触ろうが犯罪じゃない! ヒャッホーイ!!」と開き直るという手もあるが、男の子ゆえの後ろめたさがある今、それをやれば最低野郎になってしまうような気がするのだ。


 ゆえに、ボクは彼女たちから目をそらしつつ、距離を取るしかないのである。


「……ん?」


 ふと、お湯の表面から、何か出っ張りのようなものが出ているのが見えた。


 その出っ張りは周囲に波紋を作りながら、ス――ッとボクに近づいて来る。


 あ、こんな場面見たことあるぞ。前世にいた頃、映画配信アプリケーションで見た某有名サメ映画のワンシーン……


 どんでんどんでんどんでんどんでん――――


「――お姉様ぁぁぁ!!」


 ざっぱぁん!! とサメ――ではなくミーフォンが湯の中から飛び出した。あの出っ張りは彼女の頭だったのだ。


 そして、勢いよくボクに向かって抱きついてきた。ちょっと、何を!?


「はぁ! 髪を下ろしたお姉様もお美しい! お肌も色白ですべすべ! 一箇所一箇所に一切の無駄がない均整の取れた女豹のような体つき! そこらの女では決して成し得ない完璧な美がここにありますぅ!!」


「うおぉ――――!!?」


 ミーフォンが頬と体をボクに向かって激しく擦り付けてきた。


 ちょ! ストップ! やめて! そんなに密着したら、ふにゃんふにゃんと柔らかいものが当たります! しかも今回は小さくて硬い粒のような感触というおまけ付きなんですけど!


「あ…………ご、ごめんなさいお姉様。あたしったら、調子に乗って……すっかり我を忘れてました」


 だが突然、ミーフォンはそう言って申し訳なさそうに引き下がった。良かった。ボクの気持ちを分かってくれたか。


「――あたしが触るばっかりで、お姉様に触らせるのをすっかり忘れていました!」


 分かってなかったぁ――――!!


 ミーフォンは両腕を組み、その小柄さとは不釣り合いに大きな双丘を強調させる。


「手前味噌ですけど、あたし体には自信あるんですよ? 背は小さいですけど、胸はほら、それに反して結構豊かなんですから! お姉様になら、いつでもどこでも好きな所触らせてあげます! なんなら、それ以上のことでも!」


「触りません! あと、それ以上のことってなにさ!?」


 ていうか見せつけないで! ボクの理性ライフポイントを無自覚に削るのはやめてください!


 そこで、シャンシーがくだらなそうに一言呟いた。


「アホくせぇ。何で乳でけー方がいいんだよ。戦う上で邪魔なだけだろあんな脂肪」


「は? 何それ、負け惜しみ? 自分がまな板だからって僻んでるの? あーヤダヤダ、聞くに堪えないわね」


「……おい。その乳袋の中身絞り出されてーのか?」


「……あんたこそ、ただでさえ貧相なその胸をさらにカンボツさせられたいわけ?」


 ジャバンッ! と立ち上がり、シャンシーとミーフォンは睨み合う。


「ちょ、二人とも! せっかくの温泉なんだからケンカしないで! ね?」


 ボクは二人の裸を直視せぬよう腕で目元を覆いながら、そう仲裁した。


 彼女らは不満そうだったが、なんとか引き下がってくれた。


「ていうか、胸っていえば……」


 ミーフォンは言葉を途中で止めると、じぃっと「ある一点」に目を向けた。


 その「ある一点」とは、リラックスしながら湯に浸かっているライライ。


 彼女は髪を下ろしていた。後ろで束ねていたポニーテールが解かれ、毛先辺りにウエーブのかかった長い髪がだらんと下へ流れている。それらはお湯によってぺったりと鎖骨の辺りに貼り付いており、なんだかとても色っぽく感じた。


 そして、ミーフォンの視線は――その巨大な胸部に集中していた。


 線の細い上半身の中で唯一激しく自己主張をしたソレは、成人男性の手でも覆いきれないであろう大きさと、そして美しい釣鐘型を誇っていて――


「緊急回避っ!」


 ボクは音速に匹敵する速度でそっぽを向いた。危なかった。一瞬だが、確かにあの魅惑の果実に視線が釘付けになってしまっていた。大丈夫、先っぽは見てないよ。


「な、なにかしら? そんなにジロジロ見て」


 ミーフォンの視線に気がついたのか、ライライのたじろぐような声が聞こえてきた。


「……改めて見ると、随分デカいわね。ちょっと揉ませなさい。何厘米りんまいあるのか確かめてあげるわ」


 そんな彼女に対し、ミーフォンはそう静かな声で言いながら接近していく。


 ライライは引きつった顔で、


「い、いいわよ別に」


「遠慮しなくていいわ。下着買う時に参考になるかもしれないじゃない」


「そんなの店で測ればいいから大丈夫よっ。というか、あなた今凄く意地悪そうな笑顔浮かべているのだけど!?」


「気のせいよ気のせい」


 笑いを噛み殺したようなミーフォンの声。


 危機感たっぷりな表情で、ライライは逃げ出した。


「――ふっふっふ。逃がさぬぞライライよ」


 しかし、まわりこまれてしまった!


「ちょっとセンラン!? あなたまで!?」


「うむ。私もキミのほど大きく形の整った乳房を見たことがない。ちょっと触ってみたくなった。女同士だ、何を気にすることがある?」


 手の指を軟体動物よろしくくねらせながら、邪悪に微笑むセンラン。完全に悪ノリしていた。


 二人のおっぱい魔人が、ライライを追い詰める。


 そして、


「――んぁんっ!?」


 えらく扇情的な響きを持ったライライの喘ぎ。ボクは思わずドキッとする。


 ミーフォンとセンランの手が、見事にライライの両胸を鷲掴みにしていた。


 そして、その柔肌に食い込んだ指たちが、うねうねと動く。


「やっ! あっ! だめ、ああん! ふぁっ、だ、だめぇ! あ、あっ! あぁんっ!!」


 その動きに合わせて、ライライが何度も嬌声を発する。


「やっべ、面白そ! アタシも参加すんぜ!」


 とうとうシャンシーまで興味を持ち、飛び入り参加しだした。


 夕空へ向かって、艶かしい喘ぎ声が何度も響き渡る。


 ……ボクは蹂躙され続けるライライに何もしてあげられず、ただただ耳を塞いで目をそらし続けるしかなかった。

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