太極炮捶

 時間が経つのはあっという間で、午後一時はすぐに訪れた。


 筒の底に広がったようなその円形闘技場には、三つの出入り口が三角州の配置で存在する。そのうち二つが選手専用で、残り一つが審判専用だ。


 ボクは向かい合う形で開かれた選手専用出入り口の一つから出て、円形闘技場の中央へと歩を進めた。


 壁と出入り口の上にリング状に広がった観客席から、大勢の人たちがボクらを見下ろしている。

 そのさらに上層には大きな銅鑼ドラの設置された広いテラスのような空間があり、バチを握り締めた人が立っている。試合開始と試合終了の合図は、あのドラで行われる。


「――ふーん、来たのね。身の程知らずにも。まぁ、【太極炮捶たいきょくほうすい】宗家であるこのあたしが相手でも、逃げずに同じ土俵の上に登ってきたことだけは褒めてあげるわ」


 ボクと対面して立っている少女、紅蜜楓ホン・ミーフォンはそう言って不敵に口端を吊り上げる。


 ボクは怒鳴るでも皮肉を言うでもなく、ただ淡々と返した。


「逃げないよ。ボクには負けられない事情があるんだ。たとえ相手がホン家の娘さんでもね。それに【打雷把だらいは】への侮辱を撤回させたいこともある。君には【太極炮捶】だけじゃなくて、世の中には凄い武法がたくさんあるんだってことを教えてあげるよ」


「……言うわね、武法モドキのくせに。なら、あたしも宣言してやるわ」


 ミーフォンは、三本の指を立てた手を見せつけ、宣言した。


「――三分よ。三分以内で、あんたにこの競技場の床を舐めさせてあげる」


 うおおおっ、と歓声が轟く。


 挑発しているのか、あるいは素でやっているのか、彼女の心は知れない。


 しかし、いずれでも関係ない。


 等しく冷静に、かつ激烈に勝負に臨むのみだ。


 ミーフォンは左拳を右手で包み込み、顎の前に持ってきた。【抱拳礼ほうけんれい】だ。

 ボクもそれに倣う。

 ――これで、両者の合意が成立した。


 審判用出入り口の付近に立つ審判が、鋭い声で叫んだ。


「――始めっ!!」 


 ドラが雲を裂かんばかりに、高々と鳴る。


 途端、ミーフォンの周囲にある大気が激しく膨張。


 タカタカタカタカッ!! とまるでタップダンスのような足さばきで真っ直ぐ迫ってきた。一見変なフットワークに見えるかもしれないが、その速度は大型肉食獣にも勝るほどだった。


 知っている。これは【鼠歩そほ】だ。瞬発力ではなく、重心を前に送る勢いで高い推進力を得る歩法。精密な足さばきを用いるため、膝と股関節の優れたコントロール無しでは成し得ない高等技術だ。


 彼我の距離を、ほぼ一瞬で潰された。


っ!!」


 ミーフォンは地を揺るがさんばかりの【震脚】で踏みとどまると同時に、拳のやじりを走らせる。


 ボクはその正拳を体の捻りで回避。そのまま突き出された彼女の腕の外側へ移動する。


 このまま肘打ち【移山頂肘いざんちょうちゅう】を脇腹へ叩き込もう――思った瞬間、目の前に伸びた彼女の腕が、突然ボクの方へと迫ってきた。


「うわ!?」


 ミーフォンの前腕部は、ボクの喉元に接触してもなお移動を続行。そのまま時計の針に巻き込まれるようにして手前に押され、ボクは闘技場の真上に浮かぶ青空を無理矢理見せられた。


 頭という重たいパーツを後ろへ傾けられたことで、ボクは重心を崩して仰向けに転倒する。


 そして、さらけ出されたボクの腹めがけて、ミーフォンは拳を打ち下ろしてきた。


 ボクは鋭く降ってきた拳打を素早く膝で受けてから、迅速に横へ転がり、ミーフォンの足元から脱する。


 そこからできる限り素早く立ち上がった。


 しかし、ミーフォンはすでにキスできそうな距離まで接近していた。


 雨あられのように正拳を連続で放ってくる。一発一発が、蛇が獲物に食らいつくかのごとき勢いと疾さを持っていた。


 ボクは絶えずやって来る拳を必死にさばき続けるが、時々失敗して頬を擦過。手に掴んだ縄を思い切り引き抜いた時のような摩擦熱を感じる。


 これは【連珠砲動れんじゅほうどう】という技だ。肋間の捻り、肩甲骨の進行、腕の進行を同時に用いた突きをとんでもない速度で連発する。連打速度は、その使い手の練度に比例する。


 ミーフォンの拳速は、はっきり言って並ではなかった。なるほど、自信過剰になるだけの功力こうりきはあるようだ。

 

 降り注ぐ拳の雨を、ボクはなおも必死に防ぎ、いなし続ける。


 ――かと思った瞬間、真下から嫌な存在感を感じ取った。


 本能的に腰を反らせて顎を引く。その次の瞬間、顎のあった位置をミーフォンの鋭い上段蹴りが通過した。


 腰を反らしたことで、ボクは今重心が不安定な状態だった。バランスを取ろうという本能で、全身も硬直している。隙だらけだった。


 そこを狙ったのか、ミーフォンは蹴り足を上半身と一緒に勢いよく大地に急降下させた。――まるで、天を掴んで地上に引きずり下ろすような動き。


 マズイ、この技は――!


 ボクは急いで胴体前面すべてに【硬気功こうきこう】をかけた。


ふんっ!!」


 蹴り足だった足でそのままドカンッ!! と【震脚】。同時にボクの腹部へミーフォンの頭突きが鉄槌よろしく振り下ろされ、炸裂した。


「くっ……」


 痛みは無いながらも、その強力な威力の余韻で大きく後ろへ滑らされる。靴底と石畳が擦れ、妙な匂いが鼻腔をつついた。


 【黒虎出林こっこしゅつりん】。上半身を急速下降させることで生じたエネルギーを、【震脚】によって倍加した自重とともに叩き込む頭突き。虎が林から飛び出して獲物に食らいつく動きを参考に生まれた技だと言われている。

 非常に強力な破壊力を誇り、武法士でない普通の人間が食らったなら粉砕骨折は免れない。


 今のをまともに受けていたら、ボクもタダでは済まなかっただろう。


「へえ、なかなか良い反応するじゃないの。たいていの奴はこの組み合わせでオネンネするのにねぇ」


 ミーフォンは賞賛するでも侮るでもない、ただただ品定めするような視線を送ってくる。


 ……やっぱり、面倒くさい武法だな。


 高速移動の歩法からの突きを避けたと思えば、即座に崩し技。雨あられのような連続攻撃が続くかと思えば、いきなり決め手にもなりうるであろう強攻撃。彼女の攻撃の種類にはてんで統一性が無い。


 ――そう。これこそが【太極炮捶】だ。


 この武法の特徴を挙げろと言われたら、それはずばり「特徴が無いこと」の一言に尽きる。

 【太極炮捶】は全ての武法の原型。

 それはすなわち数百、ヘタをすると千を超えるであろう数の流派を生み出すに足る技術が、豊富に詰まっているということだ。

 つまり、あらゆる局面に対応した技が存在するのである。

 「突出した持ち味が無い」というのは、裏を返せば「弱点らしい弱点が無い」という意味にもなる。


 ミーフォンは半身になって構えると、


「でも、まだこれからよ。何せ――まだ二分も残ってるんだからねぇ!!」


 加速し、とんでもない速度で迫ってきた。


 靴底の面が石畳の面を叩く音が、絶え間なく聞こえる。【鼠歩】だ。


 ミーフォンの可愛らしい顔がアップで映った――かと思った瞬間、その顔が高速で視界の右側へスライドして消えた。


 背後に回り込む【】の存在を確認した時には、ボクはすでに前へ突っ走っていた。


「ふんっ!!」 


 鋭い吐気と踏み込みの音が、真後ろから聞こえた。


 振り向くと、ミーフォンは先ほどボクの後頭部があった位置に手刀を振り下ろしていた。


 ミーフォンは背後からの攻撃が外れたことに悔しがりもせず、再び機敏に接近。


 振り出された右回し蹴りを、ボクは後ろへ跳んで躱す。


 今度は一瞬背中を見せ、身を翻しざまに左足裏を鋭く突き出してくるが、ボクはそれを体の捻りだけで避ける。そのまま必然的に彼女の足のリーチ内に入る。


 しかし、それは彼女の策略だということにすぐ気づいた。


 相手の間合いに入るということ。これは逆に言えば――相手もまた自分の間合いに入っているということなのだ。


 ミーフォンは突き出した蹴り足の底を、地に近づけていた。踏み込むつもりだ。


 彼女が踏み込んだら、ボクはその胸の前に立つという位置関係になる。そのことを考えるとおそらく肘打ち、もしくは体当たりに繋げるつもりだろう。


 それを悟ったボクはできる限りの脚力で地を蹴り、後退した。


 その甲斐あってか、ミーフォンが踏み込みと同時に突き出してきた肘の当たりは非常に軽く、ダメージにはならなかった。


 ボクは着地し、すぐさま構える。


 ……今のは少し危なかった。


 技をいっぱい持ってるだけじゃない。ミーフォンはそれら全てを使うべき所できちんと使っている。まるで車のギアを道路に応じて変えるように。


 まさしく臨機応変。


 さすが宗家というべきか。【太極炮捶】の理想的な戦い方を、ボクは今目にしていた。


 ――これを相手に、ボクは一体何ができるだろう?


 【太極炮捶】はそのスタンダードさゆえ、弱点はない。


 一点特化型の武法に対し、それに最も有効な技や戦略をしかけてくるだろう。


 ならば、【打雷把】のような尖った武法はどう立ち向かえばいい?


 答えは簡単に出た。




 ――その尖った部分を、最大限に引き出せばいい。




 【太極炮捶】は弱点が無い分、「強み」が無い。


 しかし【打雷把】には「強み」がある。そう――強大な威力と優れた命中率という「強み」が。


 相手には無いその「強み」をもって、打ち崩せばいい。


 ボクは覚悟を決め、ミーフォンを強い眼差しで見つめた。


「どうしたの? 棄権でもしたい? なら今からでも遅くないわよ。そこに立ってる審判に言ってきなさい」


「それはこっちのセリフかな」


「……は?」


 ボクの返しに、ミーフォンは眉根を不機嫌そうに揺らした。


 構わず続けた。


「いいかい、これからボクは――君を一撃で打ち倒す。まだボクは一度も手を出してないから分からないだろうけど……その「一撃」は死ぬほど痛いと保証する。だから今のうちに言っておくよ――凄く痛い目にあいたくなかったら棄権するんだ」


 ミーフォンの表情に剣呑な陰が濃く差した。


 そして、獰猛な微笑みを浮かべると、


「心配いらないわ…………凄く痛い目にあう前に、あたしがあんたをぶちのめして終わりだから!!」


 【鼠歩】で走り出した。


 電光石火の勢いで迫るミーフォン。


 しかし、彼女が走り出す寸前、すでにボクは地を蹴って前に進んでいた。


 互いの間隔が、手が届くほどまで狭まる。


「自殺志願者ね!!」


 ミーフォンはそう嘲笑うと、【震脚】で踏みとどまる。同時に拳が風を切って宙を疾走。

 ボクも同じタイミングで【震脚】し、急停止していた。


 ただ一つ彼女と違うのは、【震脚】と同時に――その足へ強い捻りを加えていた点だった。


 踏み込んだ足の螺旋回転は全身へと伝わり、そして綺麗に噛み合った歯車よろしく一緒に急旋回する。同時に、拳も突き出していく。

 全身の急旋回によって、ミーフォンの狙っていた胸の位置がズレる。弾丸のごとき速度で迫っていた正拳は見事に目標を失い、空振った。

 ボクの拳が、ミーフォンと薄皮一枚の距離まで到達。


「くそっ!」


 ミーフォンの胴体前面に青白い火花が散る。ゼロコンマ数秒の時間を使い【硬気功】をかけたのだ。


 良い反応。でも――無駄骨だ。


 ボクの拳は【硬気功】などお構いなしに、ミーフォンの腹部に深々と突き刺さった。


「――――!!」


 呻き声など、まともに聞こえなかった。


 拳が食い込んだ触覚を得た約半秒後、ミーフォンの体はまるでピンポン球のような速度で遠ざかったのだ。


 彼女は壁に背中から激突し、ワンバウンド。体の前面から着地した。


 効果は抜群のようだった。


 【碾足衝捶てんそくしょうすい】。

 通常の【衝捶しょうすい】の踏み込みにさらに強い捻りを加えることで、その螺旋力で全身を旋回させ、正拳の威力をさらに上昇させる技。

 全身の旋回は威力の増強だけでなく、向かって来る相手の突きを回避するのにも使える。そう、先ほどのように。


 ミーフォンはうつ伏せに倒れたまま動かない。


 審判の人が彼女に近づき、確認を始めた。


 観客席も、静まり返る。


 やがて、




紅蜜楓ホン・ミーフォン、意識喪失を確認!! ――勝者、李星穂リー・シンスイ!!」




 二度目のドラが遠吠えのように鳴り響いた。


 途端、歓声が弾ける。


 ボクは額に少しばかり浮かんだ汗を拭うと、


「――そういえば、三分経ったかな」


 ため息混じりに、どうでもいい疑問を一人もらしたのだった。

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