少女の誇り

「……よし、バレてない」


 建物の壁に寄りかかりながら、ボクは小さくガッツポーズした。


 ボクは現在、『公共区』にある『競技場』の壁際に来ていた。予選大会が行われる予定の大きな建物だ。


 空はすでに夕方。あかね色に燃える夕日が、西の彼方へ向かいつつあった。


 【武館区ぶかんく】での最初の大立ち回りの後も、ボクは何度も『鈴』を狙う武法士と戦い、そして蹴散らした。


 予想はしていたが、やり始めたらどれだけやっつけてもまるでキリがないのだ。堂々としていればしているほど、敵は無限に増えていく。


 そんなことを日没までずっと続けていたら、流石のボクでもヘトヘトになってしまう。


 なのでボクは、こそこそと行動することにした。


 抜き足差し足忍び足。一歩一歩をゆっくり踏み出す、空き巣のような歩き方。この歩き方なら、踏み出した時に起きる振動は最小限で済み、『鈴』も鳴らない。


 ボクはこの空き巣歩き(今名付けた)で、【滄奥市そうおうし】を移動するようにした。


 その甲斐あってか、周囲の武法士に『鈴』の存在がほとんどバレる事なく、残り時間を過ごせた。


 ……代わりに、道行く人たちから奇異の目を向けられたが。


 現在に到るまでのボクの過ごし方は以上である。


 長い戦いだった。たった数時間が数日に感じられそうなほどに。


 しかし、いい加減それも終わる。


 もうすぐ日没だ。日没になれば鐘が鳴る。そうしたら、最初に『鈴』を渡された場所まで一気にダッシュする。そして『試験』は合格。晴れて予選大会出場決定というわけだ。


 行き交う人々を観察する。武法士は整った姿勢と、足裏が地面に吸い付くような安定感のある歩行ですぐに見分けがつく。


 やはり武法がそれなりに盛んなのか、結構な数の武法士が混じっていた。あの中に、一体どれだけの『試験』参加者がいるだろうか。


 しかし、関係ない。日没の鐘までここでジッとしていれば、エンカウントバトルの心配はない。ボクに『試験』参加者の見分けがつかないのと同じように、相手もまたボクが参加者であることは分からないはずだ。『鈴』を鳴らさない、という前提があればだが。


 だがその時。


 ――ミギャアアアアッ!! ミギャアアァァァ!!


 突如、近くをうろついていた二匹の猫がケンカし始めた。


 聞く者の心を鷲掴みにするようなおぞましい叫びにボクは驚き、思わず飛び上がる。


 そして、その振動によって『鈴』がシャラン、と鳴ってしまった。


 ……しまった。鳴らしちゃった。今まで振動を起こさないよう忍び足で一生懸命進んで来たのに。ここで誰かにバレたら今までの苦労が水の泡だ。


 ボクはキョロキョロと首だけ回して周囲を伺う。


 そして、すぐそばを歩いていた男と目が合った。そしてその男が武法士であることは、前述した身体的特徴からすぐに分かった。


 男はボクを指差し、長らく探していたものをようやく見つけたような表情で叫んだ。その反応こそ、『試験』参加者であることの何よりの証拠だった。


「おいお前! まさか『す――」


 『鈴』、と言い切る前に急接近し、男の腹部に拳を叩き込む。


 男は「ぐはっ!!」と呻くと、そのままボクの拳の上でぐったりとのびた。


 踏み込みによって起きた鈴の音は男の呻きと重なったため、周囲には聞こえていない。セーフっ。


 ボクは気絶した男を近くの建物の傍らにゆっくりと移動させる。


 そして、その場から忍び足で退散し始めた。


 早くここから消えなければ。さっきの『鈴』の音を聞いてた奴が他にいたら、面倒なことに――




「――へぇ?お前鈴持ちなのか、三つ編み女」




 ――なるようだ。


 いつかどこかで聞いたことのある声が、後ろからボクを呼んだ。

 いつ――昨日。

 どこ――【武館区】。

 性別――女。しかもボクと歳が近い。


 ライライではない。


 だとすると……該当者は一人しか思い浮かばなかった。


 ゆっくりと、ボクは振り返る。


 そこには、予想通りの人物が立っていた。


 尻尾のように揺れているサイドテール。目鼻立ちは整っているが、目つきだけはやけに鋭い顔。龍の刺繍がうっすら入った短パン風のボトムス。そんな特徴を持った浅黒い肌の女の子だった。


 孫珊喜スン・シャンシー――昨日【武館区】で青年をリンチしていた流派のリーダー。


 彼女がこの『試験』に参加しているであろうことは分かっていた。彼女も【黄龍賽こうりゅうさい】の予選大会に出るつもりらしいから。なので、こうして再び会った事自体に対しては驚きはない。


 ……先ほどの口ぶりからして、ボクの『鈴』の音を聞いていたようだ。


 だがボクは一応、すっとぼけてみることにした。


「え? 何言ってるの?」


「とぼけんじゃねーよ。さっきの『鈴』の音、明らかにお前から聞こえてきた。お前は絶対持ってる。間違ってたら身売りしたっていいぜ、李星穂リー・シンスイ


 ……まあ、ごまかすのは無理だよね。


「あのー、シャンシー、だよね? ボクのことはこのまま放っておいて、他の鈴持ちを狙うというのは……」 


「ざけんなよ貧乳。せっかく見つけた獲物を逃せるか」


 うわ。貧乳っていわれた。だが残念。元男のボクに対してそれは悪口にならない。


「『鈴』を持ちながら日没の鐘が鳴るまで『公共区』で待ち伏せて、鳴った途端に一気にゴールの『中央広場』まで駆け込み、合格を勝ち取る――そんな事考えてる奴がいるかもしれねーと思ってダメ元で来てみたが、まさかマジでいるとはな。しかもそいつは顔見知りときたもんだ」


 シャンシーはしたり顔でそう言う。――見透かされているような気がして、恥ずかしかった。


「いやー……お前が鈴持ちで嬉しいよ。アタシ昨日言ったよな? お前を潰すって。だから今から有言実行させてもらうぜ。昨日晴らせなかった憂さを、テメーの体で存分に晴らしてやる。んでもって『鈴』もいただきだ」


 これみよがしに指を鳴らして威嚇するシャンシー。好戦的な表情だった。


 ここは逃げよう――ボクはすぐにそう考えた。


 日没までもうすぐだ。なので、無駄な戦いはできるだけ避けたい。


 なら、タイムリミットまで逃げて逃げて逃げまくってやる。


 逃げ足には自信がある。ボクなら楽勝だ。


 きびすを返して走り出そうとした時、


「なあ李星穂リー・シンスイ。そういや気になってたんだけどよ――お前の流派って何よ?」


 シャンシーから思わぬ質問をされたので、つい足を止めてしまった。


 ボクは質問の意図をはかりかねて若干戸惑いながらも、なんとか返答した。


「……【打雷把だらいは】だけど」


「【打雷把】……? 聞いたことねー流派だな」


 そう言って首を傾げるシャンシーの反応に、ボクは「無理もない」という感想を抱いた。


 【雷帝らいてい強雷峰チャン・レイフォンの名は、この【煌国】では非常に知名度が高い。


 だが、彼の武法【打雷把】の知名度は、それに反比例して非常に低い。最初で最後の弟子であるボクや、ごくごく一部の人間しか知らないのだ。


 その理由は、レイフォン師匠の武法に対する考え方にある。


 師匠は、武法に対しては超が付くほどの実利主義だ。そのため、自分が作った武法やその技の名前を全く考えてなかったのである。「技としてきちんと機能するなら、後はどうでもいい」といった感じだ。


 流派や技に名前を付けたのは、戦いから身を引き、ボクを弟子に取ってからだ。技に名前が無いと、弟子に教えにくい。なのでレイフォン師匠は流派に【打雷把】と名付け、その他の技の名前もきちんと考えて教えてくださった。


 おまけに師匠は【打雷把】という名前を、よその人の前で口にしたことがない。――別に【打雷把】を秘匿していたとかではなく、単に喋る必要がなかっただけだ。


 それが【打雷把】の知名度が低い理由。創始者の名高さとは不釣り合いにマイナーな流派なのである。


 シャンシーはしばし考え込む仕草を見せていたが、やがてつまらなそうに鼻を鳴らし、


「だーめだ、やっぱ聞き覚えがねーや。ま、考えるだけ時間の無駄か。どうせ対して腕もねぇ田舎者が作ったクソ流派だろうからな」


「……なんだと?」


 ボクの声が、我知らず低くなる。


 ……今のは聞き捨てならない。


 【打雷把】が、なんだって?


 シャンシーの嬲るような弁舌はまだ続く。


「【煌国】には死ぬほど流派があるけどよ、中には毒にも薬にもならねーカスみてーな武法もあるって話だ。たいてい、修行の苦しさと難しさに耐えかねて武法から足を洗い、それでも金と名声だけは手に入れてーと思った半端者が立ち上げたインチキ流派だ。もはや武法と名乗るのもおこがましい、完成度の低い粗悪品みてーなシロモノだ。お前の【打雷把】ってのも、その中の一つなんじゃねーの? ははっ! あり得る話だ! そういう流派はハッタリきかせるために大袈裟な名前してんのが多いからなぁ!」


 我慢ならなくなったボクは勢いよく振り返り、叩きつけるように言った。


「取り消せっ!」


「あー、何? 怒ったの? じゃあかかって来いよ。もしアタシを倒せたら、【打雷把】とやらの事を認めてやる。だがアタシに負けて『鈴』を奪われたら、クソ流派決定だ。ここで逃げ出しても等しくクソ流派認定してやる。さあ、どうする?」


 ボクは闘志と憤りに燃えた眼差しでシャンシーを睨む。


 彼女はきちんとそれを承諾と受け取ったようだ。口端を歪めながら頷くと、


「よし、良い目になったじゃねーか。んじゃ――始めようか」


 ――左拳を右手で包むように握り、顎の前に持ってきた。


 ボクは目を見張った。


 あれは【抱拳礼ほうけんれい】。武法士同士の挨拶だ。


 だが挨拶と一言でいっても、そのやり方次第であらゆる意味を持つ。


 右拳を左手で包めば、それは単なる挨拶のニュアンスを持つ。もしくは軽い手合わせの前に行い、「死なない程度に手合わせしましょう」という意思を表すためのものだ。


 しかし、今のように左拳を右手で包むやり方は――「死力を尽くし、互いの命を賭けて戦おう」という意味を持つ。


 相手に殺意を向け、自分もまた殺される覚悟を持ったという意思表示。


 【煌国】では互いにこれを行なった上で戦えば、相手を殺しても刑罰にかけられることはない。


 つまりシャンシーは、合意の下の決闘を求めているということ。


 ……軽い気持ちで飲むべき勝負ではないことは明白だ。


 しかし、退くわけにはいかなかった。


 【打雷把】のたった一人の門人として、侮辱された事に対して黙っているわけにはいかない。


 ボクも顎の前に左拳を持ってきて――それを右手で包み込んだ。


 その瞬間、両者の合意が成立した。


「【九十八式連環把きゅうじゅうはちしきれんかんは】――孫珊喜スン・シャンシー


 今までのガラの悪いものではない、凛とした口調で名乗るシャンシー。


「【打雷把】――李星穂リー・シンスイ


 ボクもそれに倣い、名乗った。


 ボクらは【抱拳礼】を解き、互いに構えを取った。


 シャンシーの構えは、防御の常識を体現した、まさしくお手本のようなものだった。


 構えられた両腕、そして前足の膝によって、体の中心をしっかりと隠している。それでいて、ぎこちなさを感じない。その構えに慣れ親しんでいる証拠だった。


 当たり前の事かもしれないが、その「当たり前」がきちんとできているかいないかで、かなりの差が出る。実戦とはそういう世界だ。


 しかも、命を落とすかもしれない戦いであるにもかかわらず、その表情には重々しさが見られない。むしろうっすら笑ってすらいる。


 ゴクリ、と喉を鳴らす。この少女、意外と油断ならない相手かもしれない。


 やがて、シャンシーは突風のような速度で向かってきた。


「らぁっ!!」


 急回転しながらこちらへ迫り、裏拳の要領で右腕を振るってきた。


 ボクはとっさの判断で、右即頭部に両腕を構える。


 ズンッ、と重々しい衝撃が腕に伝わる。棒でぶっ叩かれたような威力だ。腕がしびれる。


 ボクはそこからすかさず反撃へと転じようと考えた。


 だが次の瞬間、構えらえたボクの両腕の間から――拳が伸びてきた。


「くっ!?」


 真下から顎めがけてやってきたその拳を、ボクは背中を反らすことでなんとか回避。


 見ると、シャンシーは右腕をすでに引っ込め、アッパーのような左拳へと変化させていた。


 かと思うと、シャンシーの姿が急激に下へ沈む。


「――!!」


 マズイ、と思ったボクはすぐに丹田に【】をチャージ。即座に胴体へ【硬気功こうきこう】をかけた。


 刹那、丸太の先を勢いよく叩きつけられたような凄まじい衝撃が、ボクの腹部にぶち当たった。


 ――間一髪、間に合った。


 【硬気功】のおかげで痛みは無い。が、余った勢いによって真後ろへ大きく滑らされる。


 ボクがさっきいた位置には、腰を落とした姿勢で正拳を突き出したシャンシーの姿。


 彼女はすぐさま、猿を思わせる軽やかな足さばきで距離をつめてきた。


 そして踏み込みと合わせて、鋭い左正拳を突き放つ。


 ボクは右腕の表面にシャンシーの拳をすべらせ、真後ろへ受け流した。右肩の真上を通過する。


 彼女は間伐入れずにもう片方の右拳で突いて来る。が、ボクは空いていた左手でそれをキャッチ。


 取っ組み合ったような体勢ができあがる。


 が、シャンシーは軸足ではない片足をボクの股下に添え置く。


 そして、軸足の蹴り出しによって、そこへ重心を移した。


「わ!?」


 ――瞬間、ボクの体が弾むように浮き上がった。


 体の真下へ勢いよく重心を移動されたことで、立っていた「場」をシャンシーの重心によって奪われたからだ。


 そして、


「ふっ!!」


 虚空を舞うボクめがけて、シャンシーは閃光のような足さばきとともに正拳を放った。


 ボクはとっさに片足を持ち上げ、拳が来るであろう位置に足裏を移動させる。


 そして――ぶつかった。


 足裏にとんでもない圧力が与えられ、ボクの体は風に吹かれたように真後ろへ飛ばされた。


 着地と同時に受身をとり、そして起き上がる。


「どうよ? 【翻打挑水架拳ほんだちょうすいかけん】【猴爬樹こうはじゅ】の組み合わせは?」


 シャンシーはこちらへ向かって歩きながら、余裕のある口調で言う。


 ――【九十八式連環把】の最大の特徴は、無限に近いパターンの連続攻撃を組み上げられる点にある。


 九十八あるとても短い【拳套けんとう】を好きな順番で列車のように連結させ、ワンパターン化しない連続攻撃を流れるように繰り出すことができる。


 しかも、その連続攻撃の中には「断絶」がない。


 【打雷把】のようなパワーのある武法は、一発一発の威力が強い分、【勁擊けいげき】と【勁擊】の連なりの間に大なり小なり「断絶」が存在する。まるで火山の噴火と噴火に間があるように。


 しかし、【九十八式連環把】にはそれがないのだ。川の水が流れるように、攻撃を並べることができる。


 そのため、「断絶」という名の隙が生まれない。


 ……はっきり言おう。彼女とボクの武法は、本来あまり相性が良くない。


「ほら、どんどん行くぞオラ!」


 シャンシーは再びボクに迫る。


 間合いにボクを収めた途端、怒涛の連打を放ってきた。


 針のように鋭い正拳。ハンマー投げのような腕刀。鞭のような回し蹴り。槍の刺突のごとき爪先蹴り。撞木しゅもくのような掌打…………


 息もつかせぬ勢いで浴びせられる、数珠繋ぎのような攻撃の数々。


 どの攻撃も鋭さと速さが半端じゃない。今のところなんとか全て躱し、受け流せているが、このまま続いたらいつかは当たってしまうだろう。


 【九十八式連環把】の特徴そのまま、シャンシーの攻めには僅かな断絶も無かった。そのため、付け入る隙が見当たらない。


 おまけに、攻撃一つ一つにきちんと防御の要素も入っているのだ。


 突き出した拳や掌が、顔面やみぞおちを守る防具の役目もしっかりと果たしている。


 蹴りは出すスピードだけでなく、引っ込めるスピードも速い。そうすることで敵に足を取られないようにしているのだ。


 彼女の放つ技の全てが、絵に書いたような攻防一体の性質を秘めていた。


 並みの練度では、攻撃の最中でそこまで防御にかたくなになれない。


 シャンシーの武法に対する真摯さが、一拳一拳からしっかりと見て取れる。


 ……今にして思うと、彼女はボクをわざと挑発したのかもしれない。


 せっかく見つけた鈴持ちであるボクを逃がすまいとして、わざと侮辱し、勝負を受けさせたのだ。


 でなければ、わざわざ流派の名前について話の矛先を向ける必要は無いはずだ。


 そうと分かった以上、これ以上戦いを続けていても意味はない。


 なら、逃げ出すのか。


 ――否。


 ボクはもう、左拳を右手で包んでしまった。


 決着がつかないうちに背中を向ければ、レイフォン師匠と【打雷把】の名誉に傷がついてしまう。


 だから、逃げるわけにはいかない。


「ははっ、よく避けるじゃんか! んじゃ、少し戦法を変えようか!!」


 シャンシーは攻撃の流れの最中、腰の裏側に両手を伸ばす。


 かと思えば、シュランッ、という鋭い擦過音とともに何かを抜き出した。


 彼女の両手に握られていたのは――鍔(つば)の無い両刃の短剣。


 知っている。あれは匕首ひしゅという武器だ。


 シャンシーは武器を装備した。


 ――肉体の硬度を鋼鉄並みに高くする【硬気功】を身につけた武法士にとって、刃物などの武器は必ずしも必殺とはなり得ない。


 武法士の武装は殺傷力の強化というより、間合いや戦略の変化といった側面が強い。


 なので、彼女の武器持ちは卑怯ではない。戦略を変えただけのことだ。


 そして大抵の場合、素手で行う動きでそのまま武器が使える。


「そらっ!」


 シャンシーは匕首を逆手に持つと、再び攻撃を開始。


 手甲が上を向いた拳、いわゆる横拳よこけんで真っ直ぐ突いてきた。


 いつもなら最小限の動きで避けようと考えるが、今回は大きく拳の外側へ飛んで回避した。


 なぜなら――正拳の攻撃範囲が広がったからだ。


 小さな動きで回避しようとしたら、拳はよけられても、逆手に握られている匕首の刃によって斬りつけられてしまう。


 刃が伸びていない内側に逃げても、もう片方の匕首の刃の射程に入ってしまう。


 なので、拳の外側へ大きく逃げざるを得なかったのである。


「ほらほらどうした!? 相変わらず逃げてるだけかよ!? もっと攻撃してこいよ!」


 シャンシーは腕を振り回す動作を多用し、攻撃を連ねる。


 その動きは一見、舞踊のように美しい。


 しかし、その中には確かな鋭利さが内包されていた。


 匕首の両刃があるため、ただの軽い手振りでも鋭い斬れ味を持つ。


 打撃と斬撃の両方の性質を兼ね備えた攻撃の数々が、眼前で踊り狂う。


 ボクはそれらを必死に躱し、時に【硬気功】で防御しながら、反撃の隙を伺う。


 ――武器を振り回すシャンシーとは違い、ボクは今なお素手を貫いていた。


 ちなみに【打雷把】にも武器はある。大槍だいそう方天戟ほうてんげきといった、長さ2まい近くにものぼる長物が。


 しかし、今回はあっても使わない。


 大槍や方天戟は長いので、離れた所から相手を攻撃できるが、その分小回りが利きにくい。対して、匕首は短いが小回りが非常に利く。武器を持てば、ボクの方がかえって不利になるだろう。


 ゆえに、ボクは拳で戦うことを選んだ。


 そして、素手である今の状態で使える、比較的リーチの長い部位。


 それは――


「これだっ!」


 身を翻しながら刺突を避けたボクは、そのまま遠心力を込めた三つ編みをシャンシーの目元に叩きつけた。秘技、三つ編みハンマーだ。


「うわっ……!」


 シャンシーは思わず半歩退き、目元を押さえる。ダメージは無いだろうが、びっくりさせることはできたはずだ。


 両手で目を押さえている今、腹部はがら空きだった。


 ボクは遠心力を保ったまま彼女に近づき、その勢いをつけた回し蹴りを叩き込む。


「がっ――!」


 シャンシーは一瞬叫びを上げると、後方へ大きく流された。


 しかし、足で必死にバランスをとったことで、倒れずには済んだようだった。


「この……やってくれるじゃねーか、李星穂リー・シンスイ……!」


 蹴られた場所を匕首の柄尻で押さえながら、こちらを睨めつけるシャンシー。額にはわずかながら汗が浮かんでいる。効いてはいるようだ。


 ボクは毅然とした態度で言い放つ。


「どうかな? 【打雷把】がクソ流派っていうの、取り消してくれる気になった?」


「……ああ、そうだな。悪かったよ。クソ流派だったら、【九十八式連環把】の連続攻撃をここまで躱しきれる技術があるわけがない。それでいて、アタシに一矢報いてもみせた。アンタも、アンタの流派も、確かに半端ではないんだろうさ」


 その素直な発言こそ、【打雷把】への侮辱が単なる挑発だったことの証だ。


 彼女は「勝てたら認めてやる」と言ったのだ。なのに決着が付いていない今、認めるような発言をしている。


「でも……お前がどれほど強かろうと、アタシは負けるわけにはいかない…………負けられねーんだ!」


 シャンシーは再び匕首を構え、闘志のこもった眼差しでボクを見据えてきた。


「アタシは【黄龍賽】で優勝して――【九十八式連環把】の名誉を回復してやるんだ!!」


 今の一言に、ボクは思わず目を見張った。


「名誉の、回復……?」


「……アンタさぁ、【九十八式連環把】の事、どれくらい知ってる?」


 突然の質問に、ボクは少し困惑しながらも、


「――【九十八式連環把】。創始者は呉宝山ウー・バオシャン、少数民族【開族かいぞく】の出身で、享年九八歳。バオシャンは幼少期より【太極炮捶たいきょくほうすい】を十二年間学ぶ。その後、【煌国】各地の武法士と試合や技術交流を重ね、あらゆる技術と戦闘経験を吸収していった。その果てにバオシャンはあるひとつの結論に到った。「武法にて最も尊ぶべきは威力ではない。相手が倒れるまで延々と攻め続けられる円滑な攻撃だ」と。その考えを根幹にして生まれたのが【九十八式連環把】。クセの強い動作をすべて省き、比較的簡単で変化させやすい技を九十八つ選択、編纂して創始された。確かに連続攻撃を最重視している流派だけど、技の一つ一つは簡単そうに見えて良く出来ている。攻めつつも急所のガードを忘れない「攻防一体」を二番目に重視してるため、全ての技にきちんと防御や回避の概念が含まれている。断絶の無い「連続攻撃」の中に「攻防一体」が含まれればまさに鬼に金棒――」


「あーもういいもういい。暴走すんなよ」


 シャンシーは疲れたような表情でストップを命じた。


 ボクはかあっと赤面する。またやってしまった……恥ずかしい。


「アタシが聞いてんのは、そういうのじゃねーんだ。問題なのは【九十八式連環把】が世間でどういう風に扱われているか、だよ」


「え……?」


「……【九十八式連環把】が、武法士社会の間で何て揶揄されてるか知ってるかよ?」


 シャンシーの二度目の質問に、ボクは眉根をひそめた。


 ――その質問の明確な答えを、武法マニアのボクは当然知っていた。


 だが、できれば話題にしたくなかった。他所の流派を悪く言うのは好きじゃないだからだ。相手がその流派の人間であるならなおのこと。


 ボクはぼそり、と言った。


「……「ゴロツキの喧嘩道具」」


「……正解だよ、クソッタレ」


 シャンシーは苛立たしげに舌打ちする。


「アンタお嬢様っぽい綺麗な顔してかなりのオタクみてーだから、当然知ってんだろ? 【九十八式連環把】は比較的簡単な技で構成されてる。クセが強くて尖った動作より、シンプルな技ばっかにしておけば、変化が簡単で連続させやすい。だから、全ての技が簡単な分――習得が他の武法に比べて速いんだ」


 シャンシーは忌々しげに続ける。


「だからだろうな。ヤクザやゴロツキは寄ってたかって【九十八式連環把】に手を出した。【九十八式連環把】は習得が速いだけじゃねぇ。技の形が多少いい加減でも、ヤクザ同士の殴り合い程度には十分重宝するんだよ。連中は【九十八式連環把】をあちこちで悪用しやがった。ヤクザ同士の争いならまだ良い。だが奴らはカタギの、それも武法士でも何でも無い人間にも平気で拳を向けやがったんだ。金を脅し取ったり、女を腕力で押さえつけて弄んだりな」


 彼女はくつくつと自嘲めいた笑いをこぼす。


「……そしたらあら不思議。【九十八式連環把】の評判はあっという間に地に落ちてしまいましたとさ。【九十八式連環把】は「ヤクザ者どもと癒着した流派」としてすっかり定着した。周囲の人々からは「ゴロツキの喧嘩道具」と後ろ指を指され、どの町の【武館区】でも【九十八式連環把】と名乗った途端、眉をひそめやがる。完全な風評被害だ。この町の【武館区】でも、アタシらは周囲から見下されてる。昨日アンタが庇った馬鹿野郎もな、「ゴロツキの喧嘩道具」とアタシらの武法をバカにしてやがったんだ」


 ……そうだったのか。


 シャンシーは自嘲の笑いをやめると、憤怒の形相となって吐き捨てた。


「ざっけんじゃねーぞ、ボケが…………! アタシらを、そんな粗製品振り回してデカい顔してる半端者どもと一緒にすんな!! アタシは真剣にこの武法と向き合って来たんだ! なのに、そんなバカどもと同じ穴のムジナ扱いされるなんて迷惑なんだよ!!」


「シャンシー……」


「だからアタシは【黄龍賽】に優勝して、そんな世間に広がった汚名を返上してやんだ!! そうすればアタシやウチの武館の連中も、その他の努力してる奴らだって馬鹿にされずに済む! アタシが【九十八式連環把】の看板にべっとり付いた泥を、綺麗さっぱり拭い取ってやる!! お前にはそのための踏み台になってもらうぞ、李星穂リー・シンスイっ!!」


 シャンシーはボクを強く睨み、再び両手の匕首を構える。


 彼女の話を聞き終えたボクは、深く息を吐き、クールダウンする。


「なるほど。同じ武法士として、気持ちは分かる。でもね、ボクは君の踏み台になる気なんかさらさらないよ」


「んだと……!」


「君に負けられない理由があるように――ボクにだって負けられない理由があるんだ。君の望みがどれだけ立派だったとしても、絶対に譲るわけにはいかない」


 そうだ。自分は生まれ変わったこの人生を、武法に捧げると決めたんだ。


 それを叶えるためには、【黄龍賽】で勝たなければならない。


 阻むものは何であろうと――【打雷把】でぶっ飛ばしてやる。


 ボクはどっしりと大地を踏みしめ、構えをとった。


 シャンシーは不敵に口端を歪めると、


「……はっ、上等じゃねーかよ。んじゃ、その意思――力で示してみろよ!!」


 一直線にこちらへ向かって来た。


 今までで一番の速度と勢いでボクと肉薄。


 片手に匕首を真っ直ぐ突き立て、踏み込みと同時に刺突してきた。

 

 ボクは体の捻りによって回避しつつ、突き出された腕の外側に移動。


 しかし、シャンシーは突き出した匕首の柄を指で器用に回転させ、すぐさま逆手に持った状態に変える。


 そして、真横にいるボクめがけて剣尖を振り出してきた。


 ボクは一歩前へ出た。それによって剣尖の目標点から逃れ、彼女の腕のリーチ内へと侵入。


 やって来た腕をガード後、シャンシーの脇腹へ狙いを定める。


 後ろ足の蹴り出しによって重心を勢いよく進め、【震脚】によって力強く踏みとどまると同時に拳を突き放つ。【衝捶しょうすい】という正拳突きだ。


 数百両斤りょうきんもの鉄球が猛スピードで飛んでくるような威力の拳が、シャンシーに迫る。


「しゃらくせぇっ!!」


 が、彼女は不意に全身をねじった。


 それによって、シャンシーの脇腹がボクの拳の目標点からズレる。つまり、攻撃をかわされたのだ。


 シャンシーは全身の回転をそのまま続ける。


 そして、ボクの真横に回り込みつつ――逆手に持った匕首の刃を首めがけて薙いできた。


 ボクは丹田に【気】を溜め、素早く首へと【硬気功】を施す。


 ボクの首と、シャンシーの刃が激突。ガキィン! という金属じみた音とともに刃が擦過。ボクの首には傷一つ付いていない。


 シャンシーは止まらない。回転を続けてもう片方の手にある刃を振り出してきた。が、ボクは一歩後退して難なく回避。銀の輝きが目の前を素通りする。


「そらっ!!」 


 彼女は匕首の一本を素早く順手持ちにすると、回転を直線運動に変える要領で突きかかってきた。


 人体の重さが百パーセント乗った突撃槍のようなシャンシーの刺突を、ボクはダンスを踊るように回転しながら回避。

 

 そして、そのまま遠心力によって三つ編みを振り回し、敵の顔面めがけて円弧軌道で放った。


「バカが! 同じ手が二度通じるか!」


 シャンシーは上半身の反りだけでボクの三つ編みハンマーを避けてみせた。


 ボクは遠心力の流れのまま、相手に背中を見せることとなった。 


「そこだっ!!」


 シャンシーは鋭くボクの背後に接近。順手に匕首を握った拳を真っ直ぐ突き出してくる。


 彼女の下腹部からは濃い【気】の集中を感じる。おそらく【炸丹さくたん】を使って打つつもりだ。


 絶好の攻めどころだと感じたのだろう――ボクが"ワザとさらけ出した"隙を。


「はっっ!!!」


 シャンシーは発破のような一喝とともに踏み込み、正拳を打った。同時に丹田でスパークのような激しい【気】の炸裂が起こる。予想通り【炸丹】を使って打ってきたようだ。


 ――しかし、ボクに当たることはなかった。


 ボクは必殺の拳が来る直前に、体の位置を小さく移動させていたからだ。


 【仙人指路せんにんしろ】――ワザと隙を見せることで相手の攻撃を誘い込む【打雷把】の体さばき。


 どんなに素早い一撃でも、どこに来るかが分かっていれば避けるのは簡単だ。


 そしてボクは――シャンシーの脇腹辺りまで急接近した。


「っ!!」 


 彼女が焦った顔になった途端、その胴回りに小さな電流が走った。【硬気功】を使ったのだ。


 でも――【硬気功】すら突き破る【打雷把】の【勁擊】の前では意味がない!


 ボクの渾身の肘打ち【移山頂肘いざんちょうちゅう】が、彼女の脇腹に深々と突き刺さった。


「~~~~っ!!?」


 表情が大きく歪んだかと思うと、シャンシーは「く」の字になって大きく吹っ飛んだ。


 石畳に背中を付いてもなお、氷の上を滑るようにスライドしていく。


 やがて、止まる。


「う……あっ……そんな…………どうして【硬気功】が……? それに……この、バカみてーな、威力は…………!」


 仰向けに倒れたシャンシーは、打たれた場所を押さえながら、かすれた声で呟いた。


 苦痛を隠すことなく顔に濃く表している。


 もう終わりだろう。


 そう思った時、


「……クソッ……タレが…………! まだだ……! まだアタシは……負けちゃいねー…………!!」


 シャンシーが震えながらも、ゆっくりと立ち上がった。


「ここで勝たなきゃ…………【九十八式連環把】は……泥まみれなままだ……!」


 そして、匕首を構える。


 ダメージがでかいせいか、四肢が明らかに震えている。安定感に欠ける構え。


 しかし、シャンシーの表情からは苦痛は感じられても、弱さは感じなかった。見えるのは「戦おう」という確かな意志力。


 【打雷把】の強大な【勁擊】を食らってもなお諦めずに立ち上がり、そして挑もうとしている。


 ……ボクはこれ以上、こんな気骨のある武法士をいたぶりたくない。


 なので――次の一撃で必ず終わらせる。


「……おおおおぉぉぉぉぉぉっ!!!」


 シャンシーは両手の匕首を順手持ちにすると、一直線に突っ込んできた。


 繰り出される、苦し紛れの一突き。


 ボクは体の位置を少しずらし、それを難なく回避。そのまま、相手の懐へ入る。


 シャンシーは間伐入れずにもう一本の匕首で突いてくる。


 が、【硬気功】を施した拳で刃を叩き折る。


 この瞬間、シャンシーは完全な無防備となった。


 ボクは両足のかかとを浮かせてから、全身の動きを協調一致させた。


 浮き上がった両足のかかとで思い切り地面を【震脚】する。 

 腰を一気に深く落とす。

 拳を真下から上へ円弧軌道で振り上げる。


 それらの動作から生まれた強大なエネルギーが、拳に集中する。


 【迅雷不及掩耳じんらいふきゅうえんじ】――【震脚】によって生み出された大地からの反作用を拳に伝え、相手に叩き込む技。比較的小さなモーションで大きな力を打ち出せるため、至近距離での戦闘時で非常に使える。


 拳が、下からすくい上げるようにしてシャンシーの腹部へ食らいつく。


 瞬間、彼女の体が勢いよく上へ吹っ飛んだ。


 3まいほどの高さで上昇は止まり、自由落下を始める。


 やがて、シャンシーは背中から着地。


 そのまま、動かなくなった。


 ボクはそっと顔を覗き込んだ。


 どうやら、気絶しているみたいだった。


 











「んっ……」


 暗い海の底から浮き上がるような感覚とともに、孫珊喜スン・シャンシーは目を覚ました。


 ゆっくりとまぶたを開ける。


 まず最初に目についたのは、規則正しい配置の石畳。きれいな長方形の石がいくつもくっつきあって、あみだくじのような直角の溝を作っている。


 寄りかかっているのは、硬い壁。


 自分が猫背になってこうべを垂らしている事に気づいたシャンシーは、顔を上げる。


「――気がついた?」


 そして、とても美しい少女と目が合った。


 自分の小麦色に焼けた肌とは違う、文句なしの白皙はくせき。つややかで長い髪は太い一本の三つ編みに束ねられており、少女が首を傾げるのに合わせて小さく揺れる。それをかぶるようにして存在するのは、箱入り娘然とした華やかな顔立ち。しかしぱっちりと開けられた大きな瞳の存在から、上品さと同時に快活さも感じられる。


 そんな少女はしゃがみこんで、こちらの様子を心配そうに伺っていた。


 最初はその事実をぼんやりと他人事のように捉えていたが、意識が覚醒してきたことで、目の前の少女が何者なのかを思い出した。


 李星穂リー・シンスイ。自分がさっきまで戦っていた少女だ。


 そして、同時に確信する。自分はこの少女の一撃によって、無様にも気絶していたということを。


 それらを悟った瞬間、意識が一気に明瞭となった。闘志によって。


 シャンシーは奥底から湧き上がる気力のまま、勢いよく立ち上がろうするが、


「テメー、よくもやってくれたな! 覚悟し――――うっっ!!!」


 刺さるような激痛を突然感じ、全身が本能的に弛緩。尻餅をついた。


 痛みで息を荒げるシャンシー。


「ちょっ、無理しちゃだめだよ。安静にしてなきゃ」


「やかましい! 敵の指図は受けねーよ、タコ!」


 こちらの身を案じるシンスイの言葉を、シャンシーはすげなく切り捨てる。


 一度辺りを見回し、状況を確認。


 背後にある壁の方を振り返ると、それはとてつもなく高く、そして横幅の大きな建物。この【滄奥市】に長いこと住んでいる自分には分かる。これは『公共区』の『競技場』だ。自分は今、その外壁に背中を預けて座っていた。


 空はすでに薄暗くなっていた。夕日が放つあかね色の光が、遥か西にうっすらと見える。それに引っ張られるようにして夜闇が訪れようとしていた。


 もう日没である。


 そして「その通りだ」と言わんばかりに――重々しく荘厳な音が高らかに響いた。


 この音は知っている。『公共区』の鐘楼にある鐘の音だ。


 これが鳴ったということは、『試験』が終了したということ。


 そして、これより一時間以内に『鈴』を持って『中央広場』へ戻らなければ、予選大会出場は認められない。


 シャンシーの胸に激しい焦燥感が生まれた。


「くそっ! まだだ! まだ負けてね――――ぐっ!!」


 立ち上がろうとするが、そのたびに激痛が走り、体勢が崩れる。


 何度も繰り返すが、やはり結果は同じ。


 シンスイから攻撃を受けた回数はたった三回。しかし最初の回し蹴りを除いて、シンスイの一撃は凶悪に重々しかった。あれほどの【勁擊】を食らった経験は初めてだ。おそらく、自分の師父でもあの異常な威力は出せないだろう。


 おまけに【硬気功】が全く通じないという反則じみた能力。


 それらの判断材料から、【打雷把】という流派の非凡さを痛感した。


 このとんでもない武法が無名なのは、厳重に秘匿されていたからかもしれない。


 武法の中にはその技術の強力さゆえ、鍛錬法どころか技の一つもみだりに公開せず、徹底的な秘密主義を敷いて伝承されてきた流派もいくつか存在する。


 もしかすると【打雷把】も、その一つなのかもしれない。そう考えれば、あのデタラメな威力と能力にも納得がいく。


 しかし、そんなとんでもない武法が相手だったとしても、それは引き下がる理由にはなりはしない。


 自分は勝たなければならない。【九十八式連環把】の名誉を回復させるために。


「うっ……ぐっ!!」


 しかし踏ん張るたび、激痛が電気のように総身を駆け巡る。


 それだけじゃない。全身がまるで鉛みたいに重い。


 気力に反比例して、体はもう限界だった。


「――やめなよ。もう君は戦えない。それは自分でも分かってるんじゃないかな」 


 シンスイが、諭すような口調で言ってくる。


 言い返そうと思った。


 しかし、やめた。


 自分がもう限界であることは、自分が一番よく分かっていた。


 自分は――負けたのだ。


 これで【九十八式連環把】の名誉を回復するという、自分の目的は潰えた。


 また、陰口を叩かれながら生きていく毎日の始まりだ。


 どれだけ勤勉に修行しても、泥が拭えない日々が続くのだ。


 心にぽっかり穴が空いたような空虚感が生まれる。


 その空虚感から目を背けるため、どうでもいいことをシンスイに尋ねた。


「おい、李星穂リー・シンスイ。アタシ……何分寝てたんだ?」


「うーん、二〇分くらい、かな?」


「…………アンタさ、ずっとアタシが起きるの待ってたのか?」


「そうだよ?」


 きょとんとした顔で肯定するシンスイ。


 シャンシーは怪訝な顔で、


「……なんでさっさと捨てて行かねーんだ? もう鐘は鳴った。アンタが鈴持ちだっつっても、一時間以内に持ち帰れなかったらアウトなんだぞ」


「眠ったままの女の子を放置して行けないって。それに……その、一言言いたくてさ」


 シンスイは何度か逡巡してから、改まった口調で告げた。




「君の腕前は素晴らしかった」




 予想外の言葉に、シャンシーは困惑で思わず目を見開いた。


「【九十八式連環把】を取り巻く事情はボクもよく知ってる。あちこちで悪用されたせいで評判が落ちたこともそうだけど、その悪用した連中のせいで間違った伝承が流布されてしまったことも知ってる。彼らがいい加減な形で【九十八式連環把】を覚えて、それを軽々しく広めたからだ。その流れを汲む【九十八式連環把】には「連続攻撃」の要素はあっても、二番目に大事な「攻防一体」が欠けている。【九十八式連環把】はそんな粗製品みたいなものが大半で、正しい伝承を行っている所の方が少ない」


 シンスイは、こちらの目を真っ直ぐ見つめた。


 同情しているわけでも、優越感に浸っているわけでもない、どこまでも真摯で真っ直ぐな眼差しで。


 思わず――その眼差しに見とれてしまった。


「でも、君の使うそれは違う。戦ってみてよく分かったよ。君の放つ一つ一つの技には、「攻防一体」の要素がきちんと含まれてた。これは、悪用した連中が流布した伝承には無いものだ。そして何より、君が【九十八式連環把】と誠実に向き合ってきたことの証だ。賭けてもいい」


 シンスイは、こちらの両肩に手を置く。


「だからシャンシー、君は十分に誇っていいんだ。【黄龍賽】優勝を目指さなくたって、君はきちんとその裏付けを持っているから。もし世界中の人たちが総じて「ゴロツキの喧嘩道具」と後ろ指を指しても、ボクだけは全力で「違う」と叫ぶ。だって、君がどれだけこの武法を愛してて、そして真剣に取り組んでるのかを知ってるから。今度君の前で何か言う奴がいたら、その時はボクがそいつをぶん殴ってやる」


 胸が熱くなった。


 何かが抜け落ちたように空っぽだった心に、灯火が宿った気がした。


 そこまで言うとシンスイは立ち上がり、


「……それだけ、言いたかったんだ。それじゃあ、ばいばい」


 少し恥ずかしそうな笑みを浮かべてそう告げ、走り去っていった。


 シャラン、シャラン、シャランという音色を響かせながら、遠ざかっていく。


「……変な女」


 シャンシーは思わずクスリと笑みをこぼす。


 あんなことを言うためだけに、自分が起きるのをずっと待っていたというのか。


 もう『試験』のタイムリミットだって近いというのに。自分がいつまで経っても起きなかったらどうするつもりだったのだろうか。


 しかも「ぶん殴る」とか。あんなお嬢様っぽい美少女が口にする言葉とは思えない。


 本当に、なんて変な女か。


 本当に……なんて優しい女か。


 ――彼女が女で良かった。男だったら、自分は絶対に惚れていただろうから。


「……完敗、かな」


 大きく間を開けて繰り返される鐘の音を聞きながら、シャンシーは小さく微笑んだのだった。


 心に巣食っていた空虚感は、もう無かった。











「と…………とぉーーちゃくぅーーーーっ!!」


 すっかり日が暮れて薄暗い『公共区』の中を走り、ボクはようやく最初に『鈴』を受け取った場所――『中央広場』に到着した。


 さっきいた『闘技場』からこの場所まで、大して遠くはない。


 にもかかわらず、予定より随分到着が遅れてしまった。


 なぜかというと、待ち伏せをされていたからだ。


 鈴持ちは鐘が鳴った後、この『中央広場』へと向かわなければならない。


 それはつまり――その場所に鈴持ちが集中するということだ。


 そこへ向かう鈴持ちから『鈴』を奪い取り、大逆転勝利をしようという輩が大量に現れたのだ。


 ボクはそんな連中の相手をしていたので、少しばかり時間を食ってしまったのだ。


 しかし、それも終わり!


 まだ鐘が鳴り始めてから一時間経っていない。ボクはこの『試験』に見事合格したのだ。


 数時間ぶりに見る『中央広場』は、朝と比べてだいぶ空いていた。


 いるのは役人風の男数人と、武法士が一五人。


 そして、その一五人の中には――


「ライライっ!」


 そう、ライライもちゃんといたのだ。


「ふふ、数時間ぶりね」


 ライライはうっすら微笑むと、ボクと持っているのと同じ『鈴』を見せてきた。シャラン、と音が鳴る。


 ボクは嬉しくなる。今朝に交わした待ち合わせの約束を、彼女は見事に守ってくれたのだ。


 ボクもポケットから『鈴』を取り出し、それを見せる。


「おめでとう、シンスイ」


「うん。ライライも」


 そう言って、ボクらは互いに手を叩き合った。


 今日この時、ボクは片足を乗せたのだ。【黄龍賽】優勝までの、長い階段の一段目に。


 これからも一段、また一段と、快調に駆け上がってみせる。






 ――――その後、ボクらは大会運営の元で出場手続きを行った。




 こうして、晴れて予選大会出場が決まったのだった。

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