予選会場

 

 突然だけど、【煌国こうこく】の行政区分について説明しよう。


 この国の行政区分は主に三つ。

 一つ目は【しょう】。これは日本の都道府県とほぼ同じ扱いと考えていい。

 二つ目は【】。これは大きな町を表す単位。

 三つ目は【ごう】。これは小さな町、もしくは村を表す。


 この【煌国】という国は、五つの大きな【省】の繋がりによって成り立っている。


 帝都のある【黄土省こうどしょう】を中心に、東に【青木省せいぼくしょう】、西に【白金省はっきんしょう】、南に【朱火省しゅかしょう】、北に【玄水省げんすいしょう】の四つで囲まれる形で【煌国】という国は存在する。


 ちなみにボクの家がある【回櫻市かいおうし】は、【朱火省】の北端に位置する。


 ボクはそこから馬車で東に進み、二日後、【滄奥市そうおうし】という都市にたどり着いた。


 ここに来た目的はもちろん――【黄龍賽こうりゅうさい】に出場するためだ。


 【黄龍賽】はいきなり本戦から始まるわけではない。帝都のある【黄土省】を除く全ての【省】で予選を行い、参加者をふるいにかけるのだ。

 一つの【省】につき四つの都市で予選の大会を行う。その優勝者計一六名が本戦出場者となる。そういう仕組みだ。


 つまりボクがやって来たこの【滄奥市】は、その予選が行われる都市の一つであるというわけだ。


 ボクはとうとう戦いの舞台に上がろうとしているわけだが、


「…………」


 現在、人が行き交う街路のど真ん中で、ぽつねんと立ち尽くしていた。


 正午の太陽にさんさんと照らされる町並みは、非常に活気に満ち溢れていた。


 人通りが半端じゃなく、壁のように軒を連ねるオリエンタルな外装の建物内部はどこも過密状態だった。


 色々な店があって、行きたい場所に困らなそうだ。しかしその分、どの施設を立ち寄るべきなのか選別に困るという新たな問題が浮上しそうである。


 というか、今のボクがまさしくそういう状態だったのだ。


「……なんだかボク、おのぼりさんみたい」


 思わず呟く。


 予選開始は明日。その会場もすでに把握済み。そこまではいい。


 だがボクは次に、今日寝食を行う宿を探さなければならなかった。


 予選出場が決まったら、大会運営側が用意した宿にタダで泊まれるため、予選期間中の宿代の心配は要らない。


 だが、今日一日の宿代は自腹となる。


 一応、父様から多くの予算も貰っているが、長期的に家を離れることを想定したら、決して無駄遣いはできない。なので、今日の宿代はなるべく安く済ませたいのだ。


 しかし、ここは【回櫻市】より都会だからなのか、宿泊費が高い所が多い。


 あれ? ていうか、宿代の安い高いの基準ってどうなの? 前世、転生後問わず、今まで一人で宿などとったことがないので、その辺がよく分からない。


 それに、なんだか立ちくらみがする。女性特有の体質のせいではない。おそらく、あまりの人通りの多さで精神的に疲れているのだろう。


 時々、剣とか槍で武装した兵隊さんなんかも見かける。


 手提げ鞄を三つ編みと一緒にぶらぶらさせつつ、とりあえず進もうとしたら、


「――よお姉ちゃん、ちょっといいかい?」


 突然、後ろから声をかけられた。


 振り向くと、お世辞にもガラが良いとはいえない三人の男達が、ボクを囲うように立っていた。


「姉ちゃんよ、困ってんなら手ぇ貸してやんぜ? どうせ【黄龍賽】予選大会の観戦にでも来たんだろうよ。なら、この町の事分かんねぇんじゃねぇか? 俺らが案内してやんよ」


 男の一人がニヤついた顔でそう言ってくる。その眼はどこかギラギラした輝きを秘めており、ボクの胸部から太腿までを品定めするように見てくる。


 居心地の悪さを感じたため、ボクは愛想よく笑みを浮かべ、


「いえ、大丈夫です。一人でなんとかなりそうです」


「そう言わずによぉ」


「大丈夫ですってば」


「まぁまぁ、とりあえず来いよ。楽しませてやんぜ? それにこの辺悪い奴多いからな。俺こう見えて武法やってっからよ、守ってやれるぜ」


 言うや、男の一人がボクの腕を掴んで、そのまま引き寄せようとした。


「――あれ?」


 だが、引っ張ってきた男が拍子抜けした声をもらす。ボクが少しもその場から動かなかったからだ。


「うっ! くそっ! このーっ!」


 男は諦めず、なおも引っ張ろうとする。


 しかし、ボクの体は未だ根を張ったように動かない。


「くそっ! 全く動かねぇ! なんだこの女、途轍もなく重いぞ!?」


 男はボクの腕から手を離すと、怪物でも見るような目で見てきた。


 動かないのは当然だ。足指で地面を掴み、体をその場に固定していたのだから。【架式かしき】で鍛えたボクの足指の力にかかれば造作もないことである。


「……ちっ。行くぞ」


 興が削がれたのか、男達はそそくさと立ち去った。


 男達の姿が消えた後、ボクは一人ため息をついた。


「はぁ……男にナンパされるとか、なんの罰ゲームだよ……」


 これでもう何回目だろう。


 この町に入ってから、こうやって何度もナンパされ続けているのだ。そのたびに今のように袖にしているが。


 今のようなチンピラじみた相手がほとんどだったが、中にはかなりかっこいい人もいた。しかし、それでも心傾くことは一瞬たりともなかった。だって心はまだ男の子だもん。


 声をかけてくる人の武法士率はかなり高かった。この町ではどうやら、武法が盛んに行われているらしい。


 武法士は豪放磊落、かつ義気に厚い者たちの集まりというイメージが昔はあった。だって小説の中で出てくるテンプレートな武道家って大体そんな感じだし。


 しかし実際はそうでもない。もちろんマトモな人だってたくさんいるが、それとタメを張るレベルで、先ほどのようなチンピラじみた連中も多い。中には、ヤクザと癒着している流派もあるくらいだ。


「はぁ……」


 気が滅入る思いだったので、暇つぶしにちょっとした修行をすることにした。歩きながらでも出来るお手軽な、しかしそれでいて効果の高い修行法を。


 ボクは道行く人の邪魔にならないよう、いったん道の端っこに移動した。


 鞄をまさぐって、あるモノを取り出す。


 それは、一つのまりだった。


 ボクはそれを軽く宙に投げる。そして自由落下してきた鞠を、足で宙へ蹴り戻した。


 再び鞠が落ちてくる。それに軽く膝を当ててまた飛ばす。


 リフティングよろしく蹴鞠しながら、町中を歩く。


 他の人たちはそんなボクを奇異の目で見ていたが、ボクは奇行を行っているつもりは一切ない。至極真面目だった。


 これは【養霊球ようれいきゅう】という修行法だ。


 鞠を地面に落とさぬよう、リフティングのように何度も蹴って上げ続けることで、足の器用さを養う。


 足が器用になれば、武法特有の複雑な足さばきも抵抗無く行えるようになる。


 【打雷把だらいは】は絶対的威力ともう一つ、絶対的命中率を重んじる武法だ。そしてその絶対命中を可能にするには、足さばきが重要である。


 精密かつ迅速な足さばきを用いて相手の攻撃をかいくぐり、リーチ内に潜り込み、強烈な一撃を叩き込む――【打雷把】ではそういった戦法を頻繁に用いる。小柄でリーチの短いボクには特に重要だ。


 この修行法は【刮脚かっきゃく】という武法で行われている修行を、レイフォン師匠が取り入れたものだ。


 【刮脚】とは、蹴り主体の武法。巧妙かつ威力の高い蹴り技を多用することで有名だ。


 そういった武法の性質上、【刮脚】では足の器用さが重要視される。そのための【養霊球】だ。レイフォン師匠はその修行法を「使える」と感じ、自身の【打雷把】に組み込んだのだ。


 鞠を何度も蹴上げながら、街路を歩くボク。


 先ほどまで立っているだけで疲れが溜まる一方だったが、修行を続けているうちに気分が良くなっていった。


(もはやこれ、一種の病気だよなぁ)


 武法が関わると、どんなにストレスが溜まる状況でも気分が良くなる。ボクは自分のそんなゲンキンな体質に、思わず苦笑する。


 それにしても、この町は人が多い。


 栄えていることは確かだろうが、それを含めても過密っぷりがすごい。


 おそらく予選参加希望者と予選大会の観戦者が、外部から大勢やってきているからだろう。


 ちなみに【黄龍賽】は、商売をする人たちにとってはありがたい行事なのだ。


 本戦の開催場所は毎年帝都に固定されているが、予選は開催される町が毎年変更される。


 その理由は、他の町からやって来る人々がもたらす経済効果にある。


 予選大会が開催される町には、参加希望者や、大会を観戦したい人々が押し寄せて来ることになる。そうしてやって来た人たちがお金を使うことで、その町の経済を潤してくれるのだ。


 第一回【黄龍賽】でそれに気がついた政府は、予選の開催場所を毎年変えるようになった。一つの町に絞り込んで他をおろそかにするのではなく、ちょくちょく町を変えてまんべんなく経済に油を差すために。


 確かに、飯店や軽食屋の接客をしている人はかなり積極的だった。少しでも多くのお客さんを捕まえてやろうというパワフルさが目を見て分かる。


 食べ物屋を見ていたせいか、お腹が鳴った。


 そういえば正午の少し前に馬車を降りて以来、何も食べていなかった。思い出したように空腹感がお腹に宿る。


 いくら修行でも、空腹までは満たせない。


 とりあえず、どこかで食事にしよう。腹が減ってはなんとやらだ。


 そう考えた時だった。




「ねぇ? それって【養霊球】じゃない?」




 後ろから突然、そんな声がかかった。


 またナンパか……ウンザリした気持ちを抱きながら背後を振り返る。


 だが、そこに立っていたのは女の子。


 長身で、大人びた雰囲気を放つ美女だった。

 毛の末端あたりにウエーブがかかった長い髪をポニーテールに束ねており、デキる大人の女性をイメージさせる凛々しい顔立ちをしている。しかしどことなく少女としての面影を残しているため、歳はそれほど離れていないことが分かる。

 身長は目算で167厘米りんまい——この世界での「cmセンチメートル」的な単位——といったところか。154厘米りんまいのボクより一回り高い。抜群のプロポーションを誇り、砂時計のような腰のライン、大きくも強い張りと美しい形を持つ胸部と臀部の存在が、瑠璃色の旗袍風のドレスの上からでも容易に見てとれる。……特に胸が凄い。大きさ的な意味で。

 スリットからは、細く、それでいて健康的な美脚が伸びている。


 ボクは鞠を蹴るのをやめると、少し驚いた目でその女の子を見つめ、


「この修行法の事を知ってるの?」


「知ってるも何も、私もその修行やってるもの」


 女の子は友好的な笑みを見せると「ちょっと貸して」と、ボクの足元の鞠を指差してきた。


 ボクはとりあえず鞠を蹴って寄越した。


 するとどうだろう。彼女は飛んできた鞠を足で受け取るや、それを華麗に宙で操ってみせたのだ。


「おおっ!」


 ボクは思わず感嘆の声を上げる。


 有名サーカス団仕込みの曲芸を見ている気分だった。


 鞠はまるで意思を持っているかのように、活き活きと彼女の周りを跳ね回っている。無生物である鞠に生物感を感じてしまうほどに、彼女のボール運びは神がかっていた。


 鞠の飛ぶ速度も速い。しかし彼女は一度もつっかかることも、体勢を崩すこともなく、まるで自分の体の一部のように鞠を操り続ける。


 何より、両足を使って蹴っているボクと違い、彼女は片足しか使っていない。その上で、ボクよりも美しく演じてみせている。


 【養霊球】は、別に見た目の美しさを競い合うためのものではない。しかし、彼女の足の技巧が類い稀なものであることを知るのには十分な判断材料だった。


 しばらくすると、彼女は落ちてきた鞠を手でキャッチする。


「【養霊球】はただ継続して蹴り続けるだけじゃなくて、蹴る力の強弱、足の当たる角度なんかで鞠の軌道を操るって意識を持ってやれば、さらに効果的に足の器用さが鍛えられるわよ」


 その言葉を紡いだ声音は、まるで妹を気遣うような面倒見の良さを感じさせる、落ち着いた響きを持っていた。


 ボクは目を宝石のように輝かせ、


「す、すごいよ!ボクよりずっと上手い!芸術的だよ!」


「そうかしら……そこまで言われると、ちょっと照れるわね」


 彼女は先端にウェーブのかかった長いもみあげをくるくる弄りながら、恥ずかしそうにはにかむ。大人びた顔立ちだが、笑う顔はとても可愛かった。


「それに、足技は私の専門だしね」


「専門……?」


「ええ。私の武法は【刮脚】だもの」


 開いた口が塞がらなかった。


 まさか【刮脚】のことを考えた直後にその使い手と出会えるなんて! タイムリーにも程があるだろう!


 つくづく、ボクは幸運だ。


 驚きと同時に、ワクワクのような気持ちが湧き上がってきた。


「【刮脚】っていうと「足を手と為し、一蹴りで肉を削ぎ落とす」っていうのが謳い文句の、蹴り技主体の武法だよね!? 創始者は岳河剣ユエ・ホージェン! ホージェンさんは【太極炮捶たいきょくほうすい】を二十年学んだ後、【太極炮捶】に含まれる蹴り技を元に創意工夫を加えて【刮脚】を創始した! 最初に伝えられた場所は【青木省】の【三宋郷さんそうごう】っていう小さな村! そこからさらに【刮脚】は、高い蹴りを多用する【武勢式ぶせいしき】と、低い蹴りを多用する【文勢式ぶんせいしき】の二つの様式スタイルに枝分かれする! でも【武勢式】と【文勢式】の人たちはお互いに「自分たちの様式こそ【刮脚】の本質を追求したもの」と誇りを持ってて、もう片方を【刮脚】とは認めていない。でもボクとしてはどっちも素晴らしいと思うんだ! だって【武勢式】の蹴りは動的ダイナミックで威力に富んでるし、【文勢式】には巧妙な足払いが多いし! ああ、でも、この二つの特徴が合わさって一つになれば、もっと凄い武法になるとは思わないかな!? 創始者のホージェンさんの伝えていた古い【刮脚】が、均衡バランス的には一番だよね! あれには【武勢式】と【文勢式】の要素がほどよく配分されてるから――」


「こらこら落ち着きなさい」


「あぅあっ」


 指で額を小突かれ、言いつのるのを止められる。


 いけないいけない、武法の事となるとテンションが上がりまくってしまう、ボクの悪いクセ。


 しかし彼女は気を悪くするどころか、口元に手を当てて愉快そうに笑っていた。


「ふふふっ、面白い子ね、あなた」


 彼女はそう言うと、


「自己紹介がまだだったわね。私は宮莱莱ゴン・ライライ。【黄龍賽】予選に参加するためにここへやってきたの。よろしくね」


 気さくに笑みを浮かべながら、手を差し出してきた。


 ボクは手汗を赤いワイドパンツで拭うと、おずおず彼女の手を握った。ボクより少し大きい。その上ひんやりすべすべしてて触り心地がいい。


「ボクは李星穂リー・シンスイ。【打雷把】っていう武法やってます。よ、よろしく」


 やや緊張しながら、ボクも自己紹介をしたのだった。

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