門出の日

 父様の挑戦を受けてから、半月が経過した。


 ボクはこれまでの間、なにくそと思い修行した。父様の思い描くレールから外れるために。


 もちろん、修行は楽しかった。しかし一方で、楽しんでいいのだろうかと疑問を抱く自分もいた。


 これから始まる【黄龍賽こうりゅうさい】は、国中から猛者が集まる大規模な大会だ。

 ボクも自分の腕には多少自信はあるが、武法の世界は広い。もしかしたら、まだボクの知らない強力な武法を使う強敵が現れるかもしれない。

 そんなまだ見ぬ強敵と戦うための修行なのに、そんな風に楽しみを持ってしまっていいのか? もっと緊張感を持って修行すべきなんじゃないのか? そんな思いをボクはたびたび抱いた。


 しかし、そのたびにボクは自分を戒める。


 それは「修行はひたすら苦しいものだ」という固定観念が作り出した幻想だ。ボクは楽しみながら修行したことで、他人より速く実戦的強さを手に入れたんだ。ならば、これからも変わらずそのスタンスを続けるだけ。


 というわけで、ボクは今日の早朝も熱心に修行に励んでいた。


 場所はもちろんいつもの場所。【回櫻市かいおうし】の外れにある大樹の広場だ。


 今日の正午、ボクはとうとうこの町を出る。そして【黄龍賽】に参加しに行くのだ。


 この修行はそのための最後の追い込みだ。この場所とも、しばらくお別れとなる。


 なので、自分の中にある全てをここに絞り出す勢いでひたすら功を練る。


 果実の実る大樹の根元で、ボクは静かに立っていた。


 直立姿勢ではない。中腰の姿勢でだ。


 上半身の姿勢を真っ直ぐに整えたまま、大腿部が地面と平行になるくらいに腰を落とした姿勢。


 両拳を脇に引き絞り、足指でしっかりと地を掴みながら、まるで一つの山のような盤石さでその場に立ち続ける。


 その際、頭頂部にある経穴【百会ひゃくえ】に糸が付き、それによって天から吊り上げられているというイメージを忘れない。


 低姿勢による負荷が両膝に集中している。それによって、大腿部全体に燃えるような疲労感。




 ――この姿勢を、すでに十分は保っている。




 これは【架式かしき】と呼ばれる修行法だ。

 決められた一つのポーズを長時間保つことによって、脚力を鍛えると同時に、その流派に必要な姿勢を身体に染み込ませる。

 非常に苦しいが、武法においては【易骨えきこつ】の次に大事な修行である。中にはこの【架式】ばかりを徹底的に練習し、型である【拳套けんとう】を全くしない流派もあるくらいだ。


 ボクのこの姿勢は一見、ただ深く中腰になっているだけに見えるだろう。


 しかしこの姿勢の中には、【打雷把だらいは】における重要な身体操作が二つ存在する。


 そして、その身体操作こそ、【打雷把】の強大な【勁撃けいげき】の源なのだ。


 まず一つ目――脊椎の伸張。

 ボクはこの姿勢を行う時「頭頂部が天から糸で吊り上げられている」というイメージを抱き続けている。これは、意識の力で頭部を真上に押し上げ、脊椎に上向きの張力を与えるためのものだ。

 なぜそれが威力向上に繋がるのかというと、全身のバランスが良くなるからである。

 人間の体には、引力という下向きの力が常に働いている。【打雷把】では脊椎を真上に張らせることで、さらに上向きの力を体に追加する。

 これら上下の力が同時に働くと、人体は底辺の広いピラミッドのような、非常に強い安定感を得る。

 その安定感を、そのまま攻撃力に変換するのだ。

 重心が安定していれば、どれほど激しくぶつかっても自分は倒れない。相手の重さを重心の盤石さで強引に押し退け、食い込むような打撃を食らわせることができるようになる。


 そして二つ目――足指による大地の把握。

 両足指で地を強く掴むことで、前述した身体操作による重心の安定をさらに強固なものにし、そびえ立つ山のように大地と一体化する。

 この状態を用いて打つと、相手はまるで山に寄りかかられたような凄まじい衝撃を受ける。


 【打雷把】では、これら二つの身体操作を基本とし、そこへあらゆる体術を組み合わせてさらに威力を増大させる。

 結果、相手を殺してお釣りが貰えるほどの絶対的威力が手に入るというわけだ。

 特にレイフォン師匠は、一撃で相手の胴体を突き破って死なせたこともあるとのこと。


 ボクはさらにもう十分【架式】の姿勢をキープし続け、ようやく腰を上げた。


「ふぅ…………っ」


 額にたまった汗を手で払い、爽やかな声をもらす。


 重々しい枷から解き放たれた下半身が、清涼感にも似たもので満たされる。


 これでボクの功が、少しだがまた一つ上に上がった。この清涼感は、ゲームのレベルアップ音に等しいもののような気がして、とても心地がよい。


 ボクは小休止すると、額の汗を拭い、次の修行に入った。


 直立し、両掌を前にかざす。


 呼吸を整え、心を沈める。


 そして、ヘソから指三つ分下の部位――臍下丹田せいかたんでんを意識する。


 細く、深く呼吸をしながら、その丹田に向かって全身からエネルギーが集中するイメージを浮かべる。


 すると、丹田のある下腹部が、不意に熱を持った。まるで焚き火に近づけたかのような、強い熱を。


 さらにその熱が、前にかざした右掌へ向かって流れるイメージを浮かべる。


 瞬間――丹田の熱は、電流が走るような感覚とともに右掌へ移動。


 その掌にはしばらく熱が残留していたが、だんだん冷めていき、やがて元の体温へと戻った。


 ボクは呼吸を整えてから、再び同じような手順を行った。


 丹田をスタートに、あらゆる部位へ熱を送ることを繰り返す。


 頭に、脇腹に、背中に、首筋に、足に、手に、鼻に、時には両手両足同時に、丹田の熱を送る。


 その熱が届いた部位の皮膚や骨は、熱を帯びている間だけ――鋼鉄のように硬度が増している。




 これは――【気功術きこうじゅつ】だ。




 人体内部に絶えず流れる【】というエネルギーを用いた技術。


 全身に張り巡らされた【経絡けいらく】というルートに流れる【気】を丹田に注ぎ込み、そこを起点に様々な効力を引き起こす。


 ちなみに今行っているのは【硬気功こうきこう】の修行だ。丹田に集めた気の塊を任意の部位へ送り込むことで、その部位の硬度を一時的に鋼鉄並みにする技術。剣や槍さえも、少しの間だけ通らなくなる。


 その他にも、【勁擊】の威力を倍加させる【炸丹さくたん】、周囲の【気】を感知する【聴気法ちょうきほう】、自身の【気】を放出する【送気法そうきほう】といった技術が存在する。


 非常に便利な技術だが、タダではない。使いすぎると全身を巡る【気】が薄くなり、ヘトヘトに疲れ果てる。食事や睡眠を取ればすぐに回復するが、戦闘時では使いどころを考えないと足元を掬われてしまう。ご利用は計画的に、だ。


 武法には必ず存在する技術であり、これがなければ武法ではない。


 というより、【気功術】は【易骨】で整えられた体でしか使えない。【易骨】によって体重の分散を止め、全身から余計な緊張を取り除いた状態になって初めて全身の【気】の流れが円滑化し、【気功術】の修行の準備ができる。


 武法においては、何事も【易骨】から始まるのである。


 ボクはしばらく【硬気功】を繰り返した後、一旦【気】の操作をやめる。


 【気】を出してばかりいると、すぐに疲れ果ててしまう。なので数分小休止してから再開、そしてまた小休止と、休み休み練習するのだ。


 しかし小休止の間、決して怠けているわけではない。


 目を閉じる。深呼吸を繰り返しながら、ボクを中心にドームを張るように、周囲へ意識を集中させる。


 小休止の間は【聴気法】の訓練を行う。これは【硬気功】などと違い、【気】を消費しないからだ。


 周囲にある【気】の存在を感知し、敵のいる位置を割り出すのが主な使い方だ。これが使えれば、不意打ちを受ける心配がなくなる。


 ボクの真後ろに大きな『存在感』が浮かび上がった。


 それは、大樹の持つ【気】だ。


 チュンチュン、と、鳥のさえずりが近づいてくる。そう思った時には、大樹の【気】の近くに小さな他の【気】が降りてくるのをすでに感じていた。おそらく、さえずりの主だろう。


 ……【気】を持っているのは人間だけではない。動物や虫、草木だって生き物なのだ。【気】とは、生きとし生ける物すべてが等しく持つエネルギーである。


 だが、それで多くの【気】がごちゃごちゃになって、人間の存在を感知しにくくなる心配はない。


 人が持つ【気】と、その他の生物が持つ【気】では、明らかに感じが違うのだ。


 どう違うのかは上手く表現できないが、とにかく『違う』とはっきり分かる。なので、周囲に飛び交う【気】の中から、人間の【気】を簡単に見つけられる。


 タイムリーに、この広場の端に通りかかった人間の【気】を感知。


 目を開けると、そこにはこの間――父様の挑戦を受けた日だ――の早朝に鉢合わせしたおばあさんがいた。のんびりとしたペースで散歩していた。


 ニコニコ手を振ってきたおばあさんにボクは振り返すと、【聴気法】を再開した。


 しばらく続けてから、再び【硬気功】の練習を開始。


 何度か続けた後、再度小休止して【聴気法】。


 そんな風に繰り返しているうちに、山の向こうから日の出が訪れた。


 ボクは深く息を吐き、全身を緩める。今朝の修行はもう終わりだ。


 【気功術】の最中は一歩も動いてはいない。にもかかわらず、全身は汗だくだった。


 足元も、少しおぼつかない。少々張り切り過ぎたようだ。


 ボクはフラフラと大樹に歩み寄って、その幹に掌底。枝葉が震えたかと思うと、果実が一つ落ちてきた。


 いつものようにそれを食べ終えると、ボクは大樹の幹をさすりながら、穏やかに語りかけた。


「おまえともしばらくお別れだね。次戻るまでに、うんと実をつけておくれよ」


 ――そう、自分が優勝して戻ってくるまでに。







 そして、その日の正午、ボクは予定通り荷物をまとめて【回櫻市】を出た。



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