怪ノ九十八 ホルマリン漬け
小学校の理科室には、カエルのホルマリン漬けがありました。
今はやらないらしいけれど、昔はカエルの解剖をやっていたらしく、片隅においてあったのです。
カエルはお腹がぱっくりと開いていて、中身、つまり内蔵がどこにあるのかがわかるようになっていました。
それで、本物なのか偽物なのかでたまに言い争っている子たちがずいぶんたくさんいたのです。
「先生、これ本物?」
そういうとき、たいてい先生に尋ねることになります。
「いやあ、こういう教材があるんだよ。だから偽物だと思うけどなあ」
「ええっ、そうなの?」
どの先生に尋ねても返ってくる返事はほぼ一緒でした。
だから、あのカエルは偽物、ということになっていました。
でも、みんなどこかで本物ではないかと疑っていたのです。
それであるとき、理科室の掃除当番になったときのことです。
「おい、このカエルの瓶って開かねえのかな」
先生のいないときに開けて確かめてみよう、という男子がいたのです。
一度盛り上がってしまうとなかなか言いだすことはできませんでした。
また、男子がばかなことやってる。
半分は関わりたくない一心で、そう他人ごとみたいにして見ていたんです。
だけど、もう半分は、わたしも見てみたい。そんな気持ちがありました。
カエルの瓶は鍵のかかった硝子の戸だなに閉まってあったのですが、理科室の中に鍵があることをみんな知っていたんです。
男の子のひとりが鍵を持ってきて、戸棚を開けました。
「おお~……」
中のカエルの瓶をテーブルに置き、みんなでまじまじと眺めていました。
その時点で既にちょっと嫌な感じがしていました。さすがに瓶を開けることはしないだろうと。
みんなお互いに顔を見合わせて、ここからどうしよう、という感じになっていました。
知りたいことは知りたいけれど、やっぱり悪いことだというのはわかっていたんです。
「ちょっと中を調べるくらいだろ、わかりゃしないって」
男の子のひとりが、そう言って蓋に手をかけました。
茶化す感じで蓋を取りあげた瞬間。
「うっ」
なんともいえないにおいが広がり、みんな顔をしかめました。
今思えば、あれが本物のホルマリンのにおいだったんでしょう。
「うわ、くっせ」
「もう閉めろよ」
他の子はそういい続けたけれど、開けた男の子は引っ込みがつかなくなってしまったんでしょう。
迷うことなく手をつっこみ、カエルの手を掴もうとしたんです。
「ちょっと、やめなよ!」
「さすがにそこまでしたらバレるって」
男の子はなんとかカエルを取りだそうとしましたが、結局手を掴んだだけで持ちあげることはできなかったみたいです。
「ほらもう、閉めろって」
他の子が急いで蓋を閉めていましたが、カエルを触った男の子はなんだか茫然としていたようでした。
蓋を閉め、同じところに設置したあと、同じように急いで戸棚を閉めて鍵をかけました。
それからようやく掃除に戻ったのですが、男の子はなんだか青白い顔をしていました。
そして掃除の時間が終わり、五時間目の授業がはじまるころ。
男の子は教室に戻りませんでした。
しばらくして先生がやってきても、自習ということでプリントをやらされただけでした。
あとで話を聞いたところによると、男の子の指先がガサガサになって痛みも出ていたという話でした。
保健室に付き添った子がいうには。
「あいつの指、カエル触ったとこと同じとこだった……」
その途端、一気にカエルの呪いだと噂になりました。
後で聞いた話ですが、ホルマリンは細胞を固定するものなので、素手で触っては危ないということでした。
ホルムアルデヒドという劇薬で、詳しいことはわかりませんが、本来ならあんな風に触れるような代物ではないということでした。
これを機に、学校側の管理体制もちゃんと見直されたそうです。当時少しニュースになったので、覚えているひともいるでしょう。
たぶん、カエルの手を掴んだあたりで痛みがきて、それでもなんとか持ちあげようとしたんでしょう。痛みが引かないのでそのまま気にしていたものの、耐えきれなくなってどうしようもなくなったに違いありません。
わたしたちもこっぴどく怒られましたが、怒られただけで済んで良かったと思います。
ところで――。
この話がようやく笑い話になった頃、わたしたちの小学校では、カエルの呪いの話がいまだに現役で生きていました。
話も少し変化していて、「男の子の指先が死ぬかわりに、カエルは触ったところから生き返った」というものになっていました。だから、完全に生き返ろうと少し動いているのだとか……。
大人になった彼にその話をしていた人たちは、彼の顔がややひきつっているのを見たといいます。
とはいえ彼の指先は手袋をしていて、確認できませんでしたが。
その下がどうなっていて、彼が実際はどうして蒼白になったのか。
誰も知らないのです。
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