怪ノ九十五 夜の調理室

 それは文化祭の準備でのことでした。


 私のクラスでは教室で焼きそば屋をやることになって、その準備に追われていました。

 部活などで出しものがある子は其方へ行ってしまうので、実際に動くのはクラスの半分くらいだったと思います。二十人にも満たない人数の人間が、それぞれ飾りつけや衣装、それから焼きそばを焼く練習などに勤しんでいました。


 七時を過ぎたあたりからちらほらと帰り始める人が出てきて、夜の九時をまわっても残っているのは、文化祭の準備委員くらいでした。

 他の教室もまだ灯りがついていたので、外が真暗でも怖いと感じることはありませんでした。


「よし、これで終わった!」

「たぶんこれでいいと思うけどね。あと、ここだけちょっと気になるんだけど」

「そんなの明日の朝やろうよ。今日はしっかり寝ておかないと」


 残った何人かで最後の点検をして、じゃあ帰ろう、という空気になったときでした。


「ちょっと待って。足りない道具があるから、明日は誰かが調理実習室にも行かないと……」

「ええ? そんな時間あるかなあ」

「ああ、じゃあ今のうちに私行ってくるよ。その代わり、片付けはお願い!」

「そんなこと言って~~。片付けサボる気でしょ?」


 とはいえ、私の申し出は他の子もありがたかったのか、非難ではなく笑い声でしたけど。

 道具の書かれたメモを貰うと、私は教室を飛びだして、廊下で作業している子たちの間を縫って速足で歩いていきました。


 教室のある棟はまだ残っている子や先生のおかげで、時間のわりには明るくてにぎやかでした。

 だけど、調理実習室なんかの特別教室のある棟は、反対に誰もいなくてしんと静まり返っていました。


 正直に言うと、少し怖かったのは本当です。

 なにしろうちの調理実習室には、怖い話がありましたから。


 それは、むかし調理実習室で火事があり、事故に巻きこまれて死んでしまった女の子が幽霊になって出てくる、というものでした。

 当然学校にそういう怖い話はよくあるものだし、ただでさえ人のいない教室というのは不気味だし、よくある話のひとつ、というふうにしかとらえていませんでしたけど。


 調理実習室にまで来ると、鍵は開いたままでした。

 他にも食べ物系の店を出すクラスはあるので、必要なものがあったときに取りに来られるようにしているんです。

 だけど電気は消えていたので、私は教室の扉を開けたあと、手探りでスイッチを探しました。

 ようやく手にそれらしきものが触れ、パチリと音をさせながらスイッチを入れました。


 ところが、しばらく待っても灯りがつかないんです。


「あれっ、電気切れてる?」


 おかしいなあ。廊下は電気がついてるし、停電ってことはないと思うけど……と思いながら、何度かスイッチを探っていると、ふと別のスイッチが手に当たりました。


 どうやら電気のスイッチの下にある、別のスイッチを押してしまっていたようでした。

 たぶん、換気扇のスイッチだったと思います。


 なあんだ、と思う反面、なんだか恥ずかしくなって、早いところ見つけて帰ろうと思いました。というより、早く帰りたいのもあって、焦っていたのかもしれません。

 窓から見える景色は真暗でした。

 学校は街中にありましたが、大通りから少し中に入ったところにあったので、灯りがほとんどなかったのです。


 まずは教壇に近づいて、文化祭用の借り物帳に何をいくつ持ちだすのかを書きとめました。学校の備品なので、書いておかないと紛失したときの処理だけでなく、今後食べ物屋台ができるかどうかにも関わってくるからです。

 学年と名前を書いていると、急に一瞬暗くなりました。

 電気が明滅したんです。


 思わず顔をあげました。


 でも、灯りはまたすぐにつきました。

 壊れかけてるのか、ひょっとしたらスイッチを入れたときに接続がおかしかったのかも。なんだか不気味なだけだし、さっさと調理道具を借りて戻ろうと思いました。教室棟まで戻れば、まだ残っている子たちもいるだろうし。

 私はそそくさと一番奥にある棚のほうへ向かうと、調理道具を探しました。

 メモに書かれたものを順番に近くのテーブルに出していると、再び灯りがバチバチと明滅しました。


 やだな、もしかして本当に壊れかけ?


 そう思って、電気のあたりをじっと見つめました。だけどしばらく見ていても灯りはついたままだったのです。私はさっさと持って帰ろうと、調理道具を腕に抱えて振り返りました。


 そのときでした。


 再び電気が明滅したかと思うと、教室の真ん中あたりに人影のようなものが見えました。


 ぎょっとして、思わず叫び声まであげそうでした。

 ――誰かいるの、と、自分でも馬鹿らしいと思いながら、つい尋ねてしまいそうでした。


 するうちに灯りの明滅は激しくなって、灯りが消えるたびに薄く入ってくる廊下の灯りに照らされて、何やらくろい人影のようなものが見えるんです。


 だけど、それは電気が消えている間だけのことでした。もしかしたら廊下の灯りに照らされて、何かの棚かなんかが人影のように見えているのかも――だけど、正体はわかりませんでした。家庭科室なら上半身だけのマネキンが飾ってあったりもしますけど、ここは調理実習室。同じ家庭科の範囲ですけど、やることはぜんぜん違いますから。

 私はそっと、人影の見えたほうに近づきました。


 だけど、周囲にそれらしいものはありません。


 気味が悪くなって、そのまま速足で立ち去ろうとしました。

 すると、ぶつんと音がして、暗くなったかと思った途端――。


「きゃあああっ!?」


 ――私は無意識に叫び、目の前が暗転しました。


 しばらくした後、私はクラスメイトに起こされて目を覚ましました。

 目を開けると先生もいて、みんな心配そうに覗きこんでいました。


 私の帰りが遅いのを心配したクラスメイトが、見に来てくれたようなんです。もしかして転倒して頭を打ったのかもしれないからと、先生もわざわざ呼んできてくれたようでした。そのあとどうやって家まで帰ったのか、その年の文化祭がどんなものだったか、もうおぼろげにしか覚えていません。


 あれは私の見た幻覚だったのか、いまだにわかりません。

 怖い怖いと思っているから、変なものを見たのかもしれません。


 ですが、今でも忘れることはありません。


 あのとき私は暗闇のなかで、じっとこっちを睨みつける、顔の焼け焦げた女の子の姿を視たのです……。

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