怪ノ九十一 呪われた楽譜

「ね、吹奏楽部の噂って本当なの?」


 あたしたちは吹奏楽部に入った友達に尋ねた。

 彼女の名前は――Aということにしておく。


「本当みたいだよ。噂だけはあるみたい」


 彼女がそう言うと、キャアッとこわがるような悲鳴があがった。

 吹奏楽部の噂は、こういう風にして毎年生徒の中に浸透していくらしかった。


 五月の中頃ともなると、それまで仮入部扱いだった一年生は正式加入になる。

 うちの高校は入学後、必ずどこかの部活に入る必要があって、一か月ほどは仮入部の扱いになる。仮入部中には兼部ができるかどうかを試したり、自分の思った部活かどうかを見ることができる。それで一か月くらいすると本入部になる。

 かといって、どこかの部活がどうだとかこうだとか、そうそう広まることはあまりない。

 でも、吹奏楽部の噂だけは一年生のほとんどに知られるようになっていた。


 噂というのは、吹奏楽部に伝わる呪われた楽譜のことだ。

 時代が時代なら、学校の七不思議あたりにカテゴライズされていたかもしれない。


 吹奏楽部には色々と楽譜があるらしいけれど、そのなかの一つに呪われた楽譜というのがあるらしい。

 その楽譜の曲を絶対に演奏してはいけない、というのがしきたりだ。

 なんでもその楽譜の持ち主が体の弱い子で、その楽譜に血を吐いて死んでいるところを見つかった。それ以来その楽譜を演奏すると、その子に呪われてしまう……というものだ。


 とはいえ楽譜だけは実在するらしく、吹奏楽部に入って実際尋ねたところ、保管されていた楽譜を見せてもらったという子もいるようだ。

 そのため、「単に汚れたのを持ちかえりたくなくて残していたところ、変な噂がたってしまった」のが現実的な解釈ではないかとまでいわれている。


 彼女は入ったばかりだというのに、得意になってそんなことを言った。

 学校の怪談的な話の真相を知っているというのをちょっと自慢したかったんだろう。


 当然あたしたちは、「見たい見たい」とせがんだ。


「んー、たまに見にくる子たちもいるらしいし、いいんじゃないかな」


 Aはそう言って、次の練習時間を教えてくれた。

 まだ大会やコンクールなんかのない頃合いだし、練習時間も短く終わるらしい。

 ただ、練習中は邪魔になるかもしれないから、練習が終わったあとにしようということになった。


 あたしたちはわくわくしていた。

 Aの言った時間帯よりも少し早く音楽室へと赴くと、先輩と思しき人たちににやにやされてしまった。

 もしかすると、こうやって毎年誰か見に行くことも多かったのかもしれない。


 他の部員が帰ったあと、数人で音楽室の中に入る。

 そうなるともうこっちのもので、音楽室の大捜索がはじまった。


「うーん、どれだったっけ?」


 見つかる楽譜は古いものではあるけど、よく知られた――たとえば古い有名アニメのオープニング曲だとか、クラシックみたいな、いわゆるお約束的な曲しか見当たらない。

 どれもこれも使い古されたものばかりだけれど、これだというものは見当たらなかった。


「実物見たんだよね?」

「見たけど、楽譜置き場って普段も使ってるから、どれがどれやら……」


 けれども幾つか楽譜入れを漁っているうちに、Aが、あった! と声をあげた。


「ほら、これだよ」


 みんな覗きこんだ。

 演奏不可――とそっけない字で書かれている古い本だった。

 タイトルは英語でさっぱりわからない。薄汚れていて、随分長いことここにあったことがうかがえる。

 ぺらぺらとページをめくると、色々と書きこみがあった。声があがる。こすったような茶色いシミがあったりして、それが不気味さを引き立てていた。

 しばらく楽譜を眺めていたけど、あたしは楽譜なんてさっぱりわからなかった。そりゃ音楽の授業でちょっとはやったけど、小難しいのなんてわかんないから。


「知ってる曲?」

「わかんない。タイトル無いし。一応これピアノ用の楽譜みたいだし、もしかすると弾けるかも」

「っていうか、吹奏楽の部活なのに、ピアノなの?」

「ハープとかの代用でピアノをやることもあるんだよ。それでなくても元からピアノのうまい子が担当することもあるし。楽譜くらいあるでしょ」


 そういうもんなのかな、とあたしは思った。

 それくらい疎かったから。


「ねえ、弾いてみてよ」


 あたしは特に考えずに言った。


「えっ……、大丈夫なの?」

「吹奏楽部で演奏するのが駄目なんでしょ? ちょっとくらいいいじゃない」


 楽譜を見てもさっぱりわからなかったし、タイトルもわからない。それならちょっとぐらい聞かせてくれてもいいじゃないかと思ったのだ。


「いいね、やろうやろう」


 Aはことのほかノッてくれた。

 他の子もこわがってはいたけど、他ならぬAがやるなら、ということでピアノの周りに集まった。 

 Aの手がピアノに乗り、楽譜を見ながら右手だけで主旋律を弾いていく。

 クラシックかなあ、と思ったが、残念ながら聞いても曲はさっぱりわからなかった。タイトルを知らなくても聞いたことはある、というような、有名な曲ではなかったらしい。


「うーん。何の曲かわかんないね」

「これ、本当に演奏しちゃ駄目な曲なの?」

「そうだよ。だってあらかじめ見せてもらったしね。絶対演奏しちゃ駄目だよ、って笑いながら言われたくらいだから。でも、本当に演奏したことはないみたいよ。最近の曲じゃなさそうだし、単に曲の選択肢に入ってないのかもしれないけど……」


 ほら。吹奏楽ってよくある曲と、最近の曲もやったりするでしょ、とAは続ける。

 Aはそのまま主旋律だけを四苦八苦しながら弾き続けるた。しばらくしたところで疲れてきたのか弾くのをやめると、大きく伸びをした。


「それで、呪われた?」


 誰かが聞くと、爆笑が起こった。

 呪われるにしては拙い音楽だったし、演奏しているという感覚もなかった。A自身も楽しそうに笑っていて、呪われた実感はなかった。


 結局それでお開きになって、あたしたちは家に帰った。

 呪われた楽譜のこともすっかり忘れてしまったのだ。


 ところが翌日になると、Aは学校に来なかった。

 どうしたんだろうね、と話していると、なんとAは学校に来る途中でトラックにはねられて病院に運ばれ、そのまま死んでしまったというのだ。

 犯人(というか加害者)はいつも決まった時間にそこを通るトラック運転手で、その日に限って飛びだしてきたAを避けきれずに民家に突っ込み、運転手自身も重体らしい。

 Aがそんなに急いでいたわけはわからないが、いつもと同じくらいの時刻に家を出たし、急いでいた様子は見受けられなかったという。ひょっとすると信号を無理やり渡ろうとしたのかもしれない……とのことだった。


 あたしたちは顔を見合わせた。

 これは偶然だろうか?


 片手でおぼつかない様子で呪われた楽譜を弾いただけのAが、次の日にあっけなく死んでしまうなんて。

 葬儀に出席しながらも、呪われた楽譜のことは言えなかった。


 ……おまけに、話はこれでおしまい、とはならなかった。


 後日、あたしたちは吹奏楽部の部長だという人たちに呼びだされることになった。


「ねえ、もしかしてAって……呪われた楽譜を弾いてみたわけじゃないよね?」


 あたしたちはどきりとして、思わず顔を見合わせた。みんな顔が真っ青だった。あたしもきっとそうだったんだろう。血の気が引いたような気がしたから。

 違うともそうだとも言わないあたしたちに、部長さんはこう言った。


「下手に笑い話なんかにしなきゃよかったね……」


 それ以上は何も聞かれず、急に呼びだしたことを謝られて帰された。

 あたしたちも何も言えなくなって、そのままそそくさと学校から帰った。


 あたしたちも次第に話さなくなり、夏休みが終わるころにはそれぞれ違うグループにおさまっていた。そうしてあの楽譜のことは絶対に口にしなくなった。

 だけど、誰かが事故にあったとか巻きこまれたとか聞こえてくるたびに――あの楽譜のことを思いだすのだ。


 ――いまも、あの吹奏楽部にはまだ楽譜があるらしい。

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