怪ノ八十五 オオムカデ

 俺が昔通っていた小学校は田舎にあったせいか、ムカデがよく出没した。

 学校の裏山も「ムカデ山」と呼ばれるほどで、祖父もたびたび「あそこの山には悪いもんが棲んどる」と言っていた。


 そのためか、当時の小学校に当然のように存在した七不思議にも、当然のようにムカデが登場していた。


 それも、学校の中を巨大なムカデがはいずり回り、子供を食うという類のものだ。

 ここまでくると七不思議というより妖怪だ。


 他に噂される七不思議が、花子さんや赤マントなんかの、他の学校でもよく知られたものばかりだったのに対し、巨大ムカデだけが異彩を放っていた。

 そのうえ、他の七不思議は忘れられやすいが、巨大ムカデだけはみんなが知っている、という奇妙な現象まで起きていた。


 とはいえ実際のムカデも肉食で凶暴。

 しかも学校に置いてある体操袋や雑巾の裏側なんかに隠れていると、噛まれる危険性も高まる。毒も持っているし、巨大ムカデでなくとも普通に危険だった。その警告の意味もあったんだろう。


 そのため、裏山に行くよりも学校側で遊ぶほうが多かった。

 学校側も裏山に入られるよりはいいと思ったのか、「校舎の中に入らない」のを条件に校庭を開放していた。残っている教師陣がある程度遊んでいるのを監視できるのも保護者の安心感につながったからだろう。。

 その日も授業が終わって一度家に帰り、ランドセルを放り投げると、再び学校に向かうという移動ルートをとった。その頃はゲーム機を持っている奴も結構いたものの、そもそもちゃんと遊べる場所があるというのはでかかった。

 都会のほうだと公園はあっても、遊んでいるとウルサイと怒鳴られたりする、というのが都市伝説的に伝わっていた。


 学校で借りたボールをなんとなく蹴り合いしているうちに、近くのゴールポストまで行くという、サッカーのようなそうじゃないような遊びを繰り返す。

 最終的にサッカーのうまい奴が二人くらいの取り合いになるので、他の奴らは抜けて隅っこで見ていたり、ゲーム機を持ってきた奴はゲームをしたりと色々だ。


「あっ」


 誰かが声をあげたので振り向くと、そいつは学校の玄関口のところを見ていた。


「どうした?」

「ムカデがいたんだけどさ、学校の中入っちゃったよ。ほら、あそこの隙間。ドアのとこ」

「あんな狭いとこから?」


 虫っていうのは僅かな隙間からも入りこんでくるから。実際、あんなとこにも隙間があったんだと思うくらいだった。

 そのあとは気が済むまで遊ぶと、夕暮れ時になってそろそろ帰ろうということになった。喋りながら帰ろうとしたところで、俺はふと思いだした。


「あ、俺、宿題忘れたわ。先帰ってて」

「どこに?」

「学校」

「あ~、やっちゃったな~」


 こういう時急に冷やかしてくるのは、やっぱり見つかったら怒られるからだ。


「怒られんぞ~」

「平気、平気」

「巨大ムカデが這ってたら教えてくれよ!」

「おう! 俺が倒すわ!」


 そんな会話をしたと思う。

 巨大ムカデの七不思議はそんな風に、面白半分、怖がらせ半分みたいな感じで使われていた。おかしいよな、他にも七不思議はあるのに。

 だけどやっぱりいの一番に話にあがるのは巨大ムカデなんだ。


 学校内にそっと忍びこむと、夕暮れ時の学校はひやりと冷えていた。

 誰もいない学校に入るってだけでちょっとわくわくしたもんだ。肝試しっていうのかな。それで、わざと抜き足差し足で行ってみたりした。自分が忍者か泥棒になった気分だったさ。

 教室に辿り着くと、自分の机のところに行って、中に乱雑に放り込んだプリントを手にした。

 時間を見ると、まだ五時前。


 そうだ、と思いついて、教卓へとすっ飛んでいった。鉛筆を取り出して、そこでプリントを終わらせようと思ったんだな。

 簡単な漢字の問題だったから、あってるとかあってないとかじゃなくて、終わらせればいいやって感じだった。そこで先生の机に提出しておけば、俺が一番だ。先生にもほめられるかもしれないし、家族にも一目置かれるかもしれない。

 それもあって、少しだけそこで身を隠しながらプリントをやっていた。

 子供の浅知恵だな。


 そんなことをしていて、しばらく時間が経った頃だった。

 突如廊下から、ガサッ、という妙な音が聞こえた。

 思わず驚いて振り返ったよ。さすがに先生に見つかったら怒られるだろうから。だけどそれ以上音はせず、誰かいるんだろうかと廊下を見るが、誰もいない。

 首を傾げてまた教室に戻ると、やっぱり音が聞こえた。どうも不揃いな足音のようにも聞こえる。大人が集団でやってきたのかと思ったが、こんな時間に何をしにきたのだろう。

 そう思って、そっと教室の扉を開いたそのときだった。


 しゅるる、という音がして、目の前に巨大なムカデの体が見えたんだ。

 自然界の巨大さなんてたかが知れてる感じだったよ。

 それこそ子供を丸のみにできそうなほどだった。

 怪獣と言ってもいい。

 廊下を埋めつくさん勢いだった。ムカデの尻尾の……ハサミみたいになっているところが、ゆらゆらと揺れていた。

 目をこすってから、心臓がばくばくいうのを感じたよ。とにかく恐怖というより逃げなきゃいけないってのが先にきたんだ。

 見つからないように、そろそろと移動をはじめると、足元でぶちっと音がしたんだ。


「うわっ、わっ」


 泣きそうになりながら足元を見ると、そこで普段のサイズのムカデが死んでいた。廊下には普通のムカデもたくさんいたんだ。うじゃうじゃとね。

 その拍子に、置いてあったバケツを倒して音があがった。すると、向こうのほうにあった巨大ムカデの頭が暗闇から姿を現したんだ。


 こう、さ、子供向けのホラーアニメって、ちょっとデフォルメされてたりするだろう?

 そんなもんじゃなかった。

 ムカデをそのまま巨大化させたようなグロテスクさだったよ。

 なんでこんなものがここにいるのかわからない。


 いくら七不思議のひとつだって言ったって、限度があるってね。


 俺は一斉に駆けだした。

 うしろから追いかけてくる気配があったよ。足元ではムカデを踏んづけてまわって、気持ち悪いなんてものじゃなかった。そのムカデも俺の足をのぼってこようとするし、もう泣きたかった。

 こんなに誰かに助けを求めたかったことなんてなかった。


 足はべちょべちょするし、油断すれば、ムカデの波に飲みこまれて食べられてしまいそうだった。


「はあっ、はあっ……!」


 なんとか階段までたどりついて、転げるように下に降りようとした。

 だけど、階段の下にはあろうことか、ムカデが海のようにうじゃうじゃとしていた。今までの比ではなく現れて、吐きそうだった。

 うしろからはあの巨大なムカデのガシャガシャというか、ガサガサいう音も迫ってくる。本当にどうしたらいいかわからなかった。


 そのときだ。

 聞いたことのある声が、俺の名を呼んだんだ。

 ちょっと怒ったように自分の名が呼ばれている。

 祖父の声だ。


 たぶん、中々帰ってこないから迎えに来たんだと思う。

 その声を頼りに一気に階段を走り抜けた。ムカデがどれだけいようが、その海の中にどぼんと飛びこんで、泳ぐように下へ下へと向かったんだ。そのムカデの海の上を滑るように、巨大なそいつがじっとこっちに口を向けていたよ。

 俺の口や耳の中からもムカデたちは入ってこようとした。


 階段から転げ落ちて廊下を曲がると、玄関口に祖父が立っていた。

 いつまでふらふらしとんじゃ、と言いかけた祖父に、パニックになりながらしがみついた。


「じいちゃん、じいちゃん!」


 どう説明したのかはわからないが、とにかく、七不思議が、とか、オオムカデが、とか言った気がする。

 とにかく逃げないとまずい。

 うしろからはあいつが追ってくる。


「ムカデがいるんだよ! 大きな! 早く逃げないとおっつかれる!」


 たぶん俺はそう叫んだんだと思う。俺の耳には波のようにやってくるムカデの音が聞こえていた。

 見上げる祖父の顔がみるみる真っ赤になっていって、ぶん殴られるんじゃないかと思ったよ。だけど、祖父は俺の肩を押しやって前に出た。

 そして、学校に落ちた暗闇に向かって叫んだのだ。


「山に戻りやがれ、約束を忘れたか!」


 訛りのきつい声は廊下じゅうに響き、びりびりと空気を揺らした。


「今度うちの子供に手ェ出したら承知しねえがんな!」


 そんなようなことを叫ぶと、急にガサガサいう音が遠ざかっていった。

 それは確かに裏山のほうへと消えていったと思う。窓から見上げると、黒く染まった木々がメキメキと音を立てながら揺れていた。まるで草かなにかを掻き分けるようだった。


 祖父はどこか苦々しい顔をしていた。

 俺に対して怒っている時ですらしたことのないような、そんな顔だった。


「ほれ、帰ンべ」


 その声で我に返ると、俺は放心したまま差し出された手を握った。

 大きくて皺だらけの手は温かく、しばらく連れられてからようやく現実に戻ってきたような心地がした。家に帰ると、いったいどうしたのかと尋ねる母にはこう言ったんだ。


「山ンながでまよっどっだ」


 俺の服は予想以上に泥だらけだった。まるで山の中にいたみたいに。実際にいたのは学校だったのに。母親も、祖父がそれ以上何も言わないので信じたようだ。

 一方の俺はというと、何も聞いてはいけないような気がして、そのまま小学校を卒業し、中学を卒業した。そのころにはムカデのことなんて忘れていたよ。あれは悪い夢だったんだと思うようになっていた。


 ただ――。


 ただ一度だけ、高校に入ったばかりの俺に、祖父が尋ねてきたのが印象深い。


「おめえ、高校出たらどうすんだ」

「どうって、まだ決めてないよ。高校だって入ったばっかだし」


 高校は電車通学で、都会に近かった。

 周りが田んぼや日本家屋ばかりではない雰囲気に舞い上がり、未来をどうするかなんて考えもしなかった。


「ほうか。そンなら遠くへ行け。あの山のもんは生贄を探しちょる」


 俺は思わずドキリとした。

 あの日の出来事が悪夢ではないといわれたようだった。


「今はええが、おれがおっ死んだらどうなるがわがらん。そのまえにおれがどうにかしちゃるけん」


 どうって、どうするの、と聞くことはできなかった。

 もしかすると、あの巨大ムカデは――山の妖怪かなにかが、学校の七不思議のひとつとして数えられてしまったんじゃないかと、そんなことまで思ったよ。


 話はこれで終わりだけれど、まだ少しだけ続きがある。


 晩年の祖父は認知症が悪化し、施設に入ることになった。半年近くかけて検査や施設選びをすませ、いざ入所という二日前に逝ってしまった。

 それというのも、家族が見ていたにも関わらず、ほんの数分の間に出かけてしまったのだ。おかしなことに、外に出ていたはずの誰もその様子を目撃することなく山の中に分け入り、そこで死んでいた。

 もちろんそれだけなら、単なる事故で片付けられるだろう。

 だが、死体はあちこちムカデに噛まれたような跡がついていたのだという。

 表向きには、徘徊がはじまってふらふらと山に入ったところで毒でやられたんだろうということになった。


 けれど――。

 もしかすると祖父は、最後の理性であの山に自ら生贄になりにいったのかもしれない。

 せめてあの山に棲むモノの正体について聞ければよかったのだが、もはやそれも叶わなくなってしまった。


 あれから数年が経った今、町の統廃合で裏山が再開発されることになったらしい。

 新たな住宅地を作り、学校も新しく建て直す予定だそうだ。


 あのオオムカデは再び姿を現すのだろうか。


 現したのなら――それがただの七不思議であることを祈っている。

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