怪ノ七十四 路傍の石
「相談があるんだ」
高田から話しかけてくるのは初めてだった。
それでも承諾したのは、高田が今にも死んでしまいそうなほど追い詰められた表情をしていたからだ。無言の圧というのか、頷くしかなかったというべきか。
まあともかく、それで高田の家にまで行くことになったわけだ。
高田はクラスメイトの一人だったが、誰かとつるんでいるところを見ることはなかった。他のクラスに友人がいそうな気配も微塵もなし。いじめられることもないがつるむこともない。たいていいつも窓際の自分の席で本を読む、空気のような奴だった。
とにかく家にまで来てほしいというので、道すがらなんとなく聞きだしてみた。
「隣のクラスの……、水瀬さんってわかる?」
「おう。知ってるけど」
これまた話したことはないが、綺麗な子、というのは知っていた。大人しめだが女子の中でもカワイイと評判らしい。最近は学校を休んでいるとのことで、余計に噂になっていた。
「僕、……彼女と付き合ってたんだ」
「……嘘だろ?」
「言うと思った。……これ」
高田が見せてくれたスマホには、水瀬とのツーショットが収められていた。
有名な遊園地や繁華街で、アイスクリームやぬいぐるみを手に自撮りされた写真。
水瀬はともかく、高田もどこかはにかむような笑顔で、思わず笑いそうだった。緊張しすぎというべきか。いずれにせよ今時の高校生カップルにしては健全すぎて眩しいくらいだ。
「へえー、知らなかった。でも、お前がなあ」
スマホを返却しながら、ついつい声に出てしまう。
「幼馴染なんだけど、お互い騒ぎにしたくなかったし。呼び方も苗字にしてる」
「いや、いいんじゃねえの。仲良さそうじゃないか。最近学校来てないって話だったけど、それが原因か?」
「まあ、関係あるといえばあるよ」
「まさかとは思うけどよ、妊娠とか――」
「それはないよ」
「じゃあ、何なんだ?」
家まであがらせてもらって、部屋に通されたとき。
それはあった。
普通は家の中にはあまり無いものだ。
「……なんだこれ?」
それは見たところ巨大な石というしかなかった。
質素な部屋の真ん中に、敷かれた毛布の上にそっと乗せてある。
「……水瀬の家庭はちょっと複雑で。親御さんが離婚したあとに来たお母さんって人が、あんまり水瀬のこと良く思ってなくて」
「は?」
「弟ができたあとはずっと顕著になって、ある程度存在は許されてるけど、ずっと無視されているような状態。それで、僕の部屋に避難してくることがあったんだ。水瀬は」
そこで一旦言葉を切る。
「――私の存在は路傍の石のようなものだってずっと言ってた」
「ちょ、ちょっと待てよ。話が全然わかんねえ」
「確かにそこに存在するけれど、あってもなくてもいいようなもの。この間、水瀬が来たとき、ひどく泣いてたんだ。何があったかまでははっきり聞けなかったけど、彼女がぶちまけた言葉は、自分の存在を否定するようなものだったよ。僕はそれにだんだん苛々としてきて、少しきついことを言ってしまった。毛布だけ投げてふて寝してしまったんだ。そしたら……」
朝起きたときには、水瀬がいたはずの場所にこの岩があった――そう続けた。
「え? はは、なんだよそれ。できの悪いホラー映画か? つまりお前は、水瀬が石になっちまったって言いたいのか?」
「水瀬の行方はわかってないんだ。学校では隠されてる」
「いや、その――なんだよ、それ? ホラー映画じゃあるまいし。別にこんなもの……」
悪戯か冗談かと思って石に触れた瞬間、ぎょっとして手を離した。
妙に生暖かく、堅くあるのに生きているようでもあったからだ。
「そっと触ってみてくれ。たぶん、わかると思う」
俺は抗議の目を向けたが、高田は無言のまま見返してきた。
今の感触を思い返しただけでぞっとする。多少どころではなく抵抗感があった。それとも、高田の話を聞いたから震えているだけだろうか。
いや、待て、もしかすると今のは交流のないクラスメイトを脅かすための悪戯だということも考えられる。
仕方なくゆっくりと手を伸ばす。高田に脅かされるんじゃないかと身構えてはいたが、奴の目は真剣だった。
冷たいはずの石に指先を伸ばし、ちょんと触れる。
そこから次第に掌をくっつけていく。掌がすべて石に触れたころには、明らかに人と思える体温を感じていた。それどころか、どくん、どくん、と石の中のほうから脈動さえ感じる。
「嘘だろ? なあ、はは……これ、うまくできてるじゃないか。それで、本物の水瀬はどこにいるんだ?」
たぶん俺の顔は真っ青だったと思う。触れる時より離す時のほうがずっと素早かった。これがよくできた精巧な石だったとしても、それほどまでに触れていたくなかったのだ。
――それに。
なんだかよくわからないが――。
妙に、石が、触れられるのを拒否しているみたいで――。
再び背中に冷たいものが走る。
「僕は水瀬にひどいことを言ったんだ。そうして彼女は石になってしまった。それは覆らないんだ。……だから、きみに頼みがある」
高田は俺の見ている前で、石をそっと抱え上げた。
押し入れを開けて、空っぽの上段に座りこむ。石を膝において、何よりも愛しいものであるかのように撫でた。
「僕は彼女と一緒にいる。だから、もし……僕が石になってしまったら、回収して海に流してほしいんだ。そうすれば、色んなところに行けると思うから」
――イカレてる。
俺はそう思いながら、頷くしかなかった。
高田は真剣な表情だったし、茶化すような空気にもなれなかったからだ。
「そうか。こんなおかしなお願いをきいてくれて、――ありがとう」
その言葉を最後に、高田は押し入れの扉をしめた。
唐突に部屋が静寂に包まれた。俺の額からは季節外れの汗がぽたぽたと流れ出し、一刻も早くここから逃げだしたかった。
明日になったらきっと高田からネタバラシをされることを期待して。
次の日、高田は学校に来なかった。
代わりに、俺は教師の一人に呼び止められ、人のいないところへ誘導された。何かしたかと戸惑う俺に、教師は落ち着いて聞くように言った。
「お前、高田のことなにか知らないか?」
「高田?」
「ああ。……ここだけの話、家からいなくなったらしいんだよ。お前、前日に会ってたんだろう。何か聞いてないか?」
今にも心臓が飛び出そうだった。
自分の鼓動が感じられる。昨日のあの感触を思いだすようで嫌だった。
「そ……そうなんですか。なんか、昨日の今日だからめっちゃ驚いて……」
「実は、隣のクラスの水瀬って生徒も一週間くらい前から行方不明でな。二人は幼馴染らしくて、何か関係があるのかと思ったんだが……」
特に変わった様子はなかった、昨日はちょっと借りものがあったとかしたから、と答える俺を、教師が信じたかはわからない。だが最終的には諦めて釈放した。
俺は、高田が水瀬を連れて家出をしたのだと信じている。
そうしないと俺がおかしくなりそうだったからだ。きっとどこかで末永くよろしくやっているに違いない。家から逃げだした自分の恋人を連れて、逃げ出したのだ。高校生にしては純粋な二人が主人公の、映画のように。
だが、万が一ということもある。
俺は大きめの鞄を隠し持ち、高田の家までいくことにした。言い訳はどれだけでも立つだろう。そうして、あの石を回収し、海に放り投げるのだ。
馬鹿だな、と思いながら。
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