怪ノ六十九 蜘蛛
奴を虫好きと言ってしまうと、顰蹙を買うだろう。
それほどまでに、クラスメイトの佐崎は趣味が悪かった。
佐崎のご執心しているものがクモだということではない。
むしろ、クモが好きというだけならば――それがモチーフとしてなのか、生き物としてなのかは別として――結構いる。ハロウィンになれば当然のようにクモモチーフのグッズが売りだされるし、ゴスロリやロックパンクにもおなじみだろう。
ハエトリグモをカワイイという感覚もわからないでもない。
益虫だからと軍曹などと囃し立てて放任しておく者もいるときく。
ところが、佐崎ときたらそういった愛着は一切なかった。
学校の隅でジョロウグモを捕まえては、その足を一本ずつ千切って分解するのが趣味という、かなりの悪趣味を持っていた。
偶々目撃したものが何をしているのかと覗きこんで息を飲むと、佐崎はニコリと笑いながら楽しそうに足をちぎるのを見せたという。
「いやさ、どうにも止まらないんだよねえ」
せめて家の中でやればいいものを、学校の片隅でやるものだからたまったものではない。花弁をちぎる占いじゃあるまいし、一本ずつ丁寧に抜いていくなど正気を疑う。
見せつけられた目撃者のなかには、クモが苦手になったと訴えるものもいた。元々のクモへの感情如何に関わらず、げんなりするのが理由のひとつだ。
どうにも佐崎はそういった虫への悪戯を小学校で卒業してこなかったとみえる。
佐崎の悪癖を知る者は遠巻きに彼を扱った。
しかし佐崎が平然と学生生活を謳歌できたのは、ひとえにその外見がごく普通の、もっと言えば良いほうの部類に入るのが要因だった。
そりゃまァ、ヤバイ奴が漫画みたいな見た目の、目に見えてヤバイ奴として生まれ落ちていれば、誰しも苦労しない。
外から見ている分には佐崎は勉強熱心で真面目な生徒だったし、休み時間に不必要に喋らず本など読んでいるさまも、いわゆる「良き生徒」だった。先生受けも良く、しかも佐崎は人目を憚らず趣味に没頭しながらも、決して自ら表ざたにすることはなかった。
その悪癖に遭遇したことがなければ、佐崎に向けられた噂はピンとこなかったのである。
これが佐崎へのイジメに発展しなかったのは、その見た目の普通さとのギャップに皆不気味なものを感じていたからに他ならない。
私だってその悪癖を知らなければ、ごく普通のクラスメイトにしか見えなかったのだ。
それでも何とか日常は過ぎていった。
ある日に転校生がやってくるまでは。
季節外れの転校だが、最初は父親の単身赴任の予定だったのが色々と変更になったとかそういうことを言っていた気がする。
とにかくそのへんは、覚えていない。
何しろ転校生は女生徒で、なかなか可愛かった。
内面はともかく、外見においては男女問わず仲良くなりたいと思わせるような容姿だったのだ。
「じゃあ、そこの席に」
だが、私を含んだ全員が黙りこんでいた。
転校生の隣があろうことかあの佐崎だったのである。
先生は時間を食ったからとそのまま一時間目の授業を始めた。
今日の一時間目が自分の担当なのはラッキーだったと言っていたが、私たちにとってはまさにアンラッキーだ。
何しろ件の転校生があの佐崎の隣で、その優しそうなフェイスに騙されそうなのだから。
全員がはらはらとした心境で時折ちらりと転校生を見ていたが、傍目にはなれない環境に戸惑う少女と、それに対してきっちりと、そして優しく振るまう同級生という構図だった。
「ねえ、あの子やばくない?」
当然、何とかしようという風潮は出る。
あの佐崎はヤバいのだ。
転校生にとっては転校初日の不安をぬぐい去ってくれた初めての男の子。
おまけに見た目もそう悪くないときては、速攻で仲良くなってもおかしくない。
それでも、佐崎と仲良くしないほうがいいと遠回しに警告する者が出た。
「どうしてそんなこと言うの?」
「いや、それは……」
「あんまり私、そういうの好きじゃないな……」
結果的に、遠回しに告げるのは転校生にあらぬ誤解を招くだけだった。
転校生はますます佐崎とだけ喋るようになっていった。
「ねえ、美悠、何とか言えないかなあ……」
困った末に、なぜか私のところにまで話が回ってきたのだ。
それまでもトイレや誰もいないところに呼びだして転校生にそれとなく言ってきたのだが、やはり直接言わねば意味がない。
理由は簡単だろう。
私が初期からそのことについて唯一言及してこなかったからだ。
「まァ、わかったよ」
私はしぶしぶ承諾した。
「でももし、私が言ってどうにもならなかったら、可哀想だけども放置しておくしかないかもね」
「うん、その時はね……」
転校生も警戒心を抱かないだろうし、失敗しても私が嫌われるだけになる。それも癪だが、なぜかこういう面倒なことは私に回ってくる。
私はその日のうちに転校生を呼びだした。
面倒なのは早いうちがいい。
「クラスメイトの……えっと、ごめん。美悠ちゃんって呼ばれてるのは知ってるんだけど」
転校生は私のことも曖昧だった。
「佐崎と中よくするのはやめたほうがいいよって言いにきた」
最初のうちは不思議そうだった彼女も、私が切りだすと「またその話か」というような微妙な顔をした。
それでも、たのまれたことはやらねばなるまい。
「そりゃ佐崎は外面はいいよ。だけど、あいつ趣味が悪いんだよ。見たことがないから嘘かもしれないと思うけど、あいつはクモの足をわざわざ引きちぎるのが趣味なんだ。そりゃ、部屋に出た蜘蛛をつぶすことはあるけど、もうそういう次元じゃなくて――わざわざ外で自分から捕まえた奴を足をちぎってるような奴なんだよ」
一気に言うと、転校生はぽかんとした顔をしていた。
表情が読めない。
ただ、なんといわれるかと覚悟していた。
少しだけうつむき、言葉を探しているようだった。
「……今日、佐崎君のところに行くことになってるから……」
なんと。
高校生とはいえ、二人の仲はそこまで急接近していたのか。
とはいえ嫌われ者だが優しい彼と、それを遠巻きに見られる転校生ではいつの間にかそんなことになっていてもおかしくはない。
「確かめてみるね……ありがとう」
ありがとうなどといわれるとどうにも心苦しい。
そういう意味ではないのだ。
私はそこから放課後まで彼女と話さなかった。
それでも多少心配になったのは、彼女がショックを受けないかということだ。
なんとなく理由をつけて、図書室で適当に時間を潰したあと、私は佐崎の家まで行くことにした。
佐崎の家は下校途中にあって知っていたので、別に途中で様子を見るだけ見てもおかしくはない。
私は言い訳をしながら、なにげない風を装って家を見上げていた。
すると――家の中はしんと静まり返っていたが、急に扉が開いた。
ぎょっとしたが、すぐにそれが転校生だとわかった。
彼女はニコリと笑いかけた。
「美悠ちゃん?」
転校生はぞっとするような表情で私を見つめた。
瞳孔が開き、一度も瞬きをしてない事にはすぐに気付いた。背中に悪寒が走る。
「教えてくれてありがとうね。おかげですぐに見つかったわ。こいつがそうだったのね」
「……なに?」
恐る恐る、家の中を見ると、そこには手足があらぬ方向に曲がった佐崎が、巨大な蜘蛛の巣に絡まっているのが見えた。
「こいつが私の母様や兄弟の足を、一本一本抜いて殺したの。何の理由もなく、自分が楽しむためによ。私は絶対に許さないわ」
私は無意識に足を下げ、そう、とだけ小さく言った。
転校生はそんな私にニコリと、年齢に見合わぬ、妖艶ささえ感じる表情で笑いかけた。学校で見せた表情とはまた違っていた。
「た、たすけて、たすけてくれ、ゆるし……」
小さくそんな声が聞こえたような気がしたが、転校生が素早く扉を閉じると、声はもう聞こえなくなった。
「それじゃあさようなら、美悠ちゃん」
私は背を向けて逃げだした。
二度と二人に会うことはないだろう。
事実それ以来、二人の姿を見ることはなかった。
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