第3話風車

「今になって何故。理由が分からない。年のせいだろうか」

 彼は母親の変調を福地に訴えていた。

 福地は玉城と彼の応接室で向かい合っていた。彼は玉城の話を予想していた。

 応接室には華美な飾り物はなく、棚の上にシーサーというライオンを抽象化した焼物が飾ってあるだけであった。シーサーは昔から家や一族の守り神として、家々の屋根の上に城のシャチホコのように飾られていた。彼の視線がその置物に向くのを福地は見逃さなかった。六十歳にちかい玉城の顔を苦悶で歪んだ。彼はここ数週間というもの無限の円周の上を歩くように、終わりのない考えを巡らしている。

 二人は正面から向き合うのではなく対角に座っていた。福地は沖縄出身ではないが那覇市で精神科の病院を開業している。彼は沖縄で生活を始めて長かったが、彼と玉城は沖縄に来た時からの友人であった。

 みやげ屋を営む玉城が奇妙な格好で母親と一緒に空港の近くの拝所(おがんしょ)に通っているという噂話は仲間中で広まっていた。

 もちろん軽蔑を含んだ噂だった。

 話を要約すると次のようになる。

 玉城は昔の子供が着ていたような青い半ズボンと白い開襟シャツと姿で、母のカメは古いモンペ姿という奇妙な姿で拝所に通い続けている。二人はいつも赤い風車を携えてきて、帰る時には基地の金網にそれを差し残すという噂であった。

 二人とも何を望む祈りか誰にも応えようとしなかった。

 もともと沖縄では風車をカジマャーと発音するが、風車自体に特別な意味を感じているようである。あるいは輪廻の思想を庶民に伝えるための重要な道具だったかも知れない。

 人間は八十を境に幼児に帰っていくと信じられいて、八十になった老人をカジマャーという祭りを開き、村を挙げて盛大に祝福したりもする。

 福地は玉城の母のカメとも面識があったが、彼女は簡単に神頼みに走るような女ではない。

 噂が立ってから、精神科の開業医である福地は関心を抱いていた。そして玉城からの申し出を密かに待っていた。


 拝所とは一種の霊所である。

 島内には幾つもの拝所があるが、二人が通うのは空港脇の米軍の施設内にあった。正面に那覇港が広がっている小高い緑の丘の下に小さな洞窟がある。

 福地も一度、中をのぞき見たことがあるが、薄暗く神秘的な雰囲気が漂っていた。暑い盛りであったが、洞窟の中からかすかな風が吹き出していた。この洞窟は那覇空港の前に広がる海とつながっていると言われていた。

 最近では空港や那覇港に近いことも手伝って島外に出たまま、行方不明になった肉親を捜す時に効能があると信じられるようになっていた。


「どうした」

 福地は初めて口を開き、一向に本題に入ろうとしない玉城の言葉をうながした。

 彼は福地を目の前にしても整理できていなかった。

「疲れているようだな」

 玉城の疲労困憊ぶりは福地の目に余った。

 福地の言葉で彼は少し心のゆとりを余裕を回復した。

「邦雄が生きていると言い始めて」

「邦雄?」

 玉城とは二十年近く交際を続けているが、福地が初めて聞く名前であった。

「実は弟がいたんだ。戦争で島の南に方に疎開する途中に死んだ。自分も小さかったからよくは覚えていない」

「あれから四十年たっているのだよ」

「母は心の底では邦夫を死んだと認めていなかったとしか言いようがない」

 玉城は活気のない鈍い動作で、立ち上がり、部屋を出ていった。

 彼は古いアルバムを持って来た。

 待つ時間は重々しく窮屈な時間だった。

 写真の中心には若い女性が映っている。

「カメさんか」

 若い頃のカメである。かすかに今にも通ずる印象が残っていた。

「美人だったんだな」

 彼女はモンペ姿だった。

「拝所へ行く時のモンペ姿は邦夫と別れた時の姿に合わせるためだ」

 と玉城が解説した。

 疑問の一つが解けた。

 その両側二人の子供が立っていた。

「小さい方が弟の邦雄の弟だ」と玉城は指差した。

 カメが拝所にいつも残す赤い風車の意味もすぐに解った。二人の子供は赤い風車を小さな手に風車を握りしめていた。


「昭和十九年十月の大空襲で那覇の町が全焼する直前に撮った写真だ」

 写真屋をしているカメの主人が日本軍に徴用される直前の写真でもあった。

「世間体を考えて止めてくれと言っても聞き分けてくれない。他人にうち明けると拝所参りをする効能が薄まる信じている」

 福地もカメの男まさりの性格は知っていた。


「畑の畔に隠れ、家族四名で那覇市から南の糸満の方に逃げる途中だった」

 これまで玉城は戦時中の体験談を話そうとしなかった。福地が好奇心で聞こうとしても、柔らかく彼は福地の申し出をかわした。しかし、今彼は言葉を選びながらたどたどしく話し始めた。

 細長く狭い島の中でのことである。

 南へ逃げるか北へ逃げるか二つに一つの選択しかなかった。他の住民と同様、彼らも南へ逃げた。

「畑の畔道は死体で埋まっていた。

 死体の頭は南を向かっていた。まるで南への道標の役を買っているようでもあった」

「丁度、那覇の南の豊城という村を通り抜けてる途中だった。容赦なく砲弾が落ちた。疲労と恐怖心で感覚も麻痺していた。自分の近くには砲弾など落ちてこないと信じきっていた」

 彼は大きく息を吸った。そしてため息をついた。

「やられたのですな」

 他人事のようにあっけなく、あっさりと彼は言ってのけた。彼の全身から急に力が抜けてしまったように見えた。

「それまで無事に逃げおおせていたのに。あっけないものだった。どこから飛んで来たかも分からない一発の砲弾に地面に叩きつけられ、気がついた時には、そばに血まみれになった伯母が倒れていた。彼女は胴体を切り裂かれていた。子供の私が見ても駄目だと解った。母と私は軽い傷で済んだ。だが何処にも弟の邦雄の姿もなかった。周囲に亡骸をなかった。大事にしていた風車だけが無傷で畑に落ちていた」

 そして砲弾の破片の実物をを見たことがあるかと突然、彼は福地に聞いた。

 福地は黙って頭を横に振った。

「凄いものですよ。丁度、手の平ほどの大きさで、まるで触れただけで皮膚を切り裂きそうな鋭い刃をしている。しかも、どの破片も骨もぶった切ってしまいそうな斧のような形なのです。そんなものでやられたのだから祖母の死体も惨状も想像できるでしょう」

 彼の周囲には暗い闇と深く淀んだ空気が漂っていた。虚無と退廃が彼の姿に満ち溢れていた。性格的に崩れかけ堕落をしかけた男の姿だった。

 五十数年も経った、今でも近くに砲弾が落ちる時のキュウルキュルという甲高い音と、その後の全身を揺るがすような鈍い破裂音を夢に見ると彼は言った。


 福地は沖縄に来た当時に当時の話を他人から聞こうとしたが、止めてしまった。

 人間の過去にメスをいれることは魂を切り刻むに似た愚かな行為だと気付いたのである。

 安易に好奇心だけでは、やってはいけない行為ではあると気付いたのである。


 突然、応接室の扉が開き、モンペ姿のカメが姿を現した。二人の話を聞かれてしまったのではないかと福地は不安に思ったが、カメの表情は明るかった。

 空席になっている福地の正面の席に腰を下ろした。

 世間なみの挨拶を交わすと、カメはすぐに両手で顔を覆いうつむいた玉城を見た。

 だが玉城はカメの関心を無視した。

「今朝の朝刊に目を通したかい」

「ええ、見ました」

 カメの質問に玉城は投げやりに答えた。

「中国残留孤児の記事も読んだか」

「ええ」

 彼は大きな声で応えた。自暴自棄になっているようだった。苛立たしさが頂点に達して、爆発したようでもあった。カメは息子の気持ちを気に掛ける様子はなかった。

「死んだと信じていたのに、中国ではあんなに沢山の人が生きていた。そして六十が経とうとしている今でも、肉親を求めて遠く日本を訪ねてこようとしている」

 喜びに浮き立つカメを福地は呆然と見つめていた。カメの反応に反し、玉城の様子は深く沈んでいった。

 二人が舞台上の役者のように見えた。

「中国での話と沖縄での話を一緒にしないで下さい。事情が違います。向こう広い大陸で沖縄は小さな島なのですよ。それに中国は最近まで国交もなかった共産圏の国ですよ。身元が判明していても帰れなかったのですよ。邦雄がアメリカで生きていれば、とうの昔に帰って来ていますよ。戦争が終わった後も二人で島中の収容所中を捜して回ったでしょう。それを今更、邦夫が生きているなんて言い出して」

 玉城の口調には棘があった。 

「あの時の収容所の混乱を忘れたの。みんな生きることに精一杯だった。それにあの子は小さなかった。私の顔だって覚えているかどうか疑わしいのよ」

 カメは自分の言葉に酔っているようだった。

 玉城との会話で彼女は新しいことを発見し、確信を深める行く様子だった。玉城も最近では母親の思考方法に薄々気付き、母親を刺激しないために議論を避け抵抗せずにいた。

 カメは耳を貸さない息子を諦めて、正面に座る福地に理解を求めた。

「あの子が生きている理屈は十分成り立つのよ」

 カメは考えを披露した。

「この子の怪我は私より軽かった。この子が子供で身体が柔らかかったせいだったのよ。

 御巣鷹山にジャンボー機が墜落したくさんの乗客が亡くなった時にも女や子供たちだけが身体が柔らかおかげで助かった。

 だったら私より身体も柔らかい邦雄が生き残れないはずはない。

 それに、あの子が持っていた風車は何の傷もなく残っていた。あの子がいた場所が砲弾の風圧に晒されなかったせいよ。

 きっと、あの子は無傷で生きていたのよ。

 気を失っている私たちのそば通りかかったアメリカ兵が私たちが死んだと勘違いして、邦夫を連れ去ったのよ」

「爆風で吹き飛ばされたのですよ」

 玉城は言い放った。

「あの子が吹き飛ばされたとでもいうのか。それならあなたは何故、吹き飛ばされなかったのよ」

 カメは目に涙を浮かべていた。

「邦夫の手をあなたの手より軽く握っていた憶えはない。あなたとあの子の手を同じ力で握っていた」

 母の激しい反応に玉城の顔が醜く歪んだ。

「福地さん。あなたは玉城と私のどちらが正しいことを言っていると思うかね」

 福地は玉城とカメの間のにわか裁判官にし立て上げられていた。

 玉城も顔を上げ福地を見た。彼も救いを求めていた。

 福地が母親の意見を否定すれば、母は間違いなく落胆する。あいまいな答えでもカメは落胆するに違いない。

 だが、もしカメの意見を肯定したら彼女は自分の意見をこれまで以上に玉城に強く押し付けることになるに違いない。

 福地も困り果てた。

 カメは言葉を続けた。

「この子は自分の弟が死んだと言い張る。

 拝所参りも世間体が悪いから止めろともいう。そんな世間体を気にするより、自分の弟のことを考えるべきだわ。

 こんな非人間に育つなんて。

 この子が正しいか。それとも私が正しいか。福地さんは、どう思うかね」


「夢を見たのよ。二か月前から死んだ夫が夢の中に頻繁に姿を現すようになったの。それまでは、そんなことはなかったのよ。夢の中で夫に尋ねたのよ。『私を迎えに来てくれたのだね。』と。あの人は黙ってうなづいたわ」

 島で臨終を迎えようとする時、多くの者は死ぬ直前には生前に一番愛した人が黄泉の世界からの迎えを体験する。普通は臨終を迎えた女を迎えに来るのは父親である、男を迎えに来るのは母親であることが多い。

「何度も同じ夢を見た。その内に邦夫の姿が見えないことに気付いたのよ。それで不思議に思い、聞いたのよ。『邦夫はどうしたの。邦雄はあなたと一緒に暮らしているのだろう。』って。主人は答えなかった。彼は哀しそうに首を振るだけだったわ。『それならまだ生きて、この世にいるのだね。』と尋ねても彼は悲しそうな表情をするばかりだった」

 カメの夢中で話している。聞き手である福地の存在さえも忘れているようである。

「邦夫が夢にも現れてこないことが不思議で仕様がなかった。それであの時のことを丁寧に振り返り始めたのよ」

「邦夫の顔や姿のを忘れてしまったせいですよ。だから夢の中でも邦夫の姿が空白なのですよ」

玉城が残酷に言った。

「あなたは私が邦夫のことを忘れていたというの。人でなし。一度も忘れたことはなかった。あんたなんかより、ずうとあの子の方が可愛いかったわ」

 玉城の顔が、醜く歪んだ。

 彼はこれ以上、親と子を感情的にすることは避けるべきだと感じた。

「死んだら邦雄に会えると楽しみにして、私は頑張ってきたのよ。ニライカナイであの子と会えると考えると年を取ることも楽しみだった。この世では私があなたの面倒をみて、ニライカナイでは夫が邦夫の面倒をみてくれている信じていた」

 福地も長い沖縄での生活の末、ニライカナイの情景がくっきりと浮かべることができるようになっていた。

 それは、平和な死後の世界である。理想的な世界でもある。

 静かな日暮れ。凪いだ海。

 もちろん飢えも空腹もない。

 先立った者が、すべて集う世界である。

 いつの頃からか、そんな世界を人々は描いている。仏教でいうミロク菩薩の世界観と一致する。あるいは仏教の影響が強く受けて完成した世界かも知れない。

「もし邦雄がこの世に生きているなら、私は死んでからも邦雄に会えないことになる。一体、何時、邦雄に会えるの。それとも邦夫は、まだ生きているのか。それならニライカナイで私は自分の息子の早く死ぬのを願う鬼になる。こんな気持ちでニライカナイなどに行きたくない。あの子が、まだこの世に生きているならあの子に会いたい。お願いだから、真剣に協力しておくれ」

 カメの表情は目まぐるしく変わった。最後には泣き出さんばかりの表情になった。目は何かを捜すように空中をさまよっていた。福地の視線も彼女の視線の後を追うように部屋中の見回した。

 彼女の視線を追い部屋中を見回すが変わった様子はない。

 すい殻が入っていない空の灰皿。白い壁紙。シーサーの像。 もちろん何の異変もない。これからも異変が起きる様子はない。

「福地さん、あなたは邦夫が死んだと思うか」

 カメは福地に救いを求めてきた。

 答えに窮して福地は玉城を見た。玉城は顔を伏せていた。

 これ以上、二人に言い争いをさせる訳にはいかない。彼女の話に理屈が通っている。痴呆などと片付けられない。カメは奇跡を信じようとしている。その年老いた彼女に奇跡を信じさせても罰は当たるまい。

「カメさんが正しいと思います。邦夫さんは、まだ生きているに違いありません」と言ってしまし、福地は玉城の顔を見た。

 玉城も顔を上げた。彼の表情には安堵の色が浮かんでいた。

 カメは子供のように息子を前に勝ち誇った。

「そうよ。あの子は絶対に生きている。夢の中で主人もそう言っている。仕事のことは忘れても祈るのよ。祈る者が多ければ多いほど、神様へも願いが通ずるそうだから。それから私たちを病院に運んでくれたアメリカ兵のサカモトさんと、早くあの弓野と言う片足の男の行方も早く捜し出すのだよ」と玉城に向かって言った。

 その二人の男の介護を受けて、カメと玉城も蘇生したというのである。

「まだ連絡をしていないでしょう。連絡するように言ったのは一カ月前のはずよ。いつまで待たせる気なの。気が進まないなら私が自分でやるよ」

 相手が困るにちがいないと言う危惧から、玉城は連絡をしていなかった。

「明日に連絡しますよ」

 玉城は困りはてはてている様子だった。


 空間が歪み、時間も止まったような気がした。カメの顔が強ばった。視線は福地の頭上の夫の遺影に釘付けになった。ところが次ぎ瞬間、視線はその遺影の写真と福地を見比べ、次には息子の座るソファの間をさまよった。

 短い沈黙が過ぎた。

 発作を起こすようなカメの不自然な挙動に福地は驚いた。指先を激しく振るわせる癖をカメの前に晒していた。幼い頃の癖である。改善されたはずの癖であった。カメは福地の指先の動きに短く悲鳴を上げて質問した。

「その指は」

「幼い頃の癖です」

 カメは、その答えを聞き、再び、福地の顔を仰視した。

「もっと早く気付くべきだった。商売、商売と神仏をおろそかにしてきたせいに違いない。死ぬ間際になって、こんなことに気付くなんて神罰が当たったのだわ。でもこんなに身近にいるはずはない。とにかくサカモトさんに真実を確認しなければ。あの片足の老人にも事情を聞くのよ。邦夫が青い半ズボンと白い開襟シャツを着ていたことや当時の姿も詳しく伝えるのよ」と激しく言い募り、厳しい口調で玉城に告げるとカメは部屋を立ち去った。


 部屋に戻ったカメは落ち着きを取り戻していたが、緊張はほぐれていなかった。

「福地さん。あなたに私の宝物を見せて上げましょう。これまでは家族以外の誰にも見せたことはないものよ。私の宝物なの。これがあの時、邦夫が手にしていた風車だよ」

 と言い、古い風車を福地に手渡した。福地はカメから手渡される風車を丁寧に受け取った。古くなってセルロイドの風車の角が欠けている。砲撃のための傷ではない。セルロイドは指で触れるだけで壊れそうなほどもろくなっていた。羽根の色も黒ずんでいた。

「昔はハイビスカスのように真っ赤な色をしていた。大事にしまっておいても色落ちはひどくなる一方ね。止める方法ないかしら」

 無念そうにつぶやきながらカメは子供を見守るように風車を見ていた。

「あの子に買ってあげた最初で最後のオモチャになってしまった。喜んで、寝る時も手離そうとしなかった」

 言いながらカメは福地の表情に変化が現れないか固唾を飲むように彼の顔をのぞき込んでいた。福地に尋ねたいことがあるようだったが、かろうじて我慢しているようだった。


「悪いことをしたかな」

 カメが去った跡、福地は玉城に謝った。

 玉城も落ち着きを取り戻していた。

「これで、ますます彼はカメの息子捜しに協力をせざる得なくなった。拝所通いを続けざる得ない」

 だがあのように応えなければ、何か悪いことが起きそうな気がした。

「夜は眠れているのか」

「夜中に目を覚ますようだ。何度も起こされることがある。最近では夫が夢枕に現れたと騒いだ」

 玉城はカメの身体のことも心配していた。

 隠しても臨終を迎える患者が自分の死期を予感する。ニライカナイから迎えが来たから自分は長くないと漏らす場面に、何度も出くわしている。最近では福地も、人間は自分の死期を予感できるものらしいと、素直に考えるようになっていた。

「この種の話は迷信だと信じていたが、自分の母親がこのようになってしまう不安だ。一人だけで取り残されてしまうような心細い気持ちになる」と玉城は洩らした。

「大丈夫だと思うが、心配なら病院に連れて行ったら」と進めたが、「そんな余裕はないと叱られる。何しろ彼女の頭は邦夫のことで一杯だ。それに、もともと医者嫌いだよ」と玉城に反論された。彼の母親を独占したことで軽い反撃をされたような気がした。

「取り敢えず、興奮させないためにも、従った方が良いだろう。世間体のことは気にするな。うまく収まるように周囲に言い繕っておく」

 慰めの言葉をかけてやるのが精一杯だった。福地は助言らしい助言はできなかった。

 しばらくしてカメが痩せていくと報せが福地のもとに玉城からあった。会いたがっているが時間が都合できないかと哀願されたが、直後にカメの突然の死を知らされた。仕事の忙しい日だった。

 その日のことを、福地は鮮明に覚えている。

 冬に近い時期だったが、季節外れの台風が宮子島付近を迷走し、沖縄本島もその台風の影響で強い風と雨に見舞われた。

 赤い風車は、風に気が狂ったように回っているに違いないと想像した。連休が終わる時期で、本土に帰ろうとする観光客が空港に足止めされ、空港は混乱していた。

 前日から福地は、これまで味わったことのない、不思議な悪寒を全身で感じていた。

 夫の自分の表情を交互に見比べて短い悲鳴を上げた瞬間のカメの表情を思い出した。福地は他人には話したことはないが、戦災孤児としてアメリカ人の養子として育てられていたのである。その前の記憶は一切、残っていない。

 カメは自分が、彼女の息子であると言う可能性を福地の姿に見出したのでなかろうか。

 自分の寿命が尽き掛けることに気付き、そのことを確認するためにサカモトと言う人物や弓野と言う人物への連絡を急げと、玉城を急がせたのではないのろうか。

 これは福地の思い過ごしであろうか。

 臨終の席に立ち会えなかったことを後悔しながら、葬儀の席に立ち会っていた。

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