第4話「素数ブーム」

「素数ブーム」


 シンク台の上に置いたコップの水が、小刻みに揺れる。

 深夜2時、私は薄暗いキッチンで一人、頭を抱えていた。


 このままだと、音で両親が起きかねない。

 今夜のうちになんとかしなければ。

 私は、パジャマを裾をめくって、ヘアゴムで髪を後ろに縛った。


 きっかけは、2年前の素数ブームだった。


 当時、女子中学生の間では、とにかくかわいいものが流行っていた。

 ペンケース、財布、シュシュ、手帳……かわいければ、かわいいほど、それが正義だった。クラスの女子たちは、いつもかわいいものを学校に持ってきては、自慢に見せ合っていた。

 私もそのうちの一人で、ほとんど毎日のように雑貨屋さんを回って、かわいいものを集めていた。持ってきたものを、友達に見せて、「かわいい〜!」と褒められることは、とても快感だった。

 そんな「かわいい競争」がエスカレートしている最中だったと思う。突然、一人の女子が変なことを言い出した。


「素数って、かわいくない?」


 昼休みに、教室の端の方に、何人かの女子で集まり、特に意味のない話でぐだってる時だった。確か、ちょうど、数学の丸山が気持ち悪いという話で盛り上がっていた。

 盛り上がっていた場だけに、「素数って、かわいくない?」の一言は、その場を一気に凍りつかせた。素数は、その日の授業で出てきたやつで、3とか5みたいに、1とその数でしか割り切れない数らしい。

 それが、かわいいとは、とても思えない。


 しかし、女子とは沈黙を怖がる生き物だ。


「かわいい……かも」


 隣に座っていた真瑞まみが、ボソっとつぶやいた。真瑞まみは空気を読むのが上手で、シーンとした場を元に戻したことが何度もある。

 真瑞の一言に「そうかも」「確かに」と周りの女子もつぶやき始めた。


「なんかシュッとした感じがいいよねー」


 ついには、冗談っぽくそんなことを言い出す子もいて、その昼休みは笑い声で終わった。そして、今思えば、「素数って、かわいくない?」と言った女子が誰だったのかを、誰も覚えていないのだ。

 事件は翌日に起こった。いつものように、かわいいものを身につけて教室に入ると、ある席の周りに人だかりができていた。

 由莉の席である。由莉は、誰よりも早くかわいいものを手に入れるのが好きで、新商品が出ると、真っ先に学校に持ってきていた。

 「どうしたの?」と、由莉の席の前に立つと、そこにはストラップの付いた由莉のペンケースがあった。


「見て!これ、かわいくない?」


 笑顔を向ける由莉の手元を見ると、「2」の形をしたキーホルダーが、ゆらゆらとぶら下がっている。

 

「え……2?」


 その予想していなかったストラップに、私は思わず口に出してしまっていた。

 周りの女子の視線が、一斉に私に向く。「かわいいもの」への反応は、最初が大事で、嘘でもなんでも大きく「かわいいー!」とリアクションすることが重要だ。

 とにかく、この「2」は「かわいいもの」だったのだ。


「ちがうよ〜、素数だよ〜」


 真瑞が助け船を出してくれた。真瑞のゆるいツッコミは、まるで私がボケたかのようにしてくれる。このせっかくのチャンスを逃さないように、私は続いた。


「だよね〜。もう、かわいすぎて逆にわかんなかった笑」


 張り詰めていた場の空気は、一気に和んだ。「どゆことー笑」「これだからー」と周りも私にやさしくちょっかいを出す。

 私は、ホッとして、もう一度、由莉のストラップを見る。

 「2」、だ。

 かわいくもなんともない。だって、ただの「2」なんだから。


「やっぱ、素数の、ゆるい感じがいいよねー」


 クラスいち可愛い光凛ひかりが、そうつぶやいた。由莉もそれをニコニコと聞いている。

 「ゆるい」は、かわいいと同じくらいに大事なものだ。かわいいが正義なら、ゆるいは無敵と言ってもいい。

 

「しかも2は、なんか神ってるよねー」

「確かに笑。素数なのに偶数だし。エモいかも。」


 未だ混乱している私を置いて、周りはどんどん盛り上がっていく。今朝右手につけてきたミサンガが、色を失っていくような感じがした。

 結局、その日は、あまり話の輪に入れず、ぎこちない雰囲気で家に帰った。まあ、明日になれば、また「かわいいもの」も変わっていると、あまり気にしないで眠りに落ちた。


 次の日、事態はより深刻化していた。

 何人かの女子が、「素数」を身につけてきたのだ。


「きゃー!かわいいー!」


 由莉が感激して、他の女子の素数を触っている。

 その女子も、でしょでしょ?と高く素数を掲げる。


「美夏は、3にしたんだー?」

「えへへ。おほん、『最小の奇素数』だからね笑」


 美夏は、数学の丸山の真似をしながら、笑いを誘う。あんなに気持ち悪いと言っていたのに。


「絵梨は、5なのー?」

「そうそう、あたしといえば、5って感じでしょ!」


 「どゆことー笑」と、場はどっと湧き上がる。

 他にも、「7」「11」「13」とみんなペンケースに素数をつけて喜んでいる。

 この素数ブームは、クラス全体に広がった。


 気がつけば、ほぼ全員の女子が、素数グッズを身につけていた。

 素数キーホルダーを基本として、素数シュシュ、素数シャーペン、素数ソックスと、ありとあらゆるものに素数が付いていた。

 女子の気を引こうと、素数ハンカチを女子にプレゼントする男子までいる。

 

 こうなると、もう素数を持っていない女子が、少数派となり、リムられる。

 私は、早い段階で、雑貨屋さんを巡りに巡って素数グッズを集めていたため、なんとかグループ参加を維持することができていた。

 

 「すごーい!71?ちょーレアじゃん!」


 素数が人気になると、起こるのは品薄である。「2」や「3」はもはや古く、誰でも持っているため、それよりかは、もともと売っている量が少ない大きい素数が人気になっていた。

 私の持っている一番大きな素数は、リストバンドに書かれた「31」で、周りに比べればそれほど大きいとはいえない。

 

 「あ、その31、かわいいね」


 真瑞が私に話しかける。ほしいなーと羨ましそうな声を出して私の手首を見る。

 しかし、私は知っているのだ。真瑞のバッグの缶バッチには、「53」と印字されていることを。


 私は、街にある、ありとあらゆる店を回った。スーパーでもコンビニでも素数グッズが置いてそうな店は片っ端から入った。

 

「すいません!素数置いてないですか!?」


 街外れの業務スーパーで、私は、店長らしき40代の男の人に声をかけた。

 小さい素数しか見つからず、もう足はパンパンになっていた。


「素数…?置いてあったかなあ?」


 店長は、倉庫を見てくると言って、店の奥へと消えた。

 私は、47と書かれた素数お守りを握りしめて、駐車場で座って待っていた。


「あ!あったよ!」


 店長の明るい声に、私は勢いよく立ち上がった。


 翌日、私は、鼻歌を歌いながらトーストを食べていた。サラダの準備をしている母親が「何かいいことでもあったの?」と、キッチンから話しかける。

 「なんでもない」と、私は答えた。


 教室のドアを開ける直前、私は、カバンの中身を確認した。

 業務用の大きなメモ帳には、はっきりと97と記されている。

 2桁のうちで一番大きい素数だ。このメモ帳は、何かのキャラの絵も印刷されてなくて、かわいくないかもしれないけど、いや、もうかわいさなんてどうでもいいのだ。

 かわいいものなんて、みんながかわいいといえば、かわいいんだ。そして、素数は、かわいいんだ。たぶん。


 ドアを開けると、そこには、真瑞が立っていた。


「あ!おはよー!早く!早く!」


 真瑞が私の手を引っ張る。その勢いに私は、時折、椅子にぶつかりながら歩かされる。

 そこには、光凛が、机の上に乗った何かを大事そうに撫でていた。

 「2」だ。


「かわいいー!」


 周りの女子が悲鳴を挙げている。私は、もう一度、机の上を見る。

 やはり、「2」だ。

 「2」はかわいい。素数だからだ。しかし、それは昔の話だ。

 2がかわいかったのは、まだ素数がそんなになかった頃のことで、今は大きい素数ほど、かわいいはずだ。

 私が、首を傾げていると、真瑞が私の肩を叩いた。


「ほら、触って見なよ!」


 そして、半ば強引に、私に「2」を触らせた。

 「2」は、ふわふわしていて、生あたたかった。

 それに……


「動いてる……?」


 そう「2」は、まるで息を吐くかのように、ゆっくりと膨らんでは、またしぼんでいた。大きさも、今までのとは違い、小動物ほどはある。


「あはは!動いて当たり前でしょ!素数なんだから!」


 由莉は、涙目になりながら、大きな声で笑っている。

 触らせて!触らせて!と周りの女子が、私の手を退ける。


 結局、私の「97」は、かわいいと呼ばれることはなかった。


 この日を境に、素数ブームは、学校全体に広がった。

 ペットほど、女子の人気を集めるものはない。小動物は、「かわいさ」「ゆるさ」をどちらも合わせ持っている。

 しかも素数は、ほとんど手間がかからない。鳴き声も大きくはないし、カバンに入れて持ち運ぶこともできる。たまにお腹が空くので、その時は、紙に書いた合成数を食べさせるだけだ。排泄も、小さな数字を吐き出すくらいだ。


 もちろん、これだけ、みんなが素数を持ち込むようになれば、先生たちも黙っていなかった。

 素数は、ただの数字だが、もはや猫やハムスターのようなペットを学校に持ってきてるようなものだ。しかし、そこは女子たちが反論した。


「先生!なんで素数がダメなんですか!?素数は、数字ですよね!?」

「いや、だって、お前たちの持ってきている素数は、生きてるだろ。」

「生きてません!先生は、これが生き物だって言うんですか?生物の定義を知っていますよね!?」

「え、あ、まあそうなんだが。」

「だったら、いいじゃないですか!」

「うーむ。まあ、なんだかんだ言っても、素数だからな…。」


 そうやって、話はうやむやになり、素数は、学校公認の「かわいい」になった。

 この頃から、素数は、全国的にも流行っているようだった。

 ニュースでも、新聞でも、「素数ブーム到来!?」と大きく取り上げられていた。


 そんなある日、それは起きた。

 昼休み、いつものように、女子たちが自分の素数をかわいがっていると、突然、悲鳴が聞こえた。

 声が聞こえた方を見ると、2人の女子が、机の周りで呆然と立ち尽くしている。やがて、クラスのみんながそこに集まってきて、事情を聞き始めた。

 

 「……素数が、消えちゃったの…」


 「え…」とクラスの動揺する声が聞こえる。私は、その子たちの机の上を見る。

 確かに、素数がいなくなっている。沙織の素数「23」は、ぴょんぴょん跳ねる元気な素数で、彩友美の素数「17」は、細くてよくごろごろ転がる素数だった。


 「……わたしの23が跳ねた時に、彩友美の17にぶつかっちゃったの。そしたら、パッっと、一瞬光って、いなくなっちゃって……」


 素数がいなくなる話は、聞いたことがなかった。素数の大好物は合成数だが、素数を与えると消えてしまうらしい。よくよく考えてみると、動く「数字」は、素数しか見たことがないから、もしかしたら、素数と素数がぶつかり合成数になると、消えてしまうのかもしれない。


 クラスの女子は、泣いている二人を慰めながらも、自分の素数を大事に抱えて持っていた。


 素数の問題点は、もう1つあった。

 放っておくと、どんどん大きくなってしまうことだ。

 一回、海外旅行で、一週間家を空けていた子が、家に置きっ放しにしていた素数を、帰ってきた時に見てみると、「13」が、「83」まで大きくなっていることがあった。

 素数は、普段、合成数を食べることで、大きくなることを防いでいるようなのだ。


 このことに、PTAが黙っていなかった。

 大きくなる危険性がある素数を、なぜ学校が黙認しているのかを問題視したのだ。

 これには、学校もまいってしまい、素数の持ち込みを一斉に禁止した。

 中には素数撲滅運動まで出てきて、もはや素数は、社会問題になっていた。


「この子たちは、何も悪くないのにね……かわいそう……」


 下校の途中、小さな小川にかかった橋の上で、真瑞がそうつぶやいた。

 ここは、あまり人が通らないので、私と真瑞がよくたそがれる穴場なのだ。


「……そうだね」


 私は、素数「29」を手に抱えながら、そう返した。真瑞の手には、素数「37」が真瑞の胸に「3」の部分を擦り合わせながらじゃれている。

 真瑞の「37」は、私の「29」より、少し、大きい。


「昨日ね、とうとうママにばれちゃったの。隠れて素数を飼ってること。」


 真瑞の家は、PTAの会長のため、家でも素数を飼うことが禁止になっていた。それでも、真瑞は、カバンに隠し持つことで、こっそりと飼い続けていた。

 私も含め、他にも内緒で学校に素数を持ってきている女子は、まだたくさんいた。

 

「やっぱり、消さなきゃいけないのかな……」


 真瑞が真剣な眼差しで、「37」を見つめている。

 「37」は「くぅん?」と不思議そうな顔を真瑞に向けている。


「大丈夫だよ。ばれてないんだし、まだ飼い続けられるよ。それに、37は、消えても真瑞のこと、忘れないよ。」


 私は、そう慰めながらも、内心、馬鹿らしいと感じていた。もうとっくに、素数がかわいいブームは過ぎている。

 PTAが素数禁止運動をしなくても、あと1ヶ月もすれば、素数はかわいいものではなくなり、忘れ去られていただろう。それだけ、「かわいいもの」の消費期限は早いのだ。

 それを、社会問題やなんだの深刻化するから、捨てづらくなっているだけなのだ。女子たちは、勝手に被害者づらをして、センチメンタルな気分に浸っている。

 言うなれば、自分たちの「かわいそう」を楽しんでいるだけなのだ。振り回される素数の身になれば、たまったものではない。

 

 それから、真瑞は、他の仲のいい子と、一緒に素数をつき合わせて、無事消し去ることができた。

 後に何も残らない素数は、女子学生にとって、とてもいい消費物だった。こうして、「動く素数」はどんどん減っていき、素数ブームは完全に終了した。


 私はというと、素数を一緒につき合わせる友達がいなかったのもあって、素数を消さずに、自分の部屋の机の一番大きな引き出しにしまっていた。

 もしかしたら、また素数ブームが来た時に、いち早く流行に乗れるのではないかという淡い期待もあった。しかし、そんなブームは来ず、私も受験で忙しくなって、そのまま素数は引き出しの奥で眠ることになった。


 ここまでが、2年前、中学三年生の時のことだった。


 そして、今、深夜2時、私はキッチンで、水を一杯飲んでいる。

 静寂の中、私の部屋が軋む音だけが聞こえる。

 落ち着こう。とにかく、落ち着こう。


 昨日の夕方、学校から帰ってくると、引き出しがパンパンに膨れ上がっていた。引き出しは、木製で直方体のような形をしているのだが、それが、膨らみ丸みを帯びている。

 明らかに異常だ。それでも、引き出しが形を維持しているのは、外から鍵がかかっているためだ。

 引き出しには、主にテストの結果や通知票などを入れていたと思う。「思う」というのは、しばらく使っていなかったので、記憶があいまいだからだ。

 膨らんでいる引き出しに、もちろん私は「素数」を思い出した。それ以外ありえないからだ。

 「ヴヴヴヴヴ」と引き出しは唸っている。素数は怒っているのかもしれない。私は、引き出しごと机から抜き出して、そのままクローゼットに詰め込んだ。そして、できるだけ大きな数字を紙に書いて、一緒に放り込んだ。

 この素数を外に出してはいけない。直感的にそう思った。

 その日の夕飯は、気が気でなかった。いつ素数が飛び出てくるか。これからどうすればいいのか。そのことで頭がいっぱいで、味も何も入ってこなかった。

 とりあえず明日考えようと、布団に入り眠ろうとするも、夜中にバコッと音で目が覚めた。

 クローゼットが膨らんでいる。素数が引き出しから、飛び出したのだ。あわてて部屋に外から鍵をかけ、キッチンに逃げた。


 今、二階の私の部屋で、素数が暴れているはずだ。どのくらい大きい素数になっているかは、もう検討もつかない。おそらく奴を満足させる合成数は、もうこの家には存在しない。


 音が、急に静かになった。暴れ声も、唸り声も聞こえない。


「もしかして……消えた?」

 

 そうだ。消えてしまったんだ。あれだけ大きな素数なんだから、形状を維持するのも大変なはずだ。自然消滅してもおかしくはない。

 そう思いかけた瞬間、キッチンのドアの隙間から、「29」が顔を出した。


「くぅーん。」


 「29」は、今にも消えてしまいそうな声で、こちらを見つめる。

 ああ、「29」だ。懐かしさが私の胸に一気に流れ込む。

 中学3年という多感な時期を、私と「29」は一緒に過ごした。晴れの日も、雨の日も、風が強い日も。もちろん、最初は、かわいいとは思わなかった。周りの「かわいい」に流されて、飼い始めただけだけど、それでも、「29」と一緒に過ごした日々は偽物なんかじゃない。素数撲滅運動が起こった時も、私と「29」は一緒に苦難を乗り切った。周りが、自分の素数を消し去っていく中でも、私は素数を消さなかったんだ!私と「29」は、「かわいい」以上の強い絆で結ばれているんだ!


 「29」は変わらぬ「かわいさ」で、そこに存在している。


 私は、「29」に近づき、優しく頭を撫でる。

 ドアがゆっくりと動き、全て開ききった。

 

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