偶数奇譚

グレブナー基底大好きbot

第2話「行間おじさん」

「行間おじさん」


 駅のホームで電車を待っていると、右側に人影のようなものが見えた。

 人影のようなもの、と表現したのは、スマホをいじっていたため、その正体がよくわからなかったからだ。

 僕は、スマホに視線を固定しながら、少し左にずれた。僕の乗るべき通勤急行の前に、各駅停車が到着するようで、おそらくそれに乗る人なのだと推測したためだ。

 しかし、予想に反し、その人影はあろうことか僕に近づいてきた。変質者か、まずいなと、一旦ホームドアから離れようとした瞬間、声をかけられた。


「行間ですか?自明ですか?」


 50代くらいのおじさん。声質から僕はそう判断した。変質者と遭遇した時は、相手にしない、が僕の定石なので、未だ目は向けていない。

 

「行間ですか?自明ですか?」


 おじさんは、同じ質問をもう一度繰り返した。この時点で、僕はこの人は危ない人だと確信した。早くこの場から逃げようと、踵を返そうとした時、足が動かないことに気がついた。

 

「行間ですか?自明ですか?」


 おじさんが、僕の右足を踏んでいる。それも、かかとで。つま先に石で乗っかっているかのような圧迫感を感じる。

 そして、スマホから目を離してしまったせいで、至近距離でおじさんの姿を見てしまった。


「行間ですか?自明ですか?」


 おじさんは、手に本のようなものを持ち、開きながらこちらに見せている。数学の本、だろうか?日本語の文章の間に数式のようなものが散文している。


「行間ですか?自明ですか?」


 おじさんは、開いているページの一部をしきりに指差している。ちょうど1つの段落の終わりの部分で、文末は「〜から明らかである。」で締められていた。


「行間ですか?自明ですか?」


 未だにおじさんが踏んでいる足を引き抜くことができない。僕とおじさんではそれほど体重が違うとも思わないのだが、どうにも力が入らない。


「行間ですか!?自明ですか!?」


 おじさんの口調が激しくなってきた。どうやら僕に質問に答えてほしいようだ。


「行間ですかっ!?自明ですかっ!?」


 僕が黙ったままでいると、おじさんは、縦に大きく振動をし始めた。持っている本も凄まじく揺れており、もはや、文字は読めない。


「行間ですかあああああ!!!!?自明ですかああああああ!!!!!!!?」


 おじさんは、本のページを一枚ずつ破りながら食べ始めた。一気に口に詰めているため、時折吐きそうになっている。

 周りの目もあり、早く解放されたい思いで、僕は、


「自明………ですかね?」


と答えた。


「それじゃあ、証明してみて。」


 おじさんは、急に冷静になり、僕にペンと紙を渡して、この場を去っていった。

 僕の手元には、ペンに真っ白で綺麗な紙と、唾液のついた専門書だけが残った。


 後から聞いた話だと、おじさんは数学科出身だったらしい。

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