北嶋勇の心霊事件簿10~ソロモンの指輪~

しをおう

伝説の指輪

 連日、私はヴァチカンの電話に対応していた。

「だから私には戦争の意志は無いと言っているだろう?」

『とは言え、強欲の悪魔を現世に喚び出したんだ。此方としても、気が気でないのは承知だろう?』

 やはりマモンを喚び出したのがまずかったか。

 ヴァチカン…正確にはヴァチカン市国。

 ローマの北西部に位置する、ヴァチカンの丘の上、テベレ川の右岸にある。

 その国境はすべてイタリアと接しており、国際的な承認を受ける独立国としては世界最小の規模だ。

 ヴァチカンはローマ教皇庁によって統治されるカトリック教会と東方典礼カトリック教会の中心地、言わばカトリックの『総本山』。

 一宗教団体が国家を形成した唯一の成功例。

 因みに私の家、『ロックフォード財団』はヴァチカンに多額の寄付をしている。理由は私の家もカトリックだと言う事だが。私が生まれる遥か前からの付き合いだそうだ。

「あまり勘ぐるならば、寄付を止めてもいいんだよネロ教皇」

『ロックフォードに頼らずとも、ヴァチカンは機能できる。知らん訳ではあるまい?』

 強気なヴァチカン最高位の教皇に、つい私の口元が緩む。

「強気じゃないか?切り札を失ったと言うのに」

 電話向こうの相手にも恐らく解ったであろう、冷笑を放つ。

『…伯爵は最早信者では無かったよ』

 ………駄目だ…堪えていたが、声を出して笑ってしまう。

「ハァッハッハッ!!それを言うなら、真のカトリック信者など一握りだろう!?教皇、君も含めてね!!」

 カトリックの黒歴史は魔女狩りを筆頭に、世界中に無数に在る。歴史上でも、現在でもだ。

『…悪魔め……』

「真に悪魔はどっちかな?私は人間だよ。君達よりは遥かに人間らしいよ」

『切り札はサン・ジェルマン伯爵にあらずだよリリス。吠え面を掻くなよ』

 捨て台詞を吐かれて電話を切られる。一方的に連絡をしてきて、一方的に断つ…

「君達の唯一神はそれを所望だったのかい?違うだろう?自己の都合のよい解釈を述べられて、堕天させられた天使は、君達を決して許さないだろう!!ハァッハッハッ!!」

 いや、実に面白い。先程言った言葉を訂正しよう。

 私より、君達の方がより人間らしい人間だよ。

 暫くは笑い声を止める声が出来そうも無かった。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 サン・ジェルマン伯爵はフリーメイソンの一人にして稀代の錬金術師だった。ヨーロッパ統一を志し、それが成ると世界統一を目指した。

 彼が最高峰の錬金術師だった理由が、賢者の石の所有者だったのだが…

「その彼も、もう居ない。己より強い存在に敗れて…」

 日本にいる盟友の一人、水谷 君代の秘蔵っ子にして史上類を見ない霊能者、北嶋 勇によって敗れ去った。

「君代ちゃん…私は君代ちゃんの味方だが、伯爵を失った事はやはり痛いよ」

 尤も、君代ちゃんが相手だからサン・ジェルマン伯爵を野放しにしていた、との理由もある。倒せなくとも退けはするだろうと。

「ナーガまで倒したそうだな北嶋 勇…」

 君代ちゃんが天命を終えた日、私はヴァチカンの戦士達を集めてナーガ討伐を計画していた。

 7日後、計画を実行しようと日本に向かう途中に入った連絡、盟友の一人、松尾から入った連絡に耳を疑う。

『ネロ、もうよいぞ。ナーガは滅びた』

 北嶋の実力が本物だと、そこで初めて認めた。いや、認めざるを得なかった。

 だが、ヴァチカンの名誉と威信に賭けて、これ以上ポッと出の訳の解らん男に遅れを取る訳にはいかない。

 電話を取り、とある場所に電話をした。

『これはネロ教皇。リリス討伐の号令ですか?』

「馬鹿を言うな。あの小娘とヴァチカンの名でやり合うものなら、全面戦争になってしまう」

『では何用で?』

「決まっているだろう。賢者の石に変わるアレだ。人数は問わない。早く探し出せ」

『無論、そのつもりですが…』

 探せと言われて見付かる代物ではないのは承知だ。

「奴を出せ。奴ならきっと見付け出す」

 一瞬押し黙るが、改めて問われる。

『アーサー…ですか?』

「他に誰の事を言っていると思っているんだ。奴ならばリリスと鉢合わせても切り抜けられる」

『…小娘も瞬殺すれば、戦争も起こらないでしょうが…解りました。直ぐに出陣命令を出します』

「そのようにしろ!」

 乱暴に受話器を置いて、肩で息をしながら呟く。

「リリスさえ一瞬で葬れば、戦争は確かに起きない。起きないが…」

『あの』悪魔が瞬殺されるとは想像できない。

 また、ヴァチカンの『切り札』が敗れる事も想像できない。

 私は十字を切った。そして祈る。

「主よ、加護を。あの悪魔と鉢合わせしないように奇跡を…」

 戦争を回避する為に出さなかった切り札。早まった事をしたのかも知れない。

 だから私は祈る。

『悪魔』と『出会わない』という『奇跡』を祈るのだ…


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「あ~…面倒臭ぇなぁ、全くよぉ…」

 暑苦しい葛西がブツブツ言いながら神体の掃除を手伝っている。

「文句言うな暑苦しい葛西!働かざる者食うべからずだ!!」

 俺は家主としてビシッと言ってやる。

「テメェなんかサボりにサボってんだろうが…海神も死と再生の神も地の王も、口を揃えて言っているぜ」

 暑苦しい分際でこの俺に文句を抜かす葛西。

 だが、優しい俺は争いを良しとはしない。だから敢えて聞こえない振りをしてやる。

「こんな事ならケチらずに、ちゃんと宿を取りゃ良かったぜ…」

 ブチブチうっせー葛西だが、何故この暑苦しい葛西が此処に居るかと言うと…

 俺の住んでいる所から車で1時間の街から依頼があった葛西。

 暑苦しいドレッド頭が経費削減の為に、俺ん家に厄介になりに来た、と言う訳なのだ。

 案件自体は全く大した事は無いらしく、下請けで俺に依頼しようとしたらしいのだが、パツキンから「彼方もお忙しいだろうから、あなたが行って来なさい」と、半ば追い出された形で仕事を請ける事になったそうだ。

 昨夜、依頼を遂行し、宿代わりに泊まりに来た暑苦しい葛西に、優しい神崎は晩飯を振る舞った。

「なんで初夏だってのに、鱧と松茸の鍋があるんだ?」

 不思議そうに首を傾げながらも、旨そうに腹一杯食った暑苦しい葛西。

 家に依頼以外の客は珍しいので、張り切って腕を揮った神崎もご満悦だった。

「葛西、明日帰るのか?」

「ああ、ゆっくりしてぇがソフィアがうるせぇからな」

 元々自由気儘に単車を走らせ、その地にある案件をこなして報酬を得ていた暑苦しい葛西だが、パツキンと同棲してからは、家から雀の涙程の必要経費を持ち、出動している。

 多少なりとも羽根を伸ばしたいのだろう。

 俺は葛西の家に連絡をしてやった。

「おう。暑苦しい葛西を少し貸してくれ」

『今はこれと言った依頼が無いから、いいですよ』

 電話を終えた俺は、満面の笑顔で暑苦しい葛西に言ってやった。

「暑苦しい葛西、少しばかりゆっくりして来てもいい、と許しを貰ったぞ」

「マジか!?テメェも人の心が解るようになったんだなぁ…」

 目頭が熱くなった様子の暑苦しい葛西。

 俺は『しめしめ。これで暫くは雑用を押し付けられるぜ。エッヘッヘッ!!』と思い、妖しい笑顔で葛西に応えた。


 裏山の中央に設置したベンチに座り、一休みした俺は、これからの葛西の仕事を教えてやった。

「まずは水道を通すだろ、遊歩道を直すだろ、木の手入れだろ、草刈りだろ…」

「テメェ、労働力が欲しいから引き留めたのかよ!!」

「まぁ文句言うな暑苦しい葛西。たまには清々しい汗を掻け」

「ふざけんな馬鹿野郎!だからテメェは女に逃げられてばかりなんだよ!」

 千堂に逃げられたと勘違いしている哀れな暑苦しい葛西。まぁいい。寛大な俺は聞き逃してやろう。だから無視してコーヒーのプルトップを開ける。

――そうだ勇!貴様がそんな様だから、一時期尚美に逃げられたのだ!

 突然現れ、話に加わってきた海神。

「だから逃げられた訳じゃねぇっつーの」

――今後は逃げられないよう、先手を打った方がいいね

 死と再生の神も突然現れて話に加わる。

――北嶋、女は貴金属、宝石に弱い。俺が出してやるから、いつでも言え!

 物で釣れ、と言わんばかりに話に加わる地の王。

「お前等俺を何だと思ってやがるんだ!!」

 憤る俺。

「何だって…馬鹿だろ」

 葛西の一言に頷く俺の守護神の筈の三柱。

 俺は気分がズーンと重くなり、地に手を付き、蹲った。

「まぁ何だ、確かに指輪とかの宝石は喜ばれるぜ」

 蹲きながら葛西をギロンと睨み付ける俺。

「暑苦しい葛西…お前パツキンに指輪を贈った事あるのか?」

 カシュッと缶コーヒーのプルトップを開けながら葛西が言った。

「そりゃ婚約指輪くらいは贈ったさ」

 婚約指輪?

 蒟蒻指輪と聞き間違えた訳じゃないよな?

 ましてや蒟蒻畑と聞き間違える筈も無い。

「暑苦しい葛西…お前俗に言うエンゲージリングってヤツを贈ったって言うのか?生意気な!!」

 俺は勢い良く立ち上がり、暑苦しい葛西を指差す。

「お前の自慢話は聞き飽きたぜ暑苦しい葛西!!こうなりゃ俺も指輪買うぞ!!」

 宣戦布告にも似た俺の決意を暑苦しい葛西にぶつける。

「馬鹿だなテメェは。婚約指輪ってのは婚約する相手がいる奴が贈れる代物だぜ。神崎はテメェと婚約したい訳じゃねぇだろ」

 俺の胸にグサッと言葉の刃が突き刺さる。

 確かに俺は神崎に嫁に来いとか一緒に風呂入ろうとか一緒に寝ようとか言ってるが、神崎はグ-を以て俺を退けている。

――尚美に拒否されている訳でもないだろう?

――そうだね。要はアプローチの仕方だね

――だから俺が出してやると言っているだろう!!

 守護柱達がガヤ芸人の如く前に出てくる。

「まぁ、いきなり婚約指輪って話じゃなくよ、サプライズ的なプレゼントとして贈りゃ、テメェの株も上がるってもんだろ」

 サプライズか…成程な。

 因みに、と暑苦しい葛西に訊いてみる。

「お前はいくらの指輪を贈ったんだ?」

「あー、贈った時は既に財布を握られた後だからなぁ…30万くらいのが限界だったぜ」

 30!?俺の給料の六倍ではないか!!

「パチンコで稼ぐか…」

 それしか道が無いように思える。いや、今までシコシコ貯めていた金はあるのだが。

「レア物なんか嬉しいんじゃねぇか?」

「レア物って何だよ?」

「例えばニーベルンゲンの指輪とかな。ハッハッハ!!」

 葛西が膝を叩いて大笑いする。その様子だと相当いいものに違いないな。

「よし、そのニーベルンゲンの指輪ってヤツにするか」

 喜ばれる物なら婚約まで漕ぎ付けられるような気がする。そろそろマジで神崎ゲットをしないと、柱達にやいのやいのと言われて心が折れそうだしな。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 ニーベルンゲンの指輪とは、ニーベルング族の小人がライン川に眠る黄金から作った指輪だ。持ち主に世界を支配できる力を与えると言われている。

 勿論伝説だ。

 だから俺は北嶋をからかって大笑いした。

 だが、この馬鹿はニーベルンゲンの指輪を神崎に贈ると言いやがった!!

――おいおい、鬼神の男、あまりからかうでないぞ?ハッハッハ!!

――そうだよ。見たまえ。北嶋 勇が本気にしてしまったじゃないか。ハッハッハ!!

――そんな伝説の指輪の話を真に受ける北嶋も北嶋だがな。ハッハッハ!!

 三柱も俺の意図を解ったようで、冗談話として笑い飛ばしている。

「…駄目だな。ちょっと遠い」

 北嶋が眉根を寄せて首を振った。非常に残念と言った感じで。

「遠いって何だよ?」

 嫌な予感がして聞いてみる。

「ニーベルンゲンの指輪はヨーロッパだ。流石に遠過ぎる」

 俺と三柱は押し黙った。

 しかし、漸くではあるが、死と再生の神が恐る恐る口を開いた。

――まさか…万界の鏡で在処を見付けたのかい…?

「他にどんな手があるって言うんだよ?」

 北嶋は実にあっけらかんと答えた。

「テメェ!ニーベルンゲンの指輪だぞ!?んな簡単にホイホイと見付けられて堪るかよ!!」

 北嶋の襟首を掴み、憤った。

「見付けたんだから仕方ねーだろ」

 煩そうに手で払う北嶋。

――き、北嶋、貴様ニーベルンゲンの指輪の価値を知っているのか?

 地の王の問いに頷いて応える北嶋。

「視たから知ったが別に興味ねーしなぁ」

 万界の鏡で価値も知った北嶋だが、取りに行く気は全く無かった。

 場所も価値も解るってのに、遠いと言う理由で行かないのかよ…

 ……後で場所を聞いて俺が取りに行こう…

「お、こっちは近いな。こっちにすっか」

 北嶋がニタニタし出す。なんか揉み手だった。

――こ、今度は何を見付けたんだい?

 死と再生の神の問いに不満気に答える北嶋。

「ソロモンの指輪ってヤツだ。金やらプラチナやら使ってないが、レア物には変わるまい」

 どうやら北嶋は貴金属や宝石を使っていない事が不満なようだ。

 って!!

「ソロモンの指輪だと!!?」

 かなり驚いてデカい声を張り挙げた。同時に三柱も驚いて固まった。

 七十二柱の天使や悪魔を自在に操った、古代イスラエルの魔術王、ソロモンが所有していた指輪。それがソロモンの指輪だ。

 城を建設している最中、なかなか捗らない事に頭を悩ませていたソロモン王の元に、大天使ミカエルが姿を現し、その指輪を授けたという。

 指輪には、神の名が刻印されており、鉄と真鍮でできている。

 呪文を唱え、指輪を投げつけると、悪魔でさえもその命令に従わざるを得なくなる。

 天使に命令する時は真鍮、悪魔に命令する時は鉄の部分を用いる。

 つまり、この指輪を所有すれば、天使も悪魔も思うが儘、と言う訳だが…

「あるとすりゃイスラエルだろうが!!ヨーロッパより遠いだろ!!」

 全力で突っ込む。肩で息をしながら。

「いや、日本にあるぞ」

 実に…実にあっけらかんと答えやがった!!

 何で古代イスラエルの指輪が日本にあるんだ!?理由を言え理由を!!

 俺はおろか、三柱も口をパクパクさせて北嶋に指を差していた。

「約半日か。よし、取りに行くか」

 北嶋は面倒臭ぇと言わんばかりにヤレヤレと動き出す。

「待て待て待て待て待て!!テメェどこに行くんだよ!?」

 慌てて引き止める。例えば魔界とか、とんでもない所に行くのなら同行は必要だろ!!危険過ぎる!!

「あ~?青森だけど?」

 青森!?何で青森にソロモンの指輪が!?

 全く意味が解らずに、どうすりゃいいのか解らず固まってしまった。

「青森によー。キリストの墓があるんだよー。そこに指輪もあるんだよ」

 青森にキリストの墓があるだと!?

 北嶋の恐るべき発言に、俺は口をあんぐりと開けて三柱を見た。三柱も口をあんぐりと開けて俺を見ていた!!

「お前も来い。運転手で雇ってやる」

 そう言うと北嶋は俺の腕をグイグイ引っ張って歩き出す。

「ちょ、ちょっと待て!本当に青森にキリストの墓とソロモンの指輪があるのか!?」

 北嶋は俺を無視して三柱に指を差す。

「今日は帰れないから、神崎にフォロー頼んだぞ。だけど指輪の事は言うな。サプライズじゃなくなるからな」

 三柱はやはり口を開けながらウンウン頷いた。咄嗟に頷いてしまったと言う表現が実にしっくり来る。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 タマとの散歩から帰った私は、裏山で一生懸命に仕事をしているであろう北嶋さんと葛西に差し入れをと思い、ジュースを持って裏山に行った。

――やはり散歩は尚美に限るな

 タマもご機嫌で付いてくる。

「北嶋さんはなかなか行かないからね~。困ったもんだわ」

 私が一時期、事務所から去った時、結奈がタマの散歩に行こうとしたら咬み付かれたそうだ。

 タマは他の人間にはなかなか馴れない。いや、北嶋さんと私に馴れている方がおかしいのだが。

「あれ?」

 海神様の池に、海神様の御姿が無い。

――奴も散歩か?

「それは無いと思うけど…」

 私達はそのまま、死と再生の神様の丘に向かった。

「死と再生の神様も居ないわ…」

 どこに行ったのだろうかと考えているその時、死と再生の神様の社の裏から、日本に居る筈が無い蛇がチロチロと舌を出しながら寄って来た。

「あら?こんにちは。今日は暖かいから過ごしやすいでしょ?」

 屈んで蛇に笑顔で挨拶をする。

 その蛇は、キングコブラ。

 かつて『ナーガ』と呼ばれて人に祟る神の転生した姿。

 いや、此方が本来の姿なんだろうけど。

 蛇は鎌首を持ち上げて、私達に御辞儀するような仕種を見せた。

 北嶋さんのおかげで、ただの蛇に戻れたナーガは、今は死と再生の神様の社の裏に穴を掘り、そこに住んでいる。

 暖かい日は、こうやって日光浴をするように表に出て来るのだが、普段は穴から出てこない。

「海神様と死と再生の神様の御姿が見えないの。どこにいるか解る?」

 ナーガは鎌首をスッと下ろし、私達の横をスススッと通り過ぎる。

 それを目で追う私達。

 ある程度進んだ所で、動きを止めて、私達の方を見る。

――付いて来い、と言っておるようだな

「二柱様の居場所が解るのかしら」

 立ち上がって、ナーガの後を付いて行くと、ナーガは再び動き出した。

「やっぱり案内しているようね」

 そのまま後を追う私達。ナーガは裏山の中心の休み場に進む。

「ここに居られましたか」

 そこには三柱様が、心なしか呆然としながら佇んでいた。

 案内を終えたナーガは、そのまま木陰に姿を消した。

「?どうなされました?」

 私の発した声に漸く気が付いたのか、三柱様はゆっくりと私を見た。

――な、尚美、帰ったか…

 何故か言葉が重い海神様。

「北嶋さんと葛西はどこですか?」

 キョロキョロと見回す。

――あ、ああ…出掛けたようだね…

 死と再生の神様もどこか穏やかでは無い。

「どこに出掛けたんですか?」

――き、鬼神の男と共に少しばかり遠い所に行ったのだ。き、今日は帰れないそうだ…

 少し挙動不審な感がする地の王。

「急な依頼でも入ったのかしら…」

 首を傾げながら呟く。

――そうだ!!それだ!!

――北の方にちょっとね!!

――いや、奴等も大変な事よな!!

 三柱様が一斉にホッとしたように話し出す。

「…何かおかしいですが、仕事なら仕方ないかな…」

――そうだ!仕方ないのだ!!

――北は少し遠いからね!!

――帰ってくるまで大人しく待っているがいい!!

 三柱様は何故か私から逃げるように、話を切り上げて各々の社に戻っていった。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 北嶋に無理やり運転手に抜擢された俺は、北嶋の軽自動車を渋々走らせていた。

「テメェアルファやBMWどうしたんだよ?」

 確か北嶋はアルファロメオのスパイダーとBMWを持っていた筈。そっちの方がゆったりしていて良い筈だが。

「あれは神崎の車だ」

 狭い車内を限界まで使い、伸びる北嶋。

 確かに神崎が運転していたのだけしか記憶に無い。

「テメェ、あんなに稼いでんだから車買えよ!!せめて軽以外にしろ!!」

「軽は維持費が安いからこれでいいんだよ」

 変な所に経済的な北嶋だが、いつどうなるか解らねえのがこの業界。金をあまり使わない方がいいとは確かに思うが。

 移動の道中、俺は北嶋に疑問を投げつけ、眠らせないようにする。

「何でキリストの墓が青森にあるんだよ?」

 眠らせない目的で切り出した話だが、実は気になって気になって仕方無かった。

「あー、青森の戸来村って所にな」

 戸来村?

「竹内文献か、テメェあんなの信じてんのかよ」

 多少ガッカリした。竹内文献と言えば、昭和初期に竹内巨麿よって公開された文献の事だ。

 平群真鳥が武烈天皇の命により、日本古来の伝説を忘れないように、古神代文字で書かれていた記録を漢字と仮名混じり文に改めて成立したらしい。

 百数十種にも及ぶ神代文字が伝えられているが…

「ありゃあ偽書だろう?」

 その内容は、超古代文献(古史古伝)と言うよりは、フィクションの物語を彷彿とさせる。

 内容があまりにも広大で、古代文献とは認められなかったのだ。

「何だその竹内文献って?」

 キョトンとする北嶋。

「竹内文献から引っ張って来た話じゃねぇのか?」

 そこまで言って俺は気が付く。北嶋は万界の鏡で視て知ったと。

 俺の背筋が寒くなる…!!

「まさか…本当に戸来村に…」

 キリストが来たのか…?

 続く言葉を発する前に、北嶋が口を開く。

「キリストの墓ってのは、世界に沢山存在するぞ」

 ?一体何を言ってやがるんだこの馬鹿は?

「確かにインドにもフランスにも墓とされる物があるが…」

 その数多い墓の中でも青森が本物だと言う事じゃねぇのか?

「他の墓は知らんが、青森のは偽物だ」

 何が言いたいのか解らない俺は、眉根を寄せて北嶋を見る。

「お前ちゃんと前見て運転しろよっ!!」

 俺の顔を腕でグイグイ前に向ける北嶋。

「お、おお…」

 俺は焦って前を向く。言われた通り、脇見運転は危険だ。

「キリストってのは、かなりの有名人だ。名を語り、旨い思いをした奴も沢山いただろうさ。当時はキリストの名を知っていても、顔までは解らない奴が大多数だっただろうしな」

 キリストを有名人っつー北嶋の思考も考えモンだが、成程、納得がいく。

「つーか、わざわざ遠いイスラエルから日本に騙しに来る奴がいたのかよ?」

 キリストの死後、弟子達がキリストの教えを説いて回ったのは何かで読んだ事があるが、遠い極東の日本に来た、と言うのは、少なくとも俺は知らない。

「ある時、宝をかっぱらった泥棒がいた。追っ手は泥棒を捕らえる事を諦める事は無かったので、泥棒はズンズン北に逃げてきた。10年以上かけてシベリアまで逃げてきた泥棒は、執拗な追っ手から逃げる為、海を渡る決心をした。んで、船をかっぱらい、うまい具合に潮や風に乗り、青森まで来る事が出来た。海辺に到着した泥棒は、海辺は危険じゃね?とか思い、山間まで逃げた。辿り着いた先が戸来村、今は新郷村か?と言う訳だ」

 生欠伸をしながら北嶋が説明する。

「道中、自分はキリストだと言って騙していたから、金や食う物には困らなかったって訳か?」

 逃げるにも金はいる。有名なキリストに成り代わり、欺いていたから旅を続けられたんだろう。

 納得した。ギリギリ有り得る話だと思った。

「違うぞ。旅を続けられたのは、ちゃんと奇跡を見せたからだ。キリストは当時異教徒で罪人扱いだったから、下手に名前使うとマズい所もある」

 確かにそうだ。だから磔刑になった筈だ。大雑把だが。

 って!!

「奇跡を見せたからだと!?そいつも霊能者とか超能力者なのか!?」

 キリストが異教徒扱いされながらも、民衆から支持を受けたのは、その力、奇跡に他ならない!!

 泥棒も奇跡を使えたのか?

「だから宝だよ。10数年も追い回すのは、宝にそれなりの価値があったからだ」

 諦めるには惜しいような宝…奇跡を起こせる宝…

「その宝がソロモンの指輪か!!」

「そうそう。泥棒は霊能者としてはレベルが下だったようで、低級な悪魔しか喚び出せなかったようだが、それでも手品レベル位の奇跡は起こせたようだな。いきなり青森まで逃げられる程の奇跡は無理だったようだが」

 合点がいった。確かにキリストの名が広まったのは、処刑された後、弟子達が教えを伝道したからだ。

 下手に名を使ったら、泥棒の罪としてじゃなく、キリストが復活したとして恐れられ、関係ない所で処刑されていたのかもしれない。

 事実、小さな奇跡は起こせたらしいからな。

 下級悪魔を使役したんだろうが…

「納得したならパーキング寄ってくれ。少し喉渇いたからさ」

「お、おう」

 少しどころかかなり納得したので、北嶋の言葉に素直に従い、パーキングに寄った。まぁ、俺も喉が渇いただけだが。


 半日近く運転し、俺達は青森の旧戸来村に着いた。

「あー!車内狭めー!」

 車から降りるなり、北嶋が身体を全開に伸ばす。

「だから軽以外の車買えっつうの!」

 俺一人なら単車で来る事も可能だったが、この馬鹿を後ろに乗せるのは非常に抵抗がある。

 何より、男に抱き付かれたくねぇからな。

「あー、観光地になっているなぁ。ほぼ誰も信じてねーだろうに…」

 方言に混じって聞こえてくる標準語が、観光客のものだろう。

 キリストは21才のとき、日本に渡り12年の間神学について修行を重ね、33才のとき、ユダヤに帰って神の教えについて伝道を行った。

 だが、当時のユダヤ人達は、キリストの教えを容れず、キリストを捕らえて十字架に磔刑に処す事にした。

 しかし、イエスの弟イスキリが兄の身代わりとなって磔刑となる。

 十字架の磔刑から逃れたキリストは、艱難辛苦の旅を続けて、再び、日本の土を踏み青森の戸来村に住居を定めて、女子三人の子供をもうけ、106才まで生きた。

 大雑把だが、以上が竹内文献のキリストの伝承だ。

 まぁ、カトリックの外国人だけじゃない、日本人も信じちゃいない伝承だが、多少は証拠みたいなものもある。

 キリストの墓を守っていた旧家の家紋が『桔梗紋』といわれる家紋なのだが、この家紋は五角の形で、ユダヤのシンボルの六芒星である『ダビデの星』と酷似している。

 イスラエルの失われた十氏族やイエスとの関わりを指摘する説もある。

 戸来小学校の校章はダビデの星と同じ形の籠目であったり。

 戸来村では子供の額に健康祈願などの意味合いを込めて墨で黒い十字を書く風習があったり。

 偶然といや偶然だが、キリストとの関わりを匂わせる証拠が多々あるのだ。

「その泥棒は未熟な霊能者だと言ったな?」

 北嶋に訊ねると、欠伸を噛み殺しながら頷いた。

「使役した悪魔に逆襲される事もよくあったようだな」

 籠目の家紋は悪魔を封じる家紋か。

 恐らく、指輪を盗んだ奴が、悪魔に逆襲された時に、それを退ける為に使用したダビデの星が、そのまま何かの形で伝承されたのだろう。

 キリストの墓では無いとしても、そこそこのパワースポットであるのには変わらないか。

 俺は北嶋に促した。

「おい、早くソロモンの指輪を持って帰ろうぜ」

 北嶋はまたまた欠伸を噛み殺しながら頷いた。

 公園として整備されているキリストの墓を全く無視して北嶋が歩き出す。

「おい、墓は向こうだぜ?」

「墓には指輪は無い。いいから付いて来いよ」

 まぁ確かに。んな貴重なモンが土の中に隠されている訳が無い。誰かが発見して騒ぎになっている筈だ。

 俺の思案を余所にガンガン進んで行く北嶋。

「おい!車で移動した方が早くねぇか!?」

「車見つけられたら不審者としてポリに捕まるだろ」

「捕まるって…犯罪は勘弁だぜ北嶋」

「ギリギリ大丈夫な筈…多分」

 多分だと?いや、捕まったとしても警視総監にコネがある北嶋だ。

 直ぐに出る事は可能だろうが…そうこうしているうちに、辺りが暗くなってきたんだが。

「おい、暗くなって来たぞ!ってテメェ、なんで森の中に入って行くんだよ!」

「いいから早く来い」

 暗闇に森の中…死体でも埋めに行く気分だ。

 変な気分になりながらも、俺は北嶋に付いていった。

 だいぶ進んで辺りが本気で暗闇となったその時、北嶋が歩みを止めた。

「漸くかよ…道なんて無い獣道ばっか通りやがって…」

 そこは本当に整備も手入れもされていない山中。

 しかも伝説の指輪なんか隠してある場所にはとても見えない、単なる森だ。

「さあ、暑苦しい葛西、掘れ」

 北嶋が地面に指を差す。

「…スコップなんて持ってきてねぇぞ?」

 北嶋が肩を竦めてヤレヤレと首を振る。

「スコップで掘ったら不審者丸出しだろうが。お前が鬼に掘らせたら、犬かなんかが掘ったと思うだろ」

「ふざけんなよテメェ!テメェが欲しいモンだろうが!じゃあテメェが掘りやがれ!」

 他力本願を超えて無茶苦茶な馬鹿要求をする北嶋にキレる俺。

「やっぱり駄目か。ケチくせーな」

 そう言いながら北嶋は草薙を手に喚んだ。

「また神具を穴掘り道具にすんのかよ」

「結構深く掘らなきゃならないからな。元々スコップじゃ無理があるんだよ」

 そう言うと、北嶋は草薙を振り下ろした。

 ガゴオオオッッと、結構な音と共に地面が裂けて5メートル程地盤沈下する。

「ヤベェんじゃねぇか?騒ぎになるぜ?」

 沈下した地層を見ながら呟く俺。

「賢者の石で沈下した分の土を盛れば問題ないだろ。本当は盛らない方が喜ぶだろうが」

 切っ先で地層を差す北嶋。

「遺跡か…」

 学術的にどれほどの価値があるかは解らないが、そこには遺跡が顔を覗かせていた。

「弥生時代のだ」

「なんでテメェに解るんだよ?」

「泥棒が逃げてきたのはキリストの時代だ。その頃日本はまだ弥生時代だ」

 ああ、成程。合点がいったぜ。

 感心して頷く俺。

 木の枝を拾う北嶋。そして盛り上がっている部分を木の枝でガシガシと掘る。

 北嶋が露わにしたのは、腐っている木の根だ。

「結構デカい根だな」

 北嶋は俺に返事を返す事無く、木の根を掘っていく。

「あった!!」

 北嶋が取り出したのは、腐食が進んで単なる錆の塊となっている、小さい物体だった。

「これがソロモンの指輪?」

 北嶋からひったくって、錆の塊をマジマジと見る。

 正直言って、全く有り難みが無い!!

「木に空いていた穴に隠したようだな。木が成長し、指輪はそのまま木の中に埋もれて行ったと。土に埋めたり、野晒しなら原型すら無かっただろうが、これも奇跡ってヤツか」

 北嶋は賢者の石を沈下した地面に翳した。

 モリモリモリモリと土が沈下した地面に盛り上がり、遂には元通りに戻った。

「何でも有りかよ!!」

「これで用事は済んだ。帰るぞ暑苦しい葛西」

 北嶋はすっかり真っ暗くなった森の中を戻って行く。

「おい、これがソロモンの指輪だとしても、錆の塊だぜ?レア物の指輪『だった』と神崎に渡すのかよ?」

 過去にどれほどの価値や力があったとしても、今は単なる錆の玉だ。到底喜ばれる代物じゃない。

「車に戻ったら直すよ」

 直す?指輪を?錆の玉を指輪に戻すって言うのか?

 俺は興味を持ちながら、北嶋の後に続いた。


 車に戻った俺は、北嶋の指示に従い、『逃げるように』新郷村を去った。

「ふぃー!とりあえず誰にも見られなかったな!」

 わざとらしく額の汗を袖で拭い去る北嶋。全然焦ってねえだろうに。

「沈下した地面も元に戻したんだから文句言われねぇだろ」

「何かとうざい目に遭うかもしれないからさ」

 そう言いながら、北嶋は錆の玉に賢者の石を翳す。

「直すって賢者の石でかよ?効力無くならねぇのか?」

「元に直すだけだから問題ない。」

 サラサラと錆の玉が風化して行ったかと思ったら、北嶋の手のひらに指輪が転がっていた。

「直したぞ。見てみるか?」

「早ぇな!ちょっと脇に止めるぜ!」

 俺は逸る気持ちを押さえ切れずに路肩に車を停車させた。そして北嶋から指輪をひったくる。

「これがソロモンの指輪………!!」

 指輪をひったくった瞬間、心臓の鼓動が激しく高鳴る。

 先程の錆の玉とは違い、今は完全に鉄と真鍮でできた指輪だ。

 指輪には、何か文字が彫られている。

 これが神の名か。

 俺は正直言ってビビっていた。

 錆の玉の時には感じなかった凄まじい魔力が、指輪から発せられている為だ。

 この魔力が溢れ出ている指輪を神崎に?

 俺は重い口を開くよう呟いた。

「北嶋…多分神崎は受け取らねぇぜ…」

 北嶋は一瞬キョトンとし、それから笑いながら俺の肩をバンバンと叩いた。

「フハハハ!いくらレア物の指輪が欲しいからといえ、自分が貰う的な事を遠回りに言うとは、随分セコいな!暑苦しい葛西!」

「馬鹿テメェ…まぁいい。帰ってから、テメェ自身で確認すりゃいいさ…」

 平和で呑気な北嶋はこの指輪から迸る、凄まじい魔力が解らねぇんだろう。

 いや、解った所で意に介さないのか。

 北嶋は味方なら護る、敵なら滅するだけだ。

 何故か沸々と闘志が湧いてくる…!!

「テメェをぶっ倒せるのは俺だけだぜ北嶋」

 底から溢れる闘志を抑えきれずに北嶋を見据える。

「弱い者虐めは好きじゃないんだけどなぁ」

 北嶋が言い終えた瞬間、狭い車内で俺達は取っ組み合いを始めた。


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