第2話
博康は県内でもかなり有名な進学校に通学する高校生で、成績優秀で、スポーツも大概のものをこなす、挙句、それなりの容姿で常に人からも信頼されているような非の打ちどころがない学生だった。
しかしいつの日からかそんな日常が続いていく事に、苦痛しか見つけ出せなくなってしまい、いつもと違う日常から逃げ出そうとする生活が続いていた。
タバコ、酒、ギャンブル、薬……しばらくはそれでも日常と違うという感覚がして生きているという感覚もあったが、しかし、どれも常習化してしまうと、今の日常と何も変わらない、非日常は繰り返す事によってそれが日常になっていくという事を知っただけだった。
それに絶望した博康は、高校2年の時に自分の死を覚悟した。
それからの数か月は、自分の死を願うばかりで何もかもが手につかなかった。
いつも思うのは、どうしてこんなにも退屈な日常をほかの人間は過ごしていけるのだろう、という事ばかりで、そんな事を相談できる友達などいなかったし、もちろんそんな事を親になど絶対に言えなかった。
そもそも博康には友達がいなかった。
いや、いなかった訳ではない。
あくまでそれは一方通行の友達意識で、博康自身はその人たちの事を友達などとは思ってもいなかった。
そんな友達付き合いしかできない自分の性格を恨む事も以前にはあったが、いつしかほかの人間を見下すようになっていた。それでも学校で孤立することを恐れていた博康は、自分以外の人間には上面しか見せずうまく付き合っていく事だけを行った。
そんな日常に飽き飽きした結果が、今の旅をする一つの要因にもなっているのかもしれない。
そして博康は旅に出たのだ。
もちろん博康には初めての旅で、今まで旅というものは年に数回行く家族旅行や、中学生の時に行った修学旅行位しかなく、一人で旅をするなどということは初めてだった。
そしてそれが最後になる旅だった。
景色は流れ、いつも見ていた景色とは全く違う景色を電車は運んできていた。
山は近付き、太陽は本来持っている夏の凶暴なまでの日差しを電車の窓から電車の中に投げかけていた。
眺めるとも見ているともつかない視線で外の景色を見ていると、誰かが急に声をかけてきた。
「よう!」いつの間にか博康の前の席には二十歳を少し超えたような男が座っていた。
少しびっくりしたが、その声を無視して博康は外の景色を眺めるふりをしていると、もう一度その男は声を掛けてきた。
「よう!どうしたんだ?なんか調子でも悪いのか?」
なれなれしく話しかけてくる男に少し苛立ち、無視し続けることにした。
男は更に続けた。
「なんだ?元気ないな?朝飯ちゃんと食ったのか?しゃーねーなー、俺の朝飯ちょっとやるよ。お前も旅の途中なんだろ?だったらちゃんと朝飯食った方がいいぞ!なんせ旅は意外と体力使うからなー、ほれ、食え」
そう言って、男はパンを差し出してきた。
いい加減鬱陶しくなった博康は「ほっといて下さい」とパンを払いのけ、窓の外に視線を移そうとしたが、再び男が喋りだした。
「何だ何だ?食欲ないのか?まだ若いのに、俺なんてほら朝からこんなに食べちまうぜ」
と言ってバックパックの中からたくさんの食べ物を出してきた。
もともと朝食を食べない博康には、考えられないくらいの量の食べ物を見て、少し気分が悪くなって思わず言ってしまった。
「よくそんなに朝から……気持ち悪くないんですか?」
その反応に男は更に続けた。
「何だ?変か?朝はこれくらい食べんと力が出んだろ!」
と、言いつつ男は食事を続けた。
口をもごもごさせながら男は話し続ける。
「これからどこに行くんだ?この路線だと○○県あたりか?じゃあ俺と一緒だな!」
勝手に一人で話し続けている男を他所に、博康は窓の外を眺めつづける。
更に男は話しかけてくる。
「おーそうだよな!この辺の景色はいつ来てもいいよな!特にこのころになると、冷たい 山の空気と蝉の鳴き声、川のせせらぎの音、そんなものがいっぱい溢れてる」
そんな事気にもしなかった博康は、思わず窓の外の景色をもう一度じっくりと眺めた。確かに蝉の鳴き声、山の冷たい空気は、電車の中のエアコンでよく解らなかったが、いかにも気持ちよさそうな山の景色が、電車の窓から流れ続けていた。
少し瞳の色が変わったのか、それに気づいた男は更に話しかけてきた。
「なっ、いいだろ?俺も何回かこの路線を使って旅に出たけど、ここは今の時期が一番景色がいい!まー季節毎にそれなりに景色が良いが、ここはやっぱり今の時期が一番いい」
その言葉を聞きながらここの四季の景色を頭の中に想像してみた。
確かにこの男が言うようにこの景色は、今の時期が一番いいのかもしれないと思うな、と博康もその意見に自分の中で同意した。
「今日はどこまで行くんだ?」
何も考えていなかった博康に、いきなりの質問を掛けてきた男に思わず返事を返してしまった。
「今日は、△△県辺りまで行こうかと思ってます」
不意を突かれたとはいえ思わず答えてしまって、博康は後悔した。
「そうかそうか!じゃあ俺と一緒だな」
この男のこの後の言葉に、更に博康は後悔した。
「じゃあ一緒に行こうぜ!何、気にするな。見たところまだ旅の初心者って感じだ、俺がいろいろ教えてやるよ!旅は道連れっていうだろ!よろしく、相棒!」
言葉を一気にまくし立てて、男は言い放った。
その言葉を聞いて博康は更に絶望した。
絶望した博康を他所に男は勝手に自己紹介を始めた。
「俺の名前は流川民雄。二十四歳独身だ。よろしくな。で、お前の名前は?」
まくし立てた男の勢いにのまれ、思わず返事をしてしまう。
「川邉博康です」
「おー博康か、じゃあ博康よろしく」
なれなれしく名前をよんで握手を求めてきたが、さすがにそこまでは気が許さなかった博康は、求めてきた握手には応じず窓の外に視線を移した。
握手を無視された民雄は、行くあての無くなった右手を所在なくぶらぶらさせて、もとに戻した。
最後の旅に最悪の人間がお供に着いてきてしまった……そう思った博康は、思わず
ため息をついてしまった。
しばらく一人で喋り続ける民雄を、意識の外において窓の景色を眺め続けていると、
民雄はガサガサと荷物を方付け出した。
いつの間にか電車は終点までたどり着き、電車を乗り換える所まで来ていた。
「よし、博康乗換だぞ」
その言葉に自分も用意をして電車を降りた。
「確か……この駅の近くに……」
何か独り言を呟きながら、地図を広げる民雄。
「そうだそうだ、ここだここ」
そういいながら振り返り、民雄は話しかけてきた。
「よーし、博康。今から昼飯食いに行くぞ」
「はっ?」その言葉に思わず絶句する博康。
そんな事はまったく気にしないというように民雄はスタスタと歩いて行ってしまう。
あれだけ電車の中でパンやらおにぎりやら食べて、まだこの男は食べるのかと博康は思った。
遅れてついてくる博康に「早く来いよ」と声を掛け、更に自分一人で歩き出す。
その言葉に少し投げやりな気持ちになりついていく博康、それを横目にスタスタと歩いていく民雄、この先いつまで民雄と一緒に行かなければならないのか、考えるだけで少しぞっとした。
こんな事なら、出発を一日伸ばしておけばよかった。
そんな事を知らずに、民雄は更に歩みを進めていた。
どこまで行くのかわからず、博康は民雄の後を黙ってついていく。
駅から歩きだして数分、段々人気の無い所に来てしまった。その事に少し不安をよぎらせながらも、ひたすら少し前を歩く民雄に着いていく。
そうこうしてる間に、川が見えてきた。
何を思ったか、民雄は土手を降りて河原に降りて行ってしまい、何やら始めだした。
戸惑って見ている博康に「早く降りて来い」と声を掛けてきたので、仕方なく博康も民雄に続いて土手を降りて行った。
「今から、何するんですか?」
「言っただろ?昼飯食うぞって」
「いや、だったらこんな所じゃなくて、何処かお店に行きましょうよ」
「ばか、お前せっかくこんな綺麗な景色と綺麗な川が流れてる所で、わざわざ店に入って飯なんか食う事無いだろ」
康弘は何を言っているのかさっぱりわからずにいたが、民雄はそんな事を気にする様子もなく準備をし始めた。
そして重そうなバックパックから釣竿を出し、博康に手渡した。
「よし、じゃあよろしくな」
「?」
「釣り位やった事あるだろ?ここには鮎とか山女魚とかいっぱいいるから、期待してるぞ!わかったら行って来い」
「そんな!僕、釣りなんかやった事ないですよ!」
「何だ何だー、最近の若い奴は、釣りもやった事ないのか?あーもうわかった。じゃあ釣りはいい。お前は飯炊いとけ」と飯盒を渡される。
「……これ、なんですか?」
「なにー……まさか飯盒も知らないのか……最近の学校では何を教えてるんだか……」
どうやらこれでご飯を炊くらしいが、博康には全く理解できなかった。
「あーもうわかった!俺がやり方教えてやるから見とけ」と言い、民雄は飯盒に米を入れ河原に近づいて行った。
「こうやって、米を磨ぐんだ。ほらやってみろ」と手渡される。
「こうですか?」
「そうだ、そうだ。うまいぞ。じゃあ俺は釣りに行ってくるから飯よろしくな。間違っても洗剤なんかで米を洗うなよ!」
「はい……」突然米を洗わされて、いきなりご飯を炊けだなんて……
何でこんな事やらされるんだ!早くこの男から逃げ出さないと。
そう博康は思いながらも米を磨ぎ続けた。
米を磨いでしばらくすると、民雄が魚をニ、三匹と焚き木用の木を大量に持って帰ってきた。
「いい形のやつが釣れたぞー、さあ飯の準備、準備」
そういいながら民雄は適当に河原の石を積み上げ、窯を作っていった。
「よーし、じゃあ火を起こして、と、よし飯盒」
焚き木に火が付き、モクモクとけ煙を上げ火が勢いをつけた。
そしてさっき米を磨いだ飯盒を手渡し、民雄は中を確認し一言
「やっぱり……確認しておいてよかった……お前、お粥を作るつもりか?」
民雄はそういって、飯盒の中の水を捨てて言った。
「飯を炊くときの水加減は、指のこの辺まで入れるんだ。大体人差し指の第二関節辺り
まで」
そして飯盒を火にかけた。それから釣ってきた魚を適当な枝に刺し、塩をかけ、火にかざした。
しばらくすると魚の焼ける匂いと、ご飯の炊ける匂いが辺りに漂いだした。
時間は昼を少し回ったところだ。
朝から何も食べていない博康も、さすがに目の前の飯盒と焼けてきた魚の匂いに腹を鳴らした。その音が聞こえたのか、民雄は笑いながら
「もうすぐできるから、もうちょっと我慢してなって。腹が減った方がうまいに決まってるんだからな」
そして、ようやくご飯が炊け、魚もいい感じに焦げ目がつき出来上がったようだ。
「よーし、出来たぞ!じゃあ食うか」
返事もそこそこに、取り分けられた皿に思わずがっついてご飯をかきこむ、かきこむ、かきこむ、かきこむ……
あっ、という間に食べきってしまった。
「あーうまかった」満足げに民雄も笑いかける。
「そうだろ、そうだろ!こんな景色のいいところで飯を食うと、また格別なもんだ。
どこかの店で食うのも悪くはないが、せっかくならこんな所で食うのが一番だな」
そういいながら飯盒を洗いバックパックにしまった。
「よし、じゃあ飯も食ったしそろそろ行くか」
そう言われた博康は返事をしそうになったが、改めて思い直し答えた。
「ご飯も頂いてこんな事いうのもなんですけど……」
「どうした?」
「僕、一人で旅をしたいんです」
「えっ?……そうなのか?なんだ、だったら早く言えよ!まーそうだよな、一人旅ってのもやっぱり良いよな!いやーすっかり余計な事をしちまったなー悪い悪い」
「いえ、全然、こちらこそご飯おいしかったです」
「よし、じゃあここで別れようか」
「そうですね」
「またどこかで会ったら声かけてくれよな」
「そうですね、またどこかで」
そういって民雄は手を差し出した。今度はそれに応じた博康は河原を後にし、駅の方に戻っていった。
そしてまた博康は死ぬための最後の旅を始める。
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