養子 宇棚ひろし
珍太朗の【養子】とはどういう事なのか?
それは遡る事数十年前、珍太朗がミスタースーパーフライと称され球界を代表するスラッガーとして活躍していた頃である。
珍太朗は遠征先の女性と恋に落ち、女性は珍太朗の子を宿す。
行く先々の遠征の地では必ずと言っていいほど、珍太朗は種を蒔く。
珍太朗が四国へ遠征に行った時であった。
いつものように女性と知り合い恋に落ちるはずだった。
しかし、その女性は人妻、珍太朗は他人様の者には手を付けないという、ゲスながらゲスなりの信条があった。
その女性は既に妊娠中であった。
しかし、ヌキヌキはしてもらった。
珍太朗と自分の妻が親密な関係になっているという事を知った夫は怒り心頭で珍太朗を呼び出した。
珍太朗が状況を説明するが、夫は怒りが収まらない。
自分にも落ち度があると珍太朗はかなりの額の慰謝料を払った。
これで一件落着と思いきや、夫は妻を捨て、その慰謝料で新しい女を作り、その女のバックアップを得て事業家としての地位を築いた。
捨てられた妻は行く場所もなくお腹の中には子供がいる。
それを知った珍太朗は、陰ながら支援した。
そして生まれた子供は珍太朗の息子として育てる為に、宇棚の姓をつけた。
それが宇棚ひろしなのである。
四国遠征の際には必ず顔を出し、幼いひろしとキャッチボールをして我が子のように可愛がった。
そして野球の才能がある事を見抜き、名門校の入学させた。学費は善治が払っていた。
そしてひろしが高校三年生の時、スーパーフライヤーズの監督をしていた珍太朗が周囲の反対を押し退け単独でドラフト一位指名した。
入団一年目から頭角を現し、新人王を獲得。
以降は数々のタイトルを獲得し、球界ナンバーワンの選手へと成長した。
しかし、週刊紙の噂の件により、成績は下降し、最終的にはルールさえ解らないような素人同然になり、球界から消えた。
それは、ひろしは競走馬に例えると早熟タイプであり、ピークの時期があまりにも早すぎたのである。
週刊紙の一件とピークが落ちた時期が偶然にも重なっただけなのである。
ひろしはハタチでピークを過ぎ、後は引退間際の選手のように衰えていたのだ。
あまりにも早すぎるピークであった。
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