③-ユキトの苦手分野-
「やっぱり! ユキト様!」
驚きから満面の笑みに変えたアルルは一目散にユキトに駆け寄った。呆気に取られたユキトの前に来ると、彼の両手を握りしめて涙ぐむ。
「良かった、またお会いできて……騎士に扮して出兵されたと聞いて、すごく心配しておりました。無事に戻られたのですね」
アルルは目に浮かんだ涙を指で拭う。ユキトはそこで我に返った。
「……ちょっと前まで施療院にいて、さっきギュオレイン州から帰ってきた、とか?」
「え? いえ、ついさきほど辺境伯領から戻ってきたのですが」
アルルが首を傾げる。まさか、とユキトは真顔に戻る。
「お聞きになられていないのですか? クザン様のご用命で、辺境伯領の鍛冶職人に接触するお役目に選ばれたのです」
薄々理解しかけていたが、やはりアルル達が使者だった。信じられないとばかりにユキトはアルルを見つめる。
「そんな、だってアルル達は普通の商人じゃないか……」
「だからこその人選、とクザン様は仰っていました。商人であれば外部からの訪問は不審に思われませんし、鍛冶職人との接触も簡単ですから。入手した物品も取引物に紛れ込ませられますしね」
にこやかに笑うアルルだが、ユキトは不機嫌さを垣間見せる。狐目の家臣を思い浮かべて、彼に悪態を突いてやりたくなった。
確かにゼスペリア兵士が偽装したところで、挙動が商人と違いすぎれば怪しまれる。だったら本物を使ったほうがマシ、という判断なのだろう。
しかし敵対勢力の圏内に踏み込むことは、それ自体が危険を伴う。アルル達は一般民で襲われれば一溜まりもない。
戦争準備に気を取られていたこと、クザンに任せきりだったこともあってユキトはまったく関知していなかった。先に聞いておくべきだったと歯痒くなる。
「……ごめん、無茶なことさせて」
「あ、謝らないでください。あたし達は無事に帰ってこれましたから」
『クザンのことだから、危険性は低いと考えたのだろう。さすがにガルディーン卿もアルメロイ卿もライゼルス軍への対応に追われて、商人の動向まで把握する余裕はなかったわけだ』
傍らでルゥナが冷静に分析しているが、これは気持ちの問題だ。アルルには辛い目に合わせているだけに、また危険なことを首を突っ込ませたくはなかった。
微妙な表情でいるユキトに対して、アルルは「あ、それでですね」と言いながらおもむろに服のボタンを外す。綿製の服は胸元まではだけて谷間が曝け出された。
ユキトとルゥナは同時に吹き出す。
「な、なにして!?」
「え? あ、きゃあ……!」
自分の行為に今気づいたという感じでアルルが叫び、咄嗟に後ろを向く。それからユキトに隠れて服の中に手を入れ、ごそごそと何かを探し始めた。当たり前だが別に見せたかったわけではないようだ。
アルルは頬を紅潮させながら振り向き、ユキトにあるものを差し出した。
それは折り畳まれた便箋だ。既に開封されていて、封蝋が切れている。
「鍛冶職人のウェルビンさんから預かってきました。ライオット殿下からのお手紙で間違いないそうです。なくしたり取られたりするといけないと思って、服の中に隠してて……」
ユキトは目を見開く。
ライオットからの遺言は、届いていた。
震える手で静かに受け取る。開封済みの便箋は二枚が重ねて折り畳まれたものだった。ユキトはそっと、隣にいるルゥナへ中身を向ける。
『……間違いない、と思う。ライオット殿下の、筆跡だ』
若干声を詰まらせながらも、ルゥナは答えた。
ユキトは深く息を吸って、よし、と呟く。
「ありがとうアルル。これで全て終わらせられる」
「良かった……! 帰る道中もずっとドキドキしてて……ホッとしました」
緊張から開放され胸を撫で下ろしたアルルは、ユキトの空いている方の手をきゅっと握りしめる。
「ご指名に預かった責任もありましたが、何よりユキト様に喜んでいただけるのが嬉しいです。それだけで十分、報われます」
「アルル……」
えへへ、とはにかむアルルに、ユキトは微笑みを覗かせる。
優しい眼差しにアルルは、のぼせたようにとろんと目尻を下げた。
「なーに見つめ合ってんですか」
栗色の頭部が二人の間からにゅっと突き出る。
ユキトとアルルは仰け反って手を離した。
いつの間に現れたのか、ジルナが腰に手を当ててふんぞり返っている。
「ジ、ジルナ……なんつうところから出てくんだ」
「いけませんかね職場のど真ん中でイチャイチャしてるところに割って入っちゃ!? なんですか人が寝てる間にいい雰囲気になっちゃって! もしかしなくてもユキトは女の敵ですか!?」
「て、敵?」
『ジルナの言うとおりだぞ君はところ構わず誰でも優しくしてそういうのよくないと思う勘違いさせたら責任とれるのかそういうとこだぞ自覚しろ』
ジルナは野生の獣のようにシャーっと唸り、ルゥナは超早口の小言を繰り出している。よく理解できていないユキトだが、言い訳をしようものなら血を見るということだけは悟っていた。
ユキトが困り果てて所在なさげにすると、ジルナはふんと鼻息を吐く。
「垂らしだなとは思ってましたけどほんともう……で、そちらのあなた。ドッペリーニ輜重隊の人ですね?」
「は、はい! アルルと申します」
「ご苦労様でしたアルル。見事に任務を果たしてくれた礼を言います」
ニコリと笑うジルナだが、なぜかそこでアルルは更に縮こまった。ユキトの側からは見えないが、ジルナは凄みを効かせた目をアルルに向けている。
「報酬については後日、改めてそちらの要望を伺います。あと個人的に貴女には聞きたいことがありますので。色々と、じっくり」
「あう、はい……あたしこそ、よろしくお願いします」
剣呑な雰囲気のようで、その実ジルナの顔にも興味と好戦的な色が浮かんでいる。なにか関わらないほうがいい気がして、ユキトは黙っていることにした。
「それでライオット殿下の遺言は?」
「これだよ」
ユキトは持っていた便箋をジルナに渡す。彼女が読み始めると、待機していた男女二人も近寄ってきた。彼らもやはりドッペリーニ輜重隊に所属する商人で、ユキトは見覚えがあった。
「あの、手紙とは別に鍛冶職人から受け取ったものがあります。本来、ライオット殿下からルゥナール様に贈られるものであったと」
ぴくりとルゥナが肩を振るわす。
女商人から受け取ったものは小箱だった。
蓋を開ける。内部に収まった物が、朝焼けの光を受けて輝いていた。
「……こっちのほうが本来、ライオットさんが用意してたものなんだよな」
真相が記された手紙は火急に用意されたもので、ルゥナに届くものは一つのみだった。手紙の送付先が鍛冶職人になったのも、これがルゥナの手元に届く可能性が高かったからだ。
しかしルゥナは生前のうちに、これを受け取ることはできなかった。ライオットは彼女の暗殺が断行されることを予期できておらず、こうして死後になるまで友人のもとで保管されていた。
ルゥナが顔を歪めて泣いていても、それを我慢していようとも、ユキトは精一杯慰めるつもりで振り返る。
だが予想に反して、彼女は静かに箱を眺めるだけだった。まるで遠い過去を思い出しているかのように、少し寂しげな目をしている。そこに感情の揺らぎはない。
『……ユキト。しばらくの間、これを預かっていてくれないか』
「え? それは、別にいいけど」
『ありがとう』
ユキトは胸のざわつきを覚えた。彼女は、未練を諦めて消え去ろうとする幽霊達と同じような、達観に似た寂寥感を抱いている。
しかしゼスペリアは敵国の侵攻を防ぎ、ジルナも長としての片鱗を覗かせ周囲に認められ始めている。未練は成就という形で収まり初めているはずだ。
では彼女は、何を諦めようとしているのか?
思い違いである可能性もあったが、身体の薄さが増している今、ユキトは不安を感じずにはいられなかった。
そのときジルナが、ため息と共に便箋を持った手を下ろす。振り返った彼女は、決意の篭もった眼差しで告げた。
「全ての駒は揃いました。今より、レミュオルム城へと出陣します」
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