⑪-約束-
ドルニア平原に爆発音が響く、その十数分前。
騎兵達は敵歩兵部隊を陽動し、続けてゼスペリア歩兵が正面から突っ込むことで乱戦が開始される。
その一連の様子を、ユキトは見晴らしのいい丘の上から眺めていた。
彼はライラの背後で馬に跨がっている。戦場へ突入する準備は整っていた。他にも四人の騎兵が待機しているが、この計五名が遊撃隊として独立に動くことになる。
「上々っすね。ルゥナ様の演説が抜群だったおかげかな」
戦斧を肩に担ぐライラはどこか満足げな様子で戦場を眺める。ルゥナのために奮起した、という事実が単純に嬉しいようだった。
『もしそうだとしても、私の功績ではない。ユキトが案を提示し、そして何を伝えるか考えてくれたおかげだ』
ルゥナが率直に褒める。ライラへの返事というより、ユキトに胸の内を伝えたいという感じだった。
だが当のユキトは、賞賛の言葉を喜べない。
確かに演説の方向性はユキトが決めた。生き残ることが最も重要だと説くことで、後ろ向きな意識を逆転させた。
それでゼスペリア軍崩壊の危機は回避できたかもしれないが、扇動した人間という立場も明確となる。
戦争では、どう足掻いたところで死人は出る。全員が生き残れる確率も低い。
それをわかっていながら皆を突き動かした責任が、刃となって胸に突き刺さる。
『ユキト』
ルゥナに呼ばれて、ユキトは顔を上げた。
彼女は真っ直ぐな視線を向けるだけで、何も語らない。
それでも、君のそばにいるからと、想いが伝わってくる。
不安定な精神に一本の支えが入った。ルゥナを拠り所として、ユキトの心には勇壮が宿る。
自分の責任から逃れるつもりはない。一人でも多くの味方を助け、そして早期に戦争を終わらせる。敵兵だからといって、その命を無駄に奪わせたくない。
それがユキトの騎士道だ。
「うし、そろそろ行きますかね。狙うは騎兵隊長か参謀指揮隊長ってところか。目ぼしいのがいたら迷わず突っ込むっすから」
「頼む、ライラさん」
「任せときな~」
ライラの調子はいつもと変わらない。だからこそ安心して手綱を任せられる。
ユキトは後方へ振り返った。天幕の前では家臣に囲まれたジルナが、険しい顔つきで戦況を見守っていた。
ジルナと視線が合う。軽く頷かれ、ユキトもうなずき返す。
そしてユキトは、腰に装着した鎖つきの剣をぽんと叩いた。必ず持って帰るという意思だったが、伝わったようでジルナの目元が少しだけ柔らかくなる。
剣はジルナから預けられたものだ。それを返すことが、彼女との約束だった。
******
「ユキト、この剣を預けます」
それは内地出立の前日で、ちょうど守護兵団との合流日程が決定した頃合いだった。
執務室に呼び出されたユキトは、てっきりその件に関する話だと思っていたが、入るなりジルナから一振りの剣を手渡された。
『そ、それを持ち出すのか……?』
隣でルゥナが動揺しているが、事情を知らないユキトは訝しむ。
柄頭に鎖がついているので円燐剣専用のようだが、装飾の施された鞘が綺麗だという以外に目立った点はない。
「抜いてみてください」
ジルナに促され、ユキトは鞘から剣を抜く。
両刃の刀身は、中央が僅かに黒みがかかった色合いをしていた。
刃こぼれどころか染み一つなく、どこか荘厳な光沢を纏っている。
「ロド家に伝わる宝剣<暁の王>と言います。天空より舞い降りた星から精製したという代物で、代々ロド家の当主が受け継いできました」
天空、という言い回しが彼に一つのイメージを浮かび上がらせた。
隕石ではないか、と。
元の世界には隕鉄を用いて日本刀を製造したという逸話がある。同じように、この世界でも隕鉄を使って剣を製造した事例があるのかもしれない。
「年代物ですが、不思議と錆も劣化もありません。ドルニア平原では、これを使ってください」
「でも、宝剣っていうからには大切なものじゃ……?」
「だからこそ意義があるのですよ。ロド家の宝剣を所持するということは、つまり前州長代理の代行者として信任された証となります。<憑依騎士>という称号とその力を敵味方に知らしめる絶大な効果もあるでしょう」
「……演出に凝る、ってことか」
納得したユキトは剣を鞘に戻す。それで皆が安心するのなら、特に反対する理由もない。
一方でルゥナは『むぅ』と呟き、難しい顔をしていた。
『ユキト、絶対に手放さないように。なくしたら一大事だ』
「あー、うん。宝剣だもんな」
『そんな軽い気持ちでいては駄目だ! 絶対だ絶対!』
激しい剣幕で念を押されてユキトが驚くと、ジルナが小首をかしげた。
「姉様、怒ってます?」
「怒ってるというか、絶対に落とすなって注意されてるというか」
「なるほど、そっちの心配ですね。それは私からもお願いします。宝剣は騎士の叙任式などあらゆる祭儀で使用しますし、ロド家の財宝ですから。売り飛ばしたら三代くらいは不自由なく暮らせるんじゃないかな?」
「ちょっ……!?」
素っ頓狂な声を上げたユキトは、宝剣をまじまじと見つめる。大切なものを預かっている実感が沸いて、手に汗が滲んできた。
「だから絶対に、私のところに返しにきてくださいね?」
軽く笑いかけるジルナだが、目は真剣だった。こくこくとユキトは頷く。
「……こりゃ死んでる場合じゃないな」
「そうです。そのために預けるんですから」
その一言にユキトはハッとする。
思い出すのは、ジルナからの告白だ。
初めは臆病風に吹かれた人間をけしかけるための方便だと捉えていた。以降のジルナもいつもと変わらない態度で、忙しそうにしていたから確認を取る暇もなかった。
しかし見つめてくるジルナの瞳には若干の不安と、何かに気づいて欲しがっているような熱意が混ざっている。
今は州長ではなく、一人の少女として言っているのだと、ユキトは直感した。
思えば告白された瞬間の胸のざわめきは、本物の言葉だったからこそ響いたのかもしれない。気持ちの裏付けがない台詞だったらきっと白々しく聞こえていた。
彼女の潤んだ瞳を前にして、鼓動が早まる。ここにきてユキトはようやく、焦りにも似た感情を抱く。
好意を寄せられた経験などほとんどないが、誤魔化すべき場面でないことだけはわかった。
「ジルナ、俺は……」
果たして自分は、彼女をどう思っているのか。
それは胸の高鳴りが代弁している。
だが、心の奥で何かが引っかかった。
「あれ、いいんですか? 姉様もいるのに」
悪戯っぽい発言にユキトはビクリとする。
ゆっくり振り返ると、ルゥナは素知らぬ顔で明後日の方向を向いていた。
『あ、あの私のことだったらその、気にしないで続けて』
とは言うもののルゥナの顔は真っ赤で、思い切り意識している。
ユキトは内心で狼狽えた。こんなところをルゥナに見せてしまった。
恥ずかしい、というより、後ろめたさが過る。
なにも悪いことなどしていないのに。
――……あれ? 俺、どっちなんだ?
自分で自分の感情が掴めない。そんな困惑もよそに、ジルナはくすりと笑う。
「全ては無事に帰ってこその話です。がんばりましょうね、ユキト」
ジルナが軽くウインクを投げる。彼女はそれで一切の気持ちを脇に置いたようだった。
ユキトも自分の本心を奥底にしまい込み、宝剣<暁の王>を腰に装着する。
******
生きて帰る。再確認し、ユキトはゆっくり深呼吸した。
「行こう……!」
ライラが馬を走らせる。続けて四騎が後を追った。
足を踏み入れた戦場は、土埃が舞って視界が悪くビリビリと空気が振動していた。
そこかしこで怒号と悲鳴が混じり、肉の切れる音、何かが破砕される音が一緒くたに混ざりあっている。鼻孔をつくのは血臭だ。
必死の形相を浮かべる兵士達は、僅かな理性を頼りに同胞を助け、あるいは守られながら生き残るために戦っていた。
ユキトの全身が総毛立つ。肌で感じる殺気は、かつて取り憑かれた悪霊の比ではない。手先が冷たくなり、緊張で体が強ばっていく。
――駄目だ、ビビってる場合じゃないだろ!
ユキトは自分の頬を叩いて、気持ちを強引に奮い立たせた。ジルナの策を成功させるために必要な役目を請け負っている。今は人の死も、幽霊のことも頭の隅に追いやるべきだ。
ライラは戦闘箇所を巧みに躱して進んでいるが、それは回避のためではなく時間の節約のためだった。
狙うは一点、敵兵を束ねる隊長格。それも複数人を戦闘不能にできれば申し分ない。だからこそ、余計な戦闘で疲労を蓄積することを避けている。
何よりユキトは、ルゥナの憑依を一度使用してしまった。二度目の憑依後は気絶、ないしは疲労困憊に陥る可能性が高い。つまり憑依はあと一回きりで、安易に彼女を頼ることもできない。
そして、ジルナの策を成功に導く鍵はルゥナが握っている。標的に辿り着くまで、倒れてなどいられないのだ。
ジルナの策は三つある。それら全ては、他国まで遠征してきたライゼルス軍の懐事情を逆手に取ったものだった。
秘策の一つ目は獣射による攪乱。これは驚異となる敵騎兵隊を削り、かつ階級が上の人間を排除する目的がある。
二つ目は守護兵団の投入。純粋な数の差を埋めることで生存確率を上げつつ、数日間は戦闘を継続させることを可能とした。
そして三つ目は、憑依騎士ユキトの体を借りたルゥナの活躍だ。
どんな軍隊でも死んだ人間を復活させることはできない。失えば、替えをどこかから集めてくる他ない。
だがライゼルス軍は、本国から人員を補充するにも時間がかかってしまう。他街道にいる友軍の補給も期待できない、という点はライゼルスもゼスペリアも同じだった。
つまりこの状況は一対一の果たし合いも同然。
どちらが先に撤退を決めるかの根比べだ。
それを理解しているジルナは、歩兵を消耗させるのではなく率先して指揮官や騎士を排除することを目論んだ。いかに精鋭部隊といえど、統率する人間を欠けば部隊には綻びが生じる。敵兵の不安は一気に増大するだろう。
更には、無念の内に散ったロド家の長女が、今度こそ仇敵に一矢報いるという展開はゼスペリア軍を活気づける。逆にライゼルス軍は<憑依騎士>という奇抜な存在に翻弄され、いらぬ警戒から疲労が蓄積していく。
つまりジルナの案とは、心を削る戦い方といえた。
しかし、彼女が考えた筋書きが全てうまくいっているわけではない。
――この調子はいつか崩れる。だから、俺がやるしかない……!
守護兵団のいない現状のゼスペリア軍では、根比べにすらならない。均衡が崩れれば形勢は逆転する。それを防ぐためにもルゥナを憑依したユキトが敵将を倒し、流れを掴むことが絶対だった。
だがその勢いは、ドルニア平原に木霊す轟音によって挫かれる。
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