第七章 ジルナは誓う、必ず勝利に導くと

①-騎士道-

 早朝の中庭は穏やかな空気に包まれていた。清涼とも感じられる空間に響くのは鳥のさえずりと――風を切る音だ。

 上半身裸になったユキトは、中庭で木剣の素振りを行っていた。

 汗にまみれた体の至る所には生傷が残り包帯が巻かれている。健康体とはほど遠いが、腕を振る動きには一切の遠慮がない。

 彼を近くで眺めているルゥナは、腕組みをしながらじっとユキトの挙動を観察していた。


『四半刻経過。腕を休めて休憩』


「っぷは」


 素振りを中断したユキトは、水面に上がるように息を吐き出す。

 その場に座り込んで木刀を置くが、腕は震え、張り裂けそうなほど心臓が脈動していた。


「きっつぅ……ルゥナはこんな訓練、毎日してたのか」


『慣れればどうということはないさ。見たところ君の動きにも無駄は少ない。純粋に体力が足りないだけなら、そのうちもっと高度な鍛錬もできるだろう』


 ユキトとしては自信がなかったが、ルゥナのお墨付きなら安心ではある。

 するとルゥナは、一転して神妙な面持ちを浮かべた。


『……ユキト。やはりその太刀筋は、私の剣とそっくりだ。模倣、という言葉がしっくりくるくらいに』


「やっぱり、そうか」


 呼吸を落ち着かせたユキトは立ち上がり、自分の腕を見つめる。心なしか少しだけ筋肉がついている気がした。


「ルゥナほどじゃないにしても、俺も円燐剣を使えてるみたいだ。ぶっつけ本番にも関わらず……これも憑依みたいな能力のせいだと思うけど」


『いわば模倣の力か。捉えようによっては私を憑依することで技能を盗み取っていた、とも取れるな』


「ぬ、盗むなんてそんなつもりは……!」


 ユキトは慌てて弁解した。円燐剣を会得するために膨大な時間を費やしたルゥナからすれば、勝手に技を覚えられることは釈然としないかもしれない。

 しかしルゥナは『すまない』と小さく笑う。


『言い方が悪かった。君が無自覚だったことは理解しているし、咎めるつもりなんて毛頭ないよ。私で最後の遣い手になる可能性もあったからな。どんな形であれ世に残って欲しい。君が使うならむしろ本望だ』


 ルゥナの笑みには少しの寂寥と享受が混ざり合っていた。

 ユキトは一抹の罪悪感を抱きながらも「ありがとう」と礼を言う。認めてくれたなら、これ以上の言い訳をするべきではない。


 ――とにかくこの力の正体は、はっきりさせたいな。


 仮に「模倣の力」とでも呼ぶべきこの現象は、今のところ憑依でいう副作用じみた症状は起こっていない。だが自覚症状がないだけで後々に問題が生じる可能性も否定できない。

 もし原理を解き明かすなら、やはり頼るのはレティという少女の幽霊だろう。

 彼女は重要な何かを知っている。そう思わせるだけの特異性と雰囲気を持っている。どこかで時間を作って彼女を探し出さなければいけない。

 考え込んでいるユキトに対し、ルゥナは質問を投げかける。


『それより私に稽古をつけてくれなんて急にどうしたんだ? 力を確認するだけならこんな形式にする必要はない。むしろ君はもっと安静にすべきなんだが』


 後半はまるで母親のように窘める口調だった。優しい彼女は、ユキトの怪我も当然のように心配し続けている。やはり自分がついていくべきだった、とずっと悔やんでいたのがルゥナらしい。

 ユキトは自分の体を眺める。あちこち擦過傷や痣がつき、深い傷を負った箇所は包帯が巻かれている。

 昔だったらきっと、大怪我だと騒いでいたかもしれない。だが今のユキトは、熱を持つ傷跡に何も思うところはない。

 むしろ彼は自分のことではなく、戦った者達のことばかり考えていた。


「あのさ、ルゥナ。ちょっと聞いていいかな」


『ん? なにかな』


 少しだけ躊躇ったあと、ユキトは唇を湿らせて口を開く。


「気を悪くしたらごめん……ルゥナが初めて人を殺したのは、いつの頃だった?」


 ルゥナは、質問の意図を聞き返さなかった。

 真剣な表情で、正面からユキトをじっと見つめる。


『……十四のときだな。父が率いる騎士団に混じって、盗賊の根城を壊滅させたときだった』


「そのときは、その……どう、だった?」


 曖昧な聞き方しか出来ないことにユキトは歯がゆさを覚える。だが人を殺した感想をはっきり問うのも失礼な気がした。

 そんなユキトの心情を汲み取ったようにルゥナは答える。


『怖かったよ。肉を裂く感触が忘れられなかった。血の匂いが取れず、命乞いの声がずっと耳の奥に残っていた。汚い話だが何度も嘔吐したし、泣きもした』


 彼女の回想は生々しく感じられた。同じ経験をしたからこそ痛苦を共感できる。

 いや、更に若いルゥナの体験のほうがより苛烈だったかもしれない。


「そっか……でも凄いな、ルゥナは。今は騎士として立派に戦えてるわけだし」


『そんなことはない。正直、人を殺すことにはまだ慣れない。覚悟が足りないと笑われるかもしれないが、できるだけ殺さずに済ませようとしてきた』


 スカベンジャーのときも輜重隊を襲った盗賊のときも、ルゥナは必要以上の殺人は避けてきた。他人の体を拝借しているという気遣いもあったものの、あくまで戦闘不能にする戦い方だった。

 答え終えたよ、という姿勢でルゥナはユキトの反応を待つ。


「……俺も、人を殺した感触を覚えてる」


 ユキトは自分の掌を見つめて呟いた。


「無我夢中で、気づいたらそうなってた。血の匂いも、刺した感触もはっきりしてて、息が苦しくなって……でもそれより、死ぬほど怖かったんだ。俺が殺した人が、幽霊になったらと思うと」


 ルゥナは黙って聞いている。小さく息を吐いてユキトは続ける。


「俺は幽霊が見える。もし殺した相手が霊として残ったら、きっとその人は俺のことを恨むだろうな……でも俺は、現世に留まった人たちを見捨てておけない」


『殺した相手にも関わらず、か?』


 ユキトは眉間に皺を寄せる。改めて他人に言及されると、いかに矛盾したことを語っているか痛感する。

 それでもユキトは、奥歯を噛みしめて頷いた。


「罪滅ぼしにしても、理不尽だよな。でも、許してもらいたいわけじゃない。俺のせいだから、見過ごせないんだ……たとえ憎まれても罵られても、俺は逃げたくない」


 ユキトは朝焼けの空を見上げながら、女盗賊ヘレーネのことを思い出していた。

 彼女はラウアーロの能力で消え失せてしまった。もしヘレーネが幽霊として存在し続けていたなら、この場に同伴していてもおかしくない。


「たださ、普通に考えればそうならないのが一番なんだよ。だから俺は、殺さずに済ませる戦い方を身につけようって思ったんだ」


 この世界にいる限り、剣を振るう機会は嫌が応にもやってくる。

 しかし敵だからといって命を奪い続ければ、未練を抱く幽霊は際限なく生み出されていく。殺した相手の死後を救う、という行為には矛盾や問題も多く、できれば避けたいのが正直なところだった。

 ならばどうするか。答えはルゥナを真似することだ。

 彼女のように敵を殺すのではなく、倒す戦い方を身につける。武器を破壊し、戦闘継続できない傷を負わせ、しかし命を奪うまでには至らない。それができたなら、今後の精神的負担もかなり減る。


『……難しいところだな』


 だが、返すルゥナの言葉は厳しい。


『確かに私は相手を行動不能にする戦法を選んでいたが、かといって殺すことを躊躇っていたわけでもない。状況によっては命を奪う覚悟はできていたし、罪悪感よりも使命感のほうが強かった。対して君は、殺すこと自体に重圧を感じている。それではいざというときに動きが鈍る。何より敵を制するということは敵以上の技量を持っていなければ不可能だ。自分の精神や体調にも左右されるだろう……私は、決して推奨できない』


 論理的な説明は、いかに困難かを納得させるには十分だった。

 だが、ユキトにショックはない。彼自身は既に、自分の望みがいかに途方もないことかを理解している。


「でも、やるしかない。だからルゥナ。俺に、稽古をつけてください」


 ユキトは頭を下げる。仁王立ちのルゥナは腕を組む。


『そうか、だから私に訓練を申し出たんだな』


 彼女はため息を吐くと、急に黙り込む。静謐なひとときが流れていった。


『……それが君の騎士道か』


 意外な言葉にユキトは頭を上げる。


「騎士、道?」


『騎士が心に誓う規範のことだよ。といっても決まった形があるわけではなくて、戒めの形は人それぞれだ。主君へ絶対の忠義を誓う、弱き者に手を差し伸べる、幼子や淑女に真摯である、万人の模範となる……騎士は叙任される前、必ずこの騎士道を自分に課すものだ』


 内容が掴めずユキトはぽかんとするが、構わずルゥナは話し続けた。


『なぜ戒めを刻むかといえば、戦うための精神的支柱が必要になるからだ。絶体に守ると決めた誓いがあるからこそ、人は前に進める。君にとっては、未練を抱く死者を生み出さないという強い気持ちが、己を奮い立たせる戒めとなる」


「でも俺は、騎士じゃないし……」


『叙任されているかどうかは関係ないさ。誰が持っていてもいいんだ。これから君が戦う上で、その誓いはきっと君の背中を支えてくれる。君だけの騎士道を、胸に留めておくんだ』


「俺だけの、騎士道……」


 口の中で転がすように呟いてみる。くすぐったい感触だが、悪くはない。


『つまり私は騎士の先輩にあたる。先輩の責任として、稽古をつける義務があるな』


 どこか悪戯っぽく笑う彼女の顔は、陽光を受けてとても魅力的に輝いていた。ユキトが思わず見惚れてしまうほどに。


『君は既に円燐剣の遣い手でもある。持久力を上げ精神を鍛えれば、あるいはそんな戦い方も可能となるかもしれない。それに君は結構頑固だからな。止めさせるほうがもっと大変そうだ』


「あー……」とユキトは指摘に苦笑いする。思い当たる節がないわけではない。


「じゃあ頑固者同士、お似合いな師弟ってことで一つよろしく」


『お、お似合い!? じゃなくて、そんなに頑固かな私?』


 頬を赤らめたルゥナは納得いかない様子だが、まぁまぁと宥めてユキトは近場の花壇の縁に座り込んだ。冷えてきた体を布で拭いていると、ルゥナはその体つきを繁々と眺めながら楽しそうに考え始めた。


『まず君は肉体作りから始めたほうがいいな。時間があるときに走り込みをして――』


 語る彼女は妙に嬉しそうだ。生前もこんな風に鍛錬のことを嬉々として話していたのだろう。微笑ましくはあるが、しかしいくら待っても話が終わらない。ジルナも科学のことになると止まらなくなるが、本当に似たもの姉妹だ。


「そういやジルナが帰ってくるのは今日だったよな」


 やむなく別の話題を振ると、ルゥナは我に返って頷く。


『ああ、そうだった。早ければ昼前には戻ってくると思うよ』


「色々疲れてるだろうからほんとは休んで欲しいけど……そうもいかないだろうな」


 話すことは山ほどある。留守を預かってくれていたクザンには既に伝えているが、帰還したジルナとゴルドフはまだ何も知らないのだ。帰って早々というのは気が引けるが、しかし一刻も早く伝えなければいけない。

 全ての真相が明るみになった今、前にもましてゼスペリアの立て直しが急務になっている。

 黒幕であるガルディーン、そしてアルメロイ辺境伯の狙いは、ゼスペリアの実権を握って四州を束ね、ヴラド諸侯王の権力を奪うことにある。

 つまりガルディーン側の婿も、共謀しているアルメロイ側の婿も取れない。そうなると自力再建に乗り出すしかないが、ライゼルスの再侵攻も予想される中では時間との勝負になりそうだった。


『長丁場になるのは確かだろう。君も今のうちに食事を取って置いた方がいい』


「そうだな。ジルナが帰ってくる前に朝食でも――」


「遅いです」


 第三者の声が割り込み、ユキトはギョッとして振り向く。

 声をかけてきたのは、ふんぞり返るように立つジルナだった。

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