③-変化-

 太陽は完全に沈み、既に夜の帳が落ちている。雲一つない空は星の輝きで十分に明るく、障害物のない街道も無理なく進むことができた。

 周囲に馬が駆ける音だけが響く。追いかけてくる盗賊の姿はない。危機は脱したといえるが、馬上のユキトとアルルは無言だった。


 少し前のユキトは自分だけ逃げて良いのかと悩み、引き返すべきかと迷っていた。だが時間が経過するにつれて冷静になり、今は己の浅慮さに気づいている。

 自分はただの高校生で、非力な子供でしかない、と。

 ある程度は知恵を回して場を切り抜けられるかもしれないが、純粋な力勝負では屈強な男たちに歯が立たない。憑依という特殊な力も、頼るべき霊がいないのであれば宝の持ち腐れだ。

 足手まといにしかならないのなら、あの場面では逃亡が最善手だった。セイラ達が壁役を選んだのも、ユキトを守りながら戦うのが危険だと判断したからだ。それはつまり、ユキト自身に自分を守る力がないことを示している。

 憑依による活躍で無意識に気が大きくなっていたが、異世界に来た頃と何も変わっていない。自省と無力感を噛みしめると、アルルの腰に回した手が自然と力んでしまう。

 するとアルルは我に返ったようにハッとした。


「あっ……! す、すみませんユキト様! あたしは勝手なことを……!」


 アルルは肩越しに振り返り申し訳なさそうに眉を曇らせた。無我夢中だったせいか、今まで逃げることに没頭していたようだ。戻れと言ったところで聞こえていなかったかもしれない。

 だが彼女は強い意志を込めて更に言った。


「お怒りなのは重々承知しています……ですがユキト様は、ルゥナール様のお声を聞ける唯一のお方なんです。だからセイラさん達も身を挺して守ろうと……」


「……わかってる。きっと俺がいても邪魔だった。いま無事でいられるのはアルルのおかげだよ」


 全て本心ではなかったが、気を病む少女の前で自分を咎めても仕方ない。

 労いの言葉でアルルは幾分か落ち着きを取り戻したが、そこに不安げな感情が過ぎる。


「でも、セイラさん達は……」


「もちろん助ける。街に着いたら援軍と馬を連れて戻ろう。あの二人なら簡単にはやられないはずだから」


 セイラとライラの実力はルゥナに匹敵する。盗賊二人がどれほどの力量かはわからないが、任せろと言い切ったなら勝算があるはずだ。今はそう信じるしかない。

 ユキトにできることは一刻も早く助けに戻ること。無力感に打ちひしがれているより、今は全員が生き残る方法に集中しなければいけない。

 アルルはユキトの弁に力強く頷き、自分を鼓舞するように声を張った。


「わかりました! 街に着けば傭兵や自警団の人達に手助けを頼めるはずです!」


「じゃあアルルは馬の手配から――」


 瞬間、世界の天と地がひっくり返った。

 

 ――え?


 一瞬前まで舗装もされていないあぜ道を映していたユキトの視界には、満天の星が煌めく夜の空が過ぎった。続いて地面が映り、また夜空と交互に流れていく。

 ユキトは、自分自身が回転していることに気づいた。

 背中に激痛。声にならない叫びを上げる。肺から空気が漏れ一時的な酸欠状態に陥った。

 吐き気とともに混乱が津波のように押し寄せる。ユキトは顔をしかめ、自分の状態を把握しようと痛みを堪えながら少しだけ首を動かした。

 ノイズの混じる視界に、横倒れになった馬とアルルが映る。そこでようやく自分たちが転倒したことを悟る。

 だが街道に障害物は一つもなかった。馬が転倒するほどの大きな物体だったらアルルが察知していないとおかしい。


 酸欠で鈍る頭を必至に動かしたとき、彼は妙なものに気づいた。

 馬の足に縄状のものが絡まっている。縄の両端には石がくくりつけられていた。足はあらぬ方向に曲がっていて、折れた骨まで露出している。それのせいで転倒したことは一目瞭然だった。

 石付きの縄は、重りの重量と遠心力を利用した狩猟用の投擲武器だ。初見のユキトでも、人工的に作られた代物であることはすぐに気づく。

 ユキトは痛む体に鞭を打って身を起こし、アルルの傍に這い寄る。


「アルル! 大丈夫か!?」


 仰向けに倒れたアルルは反応しない。咄嗟にユキトは彼女の胸に耳を当てた。心臓は動いている。口に手を当てると呼吸はしていた。気絶しているだけのようだ。

 ほっとするのも束の間、複数の足音がユキトの鼓膜を震わせた。

 砂利を踏みながら姿を現した男達は、さきほどの盗賊と同じ格好をしている。

 ざっと数えて八人ほど。手には片手剣を所持していた。


 ――嘘だろ……。


 ユキトはアルルを庇うように立ち上がり、近づいてくる盗賊達を確認する。

 連中は口元に薄い笑みを浮かべて、獲物を包囲しようと二人を円形に囲み始めていた。

 危機感に顔を歪めるユキトだが、一方で疑問も抱いていた。これは本来起こるはずのない光景だ。

 場当たり的に人々を襲う盗賊達が、待ち伏せなどするはずがない。やるからには狙い定めた人間たちがどこへ逃げるのか把握していないと不可能だ。

 逆説的に、盗賊達はユキトがドルニア平原の方角へ向かうことを知っていたことになる。


 ――……バレてたってことかよ、くそ。


 十中八九、ユキトを狙っている者の仲間だろう。

 ここ数日間のギュオレイン州では異変は起こらなかった。輜重隊に紛れ慎重に行動した甲斐あっての平穏と思っていたが、敵側は既に把握し、襲撃できる機会を伺っていた。輜重隊と別行動を取ったことが裏目に出てしまった。

 行き先は会話を傍聴されたか、あるいは経由地から推測されたか。いずれにせよ、やはり敵は身近に潜んでいる。ガルディーンの息のかかった者なら監視も容易いだろうが、確証はない。

 そこまで考えたユキトは、剣を抜き両手で構えた。八人はそこで足を止めた。


「武器を置け。大人しくしろ」


 中央の男が野太い声で警告する。ユキトは盗賊を睨み付けるが、意思に反して剣を握った手は震えていた。

 彼の様子を見た中央の男は鼻を鳴らして嘲笑う。


「抵抗するなら仕方ない。腕や足の一本程度なら問題なしだ。やれ」


 冷たい声に押されて盗賊の一人が歩み寄る。星光に照らされた銀の刃が剣呑な光を宿していた。

 盗賊達は以前の黒い戦士と違って人間味がある。消える矢のような異様な武器を持っている様子もない。数で圧倒する気なのかもしれないが、普通の人間相手なら勝てる見込みはある。

 剣を握るのが、ルゥナのような騎士ならば。


 喧嘩の経験すらろくにないユキトは、八人に囲まれた時点で勝機など微塵もなかった。自分の末路を想像して足が竦む。殺意を持った人間がこれほど怖い存在だと今更に気づいた。

 だが背後にはアルルが意識を失い倒れている。自分と彼女を守れるのは、ユキト自身だけだ。


 ――せめてアルルだけでも……!


 残った気力を振り絞ろうとしたとき、敵が突進した。片手剣を大きく振りかぶる。

 凶刃を前にしただけで身体が硬直し、頭が真っ白になった。

 こんなに呆気ないのかと、ユキトは他人事のように感じた。

 だがその虚無の中で、二人の声が響く。


 ――私は貴方を失いたくないの。

 ――帰ってこないと、怒るからな。


 瞬間、全身の強ばりが消えた。

 そして不思議なことが起こった。

 敵の動作があまりにも遅く感じたのだ。どうしたのだろう、と逆に心配になるほど盗賊はゆっくりと剣を振り下ろす。

 だからユキトは少し身動ぎしただけで軽々と回避してみせた。

 空振りに終わった敵は軽く驚くが、すぐに剣を振り放つ。

 遅い。今度も難なく避ける。そうして何度も斬撃を避けると男に動揺の色が浮かび始めた。ユキトとしては何も特別なことはしていない。ただ敵があまりにもゆっくりだから避けやすいだけだ。


「くそが!」


 悪態を吐いて盗賊が斬りかかる。ユキトには隙だらけの行動だった。

 彼は相手の剣を受け止め、軽く左にいなす。それだけで胴体ががら空きになる。剣を突き出せば容易く貫けるだろう

 だからユキトは試すようなつもりで、自分の思い描いたイメージ通りに腕を動かしてみた。

 肉を刺す手応えと共に、切っ先が盗賊の背中から突き出る。

 鎧に隠れていない隙間を狙った刺突が見事に決まっていた。

 ゴボ、というくぐもった音が近くで聞こえる。盗賊の口から大量の血液が漏れ出ていた。

 ユキトは目を見開き剣を引き抜く。それだけで男は前のめりに倒れ、動かなくなった。腹の傷口からは血液がどんどんと流れ出て血だまりを作る。


「あ、え……?」


 ユキトが困惑の声を上げると、余裕の態度だった盗賊達が慌てた。


「てめぇ!」


 包囲していた男達のうち三人がユキトめがけて襲いかかる。だが彼らの斬撃は全て空振りに終わった。呆然としていたユキトだが、剣の軌道を見切った途端に体が勝手に動いていた。波状攻撃も何ら意味をなさずユキトは流れ作業のように回避していく。


「なんだこいつ……!」


 焦りを滲ませた男が剣を振るう。ユキトはその斬撃を、まるでアイススケートのスピンのように回転しながら避け、男のすぐ脇を通り抜ける。そして回転力を加味した横薙ぎの一撃を背中に叩きつけた。

 脆弱な鎧の継ぎ目部分が切り裂かれ、男の背中がぱっくりと割れる。血をまき散らしながら前方に転がった盗賊は、地面に突っ伏したまま動かなくなった。

 その光景をユキトは、夢を見ているかのような感覚で眺めていた。自分が何をしているか理解が追いついていない。今しがた放った剣技が、円燐剣一の型<獅光>であることも。


 盗賊達が激昂しながら斬りかかってくる。今度は生き残った六人がかりでだ。

 それでもユキトを捉えるどころか、かすり傷一つ付けられない。

 まるで踊るように逃げるユキトだが、彼の意識は斬撃の間に垣間見える倒れた盗賊に向けられていた。

 どちらもぴくりとも動かない。流れ出る血は既に止まっているが、失われた血液が致死量に至っていることは明白だ。


 ――俺が、殺した。


 事実を認識したところでユキトの動きが鈍る。

 焼けるような痛みが走った。右腕を切りつけられて肉が割け、血が流れ出る。

 ユキトは咄嗟に後方へ飛び退るが、頭に血が上った盗賊達は容赦なく彼へ襲いかかった。

 逃げるべきだ、と冷静な自分が忠告した。でなければ後戻りできなくなると。

 しかし気絶するアルルを見捨てることは出来ない。ここで逃げ出せば彼女は無事では済まない。

 襲い来る敵の方へ体を向けて、ユキトは剣を構える。

 アルルを守り、生きて帰る。待っている人たちがいる。


 そのためには、敵を殺さなければいけない。


 ユキトは振り下ろされた剣を受け止め、別方向へ弾き飛ばす。生じた隙に剣を薙ぎ払えば盗賊一人を殺せる。

 だが躊躇いが生じた。腕を振り切れず、中途半端に終わったせいで他の盗賊に切り込まれる。咄嗟に回避してからは防戦一方になった。

 戦おうとする意思とは反対に、身体が思うように動かない。

 本当に殺すのかと、また別の自分が叫ぶ。ユキトは無意識に、殺さないで済む方法を探していた。

 だが頭の中を埋めるのは、敵を屠るためにどう動けばいいかという設計図だ。

 それに従って剣を振るえば負けることはない。生き延びることができる。


 だが殺してしまえば、恐れていた事態が起こるかもしれない。

 殺した相手がもし、未練を抱えて現世に留まったら。

 一体どうすればいい?

 殺すのか、殺さないのか、どちらを選べばいい?

 誰も教えてはくれない。

 二律背反に挟まれたユキトの感情は圧迫に耐えきれなくなる。

 同時に、避け続けるだけの体力もなくなっていく。

 迷っている時間はない。

 だからユキトは、苦渋の決断を下すしかなかった。


「うおあああっ!」


 獣のように吠えたユキトは、剣を掲げて突進する。

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