⑧-過去の夢-

 夢を見ている。曖昧な意識ながらユキトはそれをはっきりと理解していた。

 

 大きな屋敷の中庭で剣を振るう少女がいる。見た目は十三、四といったところか。赤毛の髪を三つ編みで結んでいる。傍らには鎧姿の屈強な男が立ち、熱のこもった視線を送っていた。

 

 ――もう少し腰を落として。剣筋がズレてはなりませぬぞ。

 

 はい、と返事をする少女は笑みを浮かべていた。剣を振るうのが楽しくてしかたない様子だ。

 その人物が誰なのか、ユキトはすぐに察した。あどけない顔つきは現在の彼女と若干異なるが、間違いなくルゥナ本人だ。鎧姿の男もゴルドフだろう。

 汗を流しながら一心不乱に剣を振り続けていたルゥナだが、ふと何かに気づいて屋敷の渡り廊下へ目を向ける。そこには数人の少女たちが居た。屋敷で奉公している侍女達で、彼女たちは一人の少女を囲むように歩いている。


 中心にいる少女――ジルナの見た目もやはり今より幼い。

 彼女は地味な色のドレスを身に纏い、栗色の髪をまとめる小さな髪留め以外にはアクセサリー類もつけていなかった。それでも姿勢や歩き方などの所作が美しく、大人びた印象を抱かせる。浮かべている微笑もどことなく品がある。

 剣を振るうルゥナが太陽のような明るさを持っているとすれば、廊下を歩くジルナは月光のような可憐さを持っていると評せるだろうか。

 

 廊下を歩くジルナは、中庭にいる姉のルゥナに気づくと笑顔で手を振った。

 ルゥナは剣を握ったままぶんぶんと手を振る。しかしあまりにも力強く振ったせいで剣がスっぽ抜けて飛んでいってしまった。

 ゴルドフに怒鳴られた少女が慌てて剣を拾いに行くと、侍女達が苦笑を浮かべる。それでルゥナは自分のはしたなさに気づき顔を赤らめた。

 するとジルナは侍女達を叱りつけて、申し訳なさそうに姉へ頭を下げる。


 ――いいのよジルナ。怒らないであげて。


 一切気にしていない、と示すようにルゥナが朗らかな笑みを浮かべる。

 だがジルナは不満げに眉根を寄せた。


 ――いいえ、姉様。私からきつく言いつけておきます。ゼスペリアの未来のために強くあろうとする姉様を嗤うなど言語道断ですから。


 厳しい声に侍女達が萎縮する。不憫に思ったのかルゥナは慌てて首を振った。


 ――ほんとにいいんだってば! なんでジルナはそんなに真面目なの。


 ――姉様が大らか過ぎるんです。上に立つ者の威厳というものがですね。


 ――あーはいはい。わかってます。でも許してあげて。不意打ちだったんだからさ。

 

 ジルナはため息を吐くとやれやれと首を振った。

 

 ――そこまで言うなら一つ指摘させてもらいますが、姉様には淑女としての作法が欠けています。ですから、私ばかりに社交を任せるのではなく、たまには舞踏会の一つにでも顔を出したらいかがですか?


 ――えー、いいよ。苦手なんだもの。剣術を磨いていたほうが楽よ。


 ぶん、と剣を一振りするとジルナは肩を落とした。


 ――またそんなことばかり言って……じゃあ今度、ギュオレイン州から服飾商人の商隊が来るのでドレスを見繕いませんか? 久々に姉様とお買い物もしたいですし。


 ――買い物には付き合うわ。でもドレスはいいかな……似合いそうにない。


 少女は自分の体を見ながら呟く。ジルナは何か言いたげに口を開いたが、出てきたのはため息だった。


 ――……わかりました。でも考えが変わったら知らせてください。


 ジルナは一礼すると、侍女を連れて屋敷へと消えていった。

 すると二人のやり取りを傍観していたゴルドフが咳払いをする。


 ――ルゥナ様。遠慮することはない。ドレスの一着や二着くらいお父上も批判しますまい。社交界で顔を繋げておくのも大切なことだ。


 ――そういうのはジルナに任せてる。私は実務の面で父上の力になりたいんだ。その方が将来の婿様にとっても役立つでしょう? 


 そう答えたルゥナは、剣を握る右腕を見つめた。程よく筋肉がついているが男の屈強さには敵わない。かといってドレスを纏っても女らしさなど欠片もない、中途半端な体だ。


 ――私が男に生まれてたら気にしなくて良かったんだけどね。父上もきっとそう願っていたはずだし。


 ――それは……。


 ――いいの、わかってるから。私に剣術や馬の扱い方、軍務を教えてくださっているのも才能があるからとかじゃなくて、仕方なくなのよね。ロド家に伝わる「円燐剣」は一子相伝。だから私が子を生んで伝えていかなきゃいけない……別に舞踏会なんかに出なくていいのよ。選ばれた婿様と結婚して子供を産む、それが私の役目なんだから。


 ルゥナは笑った。精一杯の虚勢で取り繕った笑みだった。


 ――さ、もうこの話はお終い。稽古の続きをしよう。


 少女は剣を構えた。そして今しがたの感情を打ち消すように無心で振るう。

 その様子を眺めているユキトは、これがルゥナの過去であることに気づいていた。

 彼女と一緒に行動している影響なのか。それとも憑依の副作用か。

 結論は出ない。意識は再び闇の中に混ざり込んでいく。


 ******


 目覚めたユキトはゆっくりと瞼を開ける。見覚えのある室内だ。孤児院で倒れて運び込まれた部屋と同じ場所だろう。ベットに寝かされているところも同じだが、ユキトはそっと両腕を上げる。嵌められていた腕輪は外されていた。


『起きたか、ユキト』


 ほっとしたような声に振り向くと、ベットのそばにルゥナが立っていた。


「……俺、どれくらい気を失ってた?」


『まだ数時間ほどしか経過していないよ。初回に比べると段違いの回復速度だ』


「ルゥナさんは?」


『君が倒れてすぐ、ジルナも部屋に戻っている。かなり疲れているようだったが、きっと大丈夫だ』


 妹を想う姉の目は柔らかい。その後を知らないユキトも、彼女の表情を見て心配はないのだろうと安心した。

 ふと窓の外を見れば空の端が明るくなり始めている。ベットから抜け出したユキトは身体の調子を確かめるように肩や首を回した。


「ちょっと外の空気が吸いたいな。中庭に出てみようか」


『ああ……ってあれ? 中庭があることを教えたか?』


 首を傾げるルゥナにユキトは何も教えなかった。プライベートを覗かれたという事実は黙っておいたほうがいいだろう。

 そしてドアを開け、静まり返った領主館を歩く。

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