幕間-そして闇は動き出す-

 夜の帳が下りたゼスペリア州内地を、大股で歩く司祭がいた。

 男の顔には憤怒が張り付いている。


「くそ、クソどもがぁ……! この俺をコケにしやがってっ!」


 怒鳴りながら地面の石ころを蹴飛ばす。もし通行人がいたとしたら、神の使徒である司祭の横暴な態度に目を疑ったことだろう。

 しかし領主館から伸びる街道沿いは貴族達の屋敷が多く、飲食店が立ち並ぶ城壁からは離れている。そのため夜中に出歩く人は少なく、運の良いことに司祭の付近にも人の姿はなかった。


「タダで済むと思うなよ。ラオクリア総主教庁の総力で潰してやるっ!」


 立ち止まった司祭グリニャーダは道のど真ん中で考え込む。どのみちモルディットは帰還したと同時に拘束されて終わりだろう。ロド家が公表しないつもりなら、グリニャーダの方もモルディットを切り捨てて関係は終了だ。

 しかし復讐するとなると、ロド家がモルディットを使って脅してくる可能性が高い。今のままではグリニャーダの方が分が悪かった。ならばそれとは別件を使って、ラオクリア総主教庁を仕向けさせるのがいい。


「そうだ、あのユキトとかいう薄汚い小僧。奴を利用して俺を陥れようとした……この線はいけるな」


 薄暗い街路で笑うグリニャーダだったが、ふと背後を振り返った。もう見えないが、歩いていった先には領主館がある。


「しかし、あの小僧は一体何だったんだ……まさか本物だと言うのか」


 ユキトという少年の傍にはルゥナールの霊体がいるという。確かに虚空に向かって喋りかけていたし、質問に答える前も誰かから聞いている素振りだった。更には親族しか知らないような質問まで当ててみせた。本人が教えたならば可能だろう。

 そこまで考えてグリニャーダは「まさかな」と笑い飛ばす。

 だが、喉に引っかかった小骨のように気になって仕方ない。


「……ひとまずラオクリア総主様にご報告すべきか」


 もしも本当に神や霊体を見聞きできる人間がいるとしたら。それはラオクリア総主教庁の歴史が変わる事態を意味する。当然、グリニャーダの生活も考え方も一変するだろう。

 妙な高揚感を抱いて歩き始めたグリニャーダだが、そこで声がかかった。


「もし、そこの神官様」


 グリニャーダはビクリとして振り向く。路地の奥から一人の男が出てきた。

 身に纏うのは大きな紺色のローブで、頭もフードで覆われ顔が隠れている。


「少しお尋ねしたいのですが」


「……私は神官でなく司祭だ。それと道案内なら戻った先に領主館がある。そこの衛兵にでも聞け」


「これは失礼致しました司祭様。ですが道を訪ねたいのではございません。その領主館で起きた出来事についてお聞きしたいのです」


 グリニャーダは眉をひそめる。相手の顔を確かめたいが、口元の薄気味悪い笑みしか見えない。


「貴様が何者か知らんが、私は会食に招かれただけだ。失礼する」


「お答えいただけませんか、残念。ならば仕方ない。


 え、とグリニャーダが声を出した瞬間、路地の奥から闇が噴出した。

 まるで羽虫のような無数の闇がグリニャーダに取りつく。男は悲鳴一つ上げられずに闇の中に埋もれた。そして寄り集まって蠢く闇は、フードを被っている男の肉体へと吸い込まれるようにして移動する。

 全ての闇を体内に吸収したフードの男は満足げに腹を擦った。


「ふむ……なるほど。なかなか面白い人間がいるようですね。しかしこの者はどこから出てきたのやら。後々で厄介になりそうですし、少し調べてみますか」


 独りごちたフードの男は踵を返して路地の奥へ進む。

 だがその途中、何かに気づいたように振り返った。

 街路の中央には少女が佇んでいる。年は六、七歳ほど。何の変哲もない女の子だが、その体は透き通っている。

 そしてフードの男を、敵意を持って睨みつけていた。


「んー……? 気のせいですかね」


 小首を傾げたフードの男は路地の奥へと消えていった。

 残された透明の少女は領主館のある方向を見つめる。


『やっぱり動き出したね。さて、お兄ちゃんにはもう少し頑張ってもらおうか』


 クスリと笑った少女の姿は、すぐに掻き消える。

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