②-ユキト、一計を案じる-

 輜重隊に扮したユキト達は日暮れすぎにギュオレイン州内地へと入った。空に星が見え始める頃で、城門が締まり切るギリギリの時間だった。

 ゼスペリア州とほぼ同面積を誇るギュオレイン州は、高い城壁に囲われた円形型の土地である点も相似している。異なるのは細長い家屋形式が主流で、建造物自体がぎゅっと密集していることだ。そのため、ゼスペリアに見られる蜘蛛の巣を張り巡らせたような小さな路地は少なく、流通経路となる大通りはしっかりと整備されている。同面積ではあっても人口はこちらのほうが多いそうだ。


 輜重隊が所定の馬宿に到着したとき、時刻は既に夜を示していた。ユキト達は予定通り、ドッペリーニらとは別行動を取る。

 見物しながら大通りを歩いていると、家屋の軒先に出ていた露店が店じまいを始めていた。代わりに宿場や飯所から客引きの声が聞こえ始める。多種多様な人間が様々な店に出入りし、往来は途切れることはない。

 だが見かける人々の姿は一般住民ばかりではない。そこかしこに巡回中と思しきガルディーン軍兵士の姿が確認できた。彼らは気を引き締めた顔つきで、通り過ぎる人々を観察している。


『ここは内地のド正面だからな。戦争が終わったばかりで警戒も続いてるんだろうよ』


 ニックスの言葉に頷きつつ、ユキトは別の件も絡んでいるだろうと推測していた。すなわち中央州で起こった襲撃事件の余波が生じているのだ。ゼスペリアも警戒レベルを引き上げていたが、ギュオレインとて敵兵の潜入には危機感を示しているのだろう。

 するとニックスが失笑したように言った。


『にしてもガチガチだなユキトさんよ。貴族連中の住処ならともかく、これから向かうのは普通の商区域だぜ。もっと気楽にいけよ』


「いや、その、また別の意味でというか……」


 指摘された通り、大通りを進むユキトは接着剤でも塗りたくられたかのようにぎこちない動きをしていた。張り付いた表情も渋い。

 原因は、いつもの革鎧ではなく、修道服を纏っているせいだ。ドッペリーニが調達した借り物とういうこともあるが、まったく縁のない格好をするのは非常に居心地が悪い。

 加えて、大通りを歩いているとちらほらこちらを盗み見する者達がいることも、ユキトの緊張感を高めた。自分の変装がどこかおかしいのだろうか、偽物だとバレていやしないか、と要らぬ心配ばかりが浮かんでくる。


 だが人々の視線の先が、自分とは若干違う場所にあることを気づいたユキトは、己の思い違いを悟った。彼らはユキトの後ろに付いている美女三人を垣間見ていたのだ。

 傭兵の装備を纏ったライラとセイラは、背が高くスタイルも良くて非常に目立つ。更には剥き出しの戦斧と長槍を軽々背負って歩くのだから、男女関係なく視線を集めていた。

 残りのアルルは平民と同じ出で立ちで奇抜さはないが、だからこそ傍らの二人とギャップが大きすぎて逆に意識が向けられていた。彼女自身は愛嬌のあるニコニコ顔が魅力的で、惹かれる男たちも多い。

 そして最終的に、美女三人をお付きの者として従えるこの若い聖職者は何者なのか、といった疑心と興味がユキトにぶつかってくる。中にはあからさまに妬んだように睨む者もいたものだから、あまり良い気分ではなかった。


「ところでユキト様は、導師の服をお持ちではないのですか?」


 憮然としているところにアルルから急に質問を投げかけられたものだから、ユキトは「え!?」と素っ頓狂な声を上げてしまう。


「ずっと剣士様の格好でしたし、今もドッペリーニさんから借りたものだったので。ちょっと気になったんです」


「そういえば聞いていなかったですわね。何か理由がおありで?」


 セイラも訪ねてくる。何でもなにも、導師ではないから持っているはずがないだけだ。しかし誤魔化している状況では馬鹿正直に答えるわけにもいかない。

 ユキトは思考を回転させて返答をひねり出した。


「あ、あーうん。俺のところはその、そこまで厳しい戒律じゃない、というか。教義に沿った行動してれば格好に文句は言われないんだ、はは」


 二人は「ふーん」と微妙な相槌を打った。納得しにくいが本人がいうならそうなのだろう、という感じだ。

 ユキトは疲労感を滲ませながら愛想笑いする。下手に導師の力を持ってると説明したおかげで誤魔化す面倒さも多くなってきた。もう異世界人だと説明したくなったが、話をうまく進めるためには仮の立場の方が都合がいいことも確かだ。

 ひとまずルゥナの未練を解決するまでの我慢、と言い聞かせる。


「そ、それよりアルルはこっちに来て大丈夫?」


「はい。むしろドッペリーニさんから、お手伝いしてさしあげなさいって言われてるんです。商隊にはユキト様のご用件が終わり次第合流します」


「あー、そういえばやけに気を遣ってたなぁ」


 おそらく、ルゥナが傍らにいたにも関わらず酒場で無理矢理飲ませたことを反省しての態度だ。しかも奥さんにもこってり絞られたとアルルから聞いている。もはや無条件降伏状態のドッペリーニは願いを何でも聞いてくれそうだった。それはそれで気持ちが悪いが。


「あたしがお手伝いできることは少ないかもしれませんが、荷物持ちとかならできますので」


「んなことしなくていいから。何もなければ見てるだけでいいよ」


 アルルが目をぱちくりさせる。するとセイラがくすりと笑った。


「本当に不思議な方ですねユキト様は。この国にそんな考えを持つ男はおりませんわ」


 まぁそうだろうな、とユキトは心中で呟く。どうしたって異世界の常識や価値観とはズレてくるものだ。しかしユキトはこちらの世界に合わせる気はあまりなかった。


「ですがよろしいのですか? 彼女を付けたのはあくまで小間使いのためかと思いますわ。仕事をしてないと怒られるのは彼女ですのよ」


「……だったら俺がちゃんと働いてくれたっていうよ。むしろアルルはいつも頑張ってるんだ。少しくらい休んだっていいじゃないか」


「あらあら、お優しいこと」


 セイラは口元を綻ばせながらアルルにウインクする。

 アルルは頬を赤く染めて恥ずかしそうにうつむいていた。

 そこで興味なさげな様子だったライラが声を差し込んだ。


「それよかさーユキト殿。これからニックスって野郎の奥さんに会うんでしょ-?」


『野郎とは、また遠慮なしだなこのねーちゃんは』


 ニックスがライラを睨み付けるが、もちろん見えていないライラは退屈そうに欠伸をするだけだ。彼女は、ルゥナを死に追いやった事件の片棒を担ぐ男に対し悪感情を隠そうともしない。命令だから聞いているだけで、心中ではうんざりしているのだろう。


「できるなら早いうちに片を付けたいな。それでニックス、これからどこに行けば?」


『ああ……グゥエスタに出てくれ」


「グゥエスタ?」


「娼館の集う地帯の俗称ですわ」


 ユキトは眉をひそめる。夫人がそこにいるということから、余計な憶測が広がってしまう。何となく煮え切らない感情を抱きながら、ユキトはニックスの案内通りに進んでいった。


******


 セイラの言うとおり、グゥエスタには様々な娼館が立ち並んでいた。

 商区の一角を通る細道にずらりと居並んだ女達の館には煌々と照明が灯り、どこからともなく蠱惑的な匂いが漂ってくる。何より目を奪われるのは客引きをする女性陣だ。所属する娼館前で、彼女達は薄く艶やかな布を纏い、化粧で整えた顔で男という獲物を狙っている。そこかしこから甘い声が降りかかり、男達はしなだれかかる女達に鼻を伸ばしていた。


 ――うわぁ……。


 目の当たりにする大人の世界にユキトはドギマギした。

 いわゆる風俗街なのだろうが、元の世界ではもちろん入店した経験などない。娼婦達の着ている服も下着同然で目のやり場に困る。

 あまり慣れていないのかアルルも挙動不審になっていた。ライラ、セイラ、ニックスは平常時と何ら変わらない。こちらは大人の態度だった。

 早く目的地に行きたいユキトだが、しかし通りを進めば進むほど女達が声をかけた。


「あらー修道士様? しかもお若いのねぇ。こんな場所に来てだいじょうぶぅ?」


「溜まってらっしゃるなら寄ってかない? 誰にも言わないでおいてあげるよ」


 熱い視線と誘惑の笑みでやたらと誘ってくる。

 ユキトは頑張って無視した。が、赤面して汗をかいている様から焦りまくっているのが誰の目にも一目瞭然だった。

 そこでセイラが「気にしない方がいいですわよ」と声をかける。


「宗教組織に属する聖職の方々は、こんな色欲だらけの場所に来ませんもの。珍しくてしょうがないのでしょうね」


「そ、そういうのは早く教えてくれよ」


「あたしらが付いてる以上、強引なことはしないって。娼婦もそこは弁えてるっすよ」


 ライラはからからと笑うが、そういう問題ではない。最初から知っていれば目的地に着くまで修道服を脱いでいたというのに。

 一刻も早く会わねば、とユキトが早足になりかけたところでニックスは静かに告げた。


『あそこに見える館だ。隣の館との間に狭い通路がある。今の時間なら、たぶんそこにいるぜ』


 男の指し示した方向には、紫色の三角屋根をつけた娼館があった。

 古びてはいるが他の娼館よりも敷地が広く、入店していく男も多い。人気店なのだろうか。


「わかった……じゃあ手はず通り、まずは俺とニックスさんが会いに行くから。三人はここで待機してて」


 アルル達にそう告げると、ユキトは単身で通路へと入る。

 壁に挟まれているせいでかなり薄暗かったが、奥に人が立っているのは見えた。


『……あいつだ。サンドラっていう』


 ユキトは婦人の近くまで歩み寄る。

 ニックスの妻、サンドラは人の気配に気づいて振り返った。

 黒の巻き毛を肩に垂らした女性は、濃い化粧を施した顔に怪訝そうな表情を浮かべる。身に纏う赤い服はやはり薄くて露出度が高く、ユキトはなるだけ彼女の顔だけを見ようと努めた。


「……どちらさんだい?」


 サンドラが問う。同時にその口から薄い紫煙が漏れ出た。彼女の細い指は葉巻に似た棒状のものを挟んでいる。先端部から煙が上っているところをみると、この世界の煙草か何かかもしれない。


「珍しい格好の人だねぇ。ここは娼館<テレジア>の通用口だよ。部外者はこんなところに来ちゃ駄目よ」


 言葉遣いは柔らかいが、警戒も込められている。

 ユキトはなるだけ人当たりの良い笑みを浮かべようとした。


「いえ、違います。お、じゃない、私は旅の宣教師でして」


「へぇ、宣教師さん……なるほどね。じゃあ長旅に疲れてグゥエスタに寄ったのかい?」


 途端、サンドラが妖艶な笑みを浮かべる。


「見たところまだ若いし、お目付役は誰もいない、と。ふふ、ちょっとくらい羽目を外したくなるってのも、わかるよ」


「え、あ、いや、待ってください私は」


「うちは寝泊まりできる部屋もあるんだ。娘を買ってくれれば一晩の宿にもなる。あたしも今なら空いてるよ。色々な快楽を教えてあげるけど、どうだい?」


 獲物を見定めたサンドラがしゃなりと近寄ってくる。男を惑わす目つきと匂いにユキトは慌てた。反対に、眺めているだけのニックスは不機嫌そうに黙り込む。


「違うんです話があって。あの、サンドラさん、ですよね」


「おや、初見だと思ったがどこかで会ったかい? 実はお客さんだったとか」


「いえ、そうではなくて。あなたの名前はニックス殿から聞きました」


 ぴたり、とサンドラが立ち止まる。困惑に混じって嫌悪感が浮かんだ。


「……奴の知り合いかい」


「知り合い、というか、行きずりで出会ったんですけど……まず説明しますと、私は導師としての修行を経ています。ご存じだと思いますが、導師は神や精霊、死者の魂と接触することができる」


 サンドラは眉をひそめる。何の意図があるのか理解していない様子なので、ユキトは自分の隣の空間を手で示した。


「ここにニックスさんがいます」


「……は?」


「私は旅の道中、ドルニア平原へ立ち寄りました。そこで出会ったのが現世を彷徨うニックス殿の魂です。彼は戦争で死に、それでも天界へ赴くことができずにいた。そこで私は彼の願いを聞き入れ、このギュオレイン州へとお連れしたのです」


 すらすらと説明できたのは事前に考えておいたからだ。

 霊感のない人間に霊の存在を伝え信じてもらうのはとても骨が折れる。それをユキトは嫌というほど理解している。だからジルナのときと同じように、一計を案じることにした。

 幸いというべきかこの世界の人々は霊に対する心理的抵抗感の敷居が低い。ジルナの場合は知識豊富で嘘が看過されるからと採用しなかったが、最も説得力のある導師を装えば、サンドラはまず話を聞いてくれるだろうと踏んだ。

 呆然とするサンドラは、隣の空間を凝視する。


「そこに、ニックスが……旦那の魂がいるって?」


「そうです。唐突のことで感情がついてこないと思いますが……ご主人の死を、知っていましたか」


 サンドラは判断に迷う素振りを見せたが、静かに頷く。


「遺族向けの報告で、行方知れずとは聞いてたよ……でも、いくら経っても戻ってこないし、何となく、そうだろうとは」


「どうかお気を確かに。悲しむ気持ちはわかりますが、少しだけ時間をいただきたいのです。私はどうしてもあなたとニックス殿を引き合わせたかった。彼はあなたに会いたいと、話したいことがあるからと現世に留まっていました。その未練を解消するお手伝いをしたい。もちろん、サンドラさんのためにも」


 そこでユキトはニックスを見る。ニックスも頷いた。


「これから憑依という儀式を行います。私の体をニックス殿にお貸しする術式です。成功すれば、私の体に移ったニックス殿が喋り始めます。以後は全てあなたの夫の言葉だと考えてください」


 やや唐突だったが、憑依中のルゥナと子供達のやりとりを見ているユキトは、憑依状態なら本人と気づく可能性があると考えていた。

 ニックスにはまずサンドラとの思い出や二人しか知らない事実などを告げるように指示してある。そうすれば信憑性がぐっと増すはずだ。あとは落ち着いた場所で気兼ねなく話せばいい。


「いいですか。それではいき――」


「っはは、あっはははははははは!」


 唐突な笑い声が通路に響いた。

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