幕間-調査報告-

 貴族服姿の男は、赤い絨毯の敷かれた廊下を足早に進んでいた。その手には羊皮紙の束がある。

 領主館の中を無言で進み、ある部屋の前で立ち止まった。

 コンコン、と二回ノックする。

 室内から男の主――ガルディーンが声を返した。


「なんだ」


「ノーマンでございます。ご報告がありまして。今よろしいでしょうか」


 返事はない。これはいつもの通り、入っていいという合図だ。

 ノーマンはガルディーン家に仕える宰相として十数年の実績を持つ。これくらいの機微は把握していて当然だった。


「失礼します」


 とドアを開けた瞬間。

 室内から濃密でむせかえるような空気が流れてきた。

 鼻孔を突くのは部屋の中で焚いた香料の匂い。それに湿った汗と性の匂いが混ざっている。

 室内は広く、成人が六人ほど入室してもまだ余裕で過ごせる許容量があった。室内には天蓋付きのベットと薬壺が置かれた棚、執務用の机が揃えられている。


 目当ての主、ガルディーンは執務机の前で椅子に腰掛け、書物に目を通していた。

 その姿はほとんど裸に近い。腰部をわずかな布で覆い隠しているだけで、汗の張り付いた屈強な肉体を曝け出している。

 だがノーマンに驚きはない。むしろ、またか、という諦念すら浮かんできている。

 ノーマンはチラリとベットの方へ目を向けた。天蓋から薄いヴェールが垂らされているのではっきりと視認できないが、布に包まった半裸の女が横たわっている。

 その数は二人。

 女達は、ガルディーンとの情事が終わって疲れ果てたのか寝息を立てていた。どこぞの貴族の娘か、街で見つけた娼婦、あるいは一晩の逢瀬を望む貴婦人といったところだろう。


 短く嘆息したノーマンはガルディーンの元へゆっくり近づく。この男が主となって久しいが、その性豪ぶりには驚かされるばかりだった。

 類い希なる剣の才能を持ち戦場を支配する計略家でありながら、こと性欲にも奔放で、これまで手を出してきた女の数は計り知れない。

 正室、側室の三人にも順当に子供を産ませているが、逢瀬を重ねた女との間にも子供がいるという噂だ。あくまで噂であってノーマンは確かめたことはないが、事実が明るみになったときは頭痛の種が増すのだろう。


「用件は?」


 ガルディーンの声で我に返る。ノーマンは抱えていた羊皮紙の幾つかをガルディーンに手渡した。


「ロド家のジルナールは戴冠式のためダイアロン中央州に出立しております。一方で衛兵ユキトは、別行動を取りました。騎士二名を引き連れてドルニア平原に向かった模様です。その後、一時ゼスペリアに戻っておりますが、今度は輜重隊に紛れてまたドルニア平原に引き返しました」


「ほう」


 興味が沸いたのかガルディーンは羊皮紙を読み込む。

 そこには監視対象であるジルナールと衛兵ユキトの動向が事細かに記されている。


「で、奴はなにをしているんだ?」


「それが……まだ未確定の情報ではありますが、斥候によれば衛兵ユキトはつい最近ロド家に登用された兵士のようであり、しかも前州長代理ルゥナールの魂をジルナールの元へ連れてきた、という証言がございます」


 ピクリ、とガルディーンの片眉が動く。間にある空気が一気に緊張を孕んだ。


「ルゥナールの魂を、だと?」


「は、はい、そのようでございまして。もしそれが本当であれば、衛兵ユキトは導師に近い力を持っているものと推測されます。またドルニア平原に向かった理由も、ルゥナールから何か重要な事実を聞かされ、奇襲の件を調べに行っているものと――」


「貴様はそれを本気で言っているのか」


 ノーマンはビクリと肩を震わせる。主君の視線が刃のように突き刺さる。不機嫌さが裸体から滲み出ているようだった。

 しかしこういう反応が返ってくることをノーマンは予測していた。報告の際、信憑性が低い情報を混ぜることはガルディーンの失望を招く。そしてユキトのことは、かなり眉唾の話だった。


「も、もちろん閣下の見識は理解しております。導師という連中は神の声など聞けぬ、総じて詐欺師同然の者ばかりでございます。ですが調査の結果、衛兵ユキトはラオクリア教に所属していないことが判明いたしました。もしかすると、異国から流れた導師の可能性もあるかと……」


「つまりこういうことかノーマン。ユキトという小僧は、本物の導師であると」


「……円燐剣を使用したという、不可解な証言が気になっております。あれは一子相伝の秘剣。先代マルスが秘蔵していたことも考えられますが、あまりにも出現が唐突でして。導師の力が本物であれば、ルゥナールの力を再現することも、あるいは」


 緊張を含みながらノーマンは説明しきる。多分に憶測混じりで、説得力が薄いことは家臣も重々承知していた。しかしどこか引っ掛かるのだ。

 監視対象であるユキトの素性は、もちろんすぐに洗った。だが、つい最近にロド家と接触したことがわかるだけで、その出自どころか旅をしてきた痕跡すらも不明だった。

 まるで人間が降って湧いたような状況に、ノーマンは不気味さすら感じる。だからこそルゥナールの魂を連れてきたという与太話も、嘘だと一蹴することはできなかった。

 静寂が過ぎる。耳の奥で聞こえる心臓の高鳴りが徐々に大きくなる。

 本格的に失望を買ったかもしれない、とノーマンは恐る恐る顔を上げるが、ガルディーンは顎を擦りながら天井を眺めている。


「こちらはどうなった。中央州の襲撃についてだが」

 

 主君はまったく別の事柄に関して言及した。虚を突かれたノーマンだが、慌てて答える。


「そ、そちらも調査は難航しておりまして」


 冷や汗が流れ、胃が痛む。不甲斐なさばかり目立てば能無しだと判定されてしまう。そうなった家臣の末路を、ノーマンは嫌というほど見てきた。

 ガルディーンという男は時に慈悲深く、時に冷徹な采配を下す二面性を持っている。いつ呆気なく捨てられてもおかしくはない。

 しかし、調べても何もわからなかったのは事実だった。


 全王円卓会議のあった日の夜、ユキトとジルナールは何者かの襲撃にあった。大衆の面前とあって大きな騒ぎになったが、これをユキト一人で退けたという。

 ノーマンにとっても中央州での襲撃は前代未聞で、すぐに調査に入った。が、襲撃者の身元は今になっても割り出せない。襲われた当の本人達も心当たりはないようで、議会ではライゼルスの尖兵ではないかと疑われている。


 しかしノーマンが収集した情報の中には奇妙な証言が混じっていた。

 曰く、襲撃者達は黒い粒子になって消え去った、と。

 こちらはさすがに与太話の一種だとノーマンは真剣に取り合わなかった。ジルナールの報告書にも記されていなかったが、おそらく彼女も馬鹿げていると取り下げたのだろう。

 だが、ガルディーンの思慮の中からは排除されていなかった。


「首謀犯は黒い粒となって消えたとあるが、なにか心当たりはあるか」


「……そのような戯言を信じるのですか」


「戯言か」とガルディーンは冷笑する。気に障ったかとノーマンは肝を冷やしたが、ガルディーンの顔色に変化はない。


「不確定な要素があるということは、それを引き起こす何かの現象があるということだ。直接の繋がりはなくとも奴らの動向を探る上で後々に重要となるかもしれん」


「……はっ、仰るとおりで」


 ノーマンは深々と頭を下げる。主の見ている景色は、一介の家臣の想像を超えているようだった。


「その何かの現象とやらは、いわゆる魂とやらと繋がっているかもしれんな」


「ルゥナールの、でございますか」


「掴みどころのない話は好かんが、一考の余地はある。襲撃者については引き続き調査しろ。何者かがロド家やルゥナールを狙っていたのであれば計画の支障になる。ライゼルスの手先なら尚更だ。先を越されるわけにはいかん」


「して、衛兵ユキトの処遇についてはどのように? ルゥナールの件は確証もございませんが……」


「奴らには三鬼を配備しろ」


 ノーマンは瞠目する。今しがた証拠もないと言ったばかりなのに、ガルディーンは気にした風もなく実力行使を指示していた。


「さ、三鬼を、ですか? 曲がりなりにもロド家の騎士達でございますが」


「そんなものは関係ねぇな。大病の元になるのであれば早めに切り取るのが肝要よ。衛兵風情が死んだところでロド家は動けん。不慮の死であったと見せかけておけばいい」


 不敵な笑みを浮かべるガルディーンに対し、ノーマンは恭しく頭を垂れる。

 そして、その容赦のなさを改めて思い知り、背筋が冷たくなった。

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