⑩-交渉成立-

 オアズス街道を緩やかに移動する何台もの幌馬車があった。

 輜重隊と呼ばれるその一行は、平時には行商人として街と街、国と国を往来して物流を繋げる。そして緊急時、つまり戦争においては軍隊の補給線として最後尾に付き、兵隊の食事や物資の配備を担う役目を持っている。


 ドッペリーニが頭目を務めるその輜重隊は、ダイアロン連合国に与する商業組合に属している。彼らもまた絶えず移動を繰り返している一団だが、今は正規の仕事を中断していた。

 理由は一つ。ダイアロンとライゼルスの両国間で緊張が高まっているため、輜重隊としては物資を蓄えておかなければいけない。兵士数万人の飲み食いを保障するためには、通常の行商をしている余裕はなかった。

 それでも隊列を組んで移動しているのは、重要な客からの頼み事を聞いているからだ。


「ありがとうなアルル。無理なお願いを聞いてもらって」


「お礼ならドッペリーニさんに言ってあげてください。きっと喜びますよ」


 幌馬車の中で座るユキトに、そばかす顔の少女はニコリと笑ってみせる。

 様々な木箱や壺、袋が敷き詰められた荷馬車の一角にちょこんと座るアルルは、手に裁縫道具を持って服飾作業をしていた。手工業者でもある彼女は衣服や靴、その他の生活用品くらいなら簡単に作れてしまうという。


「でも突拍子のない説明だった割には、よく引き受けてくれたなぁ」


「そこはドッペリーニさんのことですからね。報酬とロド家へ恩を売るためなら喜んでやるのが商人というもの、だそうです。もちろんユキト様への感謝もあったはずですけど」


 頭目に対して無下な言い方だが、親指を立てながら即決していたドッペリーニの顔を思い浮かべると、言い過ぎとも断じ切れなかった。


「ただその、あたしも、ちょっと信じ切れなかったのはありますけど……」


 アルルは裁縫の手を止めて、ユキトの隣の空間に目を向ける。

 そこには、半透明の女騎士ルゥナが正座していた。


「本当に……ルゥナール様がいらっしゃるのです、よね」


 アルルは緊張してか、声が少し上ずっていた。なにせ雲の上の人間である州長代理が、魂だけとはいえ同席しているのだ。神や霊魂が存在すると根っから信じているこの世界の住人にとっては、死者であろうと生前の価値が変わるわけではない。アルルにとってのルゥナは尊大な存在のままだった。

 そして同時に、彼女の態度はユキトの話を全面的に受け入れている証拠でもあった。


「ごめんな、話せなくて。騙すつもりはなかったんだ……ただあのときは、俺もルゥナと出会ったばかりだったし、なんて説明していいかわからなくて」


「いえ、気を悪くなさらないでください。確かに、州長様の魂を連れているだなんて聞かされてびっくりしましたけど、ユキト様が導師のお力を持っているなら納得はいきます」


 厳密にはユキトは導師ですらないのだが、そこは嘘をついて修行した実績があるふうに伝えておいた。話をうまく転がすための方便と割り切ったが、アルルに羨望の眼差しを送られると罪悪感が胸を突く。

 ユキトは咄嗟に話題を切り替えた。


「そ、それより、ドルニア平原を迂回してギュオレイン州に入る経路は、大丈夫なのかな?」


「道中で取引している農村に立ち寄りますからそこまで怪しまれないはずです。元々あたし達の次の目的はギュオレイン州で兵站を集めることだったので、少しくらい寄り道したところで支障はありません」


 なら良いんだ、と呟きながらユキトはふと隣のルゥナへ目を向けた。

 なぜか彼女は居心地悪そうな顔をして黙りこくっている。


「どうしたんだよルゥナ。さっきから何も言わないけど」


『……いや、その』


 言葉少なに答えたルゥナは、裁縫を再開したアルルをじっと見つめていた。


「アルルがどうかし――」


『あああ違うそうじゃない! ち、ちょっと不安だったんだ!』


 言葉を遮ったルゥナは、一息ついて答える。


『あの男、ニックスの言うことは信用できるかどうか、なのだが』


「そりゃまぁ、敵側かもしれない人間の言うことだからな。でも、少なくとも未練については本当のことを言ってると思うよ」


『家人に会いたい、というものか』


「そう。現世に留まるのは、心が飢えてるからだ。嘘をついたところでその飢えは満たされない。肉体を失った死者は未練を中心に物事を考えるようになる。ルゥナも同じだったろ?」


 うむ、とルゥナは真面目な顔で頷いた。


「だからきっと、生きてたときの色んなしがらみを考慮するより、未練の解消を優先したいと思うはず。その一点においては、あの男に付き合う意味がある」


 言いながらユキトは、森の中でのやり取りを反芻していた。


******


『では貴様が私を襲った者の一人、ということか』


 低い声を発したルゥナが一歩踏み出し、座り込むニックスを睨み付ける。


『なぜ味方に奇襲などしかけた。目的はなんだ? 仲間はどこにいる? この件にダイアロン、もしくはライゼルスの他の人間はどれくらい関わっている?」


 矢継ぎ早に放たれる質問に、ニックスは皮肉げな笑みを浮かべるだけだ。


『答えろニックス! お前のやったことは反逆罪だ! まだ何か企てているのなら全て吐かないと――』


『吐かないとどうする? 拷問でもして自供させるってか?』


 ルゥナはハッとした。なぜニックスが飄々としているのかユキトも理解する。


『俺は死人だぜ。肉体に痛みを与えるならともかく、魂をどうにかすることなんてできるのか?』


『それ、は……』


 ルゥナは言葉に詰まる。霊同士ですら互いに干渉し合わないことは既知の事実だ。


『だ、だが! 貴様もダイアロン連合国に生まれ育った人間ならばここで心を悔い改めるべきだろう!? 祖国に仇なすことに罪の意識はないのか!』 


『はは、まるで修道士みたいな言いぐさだな。いいか? 愛国心てのがあるなら俺は元よりこんなことしてねーよ。改心しろって言っても無駄だぜ。嘘がバレたことは認めるが、お前らに説明してやるとは約束してねぇしな』


 ニヤリと唇を釣り上げるニックスに対し、ルゥナが拳を握りしめる。

 その手は震えるだけでどこにも向けられることはない。自分を殺した人間達の仲間が目の前にいるというのに、しらばっくれるのを戒めることもできないのだ。彼女の心にかかる負荷は相当なものだろう。


 ――まずったな……。


 ルゥナの隣で押し黙るユキトもまた、苦い胸中だった。

 犯人の一味が死者として残っていたのは大収穫だが、肝心の情報を聞き出す術がない。


 ――いや、一つだけ……強請る方法はある、か。


 思い至ったのは、ニックスが未練を抱えた幽霊である、という立場を利用したものだ。

 強い未練を抱えたまま平静でいられる人間はそう多くない。二人が去ればニックスはまた孤独に襲われる。未練を叶えられないことに絶望する。その心の隙間を突いてやるだけでいい。

 手助けする代わりに情報を寄越せ、と。

 死者はきっと心を揺り動かされるはずだ。

 だがユキトは、そんな考えを頭から振りほどいた。

 本末転倒もいいところだ。霊を助けようと思ったのは自分の利益のためではない。これでは何のために決心したかわからなくなる。


『……それより、一つ聞きたいことがあるんだが』


「なんだよ」


『俺がこのまま黙っていても、あんたは俺の未練解消に付き合ってくれるのかい?』


 瞬間、ルゥナが目を剥いた。


『ふざけるなよ貴様!? どの立場でそんな物が言えると思っている! 彼の気持ちを踏みにじる下劣な言葉だ! 今すぐに訂正し謝罪しろ!』


 ルゥナはユキトに向かっても声を張りあげた。


『こんな奴のいうことは聞かなくていい! 君の善意につけ込もうとする悪辣な人間だ。いくら君の信念があるからといっても馬鹿げている!』


「……わかってる。だけど、さ」


 歯切れ悪く答えると、ルゥナが苛立った様子で口元を歪める。

 しかしユキトは、彼女がまだ何か吠える前に手を突き出した。


「……こいつはルゥナを殺した奴らの仲間だ。だから俺だって、こんな男は助けたくない。だけどニックスだってもう、終わった人間なんだ。もう何も得られない。俺たちに何かすることすら、できない」


 思うところがあったのか、ルゥナは怒りを抑えて静かに聞いている。


「だからさ、俺がやるべきことは、こいつに罰を与えることじゃない。それに、善人だけを助けようと決めたわけでもない」


 深呼吸をして自分の気持ちを鎮めてから、ユキトはニックスを見た。

 いつのまにか男は立ち上がっていた。理解できないというような困惑顔だ。


「ただしあんたのことは後回しだ。ここで何も証拠が得られないなら、俺はまた一から奇襲のことを調べないといけないんだよ。それくらいは飲んでもらう」


 実際は、振り出しに戻ったわけではない。ニックスという傭兵が関わっていた、という線から犯人へ繋がる糸口を辿れる可能性がある。全てが無駄骨というわけではない。


「全部が終わるまでには相当時間がかかる。そのときまでこの世界に留まってられるなら、俺が助ける」


『……あんた、ほんと頭がとち狂ってやがるな』


 ルゥナが敵愾心を込めて睨むが、そこでニックスはしみじみと呟いた。

 降参だ、と。


『……わかったよ。条件付きでいいなら、話してやる』


 二人が大きく目を見開くと、ニックスは肩を竦めた。


『そもそもロド家に恨みなんてねぇしな。俺はあくまで、計画した連中の手引きを依頼されただけだ』


「手引き?」


 ニックスは顎をしゃくり、森の奥を示す。

 奇襲部隊は街道ではなく山岳部を経由して幕営地を奇襲した。だが夜の森は見通しが悪く、方向感覚を惑わされやすい。幕営地の位置を把握することもままならなくなる。そこでニックスが所定の中継地で落ち合い、幕営地付近まで案内する、というのが依頼内容だった。


『では貴様の雇い主とやらが私達を襲った奇襲部隊、ということか。それはどの時点で依頼されたのだ。国内でか?』


『おっとこれ以上は後払いだ。あんたが条件を飲むなら話してやるよ』


「条件ってのは、未練解消のことか」


 ニックスは素直に頷く。だがユキトは、態度を急に変えたことが解せなかった。必死に隠そうとしたのは仲間を裏切れないからだと考えていたが、逆に未練解消を交換条件にしてもいいと容易く提案してくる。掴みどころがないことが返って疑心を呼んだ。

 すると彼の心情を悟ったようにニックスが答えた。


『俺は傭兵なんでな。自分の利益のためにしか動かねぇ。タダでお前らの役に立つのが癪に障ったから騙そうとしただけで、甘い目にあえるんなら前の雇い主なんざ笑って見捨ててやるよ』


「……なるほどね」


 死後であっても得かどうかで判断するのは一見矛盾しているように思えるが、幽霊とは得てしてこういうものだ。人を試すようなやり方は気に入らないが、ニックスはこうした駆け引きを日常的にこなして生きてきたのだろう。その生前の価値観のままに動いているにすぎない。


「わかった。あんたの未練解消を優先する。で、内容ってのは?」


『ああ……実はな、豪遊じゃねぇんだ。あれも嘘だった』


 うん、とユキトは頷く。そんなものは最初からわかりきっている。

 ニックスは鼻白むがひとまず続けた。


『俺はギュオレイン州内地に住んでた。そこに嫁と子供がいる。きっと俺が死んだことも知ってるだろう。そいつらに会わせてくれ』


 ふと、懐かしい感覚を覚えた。元の世界でも同じような台詞を、幾人もの死者から告げられていた。

 ニックスとて普通の人間で、誰も愛さなかったはずがない。男もまた家族という関係性を放っておけないのだ。

 ユキトは答える前にルゥナに目配せする。彼女は不満げな面持ちながらも頷いた。


「わかった。じゃあニックス、あんたの未練を解消しよう」


 *******


 それが一昨日の夜の出来事だ。

 急展開した事情は、すぐにライラとセイラに伝えた。しかし二人の反応は決して芳しいものではなかった。


「案内役とはいえ、我らがルゥナール様を殺した連中の手先を救う、のですか……正直、納得がいきませんわね。見殺しにして当然の男ですわ」


「はっ、んなやつは適当に放置して苦しんだところを吐かせればいいんすよ! なんで助けてやらなきゃいけないんだ!」


 セイラは静かに、ライラは露骨に嫌悪感を示した。ライラなどはユキトが切り捨てた策まで平然と口に出す始末だ。

 それでもユキトは、二人への協力を根気よく頼み込んだ。驚くことに反対していたルゥナも、憑依を使って二人の説得に回ってくれた。


「……ルゥナール様がそこまで仰られるなら、是非もありませんわねぇ」


 結局、ルゥナの頼み事を断りきれない二人の方が折れた。

 無理強いした罪悪感を抱えつつ感謝したユキトは、宿に戻ってから未練解消への作戦会議に入る。


 ニックスの家族に合うためにはギュオレイン州内地に出向く必要がある。同盟関係にあるため容易く入れるが、ゼスペリア軍兵士が勝手に動き回れないことが問題だった。ロド家お抱えの騎士達がなにやら怪しい動きをしていれば、ギュオレイン州を管轄する兵士達を無闇に刺激しかねない。

 その上、裏切り者がニックス以外にも存在することは確かだ。

 中央州でのユキトへの襲撃を考えると、動向を探っている何者かはまだ潜んでいる。騒ぎを起こせばその連中に気取られる可能性が高くなる。


 そこで三人と一人の幽霊が考え出した方法は、偽装工作だった。

 州内で動き回っても怪しまれず、かつ馴染みのない顔でも警戒されない職業が最適だということで、商人への偽装が決まる。

 白羽の矢が立ったのはドッペリーニ一行だ。顔見知りの彼らなら協力してくれるだろうという考えだった。


 ここでもう一つ問題が生じる。協力を要請するからには、ユキトの能力を伝えなければいけない。ひとまず異国の導師だと誤魔化しはするが、彼らがどんな反応を示すかは未知数で、信じてもらえない危惧もあった。

 だがそれは杞憂に終わった。説明したときの彼らの反応は劇的だった。

 商人達は、ルゥナの魂が同席していると教えるだけで速攻で平身低頭になった。

 信じる信じないという以前に、州長代理という会話すら許されない上流階級の人間がユキトのそばにいて、しかも悪口に近い噂話すら口走っていた事実に震え上がったのだ。とりあえず謝らなければ、と本能的に動くのも無理のない話ではある。

 念のために憑依も見せると、もはや商人達はユキトを崇め奉る勢いでひれ伏した。

 そこからはとんとん拍子に話が進み、ドッペリーニの協力でドルニア平原まで向かっている。


「とりあえずここまでは問題ないな。あとはニックスさん次第だけど」


『ああ、憑依を使うのだったな』


 ルゥナ以外の死者を憑依できるかどうかはやってみなければわからないが、できるとすれば多くのことが楽に進む。できなければ、苦労するかもしれないが当人の通訳に徹するまでだ。


「一度憑依を試してからギュオレイン州に行こう。それ次第で計画の方向性も――」


「あ、なるほど。憑依だったんですね、あれ」


 ぽん、とアルルが手を叩いた。のほほんとした顔でユキトに振り向く。


「以前ユキト様が遊びにいらっしゃいましたこと、覚えてますか?」


「あ、ああ。そのときはごめんな、酔っ払ってて……正直、覚えてないことも多い」


 バツが悪そうに答えるユキトだが、なぜかアルルはニコリと好ましげに笑う。


「やはりそうでしたか。では、あそこでユキト様を動かしたのはルゥナール様だったというわけですね」


『うぐっ』


 ギクリ、という擬音が聞こえてきそうな程にルゥナが動揺していた。


「心配してたんです。あたしが粗相をして嫌われたんじゃないかって。でもそうじゃないんですね」


「嫌う? 何の話?」


「お気になさらず。こっちの話ですから」


 ルゥナはますます萎縮する。ユキトが首を傾げていると、アルルは深呼吸してから静かに告げた。


「州長代理様に対し不遜を承知で申し上げますが……あたしも、女としての覚悟は持っております。だから今度は、どうかそのままお見届けいただけますと、嬉しいです」


 何が何だかわからないユキトの前でルゥナは唸り声を上げる。

 そして小さく『御意……』と呟いた。


「なんだか御意って言ってるんだけど」


「そうですか。良かった」


 アルルは上機嫌で裁縫を再開した。

 ユキトは説明を求めたが、ルゥナは『女ってしゅごい……』とうわごとのように呟くだけだった。

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