⑧-VS 黒の狂戦士ー

『っ! 逃げろユキト!』


 男が突貫した。ユキトめがけて一直線に迫り六角棍を突き放つ。

 木製のテーブルが粉々に破壊され、皿やグラスの破片が飛び散った。


 しかしユキトには直撃していない。彼はルゥナの声に反応し、クザンを突き飛ばしてからジルナを抱えて飛び退るという立ち回りをやってのけた。今はジルナを抱きかかえて男から距離を取っている。

 いきなりの乱闘騒ぎに住民達は度肝を抜かれ、蜘蛛の子を散らすように逃げ始めた。


「き、貴様!」


 兵士達が尻もちをついて唖然とするクザン、そしてユキトの前に飛び出し抜剣した。ユキトも動揺はしていたが、すぐに装備していた剣を抜く。

 男は六角棍を肩に担いで振り向いた。やはり顔がフードで隠れているため表情は伺えない。


「ぐえっ!?」


 くぐもった呻き声が響く。兵士が倒れユキトは瞠目した。

 背中には三本の黒い矢が突き刺さっていた。目前の男の仕業ではない。矢の角度からしてどこか高い位置からの射撃だ。


 ――弓兵も潜んでいるか!


 ルゥナが察すると同時、男が飛び出した。

 すかさず兵士が前に出るが横薙ぎに放たれた六角棍を受け止めきれず弾き飛ばされた。男は勢いを削がれることなくユキトに向かう。

 ユキトの放つ剣と六角棍が打ち合わされる。既に憑依していたルゥナの力量で鍔迫り合いの状態で踏みとどまった。そのまま生き残っている兵士に叫ぶ。


「ここは私が食い止める! お前はジルナとクザンを守れ!」


 憑依能力など何も聞かされていない兵士だが、ルゥナの剣幕で我に返りジルナとクザンを連れて物陰に隠れた。

 横目で見届けたルゥナはそこで拮抗した状態をわざと崩す。男が六角棍を突き出してくるが横回転で回避。回転力を活かしながら剣を袈裟斬りに放った。

 が、男は六角棍を巧みに動かして防御する。

 互いに武器を弾きながら間合いを取る。


『なんだよあいつは……!』


「わからない。だが相当の手練だ」


 六角棍を受け止めた際の衝撃がまだ手に残っている。威力、速度共に並外れた一撃だ。

 そこでルゥナの耳が風切り音を捉える。彼女は背後に向けて斬撃を放った。

 空を走る二本の弓矢が切断される。

 同時に、黒い矢は塵となって消え失せた。

 奇妙な現象にルゥナの意識が一瞬だけ囚われる。その隙に黒服の男が接近。剣を振り戻すが間に合わない。


「っく!」


 柄から伸びている鎖を使って六角棍を受け止める。鎖がたわんで肩口に接触したが威力は減衰した。大したことはない。

 ルゥナはそのまま鎖を六角棍に巻きつける。武器の動きを封じ肉弾戦に持ち込む技――二の型天牢だ。だが蹴りを放とうとした瞬間、奇妙な浮遊感が彼女を襲った。

 男が六角棍を持つ腕を持ち上げる。鎖を巻きつけているルゥナごと。


「グルォっ!」


 不明瞭な声とともに男が六角棍を大きく振るう。拘束していた鎖が解けルゥナの体は空中に投げ出された。

 飲食店の店外席にぶち当たりテーブルや椅子が砕ける。

 衝撃が背中を貫き肺から空気が漏れた。

 破片まみれのルゥナは、しかし構うことなく横に転がる。直後に六角棍の先端が地面を穿つ。

 立ち上がりざまの彼女めがけて敵が追撃した。ルゥナは放たれる打撃を剣で弾いていく。剣と六角棍が打ち合わされ金属音が甲高く響く。攻防はほぼ互角。その分、付け入る隙がない。

 円燐剣は様々な型を組み合わせて敵を翻弄するのが本質だが、相手の打撃力が高いため四の型は弾かれる。二の型は敵の膂力で強引に防がれた。一の型ばかりでは決定打に欠ける。

 ならば五の型、と考えた瞬間。激痛が走った。

 痛みの正体は、肩に突き刺さった矢だ。


 ――なに!?


 矢は砂塵のごとく散り傷口から血が吹き出る。ルゥナは六角棍を弾きつつ後方へ飛び退った。傷口を確認するが、やはり矢で穿たれた跡が残っている。

 敵との攻防で立ち位置を変え続ける最中に、弓兵はルゥナだけを狙って命中させた。矢が消失する現象よりも、剣と六角棍が乱れる空間の隙間を縫うように射る技術の方が非常に厄介で気にかかった。


『こんなのどこから打ってるんだよ……!』


 ユキトが焦りの声を上げる。ルゥナも同じ心境だった。

 少なくともルゥナの視界にはそれらしき弓兵の姿はない。狙い撃つ場合は家屋の上や高台を陣取るのが通常だが、よほどうまく隠れているか視界に映らないほど遠方にいるかのどちらかだろう。いずれにしても驚異的であることに間違いはない。

 できれば弓兵の位置を確認したい。しかしルゥナが視線を傾けると男が突貫してきた。六角棍の乱れ打ちをルゥナは剣で受け止め、弾き、あるいは回避する。とてもではないが弓兵の位置を探る暇がない。


 太ももに矢が突き刺さった。金属の擦過音が邪魔で弓矢の音を把握できなかった。

 ルゥナは顔をしかめる。一度体勢を整えようとした矢先、衝撃が腹を貫いた。六角棍を横薙ぎに叩きつけられ彼女は後方に弾き飛ばされる。

 家屋の壁に激突。破片と共に地面に落下すると、胃の中からせり上がった血混じりものを吐瀉する。


「っぐうう……!」


 あまりの激痛にルゥナは呻いた。弾かれる際に同じ方向へ飛んで威力を削いだが、それでも内臓に深いダメージを負っている。


『大丈夫かルゥナ!』


「はぁ……だい、じょうぶ。でも、君の体に、重い傷をつけてしまった」


『んなこといいから! 二対一なのをどうにかしないと……!』


 ルゥナは口元を拭って立ち上がる。対する男は六角棍を肩に乗せてゆっくり近づいてきていた。優勢に立って余裕なのか、まるで彼女が起きるのを待っていたようだ。


「……確かに、やり難いな。せめてどちらかを仕留めれば、勝機はあるのだが」


 言いながらもルゥナは剣を振るう。放たれていた矢が切断された。その瞬間を狙ったように黒服の男が六角棍を打つ。ルゥナは咄嗟に横っ飛びで回避。家屋の壁が六角棍によって更に破壊される。

 着地したルゥナは敵に向かう、のではなく別方向へ走り出した。壁から六角棍を引き抜いた男はすぐに彼女を追う。


「移動すれば狙いも外れやすくな――」


 言葉の途中で矢が襲い掛かってきた。ルゥナは舌打ちしながら矢を切り飛ばす。

 真横からの襲撃ということは敵もルゥナに合わせて移動している可能性が高い。走りながら目を凝らすと家屋と家屋を飛び移る人影がうっすら見えた。しかし夜闇に紛れているため正確な位置が把握しづらい。

 ただ安心した点が一つある。薄々予測しての行動だったが、敵の動きでより明確になった。


『……あいつら、ジルナじゃなく俺たちが狙いなのか?』


 ユキトの言葉にルゥナは少し感心する。それはまさに彼女が推測していたことだ。

 ジルナやクザンが標的なら襲える場面は幾らかあった。しかし連中はルゥナを執拗に狙っている。その点を見逃さなかったユキトは、戦場でも冷静さを保てる胆力があるかもしれない。


 しかし、だとしたらなぜルゥナ、いやユキトが狙われているのか。

 そもそも連中は何者なのか。棒術を駆使する戦士などダイアロン連合国でも滅多に存在しない。戦い方も集団戦より対人戦闘に特化している。軍に所属していないのなら傭兵の類か。しかしここまでの強者であれば生前に聞かないはずがない。

 ルゥナはそこで、推測の域を出ない思考を頭の隅に追いやる。今は生き残ることが先決だ。余計な雑念に捕われた者から死ぬと、ゴルドフにも口酸っぱく言われてきた。


 目抜き通りを移動するルゥナは狭い路地へと入り込む。弓兵の視界から隠れることを狙っての行動だったが、しかし矢は関係なく彼女に向かって飛んでくる。

 剣で矢を切り飛ばしながらルゥナは思案する。弓兵は移動する彼女の姿を視認できるくらい近くにいることは間違いない。居場所さえわかれば対応する術はあるが、調べようとすれば弓兵は隠れるだろうし六角棍の男に隙を見せてしまう。

 あるいは往来のど真ん中に潜り込めば弓兵はルゥナを見失うかもしれない。しかしダイアロンの住民にも被害を出す策だ。そんなものは彼女の理性が許すはずはなかった。

 ならばできることは一つしかない。判断したとき内部のユキトが声を上げた。


『どうするんだルゥナ!』


「このまま走って時間を稼ぐ。いずれ騒動を聞きつけた守護兵団が駆けつける。多勢に無勢ではあるが、二人相手なら劣勢は覆せるはずだ」


『……っ! それじゃ駄目だ!』


 ユキトが狼狽した。理解できないルゥナだったが、すぐに察して目を見開く。


「しまった……! 憑依の限界!」


『たぶんあと少ししかない!』


 比較的大きな通りに抜けたところでルゥナは反転する。

 そして路地から出て来る男に向かって突撃した。


「くそっ……!」


 放った斬撃は六角棍に防がれる。次々に剣を振るうも打撃に阻まれた。やはり決定打を打ち込めない。

 斬撃を放ちながらルゥナは自分の迂闊さを悔やんだ。憑依の制限を失念していなければ他の策を取れたが、既に遅い。ここで一人を仕留めても別の一人が残る。憑依が解けた瞬間に気絶するユキトが狙い撃ちされる。かといって逃亡するにもその時間がない。


 ――考えろっ! どうすればユキトを助けられる……!


 それはルゥナが初めて感じる恐怖心だった。ユキトが死ぬかもしれないと感じた途端、頭が真っ白になりそうなほどの焦りが生まれた。今までも他人の生死を憂慮してきた彼女だが、今回はその比ではない。

 それだけユキトという少年の存在が、彼女の中で大きくなっていた。


 しかし狼狽すればするほど考えはまとまらなくなる。六角棍を弾く間に肩や脇腹を鏃が掠めていく。痛みにバランスを崩したところを六角棍の男に攻め込まれ、その度に彼女は大きく飛び退る。それは戦闘の流れを止める行動だ。こうしている間にも憑依の時間が失われていく。

 ルゥナは剣を構えて敵を睨みつけた。玉砕覚悟で突っ込めば六角棍の男を仕留めてどこかの建造物に逃げ込めるかもしれない。だがユキトの体が致命傷を負う可能性の方が高い。


 ――くそ、くそぉ……!


 ギリ、と奥歯を噛み締めた。なぜ自分の肉体がないのだと、今更ながらに境遇を呪った。

 そのとき静かな声が響く。


『……二回目の憑依をやろう。それしかない』


 ルゥナは目を見開く。既に六角棍の男が突撃していたので応戦しつつ、己の内側に向けて叫ぶ。


「そんなこと本当にできるのか!?」


『わからない。でも何もせず死にたくないだろ』


「しかし! 今でさえ副作用があるのにそんなことをすれば君の体がどうなるか!」


『心配してくれてんだな。ありがとう。まぁここで終わるよりはマシさ……試してみようぜ』


 六角棍を弾き、飛来する矢を何とか避けながらルゥナは逡巡する。それが唯一の方法としても不安材料の方が大きすぎる。彼を傷つけたくないあまりに判断が鈍った。


『時間がない! ルゥナ!』


 叱咤の声に突き動かされ、ルゥナは六角棍をいなしてから後方に跳躍する。

 そして大きく息を吸って吐き出し、気持ちを落ち着かせた。

 ユキトは覚悟したのだ。ならば彼を守る騎士として、その決意に報いなければいけない。


「……わかった、私も賭けに乗ろう」


 内側のユキトから満足気な気配が伝わる。しかし彼は更にとんでもないことを提案した。


『それとルゥナは弓を打つ敵の場所を見つけてくれ』


「は? いや、それは可能なら今すぐ調べたいところだが、言うほど簡単じゃない」


『敵に見られてるからだろ? でも相手に姿が見られないルゥナなら、できる』


 意味がわからずルゥナは眉をひそめる。

 だが真意を察した瞬間、彼女は唖然となった。


「ま、さか……憑依の間に確認しろというのか!?」


『ああ、そのまさかだよ』


 六角棍の男がジリジリと近寄ってくる。ルゥナはすり足で後方に下がりながら声を荒げた。


「私が戻るまでどうやってあの男の攻撃を凌ぐんだ!」


『ゴルドフさんのときはもう気絶しなかった。少しなら起きてられるはず。何とか保たせるから早めに確かめて憑依してくれ』


「早めって……!」


『どれくらいの時間が必要かな』


 ユキトは本気だった。真剣にその案を実行しようとしている。

 ルゥナは呆れた。あまりにも無謀で突拍子もない分の悪すぎる作戦だ。普通だったら馬鹿げていると一蹴するだろう。

 しかし成功すれば確実に生き残れる策でもある。

 そして困ったことにルゥナは、どんな困難でも全力で立ち向かう男が嫌いではなかった。


「はは……まったく……大した奴だよ、君は」


 呆れたように、しかしどこか楽しそうにルゥナは笑みを浮かべる。それから彼女はおもむろに剣を鞘に戻した。

 ピクリ、と六角棍の男が反応して立ち止まる。彼女の不審な行動を警戒したのだ。

 それとほぼ同時に憑依が解除される。


 意識がユキトに戻った。全身に鉛を埋め込まれたような重苦しさを感じる。疲労と筋肉痛がいっぺんに襲いかかり危うく倒れそうになる。

 だが彼は踏みとどまった。意識は保てている。ゴルドフのときは肩を借りなければ歩けなかったが今回は一人でも動けそうだ。やはり回数を重ねるごとに副作用は軽くなっている。

 しかし、かといってユキトが六角棍の男の攻撃を掻い潜れるはずはない。


『いいかユキト。三十、いや二十ほど数える間に必ず弓兵の位置を見つける。それまで死ぬな』


 そう言い残してルゥナの気配が消えた。「取り憑き」を解除したルゥナは、遠くまでは移動できないにしても近辺なら十分に探し回れる。後は彼女が示した二十秒の間に位置を把握して憑依に戻ってくれることを祈るだけだ。


 ――それまでに俺は俺のやれることをやる。


 警戒し六角棍を構える男に対して、ユキトはおどけたように笑って手を上げてみせた。本当は腕を動かすのも辛かったが決して悟らせないよう全力で演技する。


「さぁ、俺の勝ちは決まったけど、あんたはどうする」

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