④-全王円卓会議-
「これはジルナール姫! 大きくなられたものだ。息災でおられたか?」
「ご無沙汰しておりますカルマン卿。貴殿もお元気そうで何よりです。出征に際した兵糧支援の恩義、必ずやお返しいたします」
「姉上のことではさぞ心労を重ねておいでだろう。我らで良ければいくらでも力になるぞ」
「痛み入りますニーヘイロ卿。姉の件も含め、会議にて仔細にご報告させていただきます」
広々とした部屋に通されてすぐ、ジルナのもとには様々な男達が寄ってきた。ルゥナによると州長とその補佐達で、ジルナはにこやかな顔をしながら彼らに対応している。緊張で強張っていた先程の面影はどこにもない。気持ちを切り替えたのだろう。クザンが横合いでサポートしてくれるのも助かっているようだ。
一人手持ち無沙汰なユキトは『兵は離れて』とルゥナに促されたので部屋の隅に移動した。そこには既に他州の屈強な衛兵達が揃っていた。彼らは貧弱なユキトのことを不審げに見つめていたが、ユキトはしれっとした顔で壁際に並ぶ。あまりおどおどしていると怪しく思われるかもしれない。
会議室のドアが一際大きな音を立てて開いた。室内に入ってきたのは青銅色の鎧を身にまとった大柄の男だ。ライオンのたてがみのような髪と髭が印象的だった。
「いよぉ皆の衆。元気でやっていたか……っと、そこの美人はジルナール嬢か。親父殿の葬儀以来だな」
「お久しぶりですガルディーン卿。此度のドルニア戦地への援軍派遣、姉に代わりまして改めて感謝申し上げます。また貴軍を指揮下に招きながら多大なる損耗を出したことを重ねて――」
「あーいい、いい。堅苦しい挨拶はなしだ。既に貴公のゴルドフやうちの部下から詳報を受け取っている。済んだ話よ」
豪快に笑いながら男はジルナの肩を叩いた。豪放磊落、という言葉が似合いそうな人物だ。
「あれが噂のガルディーンって人か……一瞬、ただの騎士かと思ったよ」
ユキトは壁際に立ちながらルゥナに向けてボソリと呟く。
他の州長や補佐役たちは全て宮廷服姿だが、ガルディーンだけは鎧を纏い帯剣していた。
『ガルディーン卿はダイアロン連合国の中で一、二を争うほどの実力者だからな。戦術、戦略に卓越した豪傑で、ダイアロンの軍事力を支える要とも言える。その気性故に常に武人として振舞うお人なんだ』
「政治家よりも軍人、って感じか。強そうだし」
『いいや強いなんてものではない。ガルディーン卿の剣技は群を抜いている。私も一度だけ手合わせしたがまったく歯が立たなかった』
ユキトは軽く驚いた。ルゥナがそこまで言うのだからよほどの強さなのだろう。
そこでガルディーンは扉の方に向かって誰かを手招きした。入ってきたのは金髪をボブカットにした優男だ。背は小さいが、配下を従えて歩く様は自信に溢れている。
「第三子息、ヘルメス・ガルディーン・ギュオレインだ。ジルナール嬢は初見だったか?」
「いいえ父上。ジルナール様と私は、既に相識の間柄ですよ」
ヘルメスの言葉にガルディーンが眉を上げると、ジルナはにこやかに笑った。
「ええ。ロンドゥ侯爵家の晩餐会で一度、お会いしましたね。お変わりないようで何よりですヘルメス様」
「君の方は美貌にますます磨きがかかっているなジルナール。是非もう一度、素敵な舞踏の時間をご一緒したい」
「なぁに、これから顔を突き合わせる時間など嫌でも増える。期待しておくといい」
息子と笑い合うガルディーンだが、ジルナは微笑んだままで何も言わない。
州長の言葉はつまり、婚姻後のことを想定したやり取りを示している。だから彼女は返答を回避したのだ。
静かに駆け引きの気配が混ざり始めたとき、室内に大声が響いた。
「ヴラド諸侯王のご入室であられる! 各方、ご配置に着かれよ」
家臣と思しき男の声で州長らが動き出した。それぞれが室内にある円卓の席に座り始める。ジルナもクザンと共に席に着いた。
『さぁユキト。君はジルナの後ろに移動だ。主君の背後で直立不動を維持しつつ、ヴラド諸侯王が入室した際は腕を胸の前に掲げること』
ルゥナの指示通りジルナの後ろに立つ。他の衛兵達も主君の背後に立つと、室内は急に静寂に包まれた。
ゆっくりドアが開く。現れたのは初老の男だ。病的なまでに頬がこけ目が落ち窪んでいる。羽織るマントも重そうな、頼りない足取りだった。
衛兵達が一斉に腕を胸の前で掲げる。ユキトも慌てて同じ動きをした。
つまりこの男がダイアロン連合国を統べる王、ヴラドその人なのだろう。
イメージよりも弱々しい姿に驚いたユキトだが、議長席に座ったヴラドの目を見て息を飲んだ。まるで抜き身の刃のようにギラギラと剣呑な光を宿している。敵意、あるいは殺気のような底冷えのする眼力の持ち主だった。
ヴラドの後にも初老の男と小太りの貴族が入室してくる。初老の男はヴラドにどことなく似ているが、より神経質そうに眉間に深い皺を刻んでいた。逆に三十代後半ほどの小太りの貴族は人の良さそうな感じの男だった。
「全員、揃っているな」
席に着いたヴラドが州長らの顔を見回す。当然ながら衛兵らには目もくれず、ユキトも怪しまれることはなかった。
家臣が羊皮紙を掲げて告げる。
「では第百四十七回全王円卓会議を開きます。まず最初の議題はカウナ川の氾濫に対する治水工事ですが――」
家臣が議題を読み上げ始める。会議は、問題に対応する州長の報告と、他州長からの意見を聞く形で進んだ。淡々と進む会議だが、次に読み上げられた議題で空気が変わる。
「次に第四次ドルニア戦役の戦後処理について。ロド家ジルナール様」
緊張感が一気に増したのを、ユキトも肌で感じ取った。今までは準備運動で、これからが本番なのだ。
ジルナは立ち上がると、ブラドに向けて深々と頭を下げる。
「此度の敗戦、全責任は総大将を務めた我がロド家にあります。盟友である各州およびヴラド諸侯王の名誉に傷をつけたこの不始末、如何様な処遇も受ける所存です。このような小娘では事足りぬかと存じますがロド家の長として責務を果たし――」
「能書きはよい。本題に入れ」
「あ、はい……!」
遮るブラドの声に萎縮しつつ、ジルナは報告書を読み上げた。
「――そこでゼスペリアの宝庫に加えて各貴族からの借入で聖ライゼルス帝国の要求した賠償金を賄い、捕虜と交換となります。またロド家管理のビジ鉱山を放棄せよという要求が通達されました。これを承諾することで調印を結ぶというのが敵方の条件です」
「ちっ、ビジ鉱山か。あそこは良質な鉄が産出する上に、ピレトー山脈の連合国側渓谷に位置しているからな。うまいこと取り上げて前線基地にする算段か」
舌打ちしたのはニーヘイロという州長だ。
「多額の賠償金も痛い。捻出できたとはいえ先立つものがなければ軍備も増強できん。税を上げるにしても収穫期はまだ先で、思ったほどの効果もないだろう。輸出物がなければ外貨も稼げん」
熊のような巨漢の州長タングドラムが苦々しげに口元を曲げる。
「お前ら、まだ考察が足りんぜ。ライゼルスが戦勝したにも関わらず自国へ引き返したのは、ゼスペリアの資金を奪い弱体化させるのが狙いだ。連中は態勢を整えて本格的に動き出すだろう。合図となるのは、州長代理を務めていたルゥナールの生死が判明した時だ。死亡が断定されれば奴らも勢いづく。それで姉上の行方は判明したのか、ジルナール嬢」
ガルディーンの言葉で全員の視線がジルナに注がれた。
ジルナは深く息を吸い、意を決したように告げる。
「はい……姉の死亡が、確認されました」
ざわり、と室内に動揺が広がる。
「確かか」とヴラドが問う。ジルナは頷き、捜索隊の早馬で遺体発見の報告を受けたと説明した。本当はユキトが知らせたのだが、彼の存在を隠すために誤魔化している。
「そうか……残念だ。ルゥナールはマルスの娘としてよく尽くしてくれた。連合国にとって痛手だろう」
ヴラドの瞳に微かに哀愁が過った。その様子に『勿体無いお言葉です陛下』とルゥナは感慨深げに呟いている。
「今後ですが、ゼスペリアでは遺体到着後に葬儀を執り行います。州全域で喪に服すため、おそらくライゼルスにも我が姉の訃報は届くでしょう……」
「うむ。隠し通せはおれんだろうな。ガルディーンの言うとおり、連中を増長させる祝砲となりかねん」
「ならば早急に体制変換を内外に示す必要がありますな! ジルナール様を正式にロド州長代理に任命しましょうぞ」
ヴラドに呼応するように声を上げたのは隣に座る初老の男だ。州長ではなさそうだが一体誰だろうか。疑問に思っていたところでルゥナが答えた。
『あの方はアルメロイ辺境伯だ。ブラド諸侯王の弟君で私の婿であるライオット殿下の父上でもある。生きていれば養父として接していた人だな』
彼女の婿の父親ということだが、やはり出席している事実には違和感がある。そこでユキトは、この会議でジルナの婚姻も話題に出されることを思い出した。
「わかった。ではジルナール、後日レミュオルム城にて戴冠の儀を執り行う。詳細はおって連絡しよう」
「それとですな陛下。ジルナール様はロド家最後の血脈でありながらまだ十五の御身です。州長代理の大任をお一人で背負わせるのは忍びない。やはり心の支えが必要でしょう」
するとアルメロイは、隣に座る小太りの貴族の肩に手を置く。
「ジルナール様、この方はマーナ侯爵家のご子息ポメロ様です。とてもお人柄が良くヴラド家の縁戚でもあるので経歴に申し分はない。どうですかな、彼をロド家の末席に加えていただくというのは」
紹介されたポメロは恐縮したように頭を下げる。自信に満ち溢れていたヘルメスとは真逆で連れてこられた猫のようにしおらしい。ジルナは困惑気味に会釈した。
「お名前は存じております。しかし末席というのは……」
「回りくどかったですかな? つまり貴女様の婿に、ということです。先だって推薦させていただきましたが改めて私からご説明いたしましょう。マーナ家は各地の商工組合と縁が深くゼスペリアを救う財力を持っておいでだ。マーナ家とロド家が繋がることは、翻って民たちの不安解消にも繋がるはずですぞ」
そのとき誰かが鼻で笑った。ギロリと、アルメロイが笑った当人を睨みつける。
「何か言いたげですな、ガルディーン卿」
「いやなに、よくもまぁぺらぺらと口が滑るものだなと思ってな。アルメロイ公」
腕組をしたガルディーンは口の端を吊り上げる。
「元はと言えば貴殿の子息が敵前逃亡したことが原因で、ロド家の跡取り娘であるルゥナールが死亡したのではないか。そのような息子を育て置いた自分の罪を棚に上げ、節操もなく妹君の縁談に口を出すとは。子の無責任さは親譲りか」
「口を慎めガルディーン卿……! まずライオットは敵前逃亡などしておらぬわ!」
「ならばなぜ、開戦前に突然消えた」
「な、なにか重大な理由があってのことだ! さもなくば事件事故に巻き込まれたか……いずれにせよ失踪であり逃亡ではない!」
口角泡を飛ばす勢いでアルメロイが反論する。するとガルディーンの隣のディレイ州長が冷笑した。
「貴殿はロド家に代わって必ずや息子を連れてくると息巻いていたはずだ。しかしその捜索は遅々として進んではおらんな。もしや怖気づいた息子を匿っているのではないか?」
「馬鹿なことを! 見つけ次第ヴラド陛下の前に叩き出しておるわ!」
「どうだか。敵前逃亡の意思が証言されれば重罪は免れん。いくらヴラド諸侯王の肉親であろうとアルメロイ家も断罪される。できれば回避したいのが本音ではないか」
痛いところを突かれたようにアルメロイは唸る。自分と息子の非を認めることができない男は、追求の矛先を変える行動に出た。
「だ、第一にだ! ゼスペリアの敗北は当の州長代理の力量不足に過ぎん! 全てあの女のせいではあってライオットの件とは何の関係もない!」
ピクリ、とジルナが肩を震わせた。ユキトも知らず知らず険しい顔になる。
「それに私とて責任を感じているからこそロド家への支援策を講じているのだ。勉学と称してわけのわからぬ小道具をいじる酔狂な娘の相手を探すのにも一苦労したのだぞ!」
『酔狂だと?』
今度はルゥナが眦を釣り上げた。
ジルナが縮こまると、アルメロイはようやく自分の発言に気づいたように慌てた。
「い、いや違うのですジルナール様。決して宮廷の噂が影響したとかではなくて、ですな」
「はっ、どちらが口を慎むべきだか」
ディレイは揶揄する。だが冷ややかな目はジルナにも向けられた。
「まぁ、科学などという玩具に目を向けているようではまだまだ大局は見据えられんだろうよ。民に愛想をつかされる前に有能な者を補佐につけるべきという点では、アルメロイ公に同意しておこうか」
小馬鹿にした言葉にジルナはすぐ反応した。
「お言葉ですがディレイ卿、西大陸では科学による文明の発達が著しく、この国にとっても必ずや恩恵をもたらすと私は信じています。きっと民もわかってくれます」
「ならばその科学とやらで今すぐライゼルスを打ち破り、州を潤すことができるのか?」
「それは……」
ジルナが口ごもるとディレイはやれやれと首を振る。
「ヴラド陛下。この通り新しいロド州長代理はまだ夢見がちなご性分です。経験豊富な軍事参謀を据えてライゼルスの侵攻に対応すべきかと。適任はやはり戦術戦略に特化したガルディーン卿、ないし戦局を見通す力を持ったタングドラム卿がよろしいのでは」
「いや、ここは隣州のガルディーン卿に任せるべきだ。ご子息のヘルメス殿も最近、めきめきと力をつけておいでだしな。ゼスペリアの兵にとっても頼もしいことだろう」
タングドラムがすかさずガルディーン側へ話を持っていく。そのスムーズさはまるで最初から打ち合わせしていたかのようだ。
いや、実際に派閥を組む彼らは、ガルディーンにゼスペリアを託すという意見で裏で一致しているのだろう。
タングドラムは鼻息を荒くしながら続ける。
「この際、陛下に具申させていただく。各州が自治領域への侵攻を防衛するという旧来の戦法では被害を増やすばかりだ。全州の総力をあげて敵を叩き潰していればロド州長代理も死亡せずに済んだのではないか。この機会に、州の垣根を取り払った合併軍を組織すべきだ」
「ならぬ」
ヴラドが低い声で一蹴した。
「軍を拡張すればそれを率いる州長個人の権力も野放図となろう。各州軍は我が国の防衛力であると同時に内乱の抑止力でもある。今まで通り戦乱に合わせ各州が対応すればよい。州長同士がより密に連携する術を模索せよ」
「相変わらずの温さだなヴラド王」
黙っていたガルディーンが辟易したように肩を竦める。
「各州に任せきりではそれぞれの統率力、実力差も浮き彫りになる。それが問題だと言ってるんだ。今回のルゥナールがいい例じゃねぇか。ゼスペリアは戦争準備を怠っていた、そのツケが回ってきたんだ。危機感のなさを誰かが正してやらねばならん」
「ああ、それは前州長マルスのころからそうだったな。円燐剣などというカビの生えた剣術にこだわり、平和惚けして継承者以外に目も向けなかった。最初から戦時に対応する人材を用意しておけばいいものを、どこかの若君が逃げた途端に女を総大将にするしかなくなる。挙げ句にころりと戦死だ。称えられた騎士も所詮は女。こんなものよ」
「それを言うなら、側室含め男子を産ませられなかったマルスの根性なしも指摘するべきだな。全てそれが原因だ」
「はは、違いない」
ディレイとタングドラムが笑い合う。目の前にジルナがいるというのに、連中はお構いなしに誹謗中傷していた。
父や姉のことを侮辱されたジルナは唇を噛みしめている。
反対に一切表情を変えないヴラドだが、ディレイは畳みかけるように続けた。
「陛下。ここは一度、ガルディーン卿にゼスペリアを任せてみてはいかがですか。まずはゼスペリアとギュオレインの合併軍で、奪われたビジ鉱山と賠償金を取り戻してみせましょう。さすれば我々の案にも利があるとわかっていただけるはず」
「ふざけるなディレイ卿! 貴様ら戦争強硬派にロド家を好きにさせるわけにはいかん!」
「ふざけてるのはどっちだアルメロイ辺境伯。お前のほうこそ自分の功績のために口を出しているだけだろうが?」
「何を……! これは全て国を思ってのこと! ヴラド家が手を差し伸べることで民衆や兵士の士気は高まり、ライゼルスへの対抗力となるのだ!」
「思い上がりも甚だしいことだな。実績のある三州が手を貸すほうがより現実的だ」
「手を貸す? 取り込むの間違いだろう! 陛下、このような話に耳を傾ける必要はございませぬぞ。ロド家はヴラド家で支えるべきです」
アルメロイとディレイ、タングドラムが激しい口論を展開する。反対に日和見主義だというカルマンとニーヘイロは黙っているだけだ。どちらの派閥にも与しない代わりに、この場の趨勢を変えることもない。
当事者であるジルナさえも黙り込んでいた。お飾りの州長代理には影響力が皆無で、ジルナには婿を選ぶための意見すら求められていない。
だが背後にいるユキトには見えた。机の下にある彼女の握り拳が、小刻みに震えていることを。
――……悔しいのは、当たり前だよな。
彼女の気持ちを察し腹の底から不快感が沸いてくる。
会議の前、あれだけジルナのことを案じていた面々は今、彼女とその家族を嘲笑し、自分たちの都合を好き勝手に押しつけている。心配している素振りなどただの演技で、姉の死亡を知ったばかりの少女を政争の道具としてぞんざいに扱う。
何より許せないのが、ジルナが国のためにと学んでいる科学についても、ルゥナが必死に会得してきた円燐剣についても、連中にとってはお遊戯にしか見えていないことだ。二人の努力を知っているユキトにとって、彼らの態度は我慢ならないものだった
そのときルゥナが声を上げた。
『そういうことか……』
「どうした」とユキトは小声で問う。烈火のごとく燃える彼女の瞳は、涼し気な顔で座っているガルディーンに向けられていた。
『ガルディーン派閥の狙いは、合併軍の編成だ。軍事力に関する強い権限を得てライゼルスに対抗しようとしている。その布石を作るためにジルナやロド家を旧態依然の申し子のように咎め、批難しているわけだ。傷つくジルナのことなどお構いなしにな……!』
言われて気づく。これは問題のすり替えだ。ゼスペリアを救う方法ではなく、合併軍を作る話題に移行している。このままでは、国を守るという大義名分のもとに自動的に婿を決められかねない。
「……出た方がよくないか、これ」
思わずユキトはそう呟いていた。なし崩し的にガルディーン側の意見が通ってしまうことは避けたい。何よりスケープゴートとして槍玉に挙げられたジルナのことが心配だった。
意外なことにルゥナも力強く頷いた。
『私もそう思う。一度仕切り直したほうがいい。もう少しロド家には猶予が必要だ……何とかジルナを退席させるにしても、どうすればいいだろうか』
悩ましげにルゥナは呻く。
そのときユキトは、ジルナの青ざめた横顔を見てハッとした。
「どうされましたジルナール様!」
ユキトは前に飛び出してジルナの肩を掴む。彼女はびっくりした顔で振り向いていた。紛糾していた面々も、突然のことに声を止めて振り向く。
「大丈夫ですか? お体のどこか痛むのですか? 吐き気なども?」
「え、あっ……?」
「俺に合わせて」
小声で言うと、それだけでジルナの顔に理解の色が浮かんだ。彼女はすぐにくたりと体を預けてくる。
「す、すいません……どうも気分が優れず」
「脈が乱れています。顔色も悪い。医者に診てもらいましょう」
ユキトはジルナをお姫様だっこをする。「きゃっ」とジルナが小さく悲鳴を上げた。彼は構わずヴラドの隣の家臣に向けて話しかける。
「医務室はどちらでしょうか。ジルナール様をお連れします」
「い、医務室? いえそのような場所は……」
「では医者を呼んでください。それまで客室でお休みいただきます」
家臣は慌てて頷くと、兵に案内するよう指示を出した。
するとジルナの隣にいたクザンが勢いよく立ち上がる。勝手なことを咎められるかと危惧したが、クザンは彼の耳元でぼそりと呟いた。
「……こちらは私が対応いたします。お早めにお連れください」
ユキトは内心で驚きつつ頷いた。どうやらクザンも連中の策略に気づいていたようだ。できる男は違うな、と感心してしまう。
ユキトはジルナを抱えて足早に扉まで向かった。存外に軽いので楽に運んでいける。ジルナは顔を真っ赤にしながらしがみついていた。
『なるほど、考えたなユキト。これなら中座しても文句は言われまい。ジルナも落ち着くだろう』
歩きながらユキトはニヤリと笑う。名付けて「先生ジルナちゃんが気分悪いそうなので保健室連れて行きます」作戦だ。
誰もが驚き顔で静観している。うまく出られると思ったが、ただ一人ガルディーンだけが反応した。
「気分が悪い、か。か弱い娘の可憐さだが、しかし戦場に立てばそんな甘言は誰にも通用しまい。奥に引っ込んでいたければ早々に見切りをつけるんだな、ジルナール」
ユキトはぴたりと立ち止まり、薄く笑うガルディーンを睨み付けた。
――こいつ、これも計算してたのか……。
集中攻撃したことでジルナが退席する、あるいは話ができなくなることも想定していたのだろう。その行動すらあげつらう材料に利用した。
卑劣さに、ユキトの我慢にも限界が来た。
「ご忠告承りました。では婚姻の件は持ち帰って検討させていただきます」
ユキトの唐突の発言に州長らが不審げな目を向けた。この場で衛兵が喋ることなどあってはならないからだ。
しかし彼は構わず告げた。
「とはいえ一年、もしくは二年の猶予を頂く可能性があるかもしれませんね。こちらの希望もありますから」
『ユキト!? どういうつもりだ!?』
「何を言っている貴様……」
ルゥナの動揺とディレイの訝しげな声が重なる。
「衛兵風情が勝手に発言することがどういうことか、わかっているのだろうな……!」
「まぁ待てディレイ卿。聞いてみようではないか」
引き留めたのはガルディーンだ。興味深げにユキトを見つめている。
「では遠慮無く。これはゼスペリアの将来に直結する話でもあります。当然、決定権はロド家にある。我々の希望も聞いてもらえなければ保留するのは当然かと」
「そんな余裕が貴様らにあるとでも? 蓄えもなくライゼルスの侵攻が懸念される段階で、ゼスペリアはどこの援助も受けないつもりか。それでは滅亡を待つだけだ」
「でもそれで困るのは他の州も同じですよね?」
途端、州長達の顔色が変わった。
「ゼスペリアが落とされることがあればダイアロン連合国にとっても危機でしょう。そんなことは貴方たちも避けたい。違いますか」
「……俺達を脅すというのか、ゼスペリアは?」
「そんなつもりはありません。ただ州長同士は、一方的に要求を飲むだけの関係じゃない。こちらとしても話し合いをしたい、ってだけです」
ガタ、と椅子を跳ね除けてタングドラムが立ち上がった。周囲の衛兵達も剣の束に手を伸ばしている。
やべぇ言い過ぎた、とユキトが憑依に入ろうとしたところで笑い声が響く。ガルディーンが肩を揺らして笑っていた。
「なかなか活きの良い兵だな。見たことのない面だが新顔か。名はなんという」
「……ユキト、です」
「覚えておこうユキト」
タングドラムもディレイも意外そうに眉を上げた。どうやら滅多にない状況のようだ。
「だが敗戦の責がゼスペリアにあるのも事実。その点を看過せずして希望を飲むことは通らん話だぞ。対等というなら俺たちを納得させるだけの案を持ってこいよ」
「……わかりました」
「なら存分に検討するがいいさ。それでいいだろうヴラド王?」
ガルディーンが話を振ると、今まで黙りこんでいたヴラドも口を開く。
「ロド家の好きにせよ」
「陛下!」
アルメロイが慌てて立ち上がるがヴラドは一顧だにしない。
「ルゥナールの葬儀にはワシも出向こう。今は盛大に弔ってやるがいい」
予想外の発言に何と答えていいかわからず、ユキトは頭を下げるだけに留めた。もしかすると顔に似合わず情の深い王なのかもしれない。
「それと衛兵。貴様は不敬罪に値する。無報酬の懲罰を課す故、猛省せよ」
そうでもないようだ。「あーあ」と抱えられたジルナがぼそりと呟いていた。
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