⑥-答え合わせ-
一瞬だけ静寂が過ぎり、そしてどよめきが起こった。
「ジ、ジルナ様! それは本当か!?」
ゴルドフが声を荒げた。グリニャーダも立ち上がり、激しい剣幕でジルナを指差す。
「嘘をつくなっ! そんな小僧が言い当てられるわけないだろうが!」
「では答え合わせといきましょうか。まずグリニャーダ様の答えですが、豊穣神セレスティア様への祈りを捧げる、でしたね」
「そ、そうだ。ルゥナール様からは確かにそう聞いた。熱心に教会に通われていたとも仰られている」
「その行動に間違いありませんが、しかし私の問いでは誤りです。対するユキトはこう答えました。五歳のときに買ってもらった熊の人形に今日の出来事を語って抱きしめて寝る、です」
皆はポカンとした。誰もが呆気にとられる。
その中でユキトだけは聞いていた。秘密を暴露された女騎士の悲鳴を。
『ジルナぁあああ!? なんで皆がいるところで言うのよぉおおおお!? ずっと隠してきたのにぃいいい!』
「えーと、俺は可愛いと思う、よ?」
『印象ってものがあるんだっ! ここまで騎士として振る舞ってきた私の努力が水の泡に……!』
ルゥナが崩れ落ちる。さすがに後でフォローくらいしようとユキトは思った。
「く、熊の人形……? いや、現に私は聞いたのです! そもそもジルナール様の答えが完璧だという保証はあるのですか? 日課というが、それは本人の考え次第だ。貴女だって毎日確認していたわけではあるまい!」
「確かに。私は一度だけしか見ていません」
「ならば質問自体が無効ですな! 客観視できない問いを混ぜてきた時点で終わりですよ!」
「ええ、終わりですね。貴方がモルディット卿と策謀を企てていたことがわかりましたのでこれでお開きにしましょう」
グリニャーダが目を見開いた。ユキトは呆気にとられる。
「ど、どういうことですかな? 策謀?」
「今までの質問は全て貴方の協力者を調べるためのものでした。姉様について知っていることが多いほどロド家に近い人物になる。更に問題を選別することで人物像を絞りこんだ。情報提供者はハロルド伯父様か依頼者のモルディット卿のどちらかだと推測します。ですがハロルド伯父様は先の戦禍で療養中ですから入念な打ち合わせはできない……別方面の可能性もあるので罠を仕掛けましたが、想定通りモルディット卿でしたね」
「お待ち下さい、ジルナール様が何を仰っているかさっぱりわかりません」
グリニャーダは笑う。だがその額には汗が浮かんでいた。
「まるで私が事前に情報を仕入れていたように言うが、私は導師ですよ? その力でルゥナール様と交信してみせたのです」
「では姉様の遺体がある場所を教えてください。今すぐに」
「そ、それは……申し訳ありせんが、できないのです。ご説明が遅れましたが、死の直前は魂に濃い恐怖が刻まれてしまう。このような簡易的な儀式で聞けば、魂をいたずらに傷つける恐れがある。そのため、本格的な儀式を執り行わなければいけません」
もっともらしい説明だが、嘘だとわかっているユキトには白々しく聞こえた。
「なるほど。しかし私どもには猶予がない。時間がかかるのであればまずはユキトに話を伺います。なにせ彼は姉様の私生活すら言い当てたのですから」
「馬鹿なことはお止めなさいジルナール様! その小僧はどこぞの貴族が潜り込ませた諜報員ですよ。ルゥナール様のこともそこから入手したに違いない!」
「単なる印象論です。それに姉様の寝室を覗ける人間は私以外にお父様くらいしかおりません。さて彼はどこから情報を仕入れたのでしょうか」
ぎり、とグリニャーダが歯噛みをした。もはや怒りを隠そうともしていない。
「では私がモルディット卿と傀儡の計画を企てた証拠はどこにあるというのだ! 我々を侮辱するのも大概にしていただこうか!」
「証拠はまだ届いてないですね。ですがもうそろそろ――」
「……ジルナール様」
声をかけられたジルナが振り返る。いつの間に部屋に入ってきていたのか、そこには長身痩躯の男が立っていた。
男は長い黒髪を肩まで垂らし目も閉じているかのように細い。貴族服を纏っているところをみると家臣の一人だろうか。
「ご苦労様、クザン。目当てのものは追えましたか?」
「……ここに」
ぼそぼそと小さい声で告げ、クザンは一枚の紙切れを彼女に手渡す。
中身を食い入るように読んだルゥナは、それをグリニャーダに見せつけた。
「クザンに、ここ最近のモルディット卿の動向を調べてもらいました。どうやら鎧一式と鎖付きの剣を用立てするよう鍛冶屋に依頼してますね」
鎖付き、という言葉にユキトとルゥナが反応した。だがグリニャーダは何のことかわかっていないようですぐに聞き返す。
「ただの武具の調達が何なのですか」
「ロド家に伝わる円燐剣は、柄に鎖を繋げた剣を使用します。その使い手は姉様ただ一人。それに鎧の大きさも形状も姉様が使用しているものとほぼ同一だったようですね。なぜ姉様の行方がわからない今、モルディット卿はそれらを仕入れたのでしょうか」
そこまで言ってグリニャーダはハッとしていた。ジルナが何を言いたいかを察している様子だ。反対にユキトは全体像が見えておらず、ジルナが突きつけている情報が何を意味するのかわからない。
「あ、あのー途中で悪いんだけど、今いいかな」
だからユキトはおずおずと手を上げた。白熱する場に割り込むのは気が引けたが、真相が語られる前に確認したいことがあった。
「なんでしょう」
「確認だけど、グリニャーダさんに依頼をしたのはモルディットって人なんだよな」
「そうですけど、それがどうしたのですか」
ユキトは答えずルゥナの方を見る。彼女は怒りと悲しみをない交ぜにしたような顔で頷いた。
「ルゥナから聞いた。モルディットって人は要注意人物なんだってな。それをルゥナのお父さんが死ぬ間際に伝えてくれたって、彼女は言ってるよ」
「なぁ……っ!」
声を上げたのはグリニャーダだ。
「ユキト。それは確かですか」
彼がコクリと頷くと、ジルナの顔から感情が抜け落ちた。思わず不安になるほどだったが、ややあって彼女は笑う。
それは何かを諦めたような、力の抜けた笑みだった。
「はは……参ったなぁ。それすらも当てちゃうんですか」
「どういうことだ。モルディット卿が要注意人物だと、お父上が申されたのは本当か」
ゴルドフの問いにジルナは頷く。
「ええ。本当よ。ただし知っているのは私と姉様だけ。お父様が伏せっているときに幾つか懸念事項を教えてもらいました。その中の一つです。モルディット卿は裏で違法な交易に手を出し、私腹を肥やしているようだと。接近してきたら警戒するようお父様から忠告を受けています。ただこの件は、内紛を避けるために家臣の誰にも伝えていませんでした」
ゴルドフの厳つい顔がショックを受けたように歪んだが、それでも彼はすぐに言い返した。
「し、しかしなジルナ様。今回の件で両者が共謀しているとも限らんぞ。確かに批難されるべき背任行為だが、奴がどういうつもりで依頼したかまでは判明しておらん。本当にロド家を想って行動したのかもしれぬ」
「ええ、確証はなかった。だからモルディット卿の動向を探ったのです。姉様の所持品を用意したのは私の予測通りでした」
「それが謀反とどう繋がるので?」
「私の予測はこうです。モルディット卿は姉様の遺体を発見後、わざとどこかに隠して帰還する。そして儀式の結果を聞き、もう一度捜索に向かう。こうすればあたかもグリニャーダ様が遺体のある場所を当てたように見える。だからモルディット卿には極秘で監視部隊を送りました。もしモルディット卿が不審な行動をしていればすぐに捕えるよう命じてあります。貴方の孫のライラとセイラも参加している」
ゴルドフは瞬きを繰り返した。寝耳に水といった様子だ。
「それと姉様の所持品を用意した点ですが、姉様の遺体を無事に発見できるとは限りませんからね。だからモルディット卿は戦争で使用したものと同一の武具を調達しておいた。遺体は野犬や野鳥に食べられたとか、損傷が激しくて原型を保っていなかったとかいくらでも誤魔化せますけど、姉様の武具を持ち帰ればグリニャーダ様の助言が正しかったという証明になる」
「な、なにを馬鹿なことを! 私は導師だ! モルディットなど関係なく探り出してみせる! ただ時間がかかるだけで……!」
「ならばモルディット卿と一度も接触せずに姉様を見つけ出してください。時間はいくらかかっても構いませんから」
ぐぅ、とグリニャーダが言葉に詰まった。それを見てジルナは肩を竦める。
「あのですね、最初からおかしいと思っていたんですよ。姉様を探すだけならダイアロン中央州で儀式を行えばいい。わざわざゼスペリアまで来たのには何か理由があるはず。帰っていい、と言っても従わなかったですし、ここに居ることが目的なのでしょう?」
「違う! 私は! この土地なら召喚できると!」
「ではもう一つ聞きます。さきほどはなぜ
グリニャーダの動きが止まった。
「モルディット卿の考えを知らなければ出てこない台詞です。もしくはその導師の力で相手の考えを読み取ったりできるんでしょうか?」
司祭の顔色がどんどんと青ざめていく。もはや反論する余地も残されていなかった。
困窮するグリニャーダの様子を眺めながらルゥナは首を振る。
『やはりジルナは、お父様の忠告を根拠にしたのだな……残念だよ、本当に。モルディット殿にはよく馬術を教わった……それが、こんなことになるとはな』
幼少期から世話になっていた人に裏切られる。それはどんな痛みなのだろうか。経験のないユキトにはわからない。
だからせめて彼女のほうへ手を伸ばした。透明な手は握りしめることはできないが、重ねることは出来る。その意図が伝わったようでルゥナの頬はかすかに緩んだ。
そのときガシャンと甲高い音が響いた。儀式用の祭壇が崩されている。
「こ、ここ、こんな屈辱が許せるものか! 貴様らは豊穣神セレスティアを! ラオクリア教を侮辱している!」
怒りを爆発させたグリニャーダは床に足を踏みつけると、そのまま一直線に部屋の出入り口まで向かった。
「あら、お帰りですか」
「当たり前だ! 覚えておけよロド家の者共……! 我ら使徒を愚弄したからには必ず神の鉄槌が下るぞ!」
「ではグリニャーダ様も覚えておいてください。私たちはこの件を公表しません」
ドアの前でグリニャーダは立ち止まり、訝しげに振り返った。
「モルディット卿には事情聴取しますが、何が出てきたとしてもラオクリア総主教庁は一切関与していなかった。もちろんグリニャーダ様も。それでいいですよね?」
「……どういうつもりだ」
「この場では会食があったくらいで、他には何も行われなかった。つまり貴方は誰にも何も伝えるべきことはない。もし貴方が余計なことをするのであれば私達も然るべき対応を致します」
それは明確な脅しだった。ラオクリア総主教庁の恨みを避ける代わりにモルディットと共謀したことは不問にすると伝えている。
押し黙るグリニャーダだったが、何も言わずに扉を開けて出ていった。
「あのままでいいのか?」
「理解はしたでしょう。それに彼の立場もある。面子より実利を取ると思いますよ」
ユキトに答えたジルナは、ゴルドフに目を向けた。強面の家臣は仏頂面だ。
「さて、これからどうしましょうねゴルドフ」
「……正直ワシにはもう何が何だかわからん。導師様が力を偽っていたとは今でも信じがたい。事実ならラオクリア総主教庁がひっくり返る事態だぞ」
その言葉でふと、ユキトの中に疑問が湧いた。
――ジルナさんは導師の力を疑ってたけど、その根拠は出してないな。
モルディットを疑ったのは父親の言伝があったからで、そこからグリニャーダとの共謀を推測したとしても、導師の力が偽りだという結論には繋がらない。なのにジルナは最初からグリニャーダが偽導師であると決めつけていた。
不自然さが気になっているとジルナが歩み寄ってきた。
「その件は後で協議しましょう。今は彼の処遇をどうするかです」
「小僧を信じるのですか」
ジルナが目と鼻の先で立ち止まる。いい香りが鼻孔をくすぐってユキトは頬を赤らめた。
「少なくとも無下にしていい相手ではない。きちんと話を聞く必要がある……ユキト。無礼を働いたことをお詫びします。ごめんなさい」
ジルナが頭を下げた。綺麗な栗色の髪が垂れ下がる。その姿にユキトとゴルドフが慌てた。
「何をしておるジルナ様! 民に頭を下げるなど州長のすることではない!」
「そ、そうだよ。俺だったら気にしてないからさ」
「……優しいんですね、ユキトは」
頭を上げたジルナが微笑む。先ほどとは打って変わって険のない雰囲気だ。ようやく信用を得始めているのだとユキトは実感した。
「ところで、導師の力を持っていることを、あなたはどうやって証明するつもりだったんですか」
「ん? ああ、とりあえず剣術を見せようと思ってた」
「剣術、ですか?」
「俺には憑依能力がある。それで円燐剣を披露すればルゥナの魂があることをわかってもらえるかなって」
円燐剣は一子相伝で、ルゥナも自分の子に継がせるため学ばされたほどだ。つまり円燐剣の使い手はロド家以外には存在しない。
だから剣術を完璧に披露すればルゥナの霊体を憑依している証拠になる。そうでなくても話くらいは聞いてもらえると考えた。
「それ、披露してもらえませんか」
「今ここで?」
「はい。できれば皆の前で」
傍らのルゥナはすぐに答えた。
『別に構わないよ私は。相手は……そうだな、ゴルドフを指名しよう。私の指南役だったし何度も手合わせしたことがある。剣筋や動きも馴染みがあるだろう』
ユキトがルゥナの言葉を伝えるとジルナは指示を出していく。
指名されたゴルドフは意外そうな顔をしたがすぐに了承した。自分自身でも確かめたいのだろう。
そして大広間は、二人の決闘の場所へと変わる。
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