⑩-到着-
ユキトを乗せた輜重隊は幾つもの関所を通過してオアズス街道を走った。
ここまで来ると野盗などの犯罪集団は姿を見せなくなるとルゥナは説明していたが、その通り道中は何事もなく進んでいく。
のどかな平原をひたすら進んでいくと景色にも変化が出てくる。まず民家が目につくようになり、街道沿いの街や集落も増えていった。
幌馬車の端から外を覗いていると、やがて巨大な壁が見えてくる。
壁の高さはちょっとしたビルほどはあった。地平線を塞ぐように左右どこまでも広がっている。目的地である要塞都市ゼスペリア州内地がその向こう側にあった。
『もうすぐだなユキト。動けるか?』
「大丈夫、結構休めたから。歩くぐらいは普通にできる」
アルルには聞こえないように、ユキトはこっそりと答える。
初回は丸一日休んでいなければ駄目だったが、二回目は回復にそこまで時間を必要としなかった。腹を満たしたせいなのか別の要因なのか。憑依が自動的に解除された件も含めて謎は増え続けている。とはいえ、盗賊の出るような世界ではルゥナに頼るしか道はない。
幌馬車は城壁の門扉までたどり着いた。警備兵の確認作業を終えて輜重隊は無事に門扉を通過する。風変わりな格好のユキトも、一行の傭兵ということで何の疑いもかけられなかった。
内地に入ったあと、ユキトはその光景に目を見張った。
多くの家屋に露店、そして人。草や木ばかりの無人地帯しか見てこなかったから、まるで別世界のようにも見えた。
幌馬車から降りたユキトが田舎者のように周囲を見回していると、商人の一人が近づいてくる。ルゥナが憑依していたときに話しかけてきた男だ。
「ユキト様。お体は大丈夫ですか?」
「あ、はい。色々と助けてもらってありがとうございました……ええと」
「申し遅れました。酒保商のドッペリーニです」
ドッペリーニはにこやかな顔で握手を求めてきた。握り返すとぶんぶん振られる。
「急に倒れられたので驚きましたが、快調したのなら何よりです」
「いやほんと、すいません。傭兵の仕事もできないまま連れてきてもらったし」
「何をおっしゃいます。我々は命を助けてもらった恩義がある。道中に仕事をしてもらう事態にならなかったことも、幸運だと喜ぶべきです」
気の良さそうな男の言葉にユキトは胸を撫で下ろす。最初は疑う素振りをみせていたはずだが、アルルの説得でユキトへの印象が変わったのかもしれない。
すると荷降ろし作業を進めていたアルルが二人の元へ走ってきた。彼女はドッペリーニに頭を下げるとユキトのそばに寄る。
「あの、ユキト様はまだゼスペリア内地にいらっしゃいますか?」
「うん、多分。しばらくいるんじゃないかな」
「実はあたし達も少しだけ長く滞在することになりました。お父さんや他の人達を共同墓地に埋葬することになって、その準備とかで」
「そうか……何か俺に手伝えることはある?」
そう聞くとアルルはびっくりした顔で首を振った。
「滅相もないです! そんなこと頼めません。ユキト様だってお忙しいでしょうし」
「まぁ、俺の目的が終わった後になると思うけど。でも助けてもらった礼はしたいよ」
何気ない気持ちで提案したが、なぜかアルルは顔を赤らめてもじもじとし始めた。
「そ、そこまで仰るのなら……では、一つだけお願いを聞いてもらえますか?」
「うん?」
「私はこの近くの陽盛亭という宿に宿泊していますので、もしお暇な時があればその、寄っていただけませんか……無理に、とは言いません。ただユキト様ともっと、お喋りしたいだけなのでっ」
「お待ちしています」と告げたアルルは、ユキトの返事も待たずに走り去っていった。ポカンとしたユキトはドッペリーニを見る。商人は微苦笑していた。
「すみません、助けてもらった剣士様に失礼を……ただ、あの子は流れ業者の娘なので同い年の友人があまりいないんです。今は表向き普通でも、やはり心細いのでしょう。どうか怒らないでやっていただきたい」
「そんな怒るなんて」と呟きながらユキトは彼女の姿を目で追った。
大人達に混じってアルルも一生懸命に働いている。だがその仕事が終われば彼女は一人ぼっちなのだ。
「……アルルに伝えてください。暇ができたら必ず行くよって」
「そうですか。いや、こんなことを言うのは恐れ多いのですが私からも頼みます。アルルにはあなたのようなお方が必要なんでしょう。いろんな意味で慰めになりますから、ええ、いろんな意味で」
何か含みがある台詞だ。ユキトが不審に思うとドッペリーニは歯を見せてぐっと親指を立てた。だから何が言いたい。
「ところでユキト様はどのような目的でこの地に?」
「えっ、いや、えーと」
まさか幽霊を届けに来たなどと説明できない。
うまい言い訳を考えようとしたとき、男が少し近寄ってきた。
「いえ、内密ならば結構。事情がおありなのでしょう。それより気をつけたほうがいい。ゼスペリアは再び戦になる」
ピクリ、と傍観していたルゥナが反応した。ユキトも真面目な顔つきになる。
「どういうことですか」
「先の第四次ドルニア戦役に敗戦したことはご存知ですよね」
敗戦。ルゥナの求めていた結果は、あまりにも呆気なく判明した。
彼女は天を仰いで『やはりか』と呟く。悔しいというよりも、肩の荷が下りたように息を吐いていた。
その間にもドッペリーニは話を続ける。どうやらゼスペリア側の指揮系統の乱れが敗北の原因ということだ。これも彼女の予測通りだった。
「消耗したライゼルスも引き返す事態になって領地までは奪われなかったんですが、結構な額の賠償金を支払ってゼスペリアは一気に財政難ですよ。あと噂ですが、ロド家長女のルゥナール様が行方不明だそうで。州長代理の所在は明らかになってないんですが、確かな情報筋から手に入れたんで間違いないかと」
ルゥナの亡骸は森にあって誰にも発見されていない。行方不明扱いになっていて当然ではある。その近しい者しか知らない情報をドッペリーニは知っている。精度の高い情報網を持っているようだった。
一つ気掛かりがあるとすれば、自分の噂話を無遠慮に聞かされるルゥナの反応だ。しかし当の本人は気にした様子もなく男の話に耳を傾けている。とりあえずユキトは続きを促した。
「それで、戦になるってのは?」
「噂が真実ならロド家はもう妹君のジルナール様が継ぐしかいないんですがね、大層変わったお方らしいんですよ。それにルゥナール様の婿君になるはずだったライオット殿下も行方不明のままだから、連合国内はかなり慌ただしい。この機会をライゼルスが見逃すはずがない、ってのが大方の予想ですな」
「……婿?」
戦争が再開しそうな情勢は理解できた。ジルナが変わり者という噂も、気にはなるが飲み込める。だがルゥナの婿が行方不明、という突飛な情報はすんなり受け止められなかった。
振り返ると、ルゥナは渋面を作って押し黙っている。
「そんなわけでまた戦が始まるかもしれんのです。お気をつけください。もしユキト様が義勇兵としてここへ来たのなら、望みは叶うかもしれませんが」
そこでドッペリーニの仲間がやってきた。仕事の話をいくつかすると、男はユキトに向かって頭を下げる。
「では私はここで。ご武運をお祈りしています」
輜重隊の面々は荷馬車を引き連れてぞろぞろと移動を始めた。アルルが手を振ってくれたので振り返しておく。
彼らの姿が見えなくなったのを見計らって、ユキトはルゥナに話しかけた。
「……結婚、してたんだな」
驚きを隠せないというのが本音だが、考えてみればここは異世界だ。既に結婚していてもおかしくないかもしれない。
『すまない、伝えるのが遅くなってしまった』とルゥナは申し訳なさそうに答える。
『といっても初夜どころか接吻すら済ませていないまがい物の……ってあああ言い過ぎた! 処女だとかいうのは話に関係なくてだな!』
自分で勝手に暴露したルゥナが慌てている。
色々と突拍子もなくてユキトはポカンとするばかりだった。
『は、話を戻すぞ。先にも説明したが、私は州長にはなれない。必ず婿を取ってその者に託すことになる。で、私は十八歳になって結婚適齢期だったこともあり、七州長の一人ヴラド諸侯王の甥に当たるアルメロイ辺境伯の次男と縁談が組まれたんだ。しかし相手が……っと、歩きながら話そうか』
往来のど真ん中に突っ立っていたので、住民たちがユキトを鬱陶しそうに避けていく。気づいたユキトは大通りの隅まで移動してゆっくりと歩き出した。
「それで?」
『うん……約三ヶ月前、婚姻の準備を進めている頃にライゼルスが軍を動かしたという報告が入った。我が州の管轄地区で開戦する見込みになったから、当然婚姻は中断して私が軍を率いることになる。ただ私は初陣だったし、婿のライオット殿下もいずれはゼスペリア軍を統率することになるから、参謀として我が軍に参加いただく流れになったんだ……しかし出兵の直前、婿殿は姿を消した。何の前触れもなく』
歩きながらユキトは眉を上げる。その口振りは、本当に忽然と消えたことを示していた。
「どうしていなくなったんだ?」
『理由は判明していない。戦争に臆したのか、何らかの事故や事情があったか……とにかく敵が迫っていたからな。彼の捜索は父君のアルメロイ卿に任せて、私はドルニア平原に向かった。だから今の今まで、ライオット殿の行方を知る立場にはいなかった』
ルゥナは、うーむ、と呟き考え込む。
『あの商人の話だと、ライオット殿下は未だ発見されていないようだな……いずこに行かれてしまったのか』
そのときユキトは少しだけ、彼女の態度が気にかかった。自分を置いてどこかに消えてしまった婿への恨みがまったく感じられない。逃げ出す人ではないと信頼しきっている感触でもない。
まるで自分のことを置き去りにして物事を考えているようだ。
『見つかっていればまだ状況は明るかったが、こうなるとやはりジルナが心配になってくる』
話が移ったのでユキトは思考を切り替える。
「そうか、ライオットって人が州長になれたんだもんな」
『いや違う』とルゥナは渋い顔で首を振った。
『どのような事情があったにせよ、戻ってきたところで彼は州長になれない』
ルゥナは断言した。なにか面倒な事情がある雰囲気だ。
しかし、ではなぜ戻ってきてほしいのか。ユキトが疑問に思うと、ルゥナは応えるように説明を始めた。
連合国は七つの州が合併して誕生しているが、各州の州長同士は全て平等な立場にあるわけではない。かつて七国をまとめ上げた国、今ではダイアロン中央州と呼ばれる州の長<諸侯王>の権力が一歩抜きん出ている。
その権力を維持し各州の近郊を保つため、諸侯王の血縁者が残り六州の州長とその家系に交わるようになった。いわゆる政略結婚が頻繁に行われている。
ライオットとの婚姻も、ロド家とヴラド諸侯王の信頼関係を盤石にする契約だった。
しかし、礎となるべき男は忽然と姿を消した。
『しかも戦争という緊急事態の出来事だったから、ヴラド諸侯王の顔に泥を塗ったも同然になる。もしこれが不慮の事故なら温情もあるかもしれないが、単なる敵前逃亡であれば重罪、もしくは死罪だ。とても州長になどなれないよ。だから父君のアルオメロイ辺境伯は躍起になって彼を探しているし、名誉挽回のためにジルナの縁談に関わってくるだろう』
「ん? いやちょっと待って。まだよくわからないな」
腕組みして考え込むユキトに、ルゥナはくすりと笑う。
『異世界人の君には少し難しいだろうな。これは国の事情も深く関わってるんだ。まず私が死んだことで家督はジルナに移るが、やはり彼女も女だから州長にはなれない。騎士でもない妹は、近いうちに訪れるであろうライゼルスとの戦争でも指揮を取れるかわからない。ならば早々に婿を取らせたほうが何かと捗る。良縁を組んでゼスペリアを立て直せば、アルメロイ卿は息子の失態を帳消しにできる』
「なるほど」とユキトは手を打った。あまり印象は良くないが、ルゥナの死にかこつけて挽回する腹積もりということだ。
『しかし問題もある。これには、残り六州が賛同しないはずだ』
「なんで? 一応、ゼスペリアを助けることにはなるだろ」
『君の言うとおりだが、州長達もあくまで個別の勢力。とりわけギュオレイン州の長、ガルディーン公爵家は国の方針についてヴラド諸侯王と対立することが多い。これを機に自分の派閥へゼスペリアを引き込み、権力を増大しようと目論むかもしれない。おそらくジルナはヴラド側、ガルディーン側の板挟みになっている』
それは州長代理として三年間を経験したルゥナの見解だった。
協力しろよ、と部外者のユキトは率直に思うのだが、似たような権力争いの話は元の世界でもゴロゴロ転がっている。そこは異世界でも変わらないということだ。
『この問題の厄介なところは、下手をすれば州同士の対立もしくは内乱を引き起こす恐れがあることだ。ゼスペリアはその引き金になる危うい位置にいる』
うへぇ、とユキトは呟いた。ルゥナが未練を抱く気持ちも少しわかる。
とりわけ彼女にしてみれば、実の妹と領土の両方を守らなければいけない切実な問題だ。簡単には消えられないと本人も呟いていたが、実際に森の中に留まり続けていたかもしれない。
『……だが、身内同士で争っている猶予はない。賠償金を支払ったとあればゼスペリアの財は底に近いはずだ。軍の整備は遅れ、率いる総大将も混乱の中で空席になっている。そこにライゼルスが攻め込めば……今度は、領土を賭けた戦いになるだろうな』
「えっ、じゃあここが戦場に?」
『混乱が長引けばだが、州長達もそこまで愚かではないさ。だが時間がないということは翻せば、強引な手段でジルナを手懐けようという思考に偏らせる。いずれにせよ、ジルナへの負担は相当のものだ』
ルゥナは重苦しいため息を吐く。政治や戦のことはよくわからないユキトだが、切迫しているという事態は肌で感じていた。
『やはりジルナとは一度話をしないといけないだろう。すまないが、君に通訳を頼むことになる』
頷いたユキトは、歩く速度を上げた。
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