第121話「大人の失敗、子供の失敗」

「林」

「はい」

 天幕の中で中隊長の佐古少佐と対面する林少尉。

「甘かったな」

「はい……」

「大きな怪我はなかったが、それはただ偶然で、骨折以上のことがあってもおかしくない事故だ」

「はい……」

 目を伏せる林。

「……自分が、安全管理を万全にしなかった……」

 ために、と林が言おうとしたが「欲を出し過ぎたな」と佐古が言葉を遮った。

「いい訓練をしようとすれば、それは安全の担保が必要になる、危険と訓練は紙一重だからな」

「……防げた事故です」

「学生に『走るな』と言っただけで安全が担保できると思っていたのは間違えだった」

「……はい」

「ムキになるお年頃だ、無理だったのかもしれない」

「……」

「あとは、危険区域の見積もりが甘かった、谷付近は立ち入り禁止にすべきだった」

「……昼間チュウカンの斥候で敵に近づくとなれば、地形を使うしかないということを知ってほしかったので」

「訓練ってのは、一番下のレベルに合わせる必要がある……危険を回避することが第一義、学生達を怪我させたら訓練は台無しだ、いいか、これはこの野営訓練のマストの部分だからな」

「はい……すみません」

「謝る必要はない」

「ですが」

「この訓練の責任者は私だ、お前の作った訓練計画を決裁したのは私だ」

 佐古はふっと笑う。

「もっと言えば、うちの大隊長オヤジが責任者だからな、何かあったらケツはオヤジに拭いてもらう、林のケツを俺が拭くようにな」

「……すみません」

「だから、もういい……・さっきまでの説教は林に対してでもあり、自分に対して言っていることなんだ」

「……」

「計画を読んでこれでいこうと言ったのは俺だ、これでやらせてくださいと言ってオヤジにポチッとハンコ押させたのも私、責任は私にある、だから林の指導もした」

 林は顔を下げたままだ。

「事故処理はよかった、君の立ち位置も良かったから現場にすぐにいけた、ロープを持っていたのもいい、計画の危険見積通りの対処ができている」

「……はい」

「全般的にマルだ」

「……ですが」

「学生を怪我させたのは、私の責任、君の作った訓練計画に対して適切な指導をしていなかった、いや訓練内容はいい、安全管理の部分だけだが」

 そう言うと佐古はポンッと手を叩いた。

 お開きということのようだ。

「待ってください……」

「ま、後は『走るな』という約束を守らなかった学生達を指導するのは君の役目だ」

 彼は立ち上がり、テントを出る際に、林の頭に手を置きポンポンと叩いた。

「さ、がんばれ青年将校、小さい失敗はいっぱいして、大きな失敗をしなければいい……ま、いずれ林も中隊長をしたときにわかると思うが、部下の失敗を飲み込むのが指揮官である私の仕事だってことを」

 佐古少佐はそう言うと軍刀を右手に持ってテントを出て行った。

 そしてしばらくたった後、林は誰もいなくなったテントの中で、絞り出てきそうな声を殺すために奥歯を噛みしめていた。

 力が足りない。

 訓練の企画では、いくら先輩といっても同じ小隊長である真田中尉にかなわないし、ましてや副官の日之出中尉には届きもしない。

 二中の伊原少尉のように厳しく指導もできなければ、頭山少尉のように優秀でもない。

 情けない。

 目にギュッと力を込め、少し溢れ出そうになったものを押し込めるため、蓋をした。

 情けない。

 普段静かな林は表に出さない熱い想い。

 蓋が押し出される。

 ――ちくしょう。

 彼がこのテントから出るにはもう少し時間が必要だった。 



「いや、ほんとびびった」

 次郎が笑った。

 四か所絆創膏を貼られた顔の俊介。

「ごめん、僕のせいで」

「鹿が悪いんだって、あんちくしょーあんなところにいやがって」

 大吉がそんなことを言う。

 夕食。

 今日はパックのごはんだ。

 レトルトのごはんに、レトルトの『牛丼』のもと。

「これ、牛ってよりも『しらたき丼』じゃねえか」

 そう言って大吉が文句を言うが、腹が減って仕方がないので、もりもり食ってはいる。

 確かに有名チェーン店の牛丼は玉ねぎと牛肉だが、このパックの中身はしらたきが七、肉が三の割合と言ってもいいぐらい、大量のこんにゃくである。

 栄養バランスを考えた上でのチョイスかもしれない。

「次会ったら鹿刺にしてやる」

 息まく大吉。

「解体?」

 緑が嫌そうな顔で見る。

 どうしてもあの鶏解体ショーの印象が強いのだ。

「……いや、もうあれは勘弁だな」

 げっそりした大吉。

「食べるってことは、誰かがやんなきゃいけないことだし」

 もっともらしいことを次郎が言う。

 そんなことは百も承知だという表情で大吉が次郎に視線を送り口パクで「面白くねえ」と言った。

 ムスッとする次郎。

「しっかし、林少尉、めっちゃ怒ってたよな」

 そんな次郎を無視して話題を変える大吉。

「うん、怖かった」

 緑がぼそりと言う。

 夕食前に五人は呼ばれ、決められたことを守らない姿勢に対して、説教を受けた。

 説教と言っても長くはない。

「言われたことをやれ」

 ひとこと、それだけだった。

 彼らは連帯責任でも取らされるんじゃないかと思ったが、腕立てをしたのは俊介だけ。

 走ったのは俊介だけじゃないと大吉は言ったが、俊介が「自分だけです」と言ったためだ。

「迷惑をかけるな」

 そうも言っていた。

 言葉は短い、だが迫力のあるその声で十分だったのかもしれない。

 何だかわからないが、とにかく悪いことをしたということはわかった。そして、教官がとても怒っているということも。

「僕、ずっとみんなの足をひっぱっている」

 牛丼を食べ終わった俊介がそう呟いた。

「ひっぱってねえって」

 大吉がそう言う。

「迷惑かけてごめんなさい」

 そんな俊介を次郎がキッと睨みつける。

「もう言うなよ、そんなこと」

「でも……」

「同期なんだ、迷惑だってかける、俺だって俊介に迷惑かけるかもしれない」

「だって、いつも次郎君には手伝ってもらってるし、優しくしてもらってるのに、全然体力ものびてないし」

「……俊介、俺、怒っていいか」

 低い声の次郎。

 大吉がふと体を浮かせる。

 いつでも制止ができるように、反射的に動いたのかもしれない。

「お、怒られて当たり前だと思っているから」

 ますます、頭を下げる俊介。

「……っ」

 言葉を飲み込む次郎。

 ――なんで下手シタテに出るんだ! 俺と俊介は同期なのに! 上も下もないのに! そういう態度をしてるから!

 苛々してしまう。

 弾けそうな感情を次郎は抑える。

「……顔を上げろって」

 少しためらって俊介は顔を上げる。

 涙目の俊介。

 次郎は急激に怒りが収まる。だが、サディスティクな黒い感情が急に膨れ上がり渦巻きそうになっていった。

 彼は大きく深呼吸してなんとかそれを止める。

「同期なんだからさ……そういうの……やめよう」

「う、うん」

 頷く俊介。

 大吉は浮かしていた腰を元に戻す。

「で、あっちの方はどうなんだよ」

「あっち?」

 意地悪い目をした大吉。

「小牧楓」

 ブボっとお茶を吹き出す俊介。

 俊介が上に引き上げられた時、幸子が傍にいた。

 それを楓が見ておもむろに嫌な顔をしていたことを言っているのだ。

「……楓ちゃん、誤解しちゃったのかな」

 心配そうな幸子。

 彼女にとっては、なにがどうして誤解されるのかはわからないが、どうも楓は嫉妬が激しいほうであるようだ。

 そういう感情があまりない幸子にはよくわからないが。

「……あ、あれから、大丈夫? 大丈夫って会話ぐらいだけど」

「まじで! 無事だった、ちゅーとかしてんじゃねえか」

「……し、してないよ」

 赤面する俊介。

 その反応でますます意地悪そうな目をする大吉。

「俺も、女子に大丈夫のちゅーしてもらいてえええ」

 わざわざ自分の前で言うんだから、別の女子のことなんだろうと、なんとなく思う幸子は少しだけ眉をひそめた。

 もちろんその女子とは風子さんであった。

「だ、大吉君はもてるから、きっとすぐに、してもらえるんじゃないかな」

 適当な返しをした俊介は後悔する。

 泣きそうな表情に変化した大吉が目に入ったからだ。

「ぐすん」

 わざとらしい。

「はいはい、大吉、サカるのはそこまで」

 ちょっと大人ぶったムッツリスケベの次郎。

 緑と幸子がいるから、ちゃんと紳士なふりをする。

「くそお、いつか見てろ、俊介師匠から女子と付き合えるコツを盗みとってやるんだから」

「し、師匠とかやめてよお」

 情けない声を出しながら笑う俊介。

 緑はジト目で不埒な男子達を軽蔑している。

 そんな話を自分の目の前でするってことは、きっとそういう対象ではないんだろうと幸子は思った。

 幸子はそんな複雑な気持ち抱えて大吉を見る。

 次郎はさっきの嫌な感情を、大吉の笑いのお陰でどこかへ消すことができた。

 だから、彼も笑っていた。

 笑顔は伝染する。

 俊介も笑った。

 夕食も終わり、虫や動物の声で賑やかになる秋の夜。

 演習場の防火水槽のような風呂に入り、小さいだでっかいだで盛り上がる男たち。

 もちろん女子も賑やかだ。

 消灯前に次々に寝袋の中っで静かになっていく学生達。

 体力的に疲れ果てた学生達は消灯の時間にはほとんどの者が寝静まっていた。

 寝息が響くテントの中。

 彼らにとって、睡眠は一瞬の出来事に感じるはずだ。

 熟睡するしかない疲れだ。

 そして、あっという間の朝。

 寝袋から這い出てすぐに、整列。

 寝ぼけた顔のまま点呼を受ける。

 野営も五日目が過ぎると体が慣れるのか、寝坊する学生もいない。

 そんな朝。

 慣れてきた朝。

 いつまでも点呼は終わらなかった。

 集まるべき人間が集まらなかったからだ。

 しばらくして『ごめんなさい』というメモが見つかる。

 それが置かれていた場所は俊介のベットであった。

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