第112話「許すまじ☆男クラ」
三騎といっても十二人である。
それでも二十四の瞳がガン見していたのでサーシャは違和感を感じた。
ガン見。
「な、何?」
どうも視線が痛い。
次郎も何か気付いたらしく、あっちに走ってこっちに戻ってきたと思うとサーシャの前に立った。
手には次郎がサーシャと同時に脱ぎ捨てたはずだったジャージの上着。
「いいから着てくれ、文句言うのはその後、あと、理不尽に『スケベ』とか言ってぶん殴るのなし、そういうの期待していないから」
目をそらしながらジャージをサーシャに被せる次郎。
「チャックもちゃんと閉めて」
「……?」
「いいから」
騎馬軍団ブーイング。
ぶーぶー。
観客席からもブーイングがちらほらでている。
「……どうした? ジロウ」
「どうもしていないから、君は『スケベ』とか言って俺を殴ったり蹴ったりしなければいいの」
念を押す。
押すなよ、押すなよ、絶対に押すなよ……と言っているわけではない。
「……あ」
サーシャは視線を落として自分のTシャツを確認してしまった。
「落ち着け」
「あああ」
水に濡れた彼女のTシャツ。
「拳は握るな」
「あああああああ」
「悪いのは俺じゃない! あっち! 俺じゃないから、俺じゃ!」
そう言いながら彼女の蹴りと拳に注意を払う次郎。
散々理不尽な目を経験している彼はじゅうぶん学習していた。
顔を真っ赤にして透けた部分をギュッと両腕で隠す。
「はやくチャックしめろって」
透けたブラを隠すにはそれが一番いいのだが、顔を真っ赤にして羞恥に打ち震えているサーシャはまともな行動ができずに固まっていた。
次郎のいつもの感覚からすれば、彼女はここから飛び跳ねて騎馬軍団と自分を蹴散らすはずだと思っている。
だが彼女は顔を真っ赤にしてペタンとその場に膝を折って座ってしまった。
そしてキッと次郎を睨みあげる。
「……」
顔が真っ赤だ。
「……だから、悪いのは俺じゃないし、いいから蹴るな」
「……」
よくよく見ると彼女の瞳は潤んでいる。
公衆の面前で気付かないまあ透けたブラを晒していたのだ。
そりゃ恥ずかしい。
だが、彼からするとサーシャがそういう反応するところを見たことないものだから、ちぐはぐした感情を持ってしまった。
「許すまじ!」
サーシャではなく騎馬軍団のひとりが叫んだ。
「許すまじ!」
「許すまじ!」
連呼する他の騎兵たち。
「男女混合のクラスはこんなラッキースケベな生活を送っているなんて」
「許すまじ!」
男の嫉妬ほどみすぼらしいものはないが、彼らはそんな羞恥よりも怒りが勝っていた。
「許すまじ!」
水鉄砲をぶっかけて恥ずかしい格好をさせたのはこいつらなのだが。
「許すまじ!」
「許すまじ!」
「うらやまし!」
「許すまじ!」
ほの暗い炎が瞳にうつる男クラ騎馬軍団。
なんか混ざっていたが気にはしない。
次郎はそんな彼らに向き直る。
「男子女子がいるクラスだっていろいろ苦労があるんだ」
次郎の頭に、楓の抗議する顔や風子の淡々と話した顔が浮かぶ。
「気遣いだってなあ」
三中のように体育会系のノリでいけたらどんだけ楽だっただろうか。
「俺はあんたたちのようなバカでやってける男の団結が羨ましい」
次郎がそう言う。
もちろん男クラ騎馬軍団は食いついてくる。
「贅沢は敵だ!」
「女子の生足だけでも珍しいのに」
「女子のTシャツ姿だけでも美味しいのに」
「ブラなんて雑誌以外で見たことないのに」
「女子の匂いいいい!」
男クラ、心の叫びであった。
全員の視線が次郎に注がれる。
「待テ、挑発二乗ルナ!」
ボブが叫ぶ。
次郎がニヤリと笑った。
「でも、いい人生経験はしている」
そう言った彼は、あの楓の作った蜂蜜レモンの味を思い出していた。
風子の笑顔が浮かんだ。
そして野中の声が聞こえた気がした。
「イイカラ戦エ!」
叱咤するボブ。
混乱する騎馬軍団は残り六騎二十四名。
「もう遅い!」
次郎ではない。
後ろから京が叫んでいた。
「
回り込んだ主力二十八名。
うち十名の水鉄砲隊が一斉に放った。
狙いは全員同じ。そして狙い通り目標の風船に命中した。
騎手ではなく、その下の騎馬役。
「馬ヲ狙ウトハ卑怯ナ!」
「卑怯も何も、騎馬兵は馬を潰すってのが一番手っ取り早いってのが源平合戦以前からの常識だ」
京がそう答える。
解説ご苦労様ですというところだろうか。
騎馬軍団の馬は三人一組だが、うち一人でも欠けるとバランスが悪くなる。
槍を振り回しながら突撃するような大立ち回りはできるはずもなく、動けずにただオロオロするばかりだ。
「なあ京、こいつら正面から普通にあたったら勝てたんじゃ」
ジト目を騎馬軍団に向けながら大吉が言う。
「……かもな」
京がうなずく。
とはいうものの、幸子鉄砲隊やサーシャと次郎が戦っているうちに騎馬兵の弱点を見つけたのも事実なので、一概に無駄とは言えない。
が、結果だけみると誰でも気付きそうな弱点だった。
弱点と言うか欠陥というか。
「ま、とりあえずやってしまおう」
空気の充填が終わった水鉄砲隊がもう一撃を加えようと一斉に構える。
「撃て!」
京が号令をかけると、さっきと同様に一斉に水が放たれた。
命中。
命中。
ことごとく騎馬にあたり、半数の騎馬がひとりだけになってしまった。
ルールにのっとり風船が割れた者は崩れ落ちる。
騎馬と騎手、ふたりきりになった組はひとりが肩車する状態だ。
「……なあ京、あいつらいつまであれを続ける気なんだ」
「……しー」
口に人差し指を当て京が制する。
「せっかく気付いてないんだから、そっとしといてやれ」
騎馬を解体して普通に戦えばまだ勝機――男クラは体力優秀なものが多い――があるにもかかわらず、騎兵に固執している男クラ軍団。
京はまた手を挙げる。
戦機は今。
「突撃!」
京が叫ぶと、手に得物を持った二中精鋭一八名がフラフラ騎兵に躍りかかった。
一方この好機に次郎は動けない状態だった。
「全員目ん玉くり抜いてやるっ!」
そう叫び確実に相手の目に向かってスポンジ剣を突き出そうとしていたのはサーシャ。
恥ずかしさから今は回復、困ったことに怒りモードに移行したようだ。
もちろん風船以外を狙って危害を加えることは重大な反則、スーパーレッドカード、一発退場どころか試合終了、はい負け、お疲れさんといったペナルティである。
だから、後ろから次郎に羽交い絞めされ足をバタバタしている。
「落ち着け!」
「はあ? このエロ坊主たちに怒りの鉄拳を」
「物騒だから、やめて」
苦笑いの次郎。
「乙女の
がぶり。
サーシャが次郎を踏み切ろうとして手にかみつく。
声にならない声を上げるが、次郎は離さない。
反則負けになった日には、目も当てられない状況になるからだ。こうして彼は意地でもサーシャを確保する。
そんなサーシャがいきなり大人しくなった。
ふと、会場のあるモノを見つけてしまったからだ。
会場の中にひときわ目立つ、外国の軍服を着た長身の男。
その髪はサーシャと同じ金色だ。
「どうした?」
急にシュンとなった彼女の変化にさすがに次郎も心配になった。
「……」
何も答えないサーシャ。
戦場は砂埃を上げながら、乱戦になっている。
騎馬を捨てればいいと気付いた男クラも時すでに遅く、劣勢を挽回するほどの数は残っていない。
最後のひとり。
すさまじい動きで一中の三人を立て続けに倒して最後まで抵抗しているボブ。
「あんた、こんな状況でも背中を向けねえな」
「……」
「
大吉は三人で正面からボブを追い詰めていた。
多勢に無勢でも決して下がろうとしないボブの勇気。それに対して大吉は少し心が動いていた。
大吉は容赦ない最大限の一撃をうちこみ、彼の風船が割れた。
「勝ったぞー!」
「っしゃああ!」
「やったあ!」
誰となく叫び声が上がり手を挙げて、抱き合って一中の学生達は勝利を喜んでいた。
サーシャの変化に呆然とする次郎はスッと絡めていた腕をほどいた。
視線を落としたままのサーシャ。
勝利に沸く学生達。
楓も俊介に抱き着いて喜んでいた。
風子と緑、それから幸子も飛び跳ねて喜んでいる。
はじけるような歓喜。
トボトボと戦場を後にする三中。
そんな喧噪が収まったころ、サーシャはひとり集団から消えていた。
「
「……」
「大人しい妹殿と思っていたが、この間は日本のいわゆるオタク文化に浸っていると思えば、今日は凶暴なふるまいをしている」
「……何が言いたいんですか?」
「いやいや、兄としては妹殿の違った側面が見えて」
「……」
「楽しそうで何よりだ……だが帝国貴族の子女というには振る舞いがな」
「……」
サーシャは黙る。
この国の文化が……とかそういう言い訳をしようと思ったが、日本文化を自分と同等ぐらいは知っている兄である。
そんな言い訳が通じるわけがない。
「申し訳ありません、ミハイルお兄様」
「責めているわけではない」
帝国子女云々言ってたくせに、とサーシャは思う。
「元気な妹殿の姿を見れて、素直にうれしいと思っただけだ」
年の離れた兄の皮肉たっぷりの言葉。
躾全般が厳しいゲイデン家。
物心ついたころから兄の命令は絶対だった。
あの国では家族に対し「
「父上が現役復帰、バルト艦隊司令を拝命した」
「……現役復帰」
「ソ連と長年海で渡り合っていた提督だからな、名前だけで抑止になる」
「……」
サーシャは息を飲む。
もう六〇を過ぎた退役海軍中将の父が駆り出されるのだ。
「父上は名前が売れすぎてる」
ミハイルが目を細める。
「敵にも」
サーシャは顔を下げた。そして、思いつめた表情で顔を上げる。
スッとミハイルが伸ばした手の平がサーシャの顔を遮った。
何かをしゃべろうとした彼女はとっさに口ごもる。
「お前ごときが戻ってもなんの足しにもならない」
冷たい声。
「大人しく、この平和な日本でのんびり遊んでいろ」
蔑むような目のままミハイルが言い放った。
サーシャは耳を真っ赤にして目を伏せることしかできない。
……。
しばらく沈黙が続く。
彼女の力いっぱい握った拳が震えていた。
スッと伸ばされようとした彼の手。
だが、我に返ったようにすぐに引っ込められた。
「私も出港する」
ロシア帝国北方艦隊に所属するミハイルである。
顔を伏せたままのサーシャが「どこに……ですか?」と震える声で聞いた。
「言えるはずがない」
身内同士なら言うこともある、だが彼は冷たく切り離すようにそう答えた。
サーシャは顔を伏せたまま上げることができず、そのまま踵を返して去っていくミハイルを見送ることしかできなかった。
誰もいない空間。
遠くで聞こえる歓声。
「……ちく、しょう」
彼女の口から洩れたそれはロシア語ではなく、日本語だった。
――お父様、お兄様は戦おうとしているのに……わたしは……。
誰に対してでもない。
幼い自分に対して絞り出した言葉だった。
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