第90話「命短し思考せよ乙女」
「風子も、ジロウのこと好き?」
「え?」
「だって、二人いい雰囲気だったし」
「……好きとか、恋とか、よく、わかんない」
風子は正直に言った。
きっと笑われる、そう思いながら。
だが、サーシャの反応は予想と違った。
「私もよくわかんない」
「え」
「わかんない」
「じゃあ、なんでキスなんか」
「すればわかるのかなって」
「そ、そういうことでキスってしていいの?」
「だめなのかな」
サーシャは考える素振りを見せた。
「でも、もう時間がないから、もう、一日でいうとお昼前だって、風子が言ってたけど」
「時間……って」
「私も幸子と同じ、一年でさようならなんだ」
「なんで……」
サーシャはにっこり笑顔を作ると、次郎に話した内容と同じことを話し出した。
ロシア帝国がソヴィエト連邦との間に紛争が起きそうだということ。
父親に帰国の許可をもらったこと。
帝国貴族として国に命を捧げるのは誇りだということ。
一通り話すと、サーシャはにっこりした顔のまま、シートに深く座りなおした。
一方風子は少しだけ眉間に皺をよせて、顎の下に両手のひらを置き、その肘を太ももについた状態で下を見ている。
何かを考えこんでいるのかもしれない。
頬をぎゅうっと両手で挟みほっぺたを吊り上げた。
「なんで、サーシャが戦争がはじまる場所にいく必要が……」
「……風子がそういう質問をすることに驚くけど」
眉をひそめるサーシャ。
「わからないから、理由を知りたい」
「理由なんて」
そんなのはないし、自然なことだ。
自然を説明するのはすごく難しいとサーシャは思う。
「わたしたちは子供なんだよ」
――子供が戻ってどうするんだよ。
風子と次郎の言葉が重なった。そして、まったくこの国の人間は……という風に、軽くため息をついた。
こんなにも責任感がないなんて。
いや……。
サーシャはふと、流れる感情を遮った。
国に対する責任が違うのだ。この二人と自分じゃ。
帝国貴族として、国から恩恵を受ける代わりに、国に自分を捧げることを誓っている自分達と、彼女らは違うのだ。
「私も、もし何かあれば、国のために命をかけて働きたい」
そう言ったのは幸子だ。
「子供とか、そういうのは関係ない」
風子が何かを言おうと口を開けるが、彼女はそれを遮るようにして言葉を続けた。
「国を守るのは国民の義務」
「……」
「こっちの人はそういう意識が低すぎると思う」
断罪するように幸子が言う。
「それって、悪いことなのかな?」
風子がそんな風に反発したことに対して、幸子は言葉を飲み込む。
悪いとか。
悪くないとか。
そういう価値観ではないのだ。
「声高に、義務とか覚悟とかそういうのを学校で刷り込むように教えて、本当の意味がわかってないのに、言葉を振りかざして」
――いいかな風子くん。
中学の時に、彼女を救ってくれた先生の言葉だ。
――教えるというのは刷り込みなんだ。国語とか数学とか、歴史とか意味の分からない言葉を繰り返して覚える方法。でも、気を付けないといけない、その本当の意味を自分のモノにした後じゃないと、自分の考えとか言葉にしちゃだめなんだ。
「国を守るという意味はわかってる、馬鹿にしないで」
「……ごめん、幸子ちゃん、そういう意味じゃなくて」
「どういう意味?」
「まだ、私達はいろんな事を全然知らないし、経験してないし、考えてないし、答えを出しちゃうのって怖いことなんじゃないかなって思う」
――だから、慌てなくていい。
――じっくり考えなさい。考えて、考えて、答えはでないかもしれないけど。
「優柔不断?」
「そうかもしれない、今はそれでいいとも思ってる」
サーシャは風子をじっと見ていたが視線を外す。
「思考停止なんかしていない」
彼女はもう一度風子の目をしっかり見て口を開いた。
「たぶん、今までの生き方が違うから」
「……生き方が違う」
幸子がサーシャの言葉を繰り返す。
そして三人は黙ってしまった。
「あーあ」
いきなり変な声を上げたのはサーシャだ。
天井を見上げて、背伸びをしている。
「この話は三人ともわかりあえない、通じない……でも通じなくてもいいと思う」
「生き方が違うから?」
風子が繰り返す。
「そう」
即答するサーシャ。幸子も背伸びをした。
「そーかー仕方がない」
「しょうがない」
幸子の言葉にのせて風子が続ける。
「ニチヴォーニパヂェーライシ」
軽い口調で母国語を呟くロシア娘に対し、何を言っているのかわからない二人は目をまんまるにした。
「仕方がないってこと」
二人の表情を見たサーシャが解説を加える。
「ほんと?」
「なーんか、馬鹿にされたような」
幸子が目を細める。
「ほんと、ほんとだって」
サーシャがそう言いながら窓の外の風景を見た。
「仕方がないから、急がないといけない」
聞いている二人にとって、サーシャのそれは重い言葉だった。
三人はサーシャの視線につられるようにして、窓の外を見る。
それが一瞬にして暗闇に変わり。トンネル通過特有の耳の奥が圧迫を受けるような感覚を味わう。
しばらく三人の間では沈黙が続いていたが、それを破ったのは幸子だった。
「急ぐことじゃない」
少しムスッとした表情のままぼそりとした口調だ。
サーシャの笑顔が崩れ、真剣な表情に変わる。
「もう、お昼を過ぎてる」
「慌て過ぎだと思う」
「国に帰ったら、自由じゃなくなる」
「……」
幸子は何か言おうとしたが、口を閉じた。
同じなのだ。
サーシャは国に帰れば貴族の子女としての立ち振る舞いが強制され。
幸子は共和国の厳しく管理された軍隊生活が待っている。
帝国の人間にしてみれば、少年学校の制限された生活は不自由としか思えないが、共和国の幸子からすれば、こんなに自由な雰囲気は軍隊生活とは言えないぐらいに見えていた。
「だから、私は急いでる」
風子が顔を上げる。
「だからって好きでもない人とキスをするなんて、変だよサーシャ」
「好き」
「わかんないって、さっき」
「好きだというのはわかってる。情けないけど芯はしっかりしているところとか、隙だらけだけど、
「……」
「それが恋愛だとか……結婚したいとか……子供が欲しいとか、そういうものかどうかがわからないんだ」
サーシャにしては珍しく、少し恥ずかしそうに口をもごもご動かしていた。
「結婚……」
風子が口を押える。
「子供……」
幸子が顔を赤くする。
「そ、そういう反応しない、言ったこっちが恥ずかしくなる」
一応ロシア娘もそういうことは恥ずかしいらしいようだ。
「わ、私はこの国に来る前に、この国がすごく恋愛が自由で、みんな活発に動いているって調べていたから」
「そ、そんなに乱れていないし、だいたい規則が厳しい軍隊の学校だし」
「書いてた」
「どこに?」
サーシャの情報源は怪しい。
彼女はスマフォを取り出し、スススっと操作するとその画面を風子に見せた。
『学園スクランブル』
不良っぽい男の子と可愛らしい女子達がキラキラまぶしい漫画の表紙。
風子は頭を抱えた。
「フィクションですから」
「……え、そうなの?」
この少年漫画は不器用な不良君やまじめ君が天然女子や妹系女子、それからツンデレ女子、姐御系女子と恋愛するドタバタ学園ラブコメの王道であった。
「そろそろそのネタは飽きたから!」
もうツッコンだ回数をかぞえるのもやめた。
「……ネタじゃないもん、本気だもん」
むすっとするサーシャ。
「あの話は、そんなにえっちじゃなかったし、サーシャみたいに過激じゃないし」
ススススっとスマフォを操作するサーシャ。
嫌な予感しかしない風子である。
『ミカンジャムボーイ』
「甘くて苦い! そっちかよっ」
「ツッコミ早い」
なんだか楽しそうなサーシャである。
「……もしかして、サーシャは野中大尉とか小山先生とかと恋愛したいとか」
少し頬を赤くしてそう言ったのは幸子だ。
繰り返すが、共和国は一〇から二〇年ぐらい遅れて帝国の漫画が浸透する。
この少女漫画も二〇年ほど前に出版されたものだから、ちょうど共和国で密かに流行っていたものだから、彼女はしっかりチェックしていた。
この少女漫画は主人公の友達が実は先生と恋仲だとか、同居して恋人になる男女が実は兄弟だったとかタブー満載であった。
「断じてない、そんなことより幸子……何気に読んでる」
そんなサーシャをジッと見つめる風子。
彼女はしばらくした後口を開いた。
「そうか、やっぱりあのお兄様と結ばれる運命にあるのか」
顔を横に振りながら優しい表情でサーシャの肩を叩く風子。
「だ、だれがあんな奴と!」
「サーシャかわいい、あんな素敵なお兄様をあんな奴とか、本当にブラコンなんだ」
「ブラザーコンプレックスとかそんな英語っぽい日本語わからない」
都合がいい時に日本語がわからなくなるロシア娘である。
そもそも日本語とも言えない言葉であるが。
「だから」
サーシャが力を入れる。
「あんな感じに楽しい恋愛をしたい」
風子が天井を見る。
「楽しい恋愛かあ」
あの夕暮れ時に告白をした大吉は、楽しい恋愛をしたかったんだろうか。
ふとそう考える風子。
あの思いつめた表情は楽しそうではなかった。
――あ、でも言っておかないと、気持ちが落ち着かねえっていうか。
――ごめん、俺ばっかりスッキリして。
あのいつもはへらへらしてそうな、でも、あの時表情や声は違った誠実な大吉。
「あ、外」
サーシャが声を上げた。
「富士山……」
幸子が目を細める。
完全に雪解けした富士はごつごつした岩肌が見えるぐらいに青空が澄み渡っていた。
「緑ちゃん元気にしてるかな」
風子がつぶやく。
「メールじゃ待ち遠しいような感じだったけど」
幸子がそう言ってうなずいた。
「緑の待ち遠しいがすごく意味深だと思うんだけど」
少し心配な顔をするサーシャだ。
思い出すのは学校祭。
そして、巨大ネズミ。
「自然いっぱい、富士山ツアーだから、緑ちゃんもふつうの緑ちゃんじゃないかな」
そうだよね。
と頷く三人。
希望的観測であった。
■□■□■
昼光色の薄暗い部屋に前髪をパッツン切っている少女が一人。
大きな鏡を前に、一人うきうきした気分で衣装を選んでいた。
一応自分に合わせるようにして鏡の前に立っているが、彼女が見ている先は別の女子達の姿だった。
「これもかわいいけど、やっぱりサーシャちゃんには猫耳が……幸子ちゃんにはこっちの羊もいいかも……」
独り言をぶつぶついいながら色とりどりの衣装を漁る緑。
きっと、女子三人がその姿を見ると恐怖を覚えるような雰囲気だった。
「夏だし、こっちの鎧とか……風子ちゃんにどうかな……」
鎧と言うにはお粗末なほとんど肌が露出しそうなしろものを出す。
「ああ、やっぱりサーシャちゃん! 金髪にコレとか、やばすぎっ!」
やばいのは君だ。
そんな天の声が聞こえそうなひと時。
携帯の着信音が鳴る。
「もしもし、あ、新富士駅通過した? あ、うん三島駅に予定通り迎えにいくから、すごく楽しみ、もう家についたらさっそくいろいろ面白い事考えているから、期待していてね」
電話を置いた緑は、見渡す衣装を見て恍惚とした表情をする。
「楽しみにしておいてね」
彼女は自分が夏用と言い張る非常にきわどい衣装をギュッと抱きしめ、口元が緩み垂れそうになる涎を慌てて飲み込む。
やはり希望的観測。
あながち、少女達の直観は外れていなかったのかもしれない。
富士山ツアープラスアルファの世界が待っているのだから。
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