第35話「頼られること」
「ぐぬぬ、ふーこめ」
訓練が終わった後の格納庫、汗だくで軽歩から這い出て来た風子が見上げると、そこには金髪おかっぱの女子が立っていた。
彼女も次郎と同様に軽歩が苦手だったが、こちらは彼とは違い、物凄い早さで操縦技術のレベルを上げ学生の中でも上位グループに入っていた。
「私を差し置き、ジロウとしっぽりするなんて」
風子は言われた意味がわからず困惑した顔をしてしまった。
相変わらず、マイナーな日本語の表現を使うロシア人だな、と風子は思った。
「迷惑なだけなんだけど」
風子がそう答えるとサーシャは言い返してきた。
「べったべたで訓練してる」
どうして、次郎の事で絡んでくるのか風子にはいまいちピンときていないのだ。
――そういえば、サーシャは次郎をもらうとか言ってたような。
あの宣戦布告を思い出し、げんなりした気分になる。
「サーシャ、あのね、私は上田君のことなんとも思っていないから、うん、むしろ嫌い」
風子はばっさり言う性格なのである。
「むきー、余裕すぎる発言」
「だから、なんでそうなる」
「むー、上から目線!」
「むしろ下から見上げてますけど」
まったく噛み合わない二人の会話を遮るかのように、格納庫に大きな金属音が鳴り響いた。
「くおらあ! ガキども、どんだけ壊せば気がすむんじゃあ!」
整備長であるおっさん曹長が怒鳴り声を上げていた。
「すんませーん、乗ってるのは上田でーす」
そう大声で答えるのは松岡大吉。
『大吉ー、助けてー』
外部スピーカーで次郎の情けない声が漏れる。
「バディは中村だろ、中村に助けてもらえよ、お前ら仲良いし」
意地悪そうに大吉がそう叫んでいる。
『だって、大吉が手伝ってくれるっていうから』
「手伝うって言ったけど、助けるなんて言ってねえし」
次郎は一人で練習しても、いつまでも伸びないため、大吉に操縦を教えてもらっていたのだ。
一方大吉は、次郎のバディである風子にいいカッコしたいという下心もあって、引き受けていた。
『大吉ー、覚えとけよー』
恨めしい声の次郎。
「いいじゃねえか、中村とイチャつけるんだし、ちくしょー」
口を尖らして大吉が叫ぶ。
『だから、中村は関係ないって』
「あいつも、もしかして気があるんじゃねえか、次郎に」
ついつい彼女の話になるとこうなる。
照れ隠しかもしれないが、思っていないこともベラベラしゃべってしまう大吉君である。
一方離れた所で、この会話を聞いていた風子はスッと立ち上がり、大吉の方を向いて口を開いた。
「は?」
そんなに大きな声ではなかった。大吉とは二〇メートルほど離れていた。だが、その底冷えするような声は格納庫に響き渡り、彼の耳に入っていた。
大吉が振り向く。
彼はゾクッとした顔をして、一歩下がった。
風子の氷のようなまなざしが彼に突き刺ったからだ。
「い、いや、中村、違う」
「何が?」
「お、俺は……」
はむはむ口を動かす彼。その時だった。
ごん。
拳骨。
大吉が崩れ落ちるようにして悶絶している。
「てめえら同罪だ! コラ! 勝手に軽歩を動かしやがって!」
『すみません、すみません』
「返事は一回だ、バカヤロウ」
ゲシ。
倒れた軽歩から顔を出している次郎の顔面を踏む。
軽歩の操縦。
もちろん、訓練はすでに終わっている。
勝手に軽歩を動かしていいはずがない。
だから、彼らは訓練直後の数分を使って、ばれないように気を使いながら、端っこの方で練習をしていたのだ。
これ以上、風子に迷惑をかけたくない。
次郎は大吉になんで迷惑をかけたくないのか、と聞かれた時『俺にだってプライドがある』なんて答えていた。
だが、たぶんそれは違うと彼は思うのだ。
よくわからない、もやもやした気持ちがある。
三月末に最悪な遭遇をしてから、何かとつっかかる。
きっと、相手もつっかかりたくないはずなんだが、なぜかタイミングが悪い。
いつも格好悪いところばかりを見せている。
それをプライドと言ったらそうなのかもしれないが、ちょっと違うのだ。
自分を嫌っている相手にこれ以上迷惑をかけるのは、とても辛いことだと彼は思っているから。
派手な音で、動きが止まっていた学生たちの喧噪も戻り、格納庫に残っている学生も少なくなっていた。
そうしているうちに、次郎と大吉は散々整備長に怒鳴られ、頭を下げ、なんとか許してもらい解放された。
じーっと次郎を見ていたサーシャがクルッと振り向いて風子を見た。
「ふーん、ふーこはそういう作戦で、ジロウに、ね」
風子はサーシャが言っている意味がわからず、目をパチパチさせる。
「なら、こっちも」
サーシャはそう言うとおもむろに作業服の上着を取り、ずいずいと次郎の方へ歩み寄っていく。
白い薄手のTシャツ。
汗でぴったりとくっついた肌が透けて見える。
先日、これを見てしまったために、次郎は目潰しを頂いた話は周知のとおりだ。
男子たちは身を引くようにして目を逸らす。
軽歩を片付け、次郎と並んで歩いている大吉も、いきなり現れた金髪女子を前に、目を逸らすどころか仰け反るような反応を示した。
「うわ」
大吉が、押しのけられる。
チラッチラッと彼は見ていたが、先回の事件とはまったく異なりサーシャは気にすることもなく、次郎の横に立った。
かわいそうなくらいに無視された大吉は唖然とするしかなかった。
「下手くそ」
急なことで次郎も状況が掴めていないが、とりあえず頷いた。
「情けない」
「お、おう」
「上手になりたい?」
軽歩の操縦も同程度に下手っぴだった彼女。次郎は彼女がいつの間にか上達していることを知っている。
「そりゃ……」
「ふふふ」
満面の笑みの金髪。
ごくり。
彼は生唾を飲み込み緊張した。
次郎にとってサーシャは、理不尽にぶん殴ってきたり、目潰しをしてきたりと、恐ろしい女子でしかない。
「ふふふふっふふふふふ」
そして、面倒臭い女子でもあった。
「なんでも言う事聞くならコツを教えてあげる」
「無理」
「意気地なし!」
「どうせ、決闘しろとか面倒臭い条件だろ?」
「違う」
「騙されないぞ、じゃあ条件はなんだ」
「なんでも言うことを聞く……」
「奴隷になるとか、そんなんだろう」
的を得ない答えに次郎は苛々していた。
「へえ、奴隷になりたいんだ」
売り言葉に買い言葉、さらに高飛車な態度で対応するサーシャ。
「どうしてそうなる、この前、お前が言ったんだろう、負けたら奴隷とか」
サーシャはため息をつき、両手を横に広げる。
「じゃあ、おっぱい?」
奴隷になるか胸を触らせるか、いつのまにかそういう賭けになりそうになったことを思い出す。
「いや結構」
ムスッとした顔の次郎。
「こんなにかわいいサーシャさんが、破格の条件で愚かなドブネズミ見たいに地面を這い蹲るウエダジロウを救ってやろうと言ってるのに」
「わかったよ、もういい」
次郎はそう言って大吉の方に向かおうとする。
「待ちなさい! 話を最後まで聞いて、後悔したくないでしょ」
「だから、条件を言え」
サーシャは、じっと次郎を見る。
「……」
「どうした、黙って」
訝しげなまなざしの次郎。
「デ、デ……」
「で?」
「ト……ト……」
サーシャは一瞬にして、さっきまでの勢いはなくなり、急に顔を上気させ俯き気味になってしまっている。
「わかった」
次郎は頷いた。
彼女はパッと明るい表情に一瞬なったが、恥ずかしくなったのか顔を背ける。
「と、特にしたいわけじゃ、ないけど、日本の文化も知らないといけないから、人生経験の一つだから。日本人の特性を知らないといけないし」
「気づかなくてごめん」
次郎は頷く。
「別に、俺は女子が目の前でトイレに行きたいっていっても気にしないから、ロシアじゃ恥ずかしいことかどうか知らないけど、大丈夫、恥ずかしがるなよ」
ポンッとサーシャの頭を叩く。
その刹那、次郎は激痛が走り飛び上がることになった。鈍い音と共に彼が見たのは、勢いをつけて迫ってくる金髪の頭。
サーシャは、顔を真っ赤にして頭突きを見舞っていた。
こう見えて、この女子。
不器用である。
「ちょっと、ふーこちゃん、なんか変?」
ベットに寝そべり、ぼけーっとしている風子に対し、同部屋の先輩であるユキが顔を覗きこむようにしながら言った。
時計は二十二時四十五分、消灯直前の夜だ。
「変ですか?」
「変」
「だって、ニヤニヤしてる、気持ち悪い」
ユキは残念な顔をしている。
「まさか、風子ちゃんが、そんな情けない顔をするなんて思ってなかったから」
「そ、そんな顔してます?」
コクリと大げさに彼女は頷いた。
風子は慌てて顔に手のひらを当ててみるが、いつもとかわらないような気がした。
「好きな人でもできた?」
ユキはそう言うと眼鏡を押し上げる。
「そ、そんなんじゃありません」
慌てて顔を伏せる。
「へ、変ですか?」
ユキは大げさに首を縦に振り、そして眼鏡をクイッと押し上げた。
「そのニヤニヤは、異常」
「でも、恋愛とかそんなんじゃありませんから」
「へー」
風子は思い出す。
サーシャとのいざこざがあった後、次郎と顔を合わせた時のことだ。
――ごめん、これ以上迷惑かけれないから。
――でも、ごめん。操縦のコツを教えて欲しい。
それから、次郎と風子はちょっとした約束をした。訓練が終わった後、二人で訓練をするということを。
『バディ』だから助けて上げる。
そこは強調した。
「頼られるって、悪くないですよね」
「なにそれ?」
ユキは、はははと笑って自分のベットに戻る。
風子はその姿を見ながら、いつも先輩に頼ってばかりの自分も、来年になったらあんな感じになるのかなっと想像してみた。
頼られる自分。
普段はなんとなく強気で、なんでもできる人。そんな次郎にお願いされた。
思ったよりもいい気分なのだ。
そして、サーシャ。
優越感でもない感情。
よくわからないが、気持ちがいい感覚であることは間違いなかった。
――こういうのも悪くない。
彼女はそう言って、毛布を被り目を瞑る。
いつもの消灯ラッパの演奏が、スピーカーを通じて流れていた。
一月前は違和感があったが、今は不思議と落ち着く音色だと彼女は思った。
プツン。
スピーカーの電源が落ちる音が聞こえる。
そのころには、風子の小さな寝息が静かに部屋の中で流れていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます