第41話「行軍」

「前へ」

 中隊長である佐古少佐の号令で学生たちは歩き出した。

 二○キロメートル行軍。

 十五キログラムほどの荷物が入った背嚢ハイノウ――巨大なリュック――を背負った少年少女達がずらり並んでぞろぞろと歩いている。

 天気は晴れ。

 春とはいえ直射日光はきつい。

 それをまともに受けている彼らの体温はどんどん上がっていた。

 ほとんどの学生は背中がベチョベチョになるぐらい汗をかいている。

 行軍の目的はただひとつ。

 足腰を鍛える。

 それだけだ。

 自動車が普及しているこの時代にもかかわらず、こんな時代遅れの訓練をしている理由は。

 ――強い兵士の条件は足腰が如何に強く、どのような環境下でも耐えれるかどうかである。

 行軍前の中隊長訓示。

 そもそも強い兵士なんかになろうと思っていない学生たちにとっては大きなお世話である。

 だから、モチベーションは低い。

 五十分歩いて十分休憩。

 五十分で三.五~四.○キロメートルを歩いていた。

 ただひたすら歩くだけの訓練。

 ほんとうは歩く速度を維持する能力や、歩きながら経路を間違えないようにする地図判読能力を鍛えるものだが、彼らにはそこまで求めていない。

 今回は教官達が先頭を歩き、速度と経路を維持していた。

 だから、ただの歩け歩け大会になっていた。

 ちなみに、もし速度に強弱をつけた場合、体力消耗が激しくなり学生達がバタバタ倒れてしまうだろう。

 集団で歩くと、そうなってしまうのだ。

 だから今回の行軍はこれでも超初心者コースに入る部類であった。

 ――現役の兵隊はもっと重たい荷物を持って、四〇~五〇キロメートル歩くことができなければならない。

 ――今回の行軍できついなどと悲鳴をこぼすようでは先が思いやられる。それに、君たちも三年生の卒業前には一〇〇キロメートル行軍が待っている。だから、こんなことでへこたれる場合ではない。

 中隊長は学生達がげっそりしてしまうような訓示もしていた。

 発破をかけたつもりだったかもしれないが、意識も高くない学生達には逆効果である。

 だから、なんとなくやる気が乗らない重たい空気に包まれていた。



 歩き出して三時間以上が経過。

 距離は一〇キロメートルほど進んでいた。

 学生達は荷物で締め付けられてだんだん痛くなる肩や、じんじんしてくる足の裏の痛みに耐えかねて、こんなことをしてお給料もらっている兵隊なんかにはなりたくない、そう思いはじめていた。

 きつい。

 歩き始めは楽勝だと思っていた者もいる。

 ただひたすら同じペースでぞろぞろ歩く苦痛。

 面白さもなにもない。そして、慢性的に続く喉の渇きや痛み、そういうものがなかなか耐えがたいものだということを思い知らせていた。

 さすがに飽きる。

 しかも肩は痛いし足も痛い。 

 でも、あと数時間もこういう苦痛が続く。

 じわじわと体力も気力も奪う訓練。

 そんな経験はほとんどない学生達にとって、これは案外しんどいものだった。

 次郎が背嚢を降ろす。

 解放された肩にジュワっと血が通った。

 表面はヒリヒリと痛い。

 背負い紐があった場所は、服の色が変わるくらいべっとり汗で濡れていた。そして降ろした背嚢は他の学生のよりも重たさそうな感じで、ゴロンと地面に転がっている。

 対戦車地雷。

 十キログラムほどあるそれ。

 なぜか彼は背嚢に入れていた。

 もちろん、対戦車地雷といっても本物ではない。

 火薬の代わりにコンクリートが詰められている、模擬対戦車地雷だ。

 男女合わせて八人の班。

 班にはこの模擬対戦車地雷オモリをひとつだけ渡されていた。

 それを学生達で考えて運べ。

 そんなちょっとしたスパイスが入れられていた。

「最初はグー」

 休憩時間に響く声。

「じゃんけん」

「「「ぽんっ」」」

 一発勝負。

 もっとも公平な負担の方法。

 誰がこのオモリを背負うかのジャンケンだ。そして、その勝負がついた後、次郎はがっくりと首をうな垂れていた。

 四連敗。

 次郎はジャンケンが弱い。

 きっと彼の幸運ラッキーは、別の何かに使われているからかもしれない。

 重そうに横たわる背嚢をげっそりした顔で見る次郎。

 この馬鹿みたいに重いコンクリートの塊を背負っていかなければならないと思うと、彼は地面にへたり込むことしかできなかった。

 元々の重さが一五キログラムほどあるので、合わせて二十五キログラムになる次郎の背嚢。

 彼は気分を変えるため、地面に座り水筒に口をつけた。

「座って休むなんて、情けない」

 その声の方向を見上げる。

 次郎をロシア娘が蔑むような目つきで見下ろしていた。

「これも勝ちね」

 と一方的に言い放ちながら「おーほほほ」と笑った。

 きっと『烏の仮面』なんて漫画にでもはまっているのだろうと次郎は推測する。

 変な笑い方をするようになったのは、ここ数日前からだということは知っていた。そして、次郎は図書室で熱心に読んでいる姿を見かけている。

 だから次郎は、そんな残念なサーシャさんにツッコミを入れずに放置していた。

 日本の漫画に影響されて、いろんなお嬢様キャラをやっているロシア貴族。

 次郎はロシア貴族と言うものが、痛い人間達の集まりではないかと思うようになってきた。もちろん、彼女だけを見てロシア貴族全部がそうだと当てはめてはいけないことはわかっているが。

 そういう訳で、彼はサーシャから目をそらした。

 面倒くさいことになることはわかりきっているからだ。

「次郎、ずっと持ってたからきちーだろ、俺が持つわ」

 横に腰を下ろした大吉が、水筒の水をゴクリと飲んだ後に話かけてきた。

「ほら」

 と大吉は手を出した。

 次郎は首を振る。

「全っ然、大丈夫だから」

「むきになるなって」

 大吉が次郎の背嚢に手をかけようとするが、彼はぐいっとそれを自分に寄せて拒否する。

「ルールはルール、それにこんなんでヘコタレねーし」

 次郎が口を尖らせて抗議すると、大吉がニヤニヤしながら小声で返した。

「甘えていいんだぜ」

「気持ちワリい」

 げっそりした顔で次郎が返した。そして、反撃。

 次郎は風子の方に視線を動かした。

「いいとこ見せたいだけだろ」

 次郎は意趣返しとばかりに、大吉に対して嫌味の成分をたっぷり詰め込んだ。

「ば、ばーか、そんなんじゃねえよ」

 じーっと睨みあう二人。

 今度は大吉がニヤニヤした顔を向けてきた。

「あの、金髪パツキンが気になるんだろ、そんなに張り合ってバッカじゃねーの、手の届かないお貴族様だってのに」

「うるせえ」

 ――何勘違いしてんだ、だいたいあの女子に対して好意なんてものを少しも持った覚えはない。

 と次郎は思う。

 大吉は苦笑の混ざった表情を浮かべていた。

 ――ほんと、こいつはクールそうにしながらクソっちい奴だからな。

 大吉がそう思った時「出発、二分前ー」という予告が入った。

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