Episode.15 この部に『平穏』という存在があったら
二つの種族の決着がついて早くも一ヶ月が過ぎた。これは夏に入ってから一ヶ月が過ぎたということでもある。
夏の真っ盛り。梅雨が憂鬱な季節であるのであれば夏は全てが萎える季節である。動きたくない。ある種、梅雨と同じものかもしれない。
「あー、海行きてー」
部室にエアコンなどあるはずがない。そもそも、この世界に冷房機があるはずもなく、扇風機ですら存在しない。この過酷な世界の夏を凌ぐ方法を是非とも教えて欲しい。
だが、こうして部室でみんなとぐーたらできるということはいいことなのかもしれない。今まで何かしらの事件があったので、それの気晴らしにはちょうどいい機会だ。もちろん、まだやることが残っていることは忘れてはいない。
「あら、奇遇ね。私も少し水辺に行きたいと思っていたところよ」
あの事件、夜空が熱を出して調子がおかしくなってた時に聞かされた彼女の気持ち。強欲。
ま、いろいろ考えるのはその時になってからでも遅くないよな。きっと。
「じゃあ水遊びに行こうやー!」
ローレルの提案に皆が首肯する。リリに限ってはきゃーきゃーはしゃいでいる。
そう言えば、まだリリの件がまだ曖昧になってたなぁ。ま、それも後回しでいっか。今は楽しそうにやってるし。
「じゃあそこの川まで行くかぁ!」
アリオスの掛け声と共に、おー!という声が響き渡る。やはりみんなノリノリのようだ。今は全てを忘れて今という瞬間に没頭している。
さて、これから水遊びだ。水着とか準備しねーとな。・・・・・・水着?そんなものこの世界に存在しているのか?
「なぁ一つ聞いていいか?」
「あん?」
応えたのはアリオスだ。
「水着とかってあるの?」
「何だそれぇ?そんなもの俺はぁ知らねぇ」
絶望。
「なら、どうやって川に入るんだよ?」
「そんなの素っ裸に決まってるだろぉ!あ、女は下着で」
「下着でも俺が耐えるのはきついわ!」
それだけで十二分にに理性を失える。下着で水に入る?その下の秘宝が透けて見えるじゃん!アウトだよ!それに男は裸!?生きてけねーよ!
「い、いやーそれはいかんと思うけどー・・・・・・」
「なら、水辺で遊ぶくらいでいいんじゃないかしら。服装は部屋着で。そうすればこの制服より濡れても大丈夫でしょ?」
「確かにそうだなぁ。ちょっと惜しいけどぉ、水辺で軽く遊ぶくらいにして涼むかぁ!」
再びさっきの喝采が到来。そんなに盛り上がるほどのことか?
ま、何度もくどいが今は忘れておこう。──何もかも、全て。
「そうと決まったら出発だー!」
リリが部室を後にする。それについていく形で他のみんなも出ていく。俺もその中の一人に紛れた。
川遊び。いつぶりだろうか。物心がついてから今まで一回も行った記憶がない。海なら何度かあるが。
どうやって遊べばいいのか。限度はどれくらいか。おおよその知識でやっていいのか。不安だらけだ。
でも、とりあえずはしゃいでおけばなんとかなるだろう。
それからの道のりは、みんな大声で変な歌詞の歌を歌いながら歩いた。もし、周りに家などがあれば近所迷惑もいいところだ。しかし、この世界には俺と夜空のいる寮とアリオスたちのいる寮しかないという。
この時点で矛盾が生じる。俺ら以外の種族の連中はどこにいるのか。アリオスとローレルの獣族やリリ、レナ、ウミのエルフ族、その他諸々の種族の血はどこから引き継いでいるのか。親はどこにいるのか。この世界はどのようにして存在しているのか。俺はまだ知らない。
とにかく、とにかく、だ。今は何もかも忘れよう。そして気にする必要はないのだ。そんな、どうでもいいこと──。
「ところで、ここからその川までどのくらいかかるんだ?」
気分を紛らわそうと話題を振る。歌声は一瞬にして止んだ。
「あー三十分くらいだろうなぁ。ちょっとなげーけど、今の俺達にはぁいい時間だろぉ」
今の俺達。アリオスもわかっているようだ。言葉だけでなく、その横顔からも伺える。
そこからしばらくどうでもいい話をして盛り上がった。さっきの歌とは違い、それぞれが別々の話をしているようだった。
そうしているうちに、三十分があっという間に過ぎた。
○○○
「これが川かー。意外と綺麗だな」
「そうね。それにちょうどいい水温よ」
夜空は手を水の中に入れて水温を確かめている。
「わーい!水だ水だー!」
「ちょ、リリー!そんなところまでいったら深みにはまっちゃうよー!」
「そうだよー。危ないよー」
かなり心配している様子のレナと相変わらずやる気のなさそうな語気のウミ。レナの心配性はわかるが、ウミは大丈夫なのだろうか?本当に親友としてやっていけているのだろうか?
こんなこと考えてる俺もかなりの心配性だ。ちょっと前の俺ならこんなこと考えたりしなかっただろうに。人というのはこんなに簡単に変われるものなのか。疑ってしまう。
けど、この変わり方はいい変わり方だ。全ての人が良い方向に変われるとは限らないが、意識すればどうにでもなることだ。
時に闇、時に明かり。それをしっかりと自覚するべきだ。
「ほなー、あたしも水に入るかのー!」
そう言い、勢いよく飛び込んだのはローレルだ。アリオスはやれやれといった感じに目を瞑って首を横に振っている。
その顔はすぐに変わり……
「っしゃぁ!俺も暴れるぜぇ!」
と、ローレルの後を追って川に飛び込む。準備運動を二人共していないので、足をつって溺れないか心配だ。
そんな心配をよそに、二人はきゃっきゃ言いながら兄妹仲良く遊んでいるようだ。さっきの水辺で遊ぶはどこに行ったのやら・・・・・・。
「ね、ねぇ隼斗。その、私に日焼け止めを塗ってくれると助かるのだけれど・・・・・・」
顔を紅くしてもじもじしながら話しかけてくる夜空。何ともらしくない様子に可笑しくなってしまい、軽く吹いてしまう。どうやらそれがトリガーとなってしまったらしい。
「あら、そんなに笑って、死ぬのかしら?それとも爆発四散するのかしら?別にあなたに頼まなくても他にも人がいるのだから。私には全然不利益はないのよ」
「いや、その前に日焼け止めなんてあるのかよ」
「自室に置いてあったわ。学長のお気遣いなんじゃないかしら?」
「学長?」
そう言えばまだネオ学園の学長と会ったことがない。従って学長の顔を知らない。性別すらわからない。
そもそも、何故俺はこの学園に特待生として扱われてるんだ?思い当たる節がない。怖い。怖すぎる。
考えるのを止めると決意した俺だったが、あっさりとその決意は崩れ、俺を迷宮に迷わせる。
その異変に気づいたのか、文句を並べていた夜空が我に返り、心配そうな表情で俺の顔を覗き込む。
「どうしたのかしら?そんな怖い顔をして」
「・・・・・・」
その気遣いに俺は気づけず、ただただ怪訝な顔をするだけだった。
そのことが気に入らなかったのか、夜空も怪訝な顔で俺の目を見ている。目が合って初めて俺は夜空が話しかけていることに気づいた。
「あー、ごめん。どうしたのさ?」
「はぁー、あなたって本当に考えすぎる性格なんだから・・・・・・。少しは楽になったらどうなの。今だけは」
彼と似た言葉。さっきのは嬉しく受け止めれたが、今の状況だとただ胸に突き刺さるだけだ。
つまるところ、今の俺達は『現実から目を背ける』という姿勢なのだ。四字熟語で言うのであれば『現実逃避』。俺の得意なことだ。
それなら簡単だ。辛いこと、難しいこと、困難から目を背けて、楽しい、楽なことにだけ没頭する。存分に楽しんでから困難に立ち向かうという、将来性の薄いことだ。
今までの経験で、困難は先に処理しておくべきだと心得た。しかし、それを何度試そうとしても三日坊主。いや、三分坊主だ。勉強に集中しようとしても、初めて五分足らずでゲーム機の前に行ってしまう。もはやこれは反射的に行動しているとしか言えない。
「明日からやれば大丈夫」
「明日からなら本気出せるから」
「明日じゃないと嫌」
そんな甘ったれた考えで生活していたからダメな人間になってしまった。怠惰な人間になってしまった。最低限のことすらできない役立たずな人間になってしまった。
こんな人材をあの世の中が欲するだろうか。
変わればもしかしたら可能性はあるかもしれない。
なら、変わることのできない俺は?
──捨てられるだけだ。
今、俺がここで目を背けたらまたあの世界の俺に戻ってしまうのではないか。クズで怠惰で貧弱な俺に。
思い出した。その全てを捨て去る為にこの世界に来たんだった。学園に入学させられたのは予想外だったが。この謎はしばらく解かれることはないだろう。──誰かが解を俺に与えるまでは。
とにかく、ここで目を背けたら俺が異世界に来た意味が水の泡になってしまう。
「そんなこと、私も思ってるわよ」
俺が黙考しているところに夜空の声が割って入ってくる。そして続けて、
「でも、それでも、今は現実から目を背けなさい」
吹き込むかのように言いつけてくる。
その言葉の裏には何があるのか。真意は何なのか。
──ああわかった。何もない、そのままの意味だ。彼女の純粋無垢な表情からそう伺える。
「相変わらず、おまえには何でも見えてるんだな」
「ただの直感よ。鵜呑みにはしないで」
「お手上げだ」
彼女は何でも知ってる。心を読める。読心術というやつか。テレビでは何度も見たことあるが・・・・・・今はそんなことどうでもいい。
直感でこうも正確に俺の考えていることを的中させるのはさすがに怖い。彼女には何がどうやって見えているのか。
「ほら、またどうでもいいこと考えてないで、早く遊びましょ。日焼け止めは塗らなくていいから、あなたはあっちでアリオス達と遊んできたらどうかしら」
「・・・・・・おう。じゃあ、お言葉に甘えて」
そう言い、夜空の元を後にする。向こうでは特殊部のヤンチャ組がわいわいと騒ぎながら水をかけあったりしている。
こうして、夜空に指示された通りに心を無にして見てみると、幸せそうな連中に見える。これはつまり、俺達に待ち望んだ平穏がもたらされたということなのかもしれない。いいや、これが決定打だ。この風景こそ平穏を裏付けるものだ。これがないと平穏とは言えない。
そう思えてくると、無性にその風景に俺も混ざりたくなり俺は彼、彼女らの元に駆けた。
「おぉ、隼斗ぉ!やっと来たかぁ!これで揃ったなぁ!それじゃあ、戦争の始まりだぁ!」
そう言えば、レナとウミもいつの間にか川の中に入っている。──下着姿で。
無心になった俺には全然害はない。そしてパンイチになる抵抗すらない。
こうして、川の中にいる全員が下着姿になったところで『戦争』が開始される。さり気なく混ざっているサリアとシャイターンも楽しそうにしている。
彼女らの方を見ていると横から冷たい衝撃。その方向を見るとローレルが不敵の笑みを浮かべて俺を見ている。
「はっはーん、隼斗、何見とるんやー?さては、サリアとシャイの下着姿見て興奮しとるんやろー?」
ニヤニヤと、嫌らしく笑っているローレル。しかし、その挑発に引っかかるほど俺は甘くない。それに、今は何も思っていない。そんな下心さえも。
「別に。たださり気なく混ざってるなーと思ってさ」
「なっ、それは私達が混ざっちゃいけないってことー!?」
「そ、それはちょっと有り得ないかも……」
意見の合致している二人からの攻撃は痛くも痒くもない。合致していないのならば雨粒が当たったかのようだ。
二人は仲が良くなった。先月の種族の優劣を決める決闘。その結末は呆気ないものだったが、二人の友情は嫉妬してしまうほど深まった。そう思うとあの決闘は意味のあったのかもと思えてしまう。
それ以来、彼女らは時に助け合いながら、時にぶつかり合いながら、さらに友情を深めていった。俺は俺で彼女らと、もっと仲良くなろうと試みた。けど、二人でいる時の彼女らの楽しそうな表情を見ると、その気も失せ、一週間足らずで止めてしまった。
つまり、この二人に深く干渉することは無意味で、ただこの部の空気をぎくしゃくさせてしまうだけだ。
もう、俺は足を踏み入れない。踏み入れてはいけないのだ。彼女らのサークルに、部外者が易々と入っていいはずがない。
「またそうやって悩んで、うつ病にでもかかったのかしら」
後ろの方から不意に声をかけられ、足元が狂ってしまい、川底に派手に尻もちをついてしまった。
そこへ救いの手が差し伸べられる。それを頼りに俺は立ち上がり、何故か優しい顔で俺を見ている夜空に問いかける。
「またそうやって人の考えてること見透かして、何が楽しいんだ?」
思ったことを極々普通に聞いたつもりだったが、それは思い込みに過ぎたらしい。夜空は不機嫌そうな表情に変わっていた。
「せっかく起こしてあげたのに、その態度はないんじゃないかしら。無礼極まりないわよ」
「それはそうなんだけどよ・・・・・・その何て言うか・・・・・・」
「隼斗」
重たく低い声で脅かすような声音で夜空が詰め寄ってくる。怖い。
「ま、まーまー、そこまで怒らなくても・・・・・・ね?」
「さっき言ったこと、忘れてないわよね」
「もちろん・・・・・・です・・・・・・」
「・・・・・・そ。それならいいわ」
満足したのか、夜空の表情が一気に弛緩する。暖かい笑顔だ。見ていて楽しくなるし、嬉しくなる。いつもこの顔でいれば俺のハートはイチコロ何だけどなー・・・・・・。意外な一面を知ってしまって正直、少し引いてる。
それは執拗に俺を攻めてくるからか。それとも、俺ばかりに気を使ってくれるからか。受け止め方次第でこうも響きが変わるものなのか。恐ろしいことを知ってしまった気がする。
「夜空ぁ!おまえも入ったらどうだぁ?」
「せやせやー!夜空も入りなー!」
「言われなくてもそのつもりよ。無性に水に浸かりたい気分なのよ、今。それじゃあ失礼して・・・・・・」
そう言い、体の捻らせながら上着を全て脱ぐ。
どうやらさっき考え事をしたせいで無心から解き放たれてしまったらしい。今は完全に男子高校生だ。その証拠に、俺は衣擦れの音を聞いて頬が熱くなっているように感じる。そして、目の前にいる下着姿の少女達が目に入った時、今度は鼻が熱くなった。立ちくらみもする。
「ちょ、隼斗!?血!血出てる!」
「その血貰ったぁー!」
意識がはっきりしない中、リリがわたわたしながら近づいてくる前を遮るようにしてサリアが我先に割り込んでくる。そして、俺の鼻の下で口を大きく開けている。それだけは理解できた。
「・・・・・・おい、サリア。俺の血は・・・・・・美味くないぞ」
「鼻血はサラサラで美味しいからいいの!」
「隼斗ー!このままだと倒れちゃうよー!」
本格的に心配しだしたリリがさっき割り込まれたサリアを押し退け、俺の体を支えてくれる。
川から上がって、川辺で休むことを提案されたので大人しくそれを受け入れる。
「わりぃな、リリ。迷惑ばかりかけちまって」
「いいのいいのー!さ、座って」
手際よくリリは俺をゆっくりと座らせ、鼻をつまむ。くしゃみが出てしまいそうだ。
「興奮しすぎだよー。いくら私達の体がナイスバディーでも、そこまでなる?」
「健全な高校生なら、これくらい普通だよ」
「高校生?よくわからないけど、大人しくしてて。ほら、自分で鼻つまむ!私は戻るからね」
手を離され、水っぽいものが垂れてきそうになるが、しっかりとバトンを引き継ぎ、今度は自分で押さえる。
「二十分はこのままかー。暇だなー」
向こうでは楽しく盛り上がっているみんな。その輪に入れず、少し寂しい気もしたが、まーリリも心配してくれてたし、みんなもそうだろう。──そうであってほしい。
「それにしてもー、いい天気だなー。頭上には果まで続く青い空。そして俺の目の前では踊り狂う若者達。いやぁ、実に風情があるねぇ」
格好のつくような言葉を思いつく限り並べ、悦に浸る。楽しくしている部員達の姿もあってか、俺はおっとりしてしまっていた。
血は治まっただろうが、もう少しこの景色を目に焼き付けておきたい。
そのことに集中してしまっていたせいで、近くで不自然に草が揺れる音に気づけなかった。
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