偏食男の映画エッセイ

三文士

第1話 1998年 リング

「まえがき」



さて、今回はコラムである。


本来ならば評論のカテゴリに入れたいところだが、未熟な私はまともな映画評論を書ける自信がない。そこで、卑しくも先に「これはエッセイ」だと銘打っておけばクレームは一切合財受け付けなくていいだろうという魂胆である。我ながらなんとこすい男だろう。まあ専門的な評論は世の中に数多いらっしゃる先生方に任せておいて。こちらは小狡いオジさんの映画の感想文くらいに考えていただければ、期待を上回ることは決してないだろう。


今回のエッセイにはもう一つテーマがある。自主企画の「Re:バラエティ」に参加する為の作品なのだ。バラエティという名で80年代に角川から出版されていたメディアクロスマガジンをネット上でしかも非公式にリブートしようという企画。最初見つけた時は「うむ!面白い!」と思った。やはり自主企画というからにはこういう誰も思いつかなそうな物が絶対面白い。と、私は思う。


バラエティは映画や小説、コミックスやアイドルといった多種多様なメディアを取り扱った情報雑誌だったそうだ。主に角川映画や小説を取り上げていたようだが、違う会社の作品の回ももちろんあったそうだ。オマケに角川の映画だろうがなんだろうがつまらなければちゃんと批判するというから凄い。今では考えられない。


そんなワケで他人様のふんどしで相撲をとる気満々で今回のエッセイは始まる。一体どんなものになっていくのか、私にもよく分からない。とにかく面白くやってやろうというだけだ。以後、よろしくお付き合いいただきたい。







さて記念すべき一回目はどうしようか。やはりKADOKAWAの運営するサイトに載せるからして、角川映画のことを書くべきか。しかし残念ながら最近の角川映画と分類される映画に私の触手が動くものがなかった。せいぜい観て一昨年出た「グラスホッパー」くらいだ。なんか違う。コレジャナイ。しかし角川関係の映画を持ってくるのが筋だろう。


というわけで一回目からやや古い映画をチョイスさせていただいた。


「リング」


◆リング

◆1998年 東宝

◆中田秀夫 監督

◆鈴木光司 原作

◆角川書店 角川ホラー文庫

◆主演 松嶋菜々子

◆ジャンル ホラー


言わずとしれたホラー映画の金字塔である。と言っても、今の世代は貞子は知っていてもリング自体は観たことがない人が多いのでは。


映画の簡単なあらすじ。


テレビディレクターの浅川玲子は都市伝説の取材で「呪いのビデオ」なるものに行き当たり、調査の中で姪の大石智子を含めた数名の男女がビデオを観た後に不可思議な死に方をしてる事実に気がつく。「呪いのビデオ」を観てしまった浅川は元夫で色々と胡散臭い高山竜司に相談する。高山もビデオを観て分析を進めていく中でビデオに隠された真実に近づく。そしてビデオの怨念を吹き込んだとされる山村貞子なる超能力者の遺体を発見。浅川が期限の一週間を過ぎても死ななかったことから、貞子の怨念を消し去ることに成功したと二人は確信する。だがしかし、後に同じく一週間の期限を迎えた高山の自室で突然テレビがひとりでにつく‥‥。


まあざっとこんな感じの内容で、テレビがひとりでにつくとこからこの映画のハイライトが始まる。このシーンはあまりにも有名で当時は一世風靡をした。


ぼやかしても仕方ないし誰もが知ってると思うので有り体に言ってしまうが、リングのラストで高山竜司の部屋のテレビから髪の長い女が這い出してくるあのシーンは衝撃だった。


私が初めてこれを観たのは小学生の時だった。レンタルビデオで借りてきた。兄とベビーシッターに来ていたお兄さんとお兄さんの彼女。週末のアメリカ人みたいな状況でホラー映画を観たわけだが、この最後のシーンでその場にいた全員が絶叫することになった。特にお兄さんは終始余裕をかましていたのに最後の最後でお嬢さんみたいな悲鳴をあげて彼女に飛びついていた。後に彼らは結婚して今でも幸せに暮らしているが、この映画がキューピッドになったかどうかは分からない。ただ20代半ばの大の男が悲鳴を上げて彼女に飛びつくくらいの恐怖をワンシーンに叩き込めた製作陣の恐るべき手腕には20年近く経つ今でも感服せざるを得ない。


日本中を恐怖のどんぞこ 突き落とした呪いの根源「山村貞子」こと「貞子」。後に日本ホラー映画の象徴にもなる彼女は、実は映画の製作陣によって作られた存在だった。というのも、鈴木光司の原作には確かに貞子なる超能力者は出てくる。呪いの根源というポジションも変わらない。しかしそこには現在でもあまりにも有名なあの姿を現した描写はない。垂れ下がった長髪とその隙間から覗く充血した目。ボロボロの白い服を着て佇む女。まさに最恐のキャラクターの一人で間違いないのだが、彼女を作ったのは映画製作陣と何を隠そう私たち一般人なのだ。


いつだったか、ふと目にした日経だかの新聞の記事にこんなことが書いてあった。


「貞子は世間一般の考える幽霊の像。それを製作陣で具現化した」


ということである。つまり、貞子に我々が並々ならぬ恐怖を感じるのにはちゃんとした理由があったのだ。どこかで見たことのある幽霊。それがどこの家庭にも当たり前にある普通のテレビから這い出てきて、私たちを呪い殺す。適度なリアリティが恐怖を身近に感じさせる。映画リングの大ヒットはその身近な恐怖が理由だと私は考える。


原作はリングはサイエンスサスペンスでありながら、映画はホラーの金字塔になってしまった。それが原作にとって良いか悪いかは置いておく。ただ私はこの作品がなければ、日本のホラー映画があそこまで盛り上がることはなかったと思っている。そう思えば日本ホラー映画の歴史にはなくてはならない存在と言えるかもしれない。


作品としてクオリティからすれば、いわゆる「何度観ても面白い映画」とは言い難い。各所に散りばめられた演出や音は確かに怖い。しかしこの時代の日本映画特有の出演者の声が小さい上にボソボソ喋るからイマイチ台詞が聞き取りにくいこと。そしてホラー映画ゆえに全体的なカラーが薄暗いので色んな意味で見辛い場面が多いこと。そう言った点は今観ると浮き彫りになりやすい。しかしその辺りに目を瞑れば、近代日本ホラー映画の教科書の1ページとして観てみてもいいかもしれない。


ひとまず今回はこんなところで。



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