三題噺
加代
現は夢に化ける
花見のシーズンはとうに過ぎた。
しかしそれでも無性に花見がしたくなって、こんな時間に出てきたのだ。
ソメイヨシノの大樹が立ち並ぶこの神社は、地元では有名な花見の名所。一週間前まではささやかながら出店もあり、たいそう賑わっていたようだった。
幼い頃は、わたあめやラムネなんかに目を輝かせながら、桜の下を両親と一緒に回ったものだが、それも今は昔。大人になった今となっては、以前ほどの輝きは感じられない。
二十五時三十分。月明かりに照らされた桜を見上げながら参道を歩く。わずかに残る白い花弁は根元がほんのり赤く、自分の生をあらん限りの力で主張しているようだ。
しかし明日、明後日には散りゆくであろうことを思うと、切ないというか儚いというか。宿命とはいえども、毎年咲いては散って、また咲いてをただ繰り返す一見無為な生を、桜はどう思うのだろう。
こんなことを考えている間にも、はらりはらりと花弁は地に伏していく。枝を離れた途端見向きもされなくなった薄桃色の絨毯が、うっすらと厚みを増しながら、月明かりを反射する。見慣れたはずの景色だというのに、時間が変わるだけでこれほどまでに印象が変わるものなのか。吸い寄せられるように、私の足は先へ先へと進んでいった。
賽銭箱に小銭を投げ入れ、この常識外れな時間帯の訪問を簡単に謝り、ついでに今年度は単位が取れますようにと願ってきた。昼夜が逆転しかけて、昨年度も進級がぎりぎりだったのだ。これくらいちょっと願ってもバチは当たらないだろう。
花見席に備え付けられたベンチにどさりと座り、コンビニ袋の包みを広げた。ワンカップ酒と桜餅。今回の花見のお供だ。合うのかどうかよくわからない組み合わせではあるが、見切り品の桜餅を見て花見をしようと思い至ったのだから仕方がない。
酒をあおると、つん、と鼻の奥が、顔が、温かくなった。葉桜の隙間からは月が覗き、ふわふわと心地がよくなってくる。
ほう、と一息ついて、桜餅に手を伸ばした、その時。視界の端で白い影がゆらめいた。誘われるようにふっと見やると、真っ白いふわふわの狐が、じっとこちらを見つめていた。真っ白の中に点々と浮かぶ鳶色の目が、私を捕捉して離さない。私の方も目が離せなくなり、思わずじっと見つめ返してしまう。不思議な何かしらの引力がはたらき、強く強く引き込まれるようだ。
見つめ続けてどれくらい経っただろうか。ふと写真を撮っておこうと思い立った。野生の真っ白い狐なんて、きっと珍しいに違いない。SNSでも話題になるだろう。そう思いポケットを探った。しかし、まるで神隠しにでもあったかのように、携帯が見つからない。
ジーンズの左右、尻、パーカーのポケット、コンビニ袋。思い当たるところすべてを探したが、一向に出てくる気配はなく、別の意味で焦りが生じてくる。
焦る私を面白がってか、狐がとてとてと近づいてきた。そして、物欲しそうな目で私を見上げる。時折視線を送る、その先にあるのは、ころんと丸い桜餅。
「欲しいの?」
言葉が通じたのかはわからない。しかし狐の目の色が変わった気がした。
「あげようか」
そう言った瞬間、大喜びで狐は桜餅をかっさらっていった。
狐が走っていった先を呆然と見つめているうちに、空が白んできた。狐に化かされたのか、私は。ポケットを探ると、一発で携帯が出てきた。桜餅は傍らから消え、ワンカップの酒は一口飲んだきり。
「やられた」
夢か、現か。なかなかレアな体験をしてしまった。白い狐に化かされ、桜餅をぶんどられた。SNSに投稿したらバズるだろうか。
携帯を開くと、メールが届いていた。件名は「さくらもちのおれい」。知らないアドレスからではあったが、躊躇なく開いた。
「かおをあげて」
本文はこれだけだった。指示の通り、顔を上げてみる。
すると、どうだろうか。ほとんど葉桜と化していた桜は満開に咲き誇り、真っ白だった花弁は薄紅色に姿を変えていた。風が吹き抜けるたびに立派な枝がゆさゆさと揺れ、桃色のシャワーが降る。
惚けるようにして美しい景色に心を取られていると、足元でかさかさと音がして我に返った。見下ろすとそこには、件の白い狐がおり、何やら箱をくわえている。狐はことりとその箱を落とすと、一目散に逃げ去ってしまった。
箱は見たところ、桐の箱のようだった。狐の毛のように白く、なめらかな手触りである。
もう一通メールが来た。件名は「ぼくこっちのほうがすき」。十中八九、あの狐からだろう。
「これたべてたんいとってね」
桐箱の中身は、餡を挟んだ平たい桜餅であった。
やられたなあ、と思いながら、貰った桜餅を一口かじると、甘じょっぱい春の味が口いっぱいに広がった。春の象徴は散れども、まだ春は始まったばかりなのだと、私を奮い立たせる優しい味だった。
お題:桜餅、神社、狐
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