第2章 作品から制作会社へ
ガイナックス制作のエヴァ以降は単体作品よりも制作会社の評価が目立った。
ゼロ年代代表として「ハルヒ」を挙げたものの「フルメタル・パニック?ふもっふ」(2003年)「AIR」(2005年)「涼宮ハルヒの憂鬱」(2006年)「らき☆すた」(2007年)「けいおん!」(2009)などゼロ年代を通して良質な作画で話題作を送り出した京都アニメーションは「京アニ」という一つのブランドを作り上げた。
既に80年代にサンライズ(日本サンライズ)がロボもので、スタジオぴえろが魔女っ子もので頭角を現してはいたが、劇場作品のスタジオジブリを例外として、やはりテレビでは「装甲騎兵ボトムズ」(1983)や「魔法の天使 クリィミーマミ」(1983)など単体作品の人気であった。
2000年以降は京アニ以外にも「機動戦士ガンダムSEED」(2002年)以降ガンダムシリーズを復活させ「コードギアス反逆のルルーシュ」(2006年)を制作したロボットアニメの伝統、サンライズ。
「ひだまりスケッチ」(2007年)「さよなら絶望先生」(2008年)「化物語」(2009年)など「シャフ度」で話題を呼んだ特徴的な演出で有名なシャフト。
「鋼の錬金術師」(2003年)「交響詩篇エウレカセブン」(2007年)などサンライズから分離した骨太がモットーのボンズ。
「攻殻機動隊 S.A.C.」(2002年)「BLOOD+」(2005年)など重厚な作品作りに定評のあるProduction I.G。
劇場作品では「千と千尋の神隠し」(2002年)「ハウルの動く城」(2004年)「崖の上のポニョ」(2008年)など安定的に良作を発表し、世界的名声を得た宮崎駿のスタジオジブリ(2005年に徳間書店から独立)。
「千年女優」(2002年)「東京ゴッドファーザーズ」(2003年)の今敏、
「時をかける少女」(2006年)「サマーウォーズ」(2009年)の細田守を抱えるマッドハウス
・・・などなど制作会社の名前が前面に出る機会が増えてきた。
こうした変化はアニメの放送時間が朝昼中心から深夜中心になっていく中で、1年間(4クール)を通して放送されていたアニメが減少、1クール、2クール作品が増加し、一年間の作品本数が増えた事が一点。もう一点は作画能力の向上である。
アニメは昔、「テレビまんが」と呼ばれていたように、あくまで動く漫画であって、アニメの上に漫画があった。
そもそも漫画家である手塚治虫が虫プロを設立し、日本初の30分テレビアニメーション「鉄腕アトム」(1963年)を制作。
虫プロの初期作品は手塚漫画のアニメ化が中心で、手塚治虫自身が作画を手がけたこともあったが、もちろん全て一人でアニメを作るわけではない。アニメは集団作業である。
虫プロ社員を休ませるために、石森章太郎や藤子不二雄などの後輩漫画家が中心となったスタジオゼロに全面外注した曰くつきの回、第34話「ミドロが沼の巻」がある。
ここでは各漫画家たちの特徴が出すぎてしまい絵柄がバラバラになってしまうアニメ史に残る事件となった。
こうした事で作画監督という役職が見直され、原作付きのアニメ化にあたっては
アニメ用に線を減らし新たにキャラクターが書き起され、誰にでも書けるような均一なデザインとなった。
つまり、一人の漫画家の絵と大勢のアニメーターの絵ではクオリティー的にも漫画のほうが高かったのである。
アトムの成功を受けて制作スタジオが乱立、東洋のディズニーを標榜していた東映動画(東映アニメーション)もテレビアニメに参入するが、どれも虫プロの制作スタイルを踏襲したもので、日本流のリミテッドアニメーションの黎明期でもあったため、制作会社には大きな特徴が現れなかった。
アニメ人気は原作人気に左右されることが多かったので、作品単位での評価にならざるを得ないわけである。
タツノコプロやサンライズ、スタジオぴえろなどオリジナル作品中心の制作会社では
比較的早くから特徴的な作風を築いてはいたが、こうした状況に変化が起こるのは80年代で、「ドクタースランプ」、「北斗の拳」、「ウイングマン」、「ストップひばりくん」などのアニメ化に際し、原作の絵をどれだけ忠実に再現するかという試行錯誤が行われた。
作画のハードルが上がり、制作会社で競争が生まれる一方で、人件費削減のために海外に作画を発注したため、90年代にはその落差から作画崩壊も引き起こしたが、軌道修正を図り、業界全体の作画レベルが底上げされ、CG技術などの技術革新と相まって、日本独自のアニメーション技法が磨かれた。
こうした技術的蓄積によってジブリでしかできなかったような繊細な描写表現ができる余力が生まれたのである。
漫画の付属品としてのテレビまんがは今では漫画から分離したアニメになった。
京アニ作品群を見れば分かるが、原作は漫画だけでなく、小説やゲームなど多岐にわたる。
どの部分をどう動かすのかという所で演出面で各制作会社、アニメーター個人が差別化を図ったことでスタジオやアニメーターのブランド化に繋がったのである。
またこうした動きを代表する制作会社が一極集中の東京ではなく、地方から生まれたというのは注目すべき点である。
以上の点を踏まえるとゼロ年代は京都アニメーションの天下と言えるかもしれない。
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