第9話『対決の前』
ノースカタラーナSCのロッカールーム内。
普段、男性が入ることは許されない場所にルークは居た。
時刻は朝八時。選手達が朝食を取りにクラブハウスへと自宅から、または寮からやってくる時間である。
「キミがここまでやる気を出すとはな。やはり、やれば出来る子だったかッ」
傍らに立つ神崎が書類を挟んだ黒いボードをルークに手渡して言った。
青みがかった長めの髪を、後頭部でポニーテールに結っており、男性と比べても見劣りしないガッチリとした体型が特徴の女性だ。
「選手名簿を要求するだけで賞賛されるほど、俺は落ちぶれてないぞ!」
ルークは憤慨した様子で、神崎に抗議した。
いくら身体が貧弱に成り果てようとも、中身の方は魔王軍の参謀を務めていただけに譲れないプライドがあるらしい。
「なんだとッ! キミはこれ以上成長するというのか!!」
「とっくに超えているわッ」
大袈裟にリアクションを取る神崎にツッコミを入れる。
既に魔王軍の元参謀は神崎のペースに乗せられているようだった。
「選手の名簿は確かに受け取った。では、他チームの名簿も作ってくれ」
「他チーム……? まさか、キミは選手名簿を使って妄想に勤しもうとしているのか?」
「名前と出身地、身長と体重、ポジション、それから利き足の情報だけで下卑た想像ができるとすれば、そいつは病気だ。今日は自軍の情報だけでも構わないが、開幕の前には用意してくれるとありがたい」
神崎の妄言にルークは軽口で応えると、受け取った書類に目を移した。選手達の写真付きプロフィールである。
「しかし、情報にしても少なすぎるだろう。プレイの特徴なども書き込んだほうがいいんじゃないか?」
神崎が選手の情報を増やしたほうがいいのではないかと提案する。
「いや、それは自分でやる。集めるとしてもデータに現れている部分だけでいい。他人の目は信用が出来ない」
ルークは黒いボードから視線を移すことはせずに、神崎の提案をバッサリと断った。
「さすが未来の名監督だ! あの方の血を引くだけの事はあるな!!」
あの方とは青木祖父の事だ。
生前の手腕は人々の心を奪って離さないほどに卓越していたらしい。神崎も例に漏れず……いや斜め上に飛び散るほど心酔していたのだろう。
そのせいで、ルークの扱いは過保護になったのかもしれない。
「机上から動かずに指揮を執るような奴は決まって無能だからな。自分の目で見ないことには分かることのない流れのようなものがあるというのに、そもそも兵士にばかり命を張らせ、保身には――」
「分かった。分かった。キミのやる気が十分な事はよく分かった! こうなれば私も身体を張るしかあるまい!」
長くなりそうなルークの話を遮って、神崎が胸を張る。
ドンッという効果音が鳴りそうな二つの重量感の主張が凄まじい。
「他のスタッフに任せれば良いだけではないか?」
意気込む神崎にルークは言った。
最初、神崎に書類を作るよう命じたのは、一度話したことがあったからにすぎない。なので誰が作ろうとデータさえ間違っていなければルークはよかった。
「なぁに、すぐ終わるさ。キミのアシスタントコーチの有能さを舐めるなよ」
「しかし、選手達の修練が疎かになっては意味が無いぞ」
「いざとなれば、これがある」
神崎が取り出したのは選手名鑑と書かれた一冊の本だった。
軽く開いてルークに見せる。ブラックボード上の資料と同じ情報がそこには載っていた。
「最初からこれを渡せばいい話じゃないか!!」
「キミが私に頼み事をしたとなれば全力で応じるだろう。全力とは己の力を出し切ることだ。だから既製品に頼るのは間違えていると思ってな」
「それで正しいんだ!! 無駄に拘るんじゃないッ」
ルークが受け取った選手名鑑に目を通す。
だからと言って、ブラックボードを手放すことはしなかった。
「あのぉ、もうそろそろメンバ-来ちまいますし、早くどっか行ってくれませんかね」
頭巾を被った女が言った。日本のサッカークラブには珍しいホベイロと言う役割を担っていて、それは選手達のサッカー用具を手入れしたり、クラブハウスの掃除をする仕事だ。
簡潔に言えば用務員、ルークの世界で言えば召使いである。
サッカーでは靴や脛当て、服などが競技パフォーマンスに直接関わってくるので、毎日の備品のケアが重要なのだ。
それは殆どの海外プロサッカークラブにホベイロが居ることが物語っている。
ノースカタラーナSCにホベイロが出来たのは青木祖父がクラブに要請したからであって、日本では今もホベイロというスタッフが居るのは主流ではない。
青木祖父が細部から拘っていくタイプだったという事の証明だろう。
○
「ル……、青木秀一郎だ。今日から監督を務める事になった」
「なんで倒置法なのよ」
ノースカタラーナSCのエンブレムが施されたジャージを纏い、右手にブラックボードを持ったルークが、一列横並びになった選手達に向かって言った。選手数は全部で29名。
その中の殆どが10代後半から20代前半の器量の良い女達である。元監督の趣味ではないか、とルークは再度思った。
齢25を上回る選手が2名しかいないのは若手重視のチームであっても、中々無い事だ。先程見た選手名鑑でもこれほどまでに若手主体のチームは無かった。
(だから客が多いのか)
「無理をしてまで監督面しようとしないでくださいよ。私達はやりたいようにやらせてもらうんで」
鼻につくような声がルークの耳に届いた。
ノースカタラーナSCで数少ない20代後半の女、二風谷にぶだにの声だ。チームでは副キャプテンを務めている。
資料には172センチ64キロと書かれており、昨シーズンは主に左サイドバックを担当していたらしい。
「俺の課題に参加しないのならば、試合で使うことはないがいいんだな」
それを聞いた二風谷は目を細め、貼り付けたような笑みでルークの事を睨む。
「構いませんよ。シーズンが始まる前に貴方は解任されるでしょうしね、というか早くやめればいいのにね」
両隣に居る取巻きを交えて、二風谷はルークを嘲笑するように笑った。
「おばさんは黙ってなさいよ。そんなんだから男が寄りつかないでしょ」
腰に両手を当てて仁王立ちしているナギが二風谷に向かって言った。それを聞いた二風谷の顔が能面のように固まる。
「んだと、チビ豚……。靱帯ちぎられてぇのか、ああん!?」
それから、これ以上無いくらいに瞼を広げて、二風谷は怒鳴った。ルークはその光景を見て、魔王軍に居た一人の幹部を思い出した。
「それって、おばさんの足で追いつければの話よね? 婚期も逃がすようなおばさんには無理よ。諦めなさい、婚期も私も!!」
ナギは人差し指を二風谷にビシッと突きつけて言った。
二風谷の顔は既に般若のようになっている。よくそんな事が言えるなと、ルークはナギに関心。
「やろう、ぶっころぉぉおおおおおす!!」
を顕わにする直前で般若がルークの目の前を高速で通り過ぎ、ナギに掴みかかろうとした。
「ちょっ、やめなさいって! ライターも結構来てるんだから、記事にされちゃうよ!」
そんな、一色触発の状態を救ったのは、チーム唯一の既婚者でキャプテンの若林だった。昨シーズンは主に中盤の底二人の内の一人を務めていたらしい。所謂ボランチというポジションだ。
「あんたは良いでしょうねッッ! 幸せそうでッ!」
「あっ、うん。まぁね。えへへ」
二風谷の悲痛な叫びに、若林は照れ笑いで応えた。
同時にルークが頭を抱える。
「ンアアアアァァァァァ!! てめえらァ両方ともゆるさねぇえええ!」
若林に抱えられて暴れる二風谷。
ナギの表情は青ざめて、明らかに引いているようだ。
「秀一郎どうするー?」
騒動の中、ドサクサに紛れてもちみはルークに近づき、耳元で話しかけた。
「そうだな。とりあえずいい手は思いついた」
「ほうほう」
ルークの一言にもちみは期待してるよ、とばかりのにやけ顔で頷いた。それから、ルークは騒ぎの中心となっている場所のちょうど真ん中に行き、声を張り上げた。
「お前達、サッカー選手ならサッカーで勝負を決めたらどうだ?」
「ふざけんじゃねぇぇぇえええッッ!! こんな時にやってられるかボケが!」
スッカリキャラが変わりはててしまった二風谷が割り込んできたルークを怒鳴りつける。
「まぁ落ち着け、これはお前にとっても悪い話ではないだろう」
と言っても暴れることをやめない二風谷に向かってルークは続ける。
「これから、試合をしよう。俺が指揮するチームとお前が中心のチームでだ。選手はお前が選んで良い」
「だからなんで私がそんなことやんねぇえといけねぇぇんだよぉおお!!」
二風谷の発言を聞くと、ルークは一瞬間を置く。
それから、決意したような目で二風谷を見ると……。
「俺が負けたら何でも言うことを聞く。お前が負けたら半年間真面目に練習しろ」
半年間というのはシーズンの中休みまでと言う事だ。
その時期になると、選手は自由に移籍できるようになる。ルクが言っている事はつまり、ただ契約を全うしろというだけで、ほとんど二風谷にリスクはない。
そんな低リスク高リターンの賭けに苛立っている二風谷が乗らないはずは無く……。
「……面白いですね。コイツらをボコれないのが癪ですけど、それならお釣りが来るくらいだね」
二風谷は一瞬で元の笑みを貼り付け、言った。
なんだか見た者の背筋を凍らせる恐ろしい魔物のようにも見える。
「選手は私が選んで良いんですよね?」
「14人までならな」
「交代枠まで着けてくれるなんてお優しいですね。ああ、どっちにしようかなぁ……」
二風谷が考えているのは選手の人選ではなく、ルークの処遇だった。ルークはその下卑た表情に冷や汗を流す。
(魔王軍に入れば、すぐ幹部になれるだろうな……)
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