第3話『全てはノックから始まる』

 この世界に来てから、ルークにとって初めての朝だった。

 いままで夜明け前にサキュエルが寝床にやってきて、ルークの隣で何かを囁くのが目覚めの合図だったので、一人で起きるのはとても新鮮だとルークは思う。


 すがすがしい気分のまま湯浴みをしようと、タイルの敷き詰められた浴場に入り、シャワーの蛇口を捻る。

「ッ!?」

 突然頭上から降りそそいできた温水に驚き、狭い風呂の壁にぶつかった。

 見ると温水は蛇口ではなく、無数の穴が開いたシャワーヘッドから出てきていた。蛇口はあれどシャワーヘッドというものはない世界の住人だったルークには不意打ちだったのだ。



「まさか、あんな平たいモノから湯が出てくるとは……」


シャワーを浴び終えたルークが、見つけ出したインスタントコーヒーをのみながら呟いた。


「食品の備蓄もある。しばらくは籠城し、何をするか考えてみるか」


長い間、魔王や屈強な幹部たちなど、自分より遙かに強い力を持つ魔物たちの動向を伺いつつ、情勢をコントロールし。その傍らで勇者たちへの妨害工作を施し、寝床では扱い辛い存在のサキュエルが安寧の時間を邪魔してくる。


 そんな日々に見舞われていたルークにとって、何もしない時間というのはほぼ無かった。頭では、自分を追いかけてくる謎の集団への対処や、現在の自分はどのような存在になっているのだろうか、と考えながらも、ルークの心はこの何もしない時間というのを楽しむことに向けられていた。



 ルークがリビングでインスタントコーヒーを飲みながら、寝室にあった本棚の中の一冊を読んでいた。

 所謂ライトノベルである。元居た世界でも同じように使われていた言語がこの世界でも使われている事に驚いたルークが一冊引き抜いて、読んでみたところ。想定外に面白く。ハマってしまったのだ。

 とある少年が巫女によって召喚され、伝説の竜騎士となるテンプレートなラノベを叙事詩として読んでいるルークの姿は、現在の間抜け面も相まって、かなりオタクっぽく見える。

 クライマックスのシーンを迎え、ルークは生唾を飲む。

 娯楽として洗練された魅力的な文章を一語一語噛みしめ、頭の中で竜騎士と竜の戦いの決着はどうなるのだと、そわそわしながらページをめくる。


「ちょっと、遅刻よッ! 早く来なさい!」


 そんなとき、クライマックスを狙ったかのように、突然鳴り響くノックと気の強そうな女の怒鳴り声。


「黙ってろ!!」


 ルークがその女の声にキレた。


「はあああぁぁぁ!?」


 それ以上ルークは一言も発すること無く、意地でも読んでやるとラノベにかじりつく。

 場面は竜騎士が竜のブレスを掻い潜り、剣を振りかぶったところ。

 見えない真空波が竜騎士を襲い、吹っ飛ばされ……。


 気がつくとルークの視線は本から離れており、周りがドンドン横に傾いていった。


「があああぁぁぁっっ!?」


 否、そうではない。周りが傾いていったのではなく、ルークが吹っ飛んでいったのだ。


「なにが黙ってろよ!! このキモオタがあああぁぁぁ!!」


 遅れて読書の邪魔をしてきた女の声が脳に響いた。

 同時に床へとぶつかり、視界が闇へと誘われる直前、目の前に竜のような少女が立っているのを、ルークは両の眼で確かに見た。

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