ある親切心

@maetoki

第1話

 夕暮れどきの河川敷を背の低い女子高生が歩いていた。ぼさぼさの髪にありったけのヘアクリップを挿して、服は学校指定の夏服セーラー。ちょうど二日前学校は夏休みに入ったばかりである。従って授業はないし、彼女自身は部活動に所属しているわけでもない。制服姿でいる必要はないのだが、本人はいたって気にせず、むしろ当たり前のような顔をしている。あるいは他に着る服がないかのような顔をしている。

 少女の名を芽依という。昨晩お風呂に入ったのかどうかすらも怪しい姿であった。昼のうちに日光を溜めたアスファルトの熱を巻き上げると風がねっとりとまとわり付いてくる。芽依は髪をくしゃくしゃと掻いた。暑い。アルミたわしのようなもっさりとした髪型に熱気がこもっていた。

「暑い」

 声に出してみるとことさら体感温度が上がる。こう目的もなくぶらぶらと散歩するのが趣味の彼女ではあったが、生き甲斐ではなかった。そろそろ切り上げて家でエアコンでも効かせて涼もうか……と思いかけた矢先。芽依の眼にあるものが留まった。

 メイドロボである。

 おや、と芽依は足を止めた。ふつうメイドロボが独りで歩くことはない。メイドロボは文字どおりメイド用のロボであり、縄張りは主人の宅である。一日じゅう家の中で給仕するのが仕事だ。たまに主人に買い出しを頼まれることがあるにせよ、いまのご時世ならばネットショッピングで事足りる。また主人が高齢ともなれば介助者として出かけることもあろうが、芽依が見つけたメイドロボは正真正銘のひとりぼっちだった。主人と思しき人間が一緒にいない。

 まるで不法投棄された自動車で、街中に落ちているには明らかに奇妙なものだ。通行人の中には独りでいるメイドロボに訝しい視線を投げかけるものもいれば、まったく気にせず自分の目的地へ急ぐものもいた。みな見て見ぬふりをする。積極的には関わりたくない妙な雰囲気をまとっていた。なるほどたしかに打ち捨てられた自動車よろしく、自動車のバンパーに当たる箇所が凹んでいるようである。

 ひとことでいえば現代の怪談、幽霊メイドロボである。

 芽依だけは違った。まるで初めから『彼女』が目的地だったとでもいわんばかりにずんずんと歩を進める。

「よ。こんなところで何しとる?」

 さっそく親しげに声をかける。気取ったような古めかしい口調である。しかしメイドロボは微動だにせず、芽依は徐々に声を張り上げながらばしばしと機体を叩いた。

「おーい」

 何度か叩いたところで、ようやくメイドロボはゆっくりと視覚センサーを動かし少女の姿を認めた。じー、ぴぴぴ。と羽根のこすれるような電子音がする。

『こんにちは、お嬢さん』

「はいこんにちは」

『あの、失礼ですが。今日は何月何日でしょう』

 芽依は眉をひそめた。メイドロボが時刻を尋ねるなど訊いたことがない。彼女らは無線通信により正確な日本標準時を取得しているというのが常識である。

「今日か。七月二十七日じゃが」

 ともあれ答えられない質問ではないので芽依はすんなりと答えた。途端にメイドロボは血相を変えたように飛び上がる。

『あら大変!』

 そうしてぎぎぎ、とサーボモーターを動かし方向転換をしようとするも、駆動系がどこかでイカれているらしく動けない。相変わらず見つめ合ったまま芽依は尋ね返した。

「なんか訳ありのようじゃな」

『え、ええ。はい』

 ぎぎ、ぎぎぎ。壊れたラジオのようにノイズが挟まる。

「おヌシは声をかけるなり日付を尋ねた。とはいえタイムスリップしてきたわけではあるまい。何日かその格好で停止しておったんじゃな?」

『状況から察するに、そのようです』

「して、何日程寝ていたことになっておる」

『三……いえ二日でしょうか』

「ふーむ」

 芽依は顎に手を当てて考える仕草をする。上の空でぼやくようにつぶやいた。

「おヌシは何やら火急の用事の最中だったと見える」

『ぎぎぎ』

「あいわかった」

『いまのはお返事ではありません』

 芽依はけらけらと笑いながらメイドロボの身体に手を貸す。根が生えたように動かなくなっていた脚部を小突いてやると、叩いた拍子に一歩前へ進んだ。オートバランサーが働いてよろよろとメイドロボがよろける。危うく芽依は蹴られそうになったが、すんでのところでひょいとかわしている。

「よしわかった。あたしが手伝ってやろう」

『まだ、事情も何も話していませんよ』

「そこも含めて手伝うといったのじゃ。ほれ、話してみろ」

 メイドロボはようやく動けるようになっていたが、それ以上動こうとはしなかった。今度こそ芽依と向かい合うと居住まいを正す。

『私の名前はアルヘナ。ブレイドハイヴ社の一般家庭用文化女中機です』

 メイドロボ・アルヘナはよく知られたメーカー名を出した。文化女中機の中では最大手のシェアを誇るメーカーである。たしかに胸の部分には掠れたBHブレイドハイヴ社のロゴマークがあった。

「あたしは芽依じゃ。見てのとおりの女子高生」

『実はですね、私は私の持ち主……つまり、ご主人様を探しているのです』

 芽依は虚を衝かれたように眼を見開いた。大きなどんぐり眼である。

「ほう」

『私のご主人様は樋口虚兵衛という老人です。今朝……いいえ、三日前に出かけたきり姿が見えなくなりまして』

「徘徊老人というやつじゃな」

『虚兵衛さまはGPS端末も持たずに出かけてしまいました。とはいえ毎回お散歩のルートは決まっているので、適当に追いかければどこかで追い付くだろうと思ったのですが』

 すらすらと話していたアルヘナだったが、悔やむように口を噤んでしまった。

「おヌシが行き倒れてしまっては話にならんな」

『お恥ずかしい限りです。虚兵衛さまが若い頃から連れ添っているのですが、先に私のほうにガタが来ているようでして』

 主人が老体なら、メイドロボのほうも老体というわけだ。いまに珍しい話ではない。

「しかしそれなら、急いで探しに行かんとな」

『そうですね。急ぎませんと』

「どこを探すつもりじゃ? もう三日も経っておる」

 アルヘナは少々瞑想めいた演算に耽る。すぐに答えが出たようだ。

『とりあえず、いったん家へ返ります。私が機能停止している間、ひょっこり帰っているかもしれませんので』

「あたしも同行しよう」

 アルヘナはあたふたと戸惑いを見せた。そんなわるいです、と手を振る。

「まあ気にしなさんな。だいたい帰路でまた止まったらどうする? 世間は冷たいぞ。あたしなら叩き起こしてやるけどね」

『ええと……まあ、仰るとおりなのですが』

「そうと決まれば出発じゃ。行くぞアルヘナ」

『しかしですね』

「なに、困ったときはお互いさまじゃ。あたしは眼の前で困ってる人を見ちまうと目覚めがわるいのさ」

 そこまでいうとアルヘナもついに根負けしてしまい、ついに二人は人探しの旅に出立することになった。といっても目的地はアルヘナの自宅であるが。

 途中で何度かアルヘナの脚がいうことを聞かなくなったが、その度に芽依は脚を叩いてやった。脚気の診断でもやっているみたいである。アルヘナは恐縮し、

『芽依様はどうして私を手伝ってくださるのです?』

「あたしはオカルト好きの女子高生なのさ」

『オカルト……』

「持ち主を探している迷子のメイドロボ。これをオカルトといわずして何という」

『ただの迷子の迷子のメイドロボさんでは?』

「皿の枚数でも数えてくれれば完璧なのじゃが」

『はあ』

 アルヘナは押し黙るかと思いきや、右のマニピュレーターを一本立てた。

『あともう一つだけよいですか』

「詮索好きなやつじゃな。自分の心配をしたらどうじゃ?」

『芽依様はどうしてそんなしゃべりかたなんですか。初めはてっきりお婆さんかと』

「そりゃおヌシ、あたしがオカルト好きだからじゃよ。オカルト好きは語尾が特徴的な変人と、古来から相場が決まっておる」

『変人でもあなたはいい人です』

「照れるのう」

 アルヘナはこうして奇妙な女子高生とともに自宅までのおよそ一キロを歩いたが、二時間近くかかってしまった。住宅地はすっかり夕闇に沈んでいる。どこかから筑前煮のにおいが漂ってきて、芽依が鼻をひく付かせた。

 メイドロボもメイドロボなら、住まいも住まいだ。公営住宅に取ってつけたようなエレベーターは狭く、メイドロボが載るだけでみしりと傾いた。芽依は内心ひやひやしていたがエレベーターはゆっくりと上昇する。そうして公営住宅の七階にとおされた。

 これまた狭い廊下をふたり、縦になって進み七○五号室に辿り着く。廊下に面した室の窓が傍にあったが、部屋に明かりはついていなかった。いちおう人の気配はするが、こうも狭い間取りでは隣の部屋のと区別がつかない。

「とりあえず入ってみるか」

 さも当然のように芽依は指示し、アルヘナに鍵を開けさせる。かちゃり、ぎぎぎ。と扉が開いた。靴が乱雑に散らばっている。部屋の奥にも光はない。

『やはりまだ帰ってはおりませんか』

「そうらしい」

 というと芽依は靴を脱いでずかずかと中へ入っていった。慌ててアルヘナが呼び止める。

『あっ。ちょっと……』

「こりゃあ長期戦になるかもな。そういう匂いがする」

『芽依様が嗅いだのは上の階の筑前煮でしょう』

「筑前煮? あたしはてっきりカレイの煮付けかと思った」

『いえ、筑前煮ですよ』

「ふうん。ま、今日はもう少し待ってもいいじゃろう。まだ警察の出る幕ではなさそうじゃ」

『そうですね、警察を呼ぶのはもう少し待ってください……ではなくて。あのっ、芽依様。その……もう結構ですよ。私もこうして家に着きましたし』

 芽依はリビングの椅子を引き、どかっとあぐらを組んでいた。

「結構? 爺さんが帰ってきとらんじゃろ。話は終わるに終われんぞ」

『あとは私の問題です。芽依さまこそ帰らないと、ご家族が心配されますよ』

 アルヘナがさも不安げに尋ねるが、けろりとした顔で返事があった。

「心配するような家族がおらんので気にするな」

『それは……失礼しました』

「や、勘違いしなさんな。父親は海外へ単身赴任中、母親はお遍路さんへお百度参りの真っ最中、ええっと、後は……兄弟がいない。ペットはチャバネゴキブリを放し飼い。餌なんてその辺で見つけてくるじゃろな。好きなテレビアニメは録画済み。だからどこをほっつき歩こうと問題なし。どうじゃ」

『どうじゃといわれましても』

 芽依の口から出た言葉は限りなく嘘っぽかったが、アルヘナはどう聞いたらよいのかわからずじまいだった。芽依は樋口家へ居座るつもり満々だった。

 とはいえ先刻出会ったばかりの人間である。アルヘナは改めて警戒心を滾らせながら訊いた。

『……いっておきますけど、この家には特に財産なんてありませんよ』

「女子高生がそんなものに興味あるわけないじゃろ。あたしはオカルト好きで困った人を見捨てられない善良な女子高生。校則違反が怖くてバイトだってしとらんぞ。おヌシに迷惑はかけんと約束しよう」

 どこを切っても怪しい。――新手の家出少女だろうか。

 結局、アルヘナとしても強く断ることはできなかった。いつでも通報できるようにしてその晩は芽依を泊めてあげることにした。

 いや、正確には彼女はその日から三泊四日した。芽依達は来る日も来る日もアルヘナのご主人、虚兵衛氏を探しに町内を駆け巡る。あるときはリニアモーターカーの道なりに隣町まで歩いていったり、あるときは駅前の喫茶店でコーヒー一杯で数時間粘ってみたりした。

 しかし二人の健闘もむなしく虚兵衛氏の行方はいずことも知れない。

 改めて聞いてみれば虚兵衛氏、御年九十六のご長寿だという。いくらなんでも一週間近く外泊するというのは妙ではないか。それこそ行き倒れとか……。

 もしそうなら堪ったものではない。四日目の晩、芽依はついに問いただすことにした。

「のう、アルヘナ。念のため確認しておくが、おヌシのご主人は本当に生きておるのじゃな?」

『もちろんです。そう信じているからこそ、芽依様も捜索してくださるのでしょう』

「ううむ。いい頃合いじゃから話しておこう」

 といいながら芽依は咳払いを打つ。「わるいがあたしはおヌシのいうことを一切信用しとらん」そしてぴんと指を向けた。

『奇遇ですね。実は私も』

 指を突きつけられたアルヘナは平然としている。

「正直にいえば、おまえさんは主人に捨てられたか、主人が死んで狂ったメイドロボかと疑っておった。いわば主人への思いを捨てられない幽霊ロボットの類というわけじゃ」

『それはオカルトですね。今度は反論できません』

「だからあたしもおヌシに興味があった。通報も待ってやった。万が一あたしの考えが間違いで虚兵衛氏が健在なら、それはそれで人助けをしたといえる。二人は再会をして終了、これにて一件落着。じゃが、やはりおヌシは幽霊ロボットではないかと思われる。よい夏のアルバムの一ページじゃったよ。幽霊と一緒に食べたパンケーキはなかなか味わい深かった。で、じゃ。そろそろ種明かしをしようじゃあないか」

 ぐいと身を乗り出すと、相手ははぁっと息を呑んで固まってしまった。

 もし芽依が通報すれば、アルヘナはロボット監督庁に捕らえられてしまう。主人のいないメイドロボ、つまり幽霊ロボットとして早々に処分されるのだ。世間はオカルトに理解がないのである。

 しかしアルヘナは毅然として振る舞っていた。

『いえいえ芽依さま、やはり勘違いをしておられる様子。私は幽霊ロボットなどではありません。ご主人さまは存命ですし、ちゃあんと私を所有しています』

「もう何日も待っておるのに、連絡ひとつないじゃろうが」

『いえいえ、あったのです。お昼頃二人でファミレスにいたとき、私宛に電話がありました』

 メイドロボには通信アプリがプリインストールされている。当然それを受信したのだろう。芽依と食事しているときはそんな素振りも見せなかったが。どうせならそのときいって欲しいものである。

「ほう」

『どういうわけだかご主人さま、月のほうまで行ってしまっていたようで』

「ずい分健脚じゃな」

『まさか歩いて行ったわけではありません。宇宙船です。うっかり民間用宇宙船に乗ってしまい、いまは月面裏側の避暑地でリゾート三昧とのことです』

「たしかにあすこなら、いくら探しても手がかりすらないわけじゃ」

『はい』

 徘徊老人がうっかり月にまで行ってしまう時代である。ボケ老人が間違えて高速バスに乗ったという笑えない話なら昔からあるが、ここまで文明が進んでしまうと笑いの度を超えてしまう。芽依は恥じたようにアルヘナに詫びた。

「そりゃあ疑ってすまんかった。なるほどおヌシは幽霊ロボットではなかった。これにて一件落着というわけか。……ま、しかし。ひどいご主人もおったもんじゃ。おヌシを置いて月三昧とは」

『私はご主人さまが無事ならそれでよいのです』

 健気なメイドである。

「では、じきに虚兵衛氏は帰って来るのじゃな?」

『はい。航空会社のかたが便の手配をしてくださいました。今夜出発して、明日の夜には戻られます。私も空港でお迎えするつもりです』

「そうするといい。どれ、あたしも付いていこうかな?」

『えっ、いや……それは……』

「ははは、冗談じゃ。あたしが付いていっても《誰この小娘?》となって終いじゃからのう。そうなるくらいならこれで退散しよう」

 芽依はけらけらと笑う。アルヘナは心なしかほっとしたような表情を浮かべていた。隙を見せたその一瞬に、芽依は表情を殺した。

「……でもやっぱり、最後にこの件だけは解決させてもらうがな」

 彼女はそうしてひょいと椅子から跳ねるように立ち上がると、アルヘナが反射的に伸ばした手を掻い潜り、すばやく部屋の一室の扉を開けた。

『あっ……お、お待ち下さい!』

 アルヘナの発した言葉は遅い。遅かった。

 芽依が開けた部屋の中には一人分の腐乱死体が転がっていた。ぷーんとヒトから出るとは思えない臭気が立ち込めている。

「いやあたしは幽霊ロボットを探しに来たのであって、仏さんは対象外なんじゃがな。オカルトとゆーより、そりゃ葬儀屋の領分じゃろ?」

 芽依は顔色ひとつ変えずひとりごちながら部屋の電気を点ける。やっぱり腐乱していた。部屋のエアコンはがーがーと効いて涼しいが、隠しきれない刺激臭がきつい。

「さてアルヘナ。この仏さんの名前は何じゃ? もちろん戒名じゃないぞ」

『……それは……』

「ああよい皆までいうな。樋口虚兵衛、その人じゃろう。いつの間にここは月の裏側になったんじゃ」

 涼しい顔で芽依は尋ねるがアルヘナは答えられなかった。もちろんここは地球、変死体があるとなれば刑事事件である。

「答えられんようじゃなあ。知能があるなら、ちいと機転を利かせて欲しいものじゃ」

『お、お待ち下さい……芽依さま……』

 アルヘナが弱々しくつぶやく。

 芽依は扉を開けたまま廊下に出ると、ポケットをごそごそ弄りスマートフォンを取り出した。

「こうなってくると出る幕じゃない。そこを動くなよ? あたしは面倒ごとが嫌いでな」

 ぴぴ、ぴと芽依は慣れない仕草で電話番号をプッシュしている。

 動くなよ、といわれたアルヘナだったがそうもいかなかった。このまま通報されればアルヘナとしても一巻の終わりである。芽依が何も気付かず、ただ黙って家を出ていってくれればよかったのだ。もう少しで騙せられたのに。かくなる上は……。

 アルヘナは文房具入れに刺さっていたボールペンを取り出すと、かちとノックしってペン先を尖らせる。彼女さえ黙らせればこの生活はもう少しだけ続くのだ。

 電話をかける芽依の背後からアルヘナが近付く。彼女はまだスマートフォンに夢中だ。一歩、二歩とすり足で近付き……。

 ぷるるる、と電話の呼出音が鳴った。アルヘナは反射的に部屋の中をぐるぐると見渡す。ぷるるる、と電話が鳴り響いている。だがこの家の電話ではなかった。木製のキャビネットに置かれた固定電話のディスプレイは光っていない。それでも音が鳴り続ける、ぷるるる……。

 芽依が振り向いた。

「ほれ、はよ出んかい。鳴らしているのは、アルヘナ、おヌシのいる家じゃよ」

 呼出のメロディはアルヘナの口、つまり内部スピーカーから響いていた。まるで彼女自身がコール音をしゃべっているかのようだ。

『……もしもし』

 芽依の持ったスマートフォンに出されたお決まりの文句とともに、コール音が止まる。

「おう、もしもし。やっと取ってくれたな。電話番号間違えてるかとヒヤヒヤしたぞ」

 ああびっくりした、と悪態を付きながら、芽依は厳かに告げた。「そいじゃ、いまからそっちに行く。アルヘナも連れて来るんじゃぞ。まあ、イヤだといっても引き摺ってでも連れてくるがのう」

 芽依は電話を切ると、アルヘナを促して家を出た。アルヘナはすっかり生気を失ったように、ただボールペンをだらんと手に下げたまま静かに付いてきた。

 公営住宅の非常階段を一階だけ上ると、芽依はちょうど樋口家の上階……八○五号室の前に立った。扉を引く。芽依達を待っていたかのように鍵は掛かっていなかった。

「邪魔するぞ」

 返事はない。家人は誰もいない様子だったが、芽依はずかずかと靴を脱いで上がり込む。そのまま一番奥の洋室のドアを開けようとした。かちゃかちゃと音がする。こちらの部屋は鍵が掛かっているらしい。見られたくないものには鍵をする……。

「おうい、開けてくれんか」

『お断り!』

 部屋の中から若い少女の声がした。きっと芽依よりも若い声である。なるほど、と芽依は頭をかくと部屋の中を見回す。どこかに鍵があるかもしれないが、果たして家人が戻ってくるまでに見つかるだろうか。

 数秒で捜索を諦めると、「これでいいか」とアルヘナの身体を片手でひょいと持ち上げる。メイドロボの体重はゆうに二百キロを超える。ことに至っては立派な鈍器だ。芽依はそのまま砲丸投げの要領で扉にぶつけた。派手な音がして内鍵を巻き込みながらメイドロボが倒れ込み、ついでに扉をぶち破った。

『ひゃっ……!』

 その声はアルヘナと部屋の中から二重に重なって聞こえた。部屋の中ではあんぐりと歯をのぞかせた、間抜けな口元の少女がぽつねんとベッドの上で上体を起こしている。部屋に明かりは付いておらず、ただぼんやりとデスクトップ型パソコンの光がぼうぼうと煌めいている。

 部屋にいた少女はHMDを付けた髪の長い娘で、だらしないパジャマ姿であった。精密機械を目深にかぶっているため表情は口元しか読めない。

「まったく手間取らせおって」

『な、なんですかあなたは。勝手に人の家に上がり込んで……』

 その声は芽依の前と、足元から聞こえる。すなわち少女の口元とメイドロボのスピーカーから。

「白を切れ。いまさら誤魔化せるとでも思うてか」

『っ……あとちょっとだったのに』

 芽依は呆れたようにふんぞり返るとアルヘナの胸板をかんかんと叩く。

「まずはその妙な装置を外せ。あたしゃいったいどっちを向いてしゃべればいいんじゃ」

『わかったよ……』

 渋々といった体で少女はHMDを外す。ふぁさりと音を立てて髪がまばらに解ける。清潔感のまるでない、お淑やかな黒髪の乙女だった。

 と同時に、HMDからの入力がなくなったことでアルヘナはぴくりとも動かなくなった。

「やっとお目通りが叶った。そんじゃあ、まずは自己紹介」

「……西岡万由子。十四さい」

「ここで何しとる?」

「見てわからない。箱入り娘ってやつよ」

「いささか度が過ぎるようにも見える」

「ふんっ。お互い回りくどいのは無しにしよう」

 小さな敵対心を向けられ、芽依も唇をへの字に曲げた。

「おーけーおーけー。では訊くが、おヌシはそのリモート操作ソフトを使用し、下の階に住むメイドロボ・アルヘナを勝手に乗っ取っておった。相違ないな?」

「何から何まで外れ。出直して来なさい」

 まるで取り付く島もない。

「違わなくはないじゃろう。メイドロボを奪ったら、誰も爺さんを介護できなくなる。行き着く先は孤独死じゃ。すなわちおヌシのやったことは市中引き回しの末さらし首の罪に当たる」

「人を窃盗犯、並びに殺人犯みたいにいうな!」

「はて? ではジジイの死はおヌシとは無関係なのか」

「当たり前でしょっ」

 芽依は首をひねる。虎穴に飛び込んでみたものの、どうも今日は調子がわるいらしい。芽依が押し黙ったのをいいことに、万由子はぺらぺらと弾んで続けた。

「しかもこんな乱暴なことして。アルヘナが壊れたらどーするのよ。……あっ、見なさいよ胸のところが凹んでる! ベンショーしなさいベンショー!」

「そりゃあ元々じゃ」

「部屋の扉が壊れてるっ」

「元々じゃ」

 芽依はいい切ると、顎に手を当てたままうんうんと唸った。

 もし万由子のことを信じるのなら、アルヘナと虚兵衛氏の間には何の関係もないことになる。自分はただのオカルト好きの女子高生、幽霊ロボットだと聞いて喜び勇んで首を突っ込んだのに、これじゃ話が違うじゃあないか。

「……どれ、ちいとあたしに貸してみぃ」

 手持ち無沙汰になった芽依は考えるフリをしてひょいと少女のHMDを取り上げる。万由子はばたばたと腕を回して抵抗したが、手の届かないところまで下がると今度は口で罵倒し始めた。

 芽依は知らんぷりでHMDを自分の頭に付ける。もじゃもじゃ頭が邪魔してうまくはまらず、少しずれた状態になる。そのまま気にせずに装置の電源をオンにする。ぷいーんと場違いに高い音がしてHMDが起動した。芽依の眼の前は真っ黒いスクリーンだったが、やがてアルヘナのポート番号・三十二に自動接続して視界が開ける。

 アルヘナが見ている景色そのものが芽依の前に広がった。いまは、小難しい電子機器を装着した自分自身のお尻が見えている。自分で『おっと恥ずかしいからそこは見るな』と念じると、アルヘナは自動的にぷいと眼を背けた。

「おおうっ、こやつ、あたしの思考まで読み取るのな」

「脳波トレースシステムだよ。おねーさん、私より歳上なのに知らないの?」

 冷たい声で少女がいう。芽依はといえば、アルヘナの視界につられてぐるりと身体を翻し、そのまま転んでしまっていた。

「いやあ技術の進歩はすごいのう。そいでもって、おヌシ。あたしにはまだわからんことが一つだけある」

 したたかに打ち付けた背中をアルヘナに撫でさせながら芽依は話す。徐々に考えがまとまりつつあった。

「下でおっ死んでおった虚兵衛のじーさん、ありゃやはり孤独死じゃろう。他殺でもなんでもない。てっきりお付きのメイドロボが面倒を見なくなってポックリ……と考えたが、勝手にポックリのほうだったんじゃな。ナンマイダブナンマイダブ」

「それで?」

「もしおヌシのいうとおり、アルヘナがおヌシのものなら、どうして脳波トレースシステムとかいうものを使う理由がある」

「答える必要がないね」

「メイドロボの身体を乗っ取っても特段面白くもないじゃろう。別にミサイルを撃てるわけでもなし、自分の脚で歩いたほうがよっぽど遠くまで行ける。金持ちの道楽にしては、アルヘナは中古品で安上がりじゃ。散歩中に壊れるぐらいにな」

「……っ」

 万由子は無言で怒ったように芽依を睨みつけている。

「そういえばおヌシと初めて会ったとき、嘘を吐いたな」

「嘘?」

「三日ばかし機能停止したといった。嘘吐きさんめ、あたしは毎日あの辺を歩いておるんじゃ。幽霊ロボットがいたら一発で気付くわ。三日も放置したりはせん」

「たしかに嘘よ。それがどうしたっていうの」

「その場しのぎのバレバレの嘘じゃ。中に人が入っていることぐらいは考えつくとも。おヌシの電話番号を調べるのにちょいと手間取ってしもうたがな」

「そして肝心の詰めのところで間違えてたわ」

 あたしも甘いよなあ、と他人事のように芽依はぼやいた。

「おヌシのことが気に入った。小難しい真実より簡潔な嘘を選ぶところとかな」芽依は膝を叩き、「アルヘナを動かした理由、ベッドから起き上がらないのと関係があるな」

 そしてあっさり万由子は口を開いた。

「今度は正解。そうだよ交通事故。起き上がりたくても、動けない」

「道理で。いやすまん、意地のわるい質問をした」

「近所のお年寄りが運転した車が突っ込んできたの」

「……ふむん」

 芽依はそうして納得したかのように、いままでになく優しく笑うと少女の頭にHMDを返してあげた。

 再びアルヘナが息を吹き返す。まるで少女の意思を代弁するかのように。アルヘナは芽依に組み付こうとして襲いかかる。……が、いかんせん中古メイドロボの動きは鈍重だった。芽依は軽々といなして逆にアルヘナの背後を取ると、こんと頭を叩いてみせる。ついでにアルヘナの腕を後ろ手に締め上げた。

「暴れん坊め、何をするか」

『誰にもいわないで!』

 万由子は眼を赤く晴らしながら叫んだ。

 メイドロボの無線操作は、いうなればパソコンのリモートデスクトップにあたる。それ自体に違法性はない。そもそもアルヘナは万由子の持ち物だ。では何が……。

 芽依は入り組んだ思考の迷宮に差し掛かる自分に気付き、慌てて首を振った。すっかり興味を失くしたように棒読みで尋ねる。

「風のある日なんかは、きっとこの部屋まで臭いは届くんじゃろうな。アルヘナなら他人の家にお邪魔するのも造作もない。おヌシはそこで変わり果てた姿の老人を見た。線路を歩いた少年達のようじゃ」

『……うん』

「通報はしていない。そんなことしたら後が面倒じゃからな。少なくとも散歩の行き先がしばらく警察署になっちまう」

『……』

「なぁに、いたいけな少女の脚を二度奪う程、あたしは悪人じゃないさ。とっても親切」

『…………ありがとう……』

 万由子は肩を落として、ぼそりと呟く。

 半身不随の少女、万由子は無線メイドロボ操縦装置で散歩を楽しんでいた。操縦するロボットは型落ちした中古のメイドロボ。散歩する分には最新型のロボットなどいらない、という理由だろう。型落ちしたそれで遊んでいるうち、河川敷で故障、立ち往生してしまう。たまたま芽依が通りかかって助けたはよいものの、いざ自己紹介しようとすると説明がややこしい。

 まさかその後もずっと付きまとってくるとは思わず、咄嗟に口をついて出たのが『私は樋口虚兵衛のメイドロボです』だったというわけだ。そうして芽依はすっかりアルヘナが主を探して彷徨う幽霊メイドロボだと勘違いしてしまった。

 いたって簡潔な話だ。

「おヌシも人が悪い。お陰で仏さんの傍でしばらく寝泊まりすることになった。あたしは呑気だから気にしなかったが、なかなか趣味がわるかったぞ」

『だからあれだけ《帰れ》っていったのに』

「きついオカルトの臭いを感じたものでな。あっはっは」

『でもひとつお願い、私の友達になってくれないかしら。おねーちゃんと一緒に喫茶店で時間潰したこととか、なんか久しぶりに遊んだ感じだったもの。アルヘナに乗った散歩は楽しいけど、一人じゃやっぱり寂しいわ』

「お安い御用じゃ。あたしでよければ」

『ふふっ、やったぁ』

 芽依が拘束を解くと、アルヘナは向き直りゆっくりと小指を伸ばしてきた。

『じゃあこれからもよろしくね。またアルヘナで遊びに行こ、芽依おねーちゃん』

「おうとも」

 そして芽依は万由子と別れ、西岡家を後にした。


「ところで……」

 芽依はポケットに手を突っ込みながら歩いていた。オカルトチックな話は我ながら自分の好物だが、ときに真相はあっけなく下らないことだ。幽霊の正体見たり枯れ尾花ともいう。誰も枯れた花には水をやらない。

 たとえば万由子を轢いた犯人は虚兵衛だったこととか、万由子がアルヘナに化けて虚兵衛の宅に上がり込んだこととか、結局万由子は老人を孤独死に追いやるという復讐に成功したことだとか……。

 スマートフォンを取り出して三桁の電話番号をタップする。楽しげな友人ができたのはいいが、明日からどういう顔をして遊んでやろう?

 しかし邪魔くさい真相なぞどうでもよいか、と芽依はかぶりを振り再び手を隠す。頭上には月から帰還してきた往復シャトルが一条の光を残していた。

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