第87話 2011年 ドラマ「コヨーテ、海へ」

日本映画専門チャンネルで林遣都特集の一環として「コヨーテ、海へ」が、2021年11月と12月にピックアップされました。てっきり佐野元春のドキュメント映画かなとずっと思い込んで来たので、いざ見たらガツン来ました。



□コヨーテ、海へ:WOWOWにて2011年1月3日放映

□脚本:堤幸彦/似内千晶

□監督:堤幸彦

□音楽監修:佐野元春

□プロデューサー:大村英治(WOWOW)/神康幸(オフィスクレッシェンド)

□出演:林遣都/長渕文音/飯塚清秀マルコス/遠藤憲一/佐野史郎



下って行く前に。ドラマ「コヨーテ、海へ」の名を聞けど深く知る事なかったは、まずWOWOWに加入してなかったので見れず。そして2011年は間も無く東日本大震災が起こり、会社も私生活も自ら省みる余裕もなくなってた故にです。この前後した時期は何かと仕事で、CDなんてほぼ買ってなかったので、由縁になった佐野さんのCD「COYOTE」も然りと。


いやこの意欲作ドラマ「コヨーテ、海へ」なら早く出会えた筈ではも、Amazon何気に見て見たらディスコン扱いで中古品は20,000-50,000円(中には桁間違いでは無い890,000円台も)程と、状態がレンタル落ちでも、それは酷すぎる価格に。そうリリースが少なかったが為でしょうか。

いや、2021年12月11日現在ならWOWOWオンデマンドで配信中らしいです。安易に中古に手を出すなら、こちらを見た方がアーティストへのインセンティブの面でも最適かと思います。


ドラマ「コヨーテ、海へ」はロードムービーかで手厚く固め、堤幸彦監督手法が全開でワンカメラかと思いきや、時折抜かれる表情が確実に物語を紡ぎます。WOWOWのドラマ枠と言えど、破格の予算は投じていられてる感は確かに有ります。


ドラマ「コヨーテ、海へ」の進行で鍵になるのが「ビート」。大枠では「ビート・ジェネレーション」と呼ばれ、文化面を時代に渡って経験してきた方なら聞いた事のあるキーワードです。それ故にビート中級からでないと、中々ドラマ「コヨーテ、海へ」へには没入出来ないと思います。ただドラマ「コヨーテ、海へ」を3回位リピートすればビート初級でも自然と知識として叩き込まれるので、改めてビートを深堀りしなくても大丈夫の筈です。



ざっくりのあらすじとしては、2010年初旬のニューヨークのハルとブラジルの父秋男のほぼ二都物語で展開します。ハルはニューヨークで失踪した父秋男の足跡を辿り、秋男は強烈な思いでブラジルのポルトアレグレの海岸へと向かいます。一見別物語もビートの持つ絆でソウルフルな結末を迎えます。



ここから先はネタバレですので、或いは見た方向けの内容になります。








いや正直ニューヨーク編のビートを巡る旅々だけで良かったのかなと視聴中盤で思うも、それは結末を思うとこのバランスが妙かと思います。ただ、制作初期の段階ではブラジル編のみで、佐野さんがもっと若い方にもメッセージとのリクエストを出したら、その場の会議でニューヨーク編も決まったアメイジングさです。さすが持ってますね。


そう日本映画専門チャンネルで放映されたのはWOWOWのドラマ版なのか110分の尺です。それがAmazonの商品説明では制作上も都合でDVDでは154分らしく、やはりアメリカの話が長かったのかなとも。いや実はメイキング映像+αの尺かもしれません。

現在ディスコン故に、見渡しても詳細検証記事も無く。ロードムービー故に個人著作の問題があると厄介でカットせざる得ないのが、今も尚のロードムービーテイストの映像著作物でしょうか。



物語は、林遣都演ずるハルは真冬のニューヨークで失踪した父の写真と資料等を抱えて彷徨います。このハルはデビュー後80年代にニューヨークに渡った佐野元春のアバターかと振り返った時に思います。ダウンタウンで鋭敏に何かを探すハルは当時の佐野さんそのものだったかもしれません。いざビートの本質に触れる思いは皆同じかとも受け取れます。それを踏まえて林遣都の演技プランは堤監督の意向が大きくあるかなとも。


そして長渕文音演ずるダンサーのデイジーと出会います。まあここで佐野さんの「アンジェリーナ」のオマージュかなと思いきや、10年代のエンジェルはかなりのハイスキルのタフでデリケートで、ハルから120ドルの案内料金を貰っては結局は懇切丁寧にビートとはに導いて行きます。実際これで120ドルとは格安な案件では有ります。

長渕文音に関しては青森ロケの映画「三本木農業高校、馬術部」の都度都度のロケインタビューで純朴そうなイメージだったので、ああこういうニューヨーカーにもなれるのかの正直な感想です。とても良い役者さんですけど寡作なのが勿体無いなは、一ライトファンの嘆きでしょうか。



さてビートとはですけど、作中でも語られていますけど、1940年代終盤から1960年代半ば迄の文化はもちろん思想にも及び多くのビートニク達を送り出しています。この長期間にもなれば枝葉は大いに伸びて、確かに1960年代半ばでムーブメントの終わりを告げるかに見えます。

そうビートでまず自らを語れる事なんて、誰それと容易に出来る訳も有りません。しかし時代を経ても、継承するビートニクによって新たな文化の側面が作られ、連綿とビートの自由さは大きな根を張っています。


過去佐野さんは本来の活動を休止し、80年代のニューヨーク生活経てからのアルバム「VISITORS」発表は確かに日本の音楽界を変えました。純粋で躍動的なビートそのものは商業の中でも確かにリスナーに届き、大きななうねりを作った80年代後半は、今となればepic文化と持て囃されますが、佐野さんから発したエポックと過言では有りません。

ただその後の文化がフォーク、ロック、ニューウェーブ、テクノと商業的な棲み分けがされ、ビートの理念はどうしても枝葉の様になって行きます。何が正解は、また誰かが突き抜けなければ分かりません。


そんな中で10年代はビート回帰も伺えます。ロードムービーもビートから生まれたジャンルで有り、 ジャック・ケルアックのビート文学が2012年に映画「オン・ザ・ロード」として公開されます。

ここは奇しくも2011年の「コヨーテ、海へ」の翌年なので、ビート回帰機運は世界で確かにあったと言えます。この映画「オン・ザ・ロード」も本当紆余曲折が有り過ぎて1957年から着手するも、1979年にフランシス・フォード・コッポラが権利を得ての遥か暫し、公開は2012年と言う何というしぶとさです。一回は見てみないといけないかなも…いずれまたという事に。ただYouTubeのトレーラー見る限りでは全米大陸横断のヒャハーな感じで、そうなのかでは有りますけど。ふむ。




そしてドラマ「コヨーテ、海へ」に戻りましょう。私は80年代のあの何処か鬱屈しているニューヨークを映像等で知っているので、自由に安全に旅が出来る街になったかと感慨しか有りません。昔はニューヨークの路地裏に引っ張り込まれたら、身ぐるみ剥がされて拳銃で脳天撃ち抜かれるでしたけど、長くも緩やかな市民の意識の変化があったのかの思いです。

それも多様性という言葉を安易に使って良いものか、ビートの影響もあるかなと。とは言え20年代ではコロナ禍故の不穏さブラック・ライブス・マターが起起きて、より本質的な時代になるのは、どうしても一進一退なのでしょうか。


雪のニューヨーク編でキーになるのは聖地セントマークス教会でしょうか。作中のフィクションと一見思ってしまいますが、英語Wikipediaでは活動そのままを抜き取って確かに実在します。

1回目は、探し当てたハルとダンスを繰り広げるデイジーが初対面でかなりのフランクさ。ボーイミーツガール要素は存分に有ります。

何気にカット数多いので大勢のスタッフ引き連れてるのかと思いきや、制作ブログを見るとEOSの一眼レフ・カメラを中心に映像スタッフは7人だけと、デジタルな革新を切り開いてます。ロードムービーの本懐ですね。


本編は父子それぞれにロードムービーが進む中、見せ場の一つとして再びセントマークス教会に戻ります。セントマークス教会で行われているのはビート詩人アーウィン・ギンズバーグに所縁のある感情たっぷりにポエトリー・リーディング。

一人一人切実には訴えながら、セッションの一つは911を大きく響かせ、WTCに発した憤りは確かに民意も大きく動き報復するも、アメリカ本国は何気ない日常を過ごすアンバランスへの憤りを唱います。その奇妙さは2021年8月に米駐留部隊がアフガニスタンから撤収して、また撤退時の混乱を繰り返すのかアメリカを後に大きく示しています。ここが先んじてフルに使われたのもビートの良識が溢れていたかと思われます。


また次の番としてモブの様な扱いのリチャード・ヘルですが、ロックシーンに大きく影響を与える実在の人物として客演しています。その求道的な詩のダンジョンはただロマンティックに響きます。


そしてデイジー及びハルもポエトリー・リーディングに呼び込まれます。ハルが読む詩は、父親を探すために持ってきたレターの佐野元春のサインの入った「国籍不明のNeo Beatniksに捧ぐ」で、「ハートランドからの手紙」(1990年)の著作に収められているらしいです。この詩は佐野さんのライブで自らポエトリー・リーディングもされてるので、ああこれかと思う方もいる筈。

その詩は、ニューヨークのボヘミアンの穏やか日常と希望が描かれ、ただ心の内側に火を灯します。このドラマ「コヨーテ、海へ」から11年経ってコロナ禍中でも、一緒に行こうぜの一切のブレの無さには敬服しかないです。ここでビート良いなになったら、ドラマ「コヨーテ、海へ」はまず大成功と言えます。


そして父秋男での後半戦には、ブラジルのポルトアレグレの海岸の突堤の広大なシーンが有ります。何故この突堤なのかは、父の秋男と余命間もない病床の親友山本亮介との約束が有ります。亮介がしきりに懐しむ故郷の福江の鬼岳の真裏がグーグルアース上ではこの突堤に当たり、秋男といつか行きたかったと。

そして秋男は亮介との約束で、勇壮な鬼岳に散骨し、只管に荒波の突堤にも散骨します。ビートの究極の自由とは、自然いや宇宙と一つになるあるがままかもしれません。


ただそれも2010年での一時回答で有り。この後の東日本大震災でもそれが有効なのかは、いや何でも東日本大震災に直結させるのはよくありませんけど、もっと先に繋がる自由の真理があるやもと、2021年12月視聴時の一感想です。

何故本作がディスコンなのかは、ひょっとして突堤での大きな波しぶきが東日本大震災を想起させてしまうかも配慮かもと思いますけど、ただ単に販売時期の転換期だけかもしれない等々かもです。



そしてインスパイアを促した佐野元春 & THE COYOTE BANDで制作された楽曲「コヨーテ、海へ」ですが、スタンダードロックなのに、小さな宇宙が垣間見えるのは、佐野さんは凄いよと身を捩ってしまいます。2007年のアルバム「COYOTE」の楽曲で有りながら、00年代いや10年代そして20年代に至り、ビートの純粋さを佐野さんは貫いています。


当時感度の強い堤監督が、このアルバム「COYOTE」に純粋に大いに感動してはブログに書いたところ、佐野さんスタッフサイドからデビュー30周年に当たりコラボレーション作品を作りませんかが結実し今作品に至ったそうです。想いって案外届くものは、黎明の10年代を経て20年代なら尚更でしょうかも。


そう80年代、誰もが佐野さんになりたかったけど、父秋男の様にやや縁遠くなってしまうのは、私達世代では止む得ない事と思います。ただそれでも佐野さんは日本のビート牽引者で有り続けています。佐野さんになれなくても、思い思いにビートを綴り唱う事は出来るのかもしれないが、映画「コヨーテ、海へ」の最大のテーゼではないでしょうか。


80年代あの辺りは確かに、日本でもビートの旗手は出てきましたが、その後は作家に転ずる方も多く、何時迄も佐野さんにビートの全てを背負わせてしまってるのが実に心苦しいものです。恐らくドラマ「コヨーテ、海へ」の制作に込めた思いには、ビートの後継者が途切れなく現れて欲しいが切実に伝わります。私も何処かで生かしたいとは思っています。



そんな余韻のままに改めて衝撃発言を。お恥ずかしながらも、私は佐野元春 & THE COYOTE BANDの作品がiPodに入っていません。サブスクリプションにも加入していないし、レンタルにも置かれていないので、不意にYouTubeはどうかなと検索したら佐野元春さんの公式チャンネルに「コヨーテ、海へ」がアップされていました。

アップは2020年4月と、30周年作品として世に出たドラマ「コヨーテ、海へ」の10年後の40周年記念と捉えても良いと思います。多分皆の思い思いの感想そのままが「コヨーテ、海へ」のあるべき姿と思います。勝利ある又はShow Realの歌詞は、このコロナ禍でも多くの方に届いて欲しい限りです。

またコンテンツクレジットに「作詞・作曲・編曲・映像:佐野元春」と有り、何気に佐野さん撮影も編集もするのかと今更マルチの才能を見せています。尚動画のパートは堤監督も愛用のEOSの一眼レフ・カメラの特有の影の黒さが垣間見えますので、アドバイス貰ったのかなとも思ったりです。



また2020年にやや戻るならば、「SONGS 第551回 佐野元春」の話も揺り動かされます。HDRが飛んでしまって今はもう見れないけど、NHK武田真一アナウンサーのインタビューの質問「佐野さんはいつまで、僕らのそばにいてくださいますか」と佐野さんの回答「いつまでとは、約束はできないけれども、このコロナが晴れてまた僕たちがいつも通りコンサートができるようになったら、ぜひ会場に来て、皆さんと一緒に、良い時間を過ごせたらなと思ってます」。


この言葉を当時はその額面通りに聞いてましたが、佐野さんが自ら体系化したドラマ「コヨーテ、海へ」を見た後では、佐野さんにそこ迄背負わせる武田アナもど酷い方とも思ってしまいます。ビートは佐野さんだけしか体現出来ないので何時迄もお願いしますでは、佐野さんの作ってきたビートと連鎖って何だったのかと今なら言えます。ビートはもう手にあるのですよ、私達の心の中にと。佐野さんに届くか分からないけど、ここで私は言わせてもらいます。



もし何度か、皆さんがドラマ「コヨーテ、海へ」を視聴し、海のその先が垣間見えたなら、私もビートしようかになって欲しいが、先達者の切なる願いと思います。



そして、あと20歳若かったら、ポエトリー・リーディング集会開こうと動いたり、路上でポエトリー・リーディングしていたかもしれません。いや頑張ろうよもありましょうけど、兎に角コロナ禍が何かしらの区切りを迎えて欲しいものです。





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