第43話 1990−1991年 ライブ「SOFT BALLET」参加記録とBERAさん追悼

石塚BERA伯広さんが、2019年2月26日交通事故で急逝しました。またもEBM(エレクトロニック・ボディ・ミュージック)からですか。


石塚BERA伯広さんと言えば、私の中ではSOFT BALLETのギターの方です。大きくなってから、ギターを始めたもので、ギターの練習と言えばSOFT BALLETの音源をアンプのラインに繋げては、よくも弾き倒したものです。それ故に、BERAさんとも一緒にギターを弾いている感覚では有ります。

こういう感覚って、共有出来ないでしょうけど、えらく寂しいものです。


そして、この機会だから、SOFT BALLETのライブ参加記録も書き出してみようかなとも。



□ALL OVER(1990年10月19日 - 1990年11月25日)

札幌のライブハウスPENNY LANE 24にて

詳しくは「第5話 SOFT BALLETとシーケンサー/平成の音楽遺産を書き連ねる」で書きましたけど。

私にとっては、遠藤さんもフジマキも賢ちゃんも上領さんもBERAさんも、初めての出会いなのに、まるっきり構えず見れたのですよね。ブレイク前ですから、ステージほぼ前で見れたのもあるし、ライブの完成度が高いから、一々が腑に落ちた訳でも有ります。



□TOUR 1991(1991年5月8日 - 1991年6月29日)

実は都合2回見ています。大学のあった札幌と実家の青森にて。


札幌は中規模のホール(やや郊外で名前が思い出せない…)で、電話でチケットゲットしたものの、まあ後ろの席かなと思いきや、入館したら前から10列目位の席で、あのサウンドシステムの大爆音を食らいました。

セットリストはVHS化された「TOUR 1991 有明コロシアム」に近いですが、BPMは全体的に軽快な曲をセレクトした感じでしたかね。何よりカップリング曲の「BLOOD」を演目に上げてくれた事が嬉しいです。

まあライブ。音が劈き、終了後は自身も疲労困憊で、何故か汗だくでした。盛り上がりは結構な方だったと思います。あのフジマキが2段組みのSY77を破壊しつくして、ライブ最期迄付き合わずに帰ってしまいましたから。そこは完全燃焼と言う事で。


その札幌を経ての、日をおかずの青森ですけど。実はここで同じ日本エアシステム(JAS)のYS-11に乗り合わせる事になります。当時は青森-札幌間は飛行機位しかなかった訳で、SOFT BALLETと遠征民と私と乗り合わせる訳なのですよね。


青森の公演場所は今は無き旧青森市民文化ホール。当日は就職セミナーを回りつつの、時間が合えば、当日券で入れるかなののりでしたので、就活のスーツままのホールに入りました。

ただキャパが少ない上に、ホールが埋まったのは半分位でしたので、SOFT BALLETの青森人気はそれ相応であったかなとも。

そんな折り、後方席の私を察してか、遠征民の女性が「もっと前で見ませんか」とチケット見せて誘ってくれたのは有り難かったのですが、終活でやや疲れていたので、後方観覧に徹しました。

今更ですが、折角のお誘い無下に断って申し有りませんでした。




□TOUR 1991 TWEI(1991年10月5日 - 1991年12月19日)

「愛と平和ツアー」の後半部です。何故別れたかは謎です。

札幌で二回も見れてついてる…と思いきや会場の札幌市民ホールが酷過ぎました。観客席が急勾配過ぎての、音が小さ過ぎて、音の塊が爪先にも擦らないのですよ。もうこんなのライブでは無い、SOFT BALLETはもう良いかなと、この公演を持って、実公演には足を運ばなくなるわけです。


とは言え、セットリストは「Reiz[raits] -Live at NHK Hall-」に準じており、充実したアレンジで有り、舞台セットも豪華では有ります。まあパッケージ有りきの陣容でも有る訳ですね。

全体的には抑えめのBPMの曲が、このツアーを彩り、見せるに徹しています。

フジマキの電気ノコギリパーカッションも、BERAさんのフィードバックギターも、今後のSOFT BALLETに彩りを添えて行くのですけど、音が小さいだけで離れた私も如何だよなと思いつつ、当時はこれが時代でしたもの。駄目なら別のアーティストいるさ的な。

今思えば、ホール側の出音規制あったでしょうが、見る側にはその都合を察する事で来ませんもの。




との事で。私の体感したSOFT BALLETとは遠藤遼一(ボーカル)/藤井麻輝(KB)/森岡賢(KB)/上領亘(Dr)/石塚BERA伯広(G)の完全一体となった五人組な訳です。

今となっては、SOFT BALLETはこの五人組になった方が多様性なり結束力高まったのではないかと思います。

6thアルバム『FORM』を三人のフロントメンバーで固め上がったよりは、可能性が多々あったと思う訳です。

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