やくそくの電話

 驚いたことに、その「どこにも繋がっていない黒電話」には、その後も美羽みわさんから時々電話がかかってきた。

 話すことは、何気ない日常の愚痴。

 僕は同室の仲間に声が聞こえないように布団をかぶり、こそこそと美羽さんとの会話を楽しんだ。


さとし、もう電話できないかも』


 美羽さんがそう切り出したのは、珍しく彼女が『ポールが成田で逮捕された』と言う自分自身の事ではないニュースを話題にした、すぐ後の事だった。


「え……? どうして……ですか?」


 そうでなくても、最近美羽さんからの電話は回数が減っていた。

 美羽さん曰く、『ダイヤルしても繋がらないことが増えた』と言う話で、この不思議な電話だから、いつ繋がらなくなっても仕方がないのかもと、2人で寂しがっていた矢先にこれだ。

 電話が繋がらなくなっても、どうせ来年の春から働かなければならないのだから銀座で仕事を探しますと、彼女に宣言までしていた僕は、彼女に付きまとう邪魔な男だと思われたのではないかと、涙目で受話器を握りしめた。


『引っ越すの』


「どこにですか?」


『お店よ。寝に帰るだけの部屋を借りててもね、無駄だから』


「そんなに……厳しいんですか?」


『そうね、……でもまぁ悟に救われた命だもの、もう少し頑張ってみるわ』


 あの日。

 最初の電話がかかってきた日に、美羽さんは自殺を考えていた。

 止まった電話、もう付き合っていた男の人からもかかってくることの無くなった黒電話の受話器をあげて、ダイヤルの回る音を聞いていると、僕に繋がったのだ。

 それは奇跡だったのだろう。魔法だったのかもしれない。


 親も無く、勉強をしたくても出来ず、将来なりたい職業にも「中卒」と言う制限のせいでなる事は出来ないだろう僕が、それでも彼女と楽しげに話をするのを聞いて、もう少し頑張ってみようと言う気持ちになったのだと言う。

 電話機は持っていくけど、繋がらなくなってしまうかもしれない。

 それでも、頑張るから。と、美羽さんは初めてちょっと泣き声をもらした。


『また……かけるね』


「……はい」


『それじゃ……』


「あ、美羽さん!」


『……なに?』


「さっき、『ポールが成田で逮捕された』って言いましたよね?」


『なぁに、そんなこと。そうよ。ポール・マッカートニーくらい14歳でも知ってるでしょ?』


「はい。知ってます。有名ですから」


『それだけ?』


「……はい。あの、必ず、必ずまた電話をください」


『……うん』


「僕が、美羽さんを助けますから」


『……もう助けてもらったわ。じゃあ、またね』

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